二章三話 いま君に言いたいことが(二)

「俺ばかり歌っちゃ悪いですよ。みなさんも、ね? 歌いましょうよ。――ってこら! 言ったそばからマイク回してくるな、三蔵っ!」

「馬鹿! お前が歌ったあとで歌えるかっての! 公開処刑だろうが!」

 ――三蔵法師は下手くそだもんなぁ。

「やかましい! お前らも俺と大して変わんねぇだろうが! ほら、次はこれだ!」

 ――今川、次のリクエストは女子でしょ!

「べー、もう入れたっての。さぁさぁ、いくら昭和通のしょうわくんでもこいつは無理だろ。ぐふふ」

「土曜日だから星が欠伸をするまで話をしようよ♪」

「歌えんのかよ!」

 あはは、と笑い声。もう何度目だろう。村山くんを中心にみんなが笑っている。

 今日は彼のワンマンショーだ。歌が上手い上に、彼はレパートリーがめちゃくちゃ広い。元々精通していた昭和の曲に加えてこの頃は最近の曲も聴くようになったと言う。勉強会の一件から二週間も経たないというのに彼の勉強熱心さには頭が下がる。……というか、気味が悪いぐらいなんでも歌えている。

「ここまで歌わされることになるとは思いませんでした」

「あはは。ずーっと引っ張りだこだもんね」

「三蔵がマイクを回してくるからですよ」村山くんはむっつり顔で烏龍茶を飲んでいる。

「今川くんのこと、すっかり『三蔵』呼びだね」

「あいつには気を遣うだけ無駄だってことがよぅく分かったんで、『三蔵』でいいんです」

「ふふ」

「どうしました?」

「敬語じゃない村山くんって新鮮」

「よしてください」村山くんは照れた。「あれだけぐいぐい来られたら、俺だって調子が狂いますよ」

「ううん。全然いいと思う!」

 ――結構です、と周りの人達を突っぱねていた頃が懐かしいね。

「市原さんがそう言うんなら……いいんですかね」

「うん! ――で、ほらまたマイクが回ってきたよ」

「三蔵!」

「今度は俺じゃねぇよ!」

「私でーす」早苗だった。

「早苗! 村山くんにばっか歌わせ過ぎ!」

「いいじゃない。彼の歌上手いんだから聴き入っちゃうんだもん。ねぇ、みんな?」

 一同頷く。

「ね? それより、真理こそさっきから村山くんの歌に聴き入っているんじゃない?」

「いや、それは村山くんの歌が上手いからであって……」

「え、なになに? やっぱり真理っち――」

「こらこらこら! なにがやっぱりよ!」

 変なのまで食いついてきた。

 ――いっちー、もしかして村山くんのこと……。

「違う! 違うって!」

 ――きゃー、照れてる照れてる!

「市原さん、キャワ、イ、イ~!」

 蹴るぞ、三蔵っ!

「村山くん! 私ら別にそんなんじゃないよね?」

「市原さん、次は満を持してユーモアズ歌いますね」

 駄目だこいつ! 歌うことしか考えてない! 

 ――村山くん、ユーモアズも歌えるんだ。すごーい!

 ――あれ、この曲って……。

 私は「あぁ」と頭を抱えたくなった。なぜよりによってこの曲を……。

 彼が入れたのは――『いま君に言いたいことが』――私が一番好きな曲だった。

「なんてことない日々だから♪」

 うんうん。軽快な歌い出し。上手い。とっても上手いよ。でもさ、ちょっと待ってよ、村山くん。

「わー、これとっても上手いんじゃない。これには真理もイチコロねー(棒)。……なんか熱くない?」

 周りを煽るな、こんちくしょう!

「ほんとだぁ、真理っち真顔だよぉ」

 それはあんたらのせいだ!

「いけいけ! お前の美声で市原さんを落とせ!」

 三蔵、うるさいっ!

「いま君に言いたいことが♪」

 私がいま君に一番言いたいことは「空気読んでよ!」だ。


「……すみません。まさかそんなことになっていたとは知らず、やらかしてしまいましたね」

 夜の街。村山くんはごく自然に車道側を歩いている。しかし、いまの私は彼の紳士っぷりに感謝する余裕がなかった。

「ほんとだよ! おかげでえらい目にあったんだから!」

「はは……そういえばみなさん、ずいぶん熱心でしたね」

「村山くんも他人事じゃないでしょうが!」

「そうですね。三蔵が特にやかましかったです」

「もう……」

 すみません、と彼は再び苦笑いした。

 村山くんが『いま君に言いたいことが』を歌い終わってからというもの、それはもう大変だった。

 ――市原さんと村山くんってそういう関係だったの?

 ――いつから? いつからなの? いままで全然気づかなかったよ。

 ――大人しそうな顔してやるなぁ!

 ――このスケベめ。

 クラスメイトの恋バナほど楽しいものはない。ただそれは、当事者じゃない場合に限る。まったく。よくもまぁ次から次に。くたびれるぐらい質問攻めにあった。

 私が必死に「違う違う!」と否定しているのに、律儀というか馬鹿正直というか、村山くんときたら……。

「俺と市原さんはそういう関係じゃないですよ。二日置きにラインをしたり、テスト前に勉強会したりするぐらいです」呆れるぐらい(わざとかってぐらい)ほとんど言っていた。

 ――バレンタインもらった?

「いいえ(このとき、彼は切なそうな顔をこちらに向けた。もちろん無視した)」

 ――ほんとは欲しかった?

「そうですね」きゃーと声が上がった。

「二人はもうヤッ――(お調子者は口を塞がれた)」

「村山くん、送り狼になっちゃ駄目だからね」君にとどめ、とばかりに早苗が言った。

 で、いまに至る。

「うぅ……」

「市原さん、安心してください。俺はそんなことしませんよ」

「そっちじゃない」

 しっかりしているようで、この人はときどき物凄く天然になる(そのズレっぷりが今日みんなに受けたわけだけどさ)。

 まぁいいや、と私は息をつく。「今夜は星がいっぱいだね」

「はい。とても綺麗です」

「もうすっかり夜だ」

 スクランブル交差点の信号は変わるまでがとても長い。そんな待ち時間も村山くんとなら心地いい。

「市原さんのおかげです」村山くんが言った。

 私達の肩は、信号が青に変わるまで三分近く並ぶ。

「今日こうしてクラスのみんなと仲良くなれたのは市原さんのおかげです。市原さんのアドバイスがあったから、俺は勇気を出すことが出来ました。改めてお礼を言わせてください。ありがとございます」

「いいっていいって。私も今川くんのこと見直しちゃったな。調子良く騒いでいるだけの人かと思っていたから、意外と気配り上手でびっくりした。これまで思っていた五十倍はうるさかったけど」

「三蔵のおかげでクラスの輪に溶け込むことが出来ました……これまで思っていた百倍はうるさい奴でしたが」

「三蔵法師様々だね」

 ふふっと二人で笑った。信号が青に変わる。

 そして私は

「村山くん、誕生日おめでとう」

 橋の上で、村山くんに小さな箱を渡した。

 村山くんは「え?」と驚いていた。「俺の誕生日、どうして知っているんですか?」

「妃くんから聞いたの」

「竜太郎に?」

「今日が村山くんの誕生日だって」私は頬を膨らませる。「もう、妃くんが教えてくれなかったらスルーしちゃうところだったじゃない。こういうことはちゃんと教えてよね」

「すみません……ていうか、え?」

「村山くんのことだから、どうせ『俺なんかの誕生日に気を遣わせるのは悪いな』とか『自分からアピールするのもな』とか思っていたんでしょ?」

「百点満点の解答ですね、はは……」

「水臭いよ!」村山くんの――と言いかけた。「ほら。友達の誕生日なら、じゃ……じゃんじゃん祝いたいでしょ」

「じゃんじゃん?」

「そ、じゃんじゃん」勢いに任せて言っているのが自分でも分かる。「ね? だからそう申しわけなさそうな顔しないでさ、もっと嬉しそうな顔で受け取ってよ」

「こうですか」うわ、笑顔ぎこちな。「いいんじゃない、そんな感じで」

「いま、開けても大丈夫ですか?」

「いいよ。……あーでも、ちょっとガッカリさせちゃうかも」

「なに言っているんですか? 市原さんからプレゼントをもらってガッカリするわけないじゃないですか」

「そう言ってもらえると私も嬉しいかな。なーんて」

「――チョコレートですか!」彼は包みを解いた。

「うん。十日遅れのバレンタイン。私、こういうのあまり作ったことないから下手っぴだけど」

 てへ、と舌を出した。

「そんなことないです、……俺、いま猛烈に感動していますよ」小さな箱を手に、彼は一昔前の野球漫画みたいな台詞を口にしていた。

「大袈裟だなぁ、村山くんは」

「これ、このまま永久保存したいぐらいです」

「いや、そこは食べてよ。せっかく作ったんだから」こうでも言っておかないと、村山くんは本当に私の下手っぴなチョコを永久保存しかねない。

「食べてもいいですか?」

「ここで!?」さすがにびっくり。

「家まで我慢出来そうにないです。嬉し過ぎて」

「喜んでもらえたのは嬉しいけど……うー、ここで?」

「橋の上で食べるチョコレートってのもロマンがあっていいじゃないですか?」

「ロマンねぇ」

「見てください」橋の向こうを指差して言う。「街の灯りがとても綺麗です。川面に映る月もまた風情があって……やっぱり駄目でしょうか?」

 まぁ、確かに綺麗だ。人もそんなにいないし。彼のロマンに水を差すのも可哀想かな。

「あー、はいはい。分かったよ。橋の上のチョコ。ロマンがあっていいんじゃない」

「ですよね」と彼は嬉しそうに微笑んでから、ボール状のクランチチョコをひょいと摘んだ。

「どう?」

 ザクザクっと音はいい感じだけど、肝心の味は……

「おいひぃですよ!」ぐっと立てられた親指に、私は心の中で「おっしゃあ!」とガッツポーズした。

「市原さんも一緒に食べませんか? 一人で食べるより二人で食べたほうが美味しいですよ。きっと」

「そう?」村山くんもこう言ってくれているんだし、遠慮する理由もなかった。「じゃあ、私も食べちゃお」

 ザクザクの食感。甘さがじんわりと口の中に広がる。

「うん。我ながらよく出来てる、百二十点だね!」

「あれ? さっきはあまりいい出来じゃないって」

「真面目に突っ込むな! 最初のは乙女の恥じらいってやつだよ」

「そうでしたか。俺は相変わらず不勉強です」

「いや、勉強とかそういう問題じゃないと思う」

「でも、これ本当に美味しいですよ」

「そりゃあ下手なりに特訓したからね」

「特訓ですか?」

 へへ、と胸を張ったあとではっと慌てた。「あ、いや、せっかく渡すんだったら少しでも美味しく美味しくってのが人情ってもんじゃん。村山くん流に言うなら自己への挑戦だよ。あはは」

 なかなか苦しい説明だ。でも、これほんと本命とかラブとかそんなんじゃないから。いつもお世話になっているから……友チョコ的な? ……感謝チョコ的な? 

 何度も自分にそう言い聞かせながら作ったのに、なにをいまさら意識することがあるの?

「市原さん」

「な、なんでしょう!」声が上擦った。

「今日は……」

「うん」ドキドキ。

「今日は……」

「うん」ドキドキドキ。

「寒いですね」

 ずこっ。

「……そうだね。暦の上では春だけど、まだまだ寒いもんは寒いよね」

 試しに息を吐いてみた。白い。

「……で、なにが言いたかったの?」

「いや、なんでもないです」

 私はこのとき、ちょっとだけなにかを期待していた。

 けど、村山くんは結局なにも言わなかった。

 そうして私達はいつものバス停で別れた。

「今度は二人で遊びに行こうよ」

 別れ際の言葉に、村山くんは「喜んで」と笑顔で応えてくれた。

「村山くんも気をつけて帰ってね!」

「はい。また明日」

 村山くんが歌った『いま君に言いたいことが』を思い出して、声がいつもより弾んだ。

「うん! また明日!」


「甘酸っぺえ。甘酸っぺえよ、しょうわくん。……いや、しょうわさん」

「いやーん。真理っちの顔、完全に乙女だったよぉ。こっちまできゅんきゅんしちゃう。……でもさ、私達の尾行ばれてないよね?」

「大丈夫でしょ。あの二人、揃いも揃って鈍いし」

「それもそだね。あー、今度あの二人をモデルに小説書いてみようかな」

「ベッタベタな恋愛ものになりそうね。それこそ少女漫画も顔負けの」

「なにはともあれ、あの二人の恋物語を温かく見守っていくか。俺ら外野は」

「そうね。恋愛ものはハッピーエンドじゃないと目覚めが悪いもの……なによ、吉沢さん?」

「わぁ、ツンデレだぁ!」

「ば、勘違いしないでよ! 私は別にあの二人のことなんか――」


 私達の知らないところでこんなやりとりがあっただなんて、当然知るよしもなかった。

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