二章三話 いま君に言いたいことが(一)

「はい。それまで。答案用紙後ろから回せー。はい、そこ無駄な抵抗しなーい」

 最後の科目が終わり、張り詰めていた教室の空気がわぁっと緩んだ。

 とりあえず答案は全部埋めたぞ。あとはもう知らん。天井を仰いで、私は深く息をついた。

「真理っち、問い十の答え何番にした?」

「二にしたけど」

「あっちゃー。二だったかぁ。鉛筆占いってやっぱり当てにならないね」

「……あんたはなにやってんのよ」

 テスト中、何度かコロコロっと聞こえていたのはそれか。

「ま、いっか。終わっちゃったもんはしょうがないよね」

 さすが切り替えの早さに定評がある泉水さん。

「そういうこと。やるだけやったんだから、あとは煮るなり焼くなりどうぞってね」

 下手くそなウインクをしてみる。すると、泉水が「あ」と声を上げた。なにかを思い出したように。「真理っち、打ち上げの話聞いてる?」

「……え、なにそれ?」背伸びが不自然な形で止まった。「初めて聞いたんだけど」

「あれれ、聞いてないの? 学年末終わったらみんなで遊びに行こうって話。春になったらクラス替えとかあるじゃん」

「そうねぇ。学年が上がれば……クラス替えとかあるよねぇ」

「ん、どしたの? 渋い顔しちゃって」

 誰も見てないよね。私はそっと泉水に顔を近づけた。「私、もしかしてはぶられてる?」

 それを聞いて泉水はきょとんとしていた。「そんなことないと思うけど」いや、でも私聞いてないんですけど。その、クラスの一大イベントとやらを。

 泉水は「うーん」と唇に指を当てた。

「私が言い忘れてただけかもしんない」

「うぉい」

「てへへ、人間誰しも抜けの一つや二つあるさ」

「まったく……」

「で、どうする? 参加する?」

「それって今日?」

「うん。今日の放課後。こういうのは日を空けないほうがいいでしょ?」

「それもそうね」

「行こうぜ行こうぜ。ユーも一緒に青春しちゃおうYO!」

「……なに、そのラッパーみたいなノリ?」

「あー、それとも村山くんとなにか予定あったり――」

「声がでかい!」泉水の口を慌てて塞いだ。「あと、そんな予定ないから!」

 泉水は「ほんとぉ?」と言いたげな目で見上げている。この際、ヘッドロックでもかまそうかと思っていたら――

「市原、テスト明けでご機嫌なのは分かるけど、あと五分大人しくしててくれな。ホームルーム始めっから」

「あ、はい!」泉水を放した。「真理っちの手のひら柔らかーい」きっと睨みつけた。

 クラスメイトがくすくす笑っている。早苗なんか「ふふん」と澄ましている――お馬鹿さん。……腹立つな。

 彼女のお隣さん――村山くんとも目が合った。……いや、そんな同情的に微笑まれても。君が原因なんだから(言いがかりもいいところだ)。


 ホームルームが終わったあと、村山くんに打ち上げの話をしたら、彼はやはり知らなかった。「そんな話があったんですね」と呑気なものだ。

 幹事の男子を中心に十人は軽くいる。輪の外で小柄な泉水がぴょんぴょん跳ねていた。

「自由参加みたい。村山くんは予定とかあったりする?」

「特にないですね」

「で……どうする?」一緒に行こうよ、と言いかけて呑み込んだ。

 参加するかどうかは本人の意思だ。私の場合、泉水がうっかり言い忘れていただけだけど、村山くんの場合、たぶん誰も知らせなかったに違いない。自由参加と言っても、やっぱり仲のいいメンバーで行きたいだろうから。積極的に声をかけられなかったにせよ、私は一応セーフなんだろう。村山くんの場合は……。

 ――お互い一歩ずつ進んで行こうよ。

 唇は固く結ばれたまま。

「今回は止めときます」彼が苦笑いしたら、私も止めとこうかな。

 そう思っていたら、彼は「……いや」と小さく首を振った。

「俺も行きます」

「ほんと?」

「はい。参加させてもらえたらですけどね」

 真面目なところ悪いけど、私はぷっと吹いてしまった。

「ん」彼は眉を顰めた。

「あー、ごめんごめん。でもさ、そんな卑屈な言いかたするほうが悪いよ。私達、ただのクラスメイトじゃん? 先輩後輩でもましてや上司や部下じゃないんだからお伺い立てる必要ないって。自由参加って言ってんだから村山くんがあの人達に『俺も行きます』でオールオーケーでしょ?」

「そうですかね?」

 俺も行く行くー、とまた一人、仲良しの輪に加わった。

 それを見て怖気づいたのか、村山くんはいつもの気ぃ遣いの顔に戻りかけていた。世話が焼けるな。私は最後のひと押しをしてあげた。

「もし村山くんをはぶろうとする奴がいたら、私がそいつのケツを蹴っ飛ばしてあげるから。そのときは二人で打ち上げしよ」

 それはそれでいいんじゃないかな、と思っていたら、彼が「あの……」と言い辛そうに言った。

「どうしたの?」

「――いや、前々から思っていたんですけど、女の人が……あまり『ケツ』とか口にしないほうがいいですよ」

 お尻を思いきり蹴飛ばした。


「俺も行きます」と村山くんが言ったとき、幹事の今川三蔵は「え?」と目を丸くした。周りも「村山くんが?」とざわついた。

「しょうわくん、マジ?」

「はい。みなさんがよければですけど。あと、俺の名前は『しょうわ』じゃなくて『あきかず』です」

 今川くんは「ふーむ」と腕組みをしていた。周りも「どうしよっか?」と顔を見合わせている。

「俺は別にしょうわくんのこと全然ウェルカムだけど、今日はまたどういう風の吹き回し? 珍しいじゃん。しょうわくんがこういうのに参加するって」

 周りも「うんうん」と頷いていた。拒否されているわけでもからかわれているわけでもなく、純粋な興味といったところ。

 どう答えるんだろう。見守っている私までドキドキしてきた。

 村山くんは「俺、みんなと仲良くなりたいんです」と言った。

「…………」

 これ以上ないぐらい単純かつ素直な回答に、みんなポカーンとなっていた。

 村山くんらしいや。私は口元がぴくぴく動きそうになるのを我慢していた。

「二月の終わりになってなに言い出すんだって思うかもしれませんが、せっかくの機会なんで俺も混ぜてもらえませんか?」言い終わったあと、ようやく照れ臭くなったのか、「そういうことです」と頬をひと撫でした。

 頑張ったね、村山くん。

 アイコンタクトに気づいた彼は軽く首を竦めた。

 今川くんはというと、「くく……ふふ」と笑いを噛み殺していた。分かる。分かるよ、その気持ち。私も君の立場だったらおそらくそうなってる。

 とうとう堪えきれなくなって、彼は玩具箱を引っ繰り返したかのように笑い出した。

「あっはっは! 気に入った! 俺、しょうわくんのこと気に入ったわ! その汚れなき心に乾杯したいな」

「ど、どうも。名前のほうはあくまで訂正する気はないんですね……痛っ、痛いですよ!」バシバシ肩を叩かれていた。

「そいつは親しみの印さ。みんな、しょうわくんも参加ってことでいいよな?」

 今川くんの陽気さに釣られてか、わぁぁぁぁと拍手が上がった(ノリいいな!)。

「新たな仲間が加わったところで……しょうわくんはなにがしたい? カラオケ? ボーリング? 今日は君が主役だ!」十年来の友達のように肩まで組んでるよ(その馴れ馴れしさには、村山くんもさすがに嫌そうな顔をしていた。なんて分かり易い)。

「そうですね」このとき、チラと私を見た。「では、カラオケはどうでしょう?」

「よっしゃ! カラオケだな。みんなもそれでいいよな?」

「はーい」と声を揃えるみんな(ほんとノリいいな!)。

 というわけで、打ち上げはカラオケに決まった。


 最終的に打ち上げメンバーは十四人にまで膨らんだ。VIPルームとはいえ、十四人はやっぱり多い。ちょっと気を抜いたら隣の人と肩が触れそうなぐらいぎゅうぎゅう詰めだ。

「村山くん、カラオケとかよく来るの?」しれっと隣に座っている私だった。

「あまり来たことないですね」

 薄暗い室内にミラーボール。カラオケルーム独特の雰囲気に彼はきょろきょろと落ち着かない様子だった。

「まぁ、落ち着かないのも分かるよ。独特の閉塞感とか熱気があるし。日常の中の非日常みたいな?」

「非日常……なるほど。上手い表現ですね。ドキドキするのはだからでしょうか」

「かもね。今日は楽しもう」

「はい。今日は市原さんのために歌います」

「……えっ?」

「いまのはちょっと気障でしたね」村山くんははにかんだ。

「そだね。いまのは」あー、びっくりした。

 飲み物も揃ったところで乾杯。

 ――テストお疲れ~。

 ――四月までのんびり出来るなぁ。

 ――もう二年だぜ。はえー。

 と盛り上がる中、村山くんのもとにマイクが回ってきた。みんなニヤニヤしていた。

「一発目はしょうわくんっしょ。名前にちなんだ歌でもなんでもいいからここは一つガツンとかましてくれ!」

 パンパンパン! ジャラジャラ~!

 今川くんは曲が始まらないうちからタンバリンを叩いていた。

 ――うるせーぞ! 三蔵法師!

 ――しょうわくんがいま選んでるだろうが!

「へいへい。ハリーハリー!」パンパンジャラジャラ……。

 騒がしいけど憎めない人だ。一緒にいるとこっちまで楽しくなってくる。

「村山くん、決まった?」

「歌えるかどうか分からないですけど一応」

「いいのいいの。ガツーンとかましちゃおうよ!」

「そうですね。ではこれで」

 ピピッと曲が送られる。アップテンポなイントロが始まると、「おぉ」と、どよめきが起こった。――村山くんが選んだのは、いま一番人気のロックバンドだった!

「ぶっ!」と泉水がアップルティーを噴き出した。

「……村山くん、『DA! DA! DA!』とか歌えるの?」

 噴き出したアップルティーをおしぼりでせかせか拭いている。

「テスト勉強のかたわら聴き込んでいたんです」

「へ、へぇ、凄いね……」泉水、その気持ち分かるよ。私でさえびっくりしたよ。

「つーか、立って歌うとかいいねいいね! 気合い入ってんね!」

「歌うときは腹式呼吸のほうが――」

「曲始まるよ」早苗がモニターを指差した。

「あ!」

 期待を裏切らないというかなんというか、彼は歌い出しに遅れた。みんな大爆笑。

 ところが、彼の歌声がメロディに追いつくにつれ、笑い声が次第に止んできた。

 モニターを食い入るように見つめながら歌う村山くん。

 一番、二番、そしてラスサビと歌い終わった。

「ふぅ。凄く緊張しました」村山くんは静かにマイクを置いた。

 と、ここでようやく異変に気づいた。「みなさん、どうしました? そんなに酷かったですか?」

「「歌うまっ!」」

「おわっ!」

「村山くん、凄く上手いんだね……」あまりの上手さに私もすっかり聴き入っていた。

「市原さんにそう言ってもらえると嬉しいですけど……そんなに?」と、彼は周りの反応を窺った。

「そりゃ――」

「「おぉぉぉぉ!」」まさかのスタンディングオベーション!?

「おわっ!」

 パンパンパン! ジャラジャラジャラ~!! タンバリンの乱打が響き渡る。

「へいへいへい! しょうわくんも人が悪いな。こんな特技持っていながら、いままで黙ってただなんて! めっちゃ上手いじゃん!」

「そ、そうかな。俺は俺なりに一生懸命歌っただけで……そもそもなんでこんなに受けたのかよく分から――」

「いやいやいや、そんだけ上手くて謙遜はノーだって。はい。みんな、しょうわくんの美声にもう一度拍手!」

 パチパチパチパチ! 私も一緒になって拍手した。

 ――村山くーん。阿藤つかさ歌える?

「『流星に乗り遅れた少年』なら」

 ――きゃー、歌って歌って!

 ――海乃小太郎は?

「代表曲ならある程度」

 ――歌え歌えっ!

 ――ちょっと男子! うちらのリクエストが先だから!

「あぁ! 全部歌いますから喧嘩しないでください」

 に、人気者になってるし……。

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