一章一話 頑固な人だね、君は(一)

 冬休みも終わり新学期。私は気持ち新たに顔を上げて、校舎に足を踏み入れた。

 すると、さっそく「あ、真理っちだぁ!」と友人が駆け寄って来た。

 私が手を上げるよりも早く、彼女は「明けまし――ぎぇぇぇ!?」と仰け反った。

「ま、ま、真理っち……だよね?」

 驚かれるだろうなと思っていたけど、ここまで驚かれるとは思ってなかった。小柄な体で目一杯のナイスリアクションをありがとう。

「ど、ど、どうしたの?」

「明けましておめでとう。イメチェンってやつかな。へへ」

 一年以上伸ばしてきた髪をばっさり切ったものだから首筋がすーすーする。切ってからもう一週間は経つっていうのに未だに慣れない。

「似合う?」うなじが見えるように首を傾けながら訊くと、

「いや、似合うもなにも、失恋してショートにしちゃうとかもう……」

「もう?」

「ベタ過ぎて笑っちゃう。ふふ、くく、あはははは!」

「うぬぬ」

 もうちょい気を遣ってよ、と歯軋りしていたら、天誅なのかゲラゲラ笑っていた泉水は靴箱に勢いよく頭をぶつけた。

「ほらほら。探しものはこれでしょ」

「眼鏡? 眼鏡は?」地べたに顔を近づけて眼鏡を探す様は、まるでコントだった。

「もう、びっくりしたぁ」泉水は赤縁眼鏡をかけ直した。

「思いきりぶつけてたけど、頭は大丈夫?」

「うん。なんとか。中身もパーにはなってないから」

「そう? 『ガゴン!』って凄い音してたよ」

「私のことはどうだっていいの」と言いつつも、ぶつけた箇所を痛そうに擦っていた。

「これ、切り過ぎちゃったかな?」

「私より短くなってんじゃん」自前のセミロングをさわさわしながら泉水が言う。

「ショートなんて小学校のとき以来かも」

「ふーん。ま、案外似合ってるっちゃ似合ってるけど勿体ないことしたね。ずーっと伸ばしてたのに」

「いいの。ベタでもなんでも気分変えたかったんだもん」

「でも、真理っちが髪切っちゃったから、いま書いてる小説の内容書き直さないといけないなぁ。ロングがショートか……じゃあ、相手役の女の子をロングに変更しないと髪型被っちゃうなぁ。被ると絡みが書き辛いし……参ったね」

「あのさ、人を勝手に百合小説のモデルにしないでくれる?」

 この間は、仮面舞踏会で鞭を振るう女王様だった。人をモデルにして小説を書くのはまだ許せるけど、書くなら書くでもうちょいマシな配役にしてほしい。文芸部のホープ(自称)の悪癖には、ほとほと頭を抱える。

「いけると思うんだけどなぁ。真理っちの百合小説」

「そっちの気はないから。ほら、教室着いたから変な妄想はしまってしまって」

「妄想じゃなくて空想だよ。それよりも真理っち……」

「なに?」

「あとでちゃーんと聞かせてね」

 絶対小説で使う気だ。なにも答えず、私はスタスタと自分の席に向かった。

 ばっさり切った髪のことで、みんなにきゃーきゃー騒がれた。

 ――その髪どうしたの?

 ――失恋? 失恋しちゃったの?

 ――え、相手は誰? もしかしてうちのクラスとか?

 ああもうやかましい! 

「ただの気分転換よ!」と乱暴に言い放って、ぴゅうと逃げ出した。ホームルームまでまだ時間があるから風に当たってこよう。顔が火照ってる。

 と、廊下に出たら、村山くんを見かけた。私はなぜか胸を押さえた。

 どうやら二組の前で友達と別れたようだ。

「あれって妃竜太郎じゃ……」

「あ」村山くんも私に気づいたようだった。「お、おはようございます」

「お、おはよう」つられて私もぎこちなくなった。「明けましておめでとう」

「はい。明けましておめ……え?」彼の視線がとまった。

「ふふん。せっかくだから切っちゃった。似合うかな?」

 事情を知っているだけにすぐさま「はい」とは言わなかったけど、それでもちょっと間を置いてから「似合ってると思います」と言ってくれた。

「この間はありがとうね」

「いえ。俺はただ話を聞いていただけですよ。力にはなれませんでした」謙遜じゃなく本当にそう思っているのだろう。真面目な人だから。

「そんなことないよ。話聞いてくれて嬉しかったよ。ほら、いい感じに笑えてるでしょ?」

 素直な気持ちと強がりが半々だった。

 村山くんはほっと安心したようだった。

「年末年始そのことがずっと気になっていたのでよかったです。女の人はやっぱり笑顔のほうが似合いますよ」

「ふぐ!」

「どうしました?」

「ううん。なんでもない。なんでもないよ!」

「そうですか。では――」

 彼が三組の教室に入った途端、へなへなっと体の力が抜けた。

 あー、びっくりした。朴訥な人かと思っていたら、いきなり――女の人はやっぱり笑顔のほうが似合いますよ(ニコッ)――だもん。あの人、こういうことさらっと言える人だったの? 照れ屋じゃなかったの?

 私はひどく混乱していた。よく分からない。よく分からない人だよ、村山くん!

「おーい、市原さんやい。なにを廊下の真ん中でぼけっとしてんだ? 正月ボケか? ホームルーム始めっから早く教室に入れ」

「は、はい」

 担任の浦部に促され、私も教室に入った。


「ねぇ、真理っち」

「なに?」

「いつの間に村山くんと仲良くなったの?」

「んっ!」唐揚げが喉に詰まった。

 ドンドン胸を叩く私を見て、泉水は笑った。「もう、真理っちって反応がベタで楽しい~」

 ごきゅごきゅとお茶をがぶ飲みした。ようやく落ち着いたところで「い~ず~み~」と睨みつけた。

「やーん。怖~い。大丈夫だって。村山くんいないから。たぶん学食じゃない?」

 村山くんの席には、若月早苗が座っていた。今日も取り巻きに囲まれて楽しそうだった。

「いい人だからね、彼。女王様から『ここ使ってもいい?』『いいですよ』今日もこんな感じだったんだろうね」

「ありそう」

 村山くんの席なのに我が物顔だ。私はどうも、彼女の女王然とした、高飛車な振る舞いが好きになれない。あっちはあっちで私みたいなタイプ嫌いなんだろうけど。

「それで、村山くんと真理っちの間には一体なにがあったの? さっき廊下で喋ってたよね」

 見られてたのか。しかし、今度は動揺しなかった。もぐもぐしていた玉子焼きを飲み込んでから、「イブにちょっとね」と言った。

 泉水は目を輝かせた。「え、なになに? そこらへん知らないよ。てか、彼氏さんと別れたってことしか言ってな――」

「声が大きい!」泉水の口を塞いだ。「ご飯食べてから説明するから」

「ぷはっ。本当に?」

「うん。まぁ……アリバイ作りに一応協力してくれたわけだし、気持ちもだいぶ落ち着いてきたから」


 お昼ご飯を食べ終わったあと、中庭のベンチでイブのことを話した。感情は交えず、なるだけ事実だけを語るようにしたから、時間はそうかからなかった。

「なるほどねぇ」と話を聞きながら、泉水は始終腕組みをしていた。

「大して親しくもないクラスメイトの失恋話に二時間近くも……村山くん、いい人過ぎるでしょ」

「うん。あの日はちょっと甘え過ぎちゃった」

「実際大変だったと思うよ。傍から見たら、どう見ても彼が真理っちのこと泣かせているようにしか見えないもん」

「私の涙は、巧さんだよ!」

 名前を口にしただけで苦い熱が胸を掻き乱した。あんなにいっぱい泣いたのに、吹っ切るのにはまだまだ時間がかかりそうだった。

「でも巧さんもねぇ……どうしてよりによってイブに女の子を振るかな。真理っちトラウマになってるし」

「なっ――」なってない、とは言えなかった。たとえこれから先、どんなに新しい恋をしたところであのときの痛みは一生消えないだろう。

「仮に向こうに好きな人がいたとして、クリスマスを気兼ねなく過ごすために真理っちを振ったとか?」

「ぎゃー、聞きたくない! ちらっと考えなくもなかったけど、それ一番やだぁ!」

「男って残酷」

「わー、もう止めてよ!」

 半分ノリで付き合っているとはいえ、言葉にするとなかなか破壊力がある。ふとした瞬間に疑惑がとめどなく増殖してしまいそうだ。

「真理っちはほんとからかい甲斐があるねぇ。百合小説止めて悲恋もの書いちゃおうかな。題して『涙のクリスマス』。なーんちゃっ……痛だだっ!」

「これ以上調子に乗ると頭を握り潰すよ」いまならリンゴの一つや二つ容易くいけそうだ。パワーオブゴリラ。

「ごめんなさい! ごめんなさい! 私が悪かったです! 調子に乗り過ぎました!」

「まったく」

 ふんと鼻を鳴らす私に、泉水が「でもさ」と言った。

「真理っちはこれからどうするの?」

「……どうするって?」

「この一年、もうちょっとかな? 真理っちずっと『巧さん巧さん』だったでしょ? カッコ良くて優しくて頼りになって、しかも年上。真理っちがゾッコンだったのもよーく分かるよ」泉水はふぅと息をついた。「だから、かなり苦労するんじゃないかな」

「苦労?」

「これから先、誰かを好きになるたびにその人と巧さんを比べちゃうんじゃないかなって」

 ドキリとした。「かもしれない……」かも、じゃなくてきっとそうだろう。

 私が中学三年のとき、巧さんは大鳥島南高校の三年生だった。オープンキャンパスで出会ったとき、一目惚れした。一緒に回っていた友達も目をとろんとさせていた。

 その友達と一旦別れたあと、私はすぐさま彼のもとへと引き返し、大胆にも連絡先を聞き出した。それからというもの、受験に悩む女子中学生を演じつつ、どさくさ紛れに告白までしたのだ。

 ――この学校に合格したら、私と付き合ってもらえませんか?

 ――真理ちゃんが合格したとしても、俺、この学校にはもういないよ?

 それでもよかった。巧さんのあとをなんでもいいから追いかけたかったのだ。

 翌年、満開の桜の下で、私は改めて告白した――彼は、約束を守ってくれた。

 ふっと気を緩めたら、思い出をまた一つ一つ拾い始めかねなかったので、ぶるぶる頭を振って切り替えた。

「そういうことは、また誰かを好きになってから考えるよ」

「そっか。そうだね……。真理っちは男らしいね」

「それ褒めてるの?」

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