ちょっと待ってよ、村山くん

尾崎中夜

プロローグ 二人ぼっちのクリスマスイブ

「ここ、座ってもいいかな? しょ――村山くん」

 しょうわくんと言いそうになって、私は咄嗟に言い直した。 

「駄目ならいいんだけど」

 ざっと見渡してみたけど、空席はやはりここしかない。

 助けを求めるように視線を泳がせたけど、

「……いえ、どうぞ」

 お人好しなクラスメイトはすぐに諦めた。

「ありがと」

 私は向かいの席に座る。

 ――ねぇねぇ、まーくん。これからどうする?

 ――うーん、俺はあーちゃんの家でのんびりしたいな。 

 恋人達の語らいや華やかな音楽に耳を塞ぎたくなる。イブのドーナツショップは誰もかれも幸せそうで、

 ――おぉ!? これ手編み!?

 ――そうよ。私だってやれば出来る子なんだから。

 小さな箱の中に砂糖菓子をぎゅうぎゅう詰め込んだような、そんな甘ったるさに私は泣きたくなる。

 どうしてこういう日に限ってクラスメイトに会うんだろう。

 村山くんは、窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいる。どうやら私と話す気はなさそうだ。

 ……別にいいんだけどね。

 大人っぽいというよりくたびれたサラリーマンみたいな横顔。学校にいるときとあまり変わらない。いつもなにに疲れているんだろう?

 ずっと黙りしているのも感じが悪いから、とりあえず話しかけてみた。

「村山くん、誰かと待ち合わせしてた?」

「……え?」

 私はもう一度言った。

「誰かと待ち合わせしてた?」

 だとしたら、私は迷惑以外のなにものでもない。そのことに考えが回らなかった。

 コーヒーカップを置いて、彼はぼそりと言った。「一人です」

「そっか」

「はい」

 彼は誰に対しても敬語で話す。「しょうわくんってなんか堅苦しいよね」とクラスの女の子がいつぞやケラケラ笑っていたっけ。

 おざなりの会話。私達はまるで別れ話をしているカップルみたいだった。大好きなシナモンドーナツもパサパサとしてあまり美味しくない。

「市原さんこそ誰かと待ち合わせしていたんじゃないんですか?」村山くんはオールドファッション。

 指先のシナモンパウダーをちゅっと吸った。味がよく分からない。「ううん。私も一人」正確に言えば「一人」になってしまった。

「ロンリークリスマスってやつ? シングルベルってやつ? あ、どっちも同じか。あはは」

 無理に笑ったら、じわっと目尻が濡れた。そんな私を、村山くんは気まずそうに見ていた。

「振られちゃったんだ」さらっと言ったつもりだった。「今日ね、てか、ついさっき振られたの。『別れよう』って三つ年上の彼氏に。……だから、振られたてホヤホヤなの」振られたてホヤホヤってなんだ?

 ――やっぱり遠距離って難しいよ。

「……ちょっとドーナツ取ってくるね」

「はぁ」

 ――二年になったら実習とか増えるから……正直、今度いつ会えるかも分からないんだ。

 ポンデリング。チュロス。チョコドーナツ……。手当たり次第取った。

「これ、全部食べるんですか?」村山くんはドーナツのように目を丸くしていた。

「うん。ダイエットの必要がなくなったから」

「――あ、はぁ。そ、そうですか」なぜに頬を赤らめる?

 聖夜に備えて女の子がダイエット。

「あ!」なにを口走ったかようやく気づき、声が出た。途端に恥ずかしくなった。

「そ、そうよ。そうだよ。夢見て悪い? なにか文句ある?」

 私の開き直りに、彼は余計気まずさを覚えたようだった。「いえ、その……素敵なことだと思いますよ」と微妙に頓珍漢なことを口にした。

「でもさ……それだけ好きだったんだよ、巧さんのこと!」

 とうとう名前まで言ってしまった。大して面識もないクラスメイト相手に私はさっきからなにをぶち撒けているんだろう。

 ドーナツを自棄食いしているうちにポロポロと涙が零れた。

 村山くんはぽつりと言った。「――その人のこと、本当に好きだったんですね」

 優しさなのか、哀れみなのか。どっちにせよ、彼の言葉は涙腺を刺激した。

「好きだったんだもん。本当に本当に、好きだったんだもん……」ちょっぴり塩気のするチュロスを片手に私はぐずった。

「今日だってプレゼント用意してたのに、渡せなかった……」渡せなかった手袋は、明後日燃えるゴミに出そう。

 村山くんは困っているに違いない。大して親しくもないクラスメイトに会ったかと思えば、その子がいきなり泣き出した。

 自分が泣かせたみたいだ――申しわけない思いでいっぱいだったけど、このときの私はあまりに傷ついていた。

「村山くんも一緒に食べて!」

「え、俺?」

「奢るから!」

「……それじゃあ」下手に刺激しないほうがいいと思ったのだろう。困り顔のままドーナツを一つ取った。

 それからというもの、私は「わあん!」とテーブルに突っ伏して、支離滅裂な話を何度も繰り返した。


「ほんと、今日は本当にごめん!」

「いえいえ。もういいんですって。俺のことなら気にしないでください」

 ずっと手を合わせてる私に、村山くんもまたずっと苦笑いしていた。

「でもでも――」

 橋を渡っていたとき、ひゅーと冷たい風が吹いた。「ひゃっ」涙のあとが凍えた。

「今夜は寒いですね」吐く息が白い。

 空を見上げては「雪が降るかもしれませんね」と笑顔を小さく交えて言った。

「……もし降ったら、街が白く染まっていくのかな」

 私にはもう縁がないけれど、それでも白い雪が誰かの幸せになればいい。散々泣いたから優しい気持ちをちょっとだけ取り戻していた。

「村山くん、やっぱり怒ってる?」

 バス停で私は訊いていた。

「え、なにがです?」彼はびっくりしていた。

「あの、ときどき暗い顔してたから」

 ここに来るまで私は何度か彼の横顔を盗み見た。唇を硬く結んで、目はどこを見ているか分からない。見ていて少し不安だった。

「人の波に酔っただけですよ」

「そっか。ならいいんだけど……。今日は本当に――」ごめんなさい、と言いかけて、「ありがとう」と言い直した。

「困ったときはお互い様です」

 声色に翳りがあったものだから、私はさらに訊いてしまった。

「ねぇ、村山くんもなにかあったの?」

「市原さんの涙に比べたら、俺のは大した問題じゃないです」

 村山くんは詳細を語らなかった。――これ以上は訊かないでください、とぎこちない微笑みが語っているように見えた。だから私も訊かなかった。

「バス来ましたね。帰り気をつけてください」

「あのさ」

「はい」

「えっと……村山くんっていい人だね」いざ口にするとやっぱり照れ臭いものがあった。「へへ」誤魔化すように笑った。

「そんなこと、ないですよ」言われたほうはもっと照れていた。

「あ、市役所のイルミネーション綺麗ですね」照れた顔を見られないよう背を向ける彼。紺のジャケットが赤く見えるぞ、お主。むふふ。なかなか可愛いところがあるじゃないか。

 バスのドアが開いた。「今日はありがとう。村山くん、よいお年を」

「ええ。市原さんこそよいお年を」

 微かな苦さを残して、バスが走り出す。

 窓ガラスに映る街並みはチカチカと星屑をばら撒いたように綺麗だった。

 本当だったら今頃あの光の中を二人で歩いていたんだけどな。泉水にアリバイ作りまで頼んでいたのに、結局私は「女の子」のままだった。そのことにどこかほっとしていた。一方でやっぱり大人になりたかったなと唇を密かに噛んでしまう。

 恋人に別れを告げられた。よりによってクリスマスイブに。

 会えなかった分だけぎゅっと抱き締めてほしかった。また会える日まで何度でも思い出せるような、思い出すたびに悶えてしまうような、そんな甘いひとときを過ごしたかった。

 枯れたはずの涙は、まだほんの少し残っていたらしい。

 特急で二時間。これってそんなに遠い距離なんだろうか。好きって想いだけじゃどうにもならない、二人の心を繋ぎ止めることが出来ないほどの距離なんだろうか。

 考え直してくれないかな――淡い期待は泡のまま消えていく――携帯には留守電もメッセージもなかった。

「巧さん……私、まだ好きだよ」

 そっと呟いたとき、泉水からメッセージが届いた――《真理っち、そろそろ大人の階段上る頃かい?》

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