第45話 若さと自覚

私は久しぶりのプールを満喫していた。

いや、この身体になってから動かしていなかった身体をここぞとばかりに動かす。


時折、嶺さんに「あんまり無茶しないでよ〜」の声にも私は「はーい、お母さ〜ん」と話半分にはしゃいで、ナンパ待ちの嶺さんを困らせた。


だって、楽しいんだもん。

怪我のない若いこの身体で動き回る事ができるのが嬉しく、友人達とはしゃぎ続けた。


お昼に差し掛かり、私達はプール横の売店で昼食を取り始める。


「はぁ、楽しかった」

私は注文したカレーライスを食べながら何事もなく楽しめているこの時間に満足していた。


「ねぇねぇ、次は一緒にウォータースライダーに乗ろうよ!!」


「うん!!」

楽しそうにはしゃぎ回る私を見て風ちゃんも嬉しそうに言う。


「じゃあ、その次は私と…」

普段はあまり主張しない美月も控えめに声を掛けてくる。


普段はツンが多いのに、今日はどちらかと言うと素直だ。こんな時の美月は可愛くて、ついつい私は頭を撫でてしまう。

美月は赤い顔で恨めしそうに見てくるため、私は我に返る。


…おっさんだった(以下略)

調子に乗りすぎたと反省していると菜々ナナが私の顔を物珍しそうに見る。


「夏樹ちゃんがこんなにはしゃいでるのはじめて見た」


「そうかな?」


「そうだよ。普段は大人しいのに、こんなにはしゃいでるんだもん。珍しいよねぇ〜」

菜々ナナが同意を求めると、風ちゃんたちもうんうんとうなづく。


……私ってそう見えてたんだ。

この身体になって私が他者からどう見ているかをはじめて意識した。


6人でしばらく話していると、しおしおな表情をした嶺さんが戻ってきた。どうやらナンパをされなかったようだ。


「嶺さん、お帰り。どうでした?」

私が問いかけると、嶺さんは肩を落とす。そして背後からゴゴゴ……と言わんばかりに黒いオーラを纏いこちらを睨む。


「どうでしたじゃない!!あなたがお母さんなんて言うから、なかなか相手が来なかったわよ!!」


「ご愁傷様…」

確かにお母さん発言はしました。

けど、さすがにファミリー向けのプールに二十歳代の男だけで来るのって少なくないですか?


こういうところってカップルか家族向けか女子連中が来るイメージがあるし、男だけで来るとしたら恐らく中、高校生だろう。


そんな少ない牌の中からナンパ目的で来る連中に当たる方がレアだ。


嶺さんにしても実質一人。アバンチュールをするにしても一対多なんて事になる訳で、元おじさんとしてはお勧めしない…。

なんて事を考えていると、嶺さんが私の顔をまじまじと見つめる。


「夏樹ちゃん、あなた、ちょっと赤くない?」


「そうですか?だったら日焼けしたんじゃないですか?」

炎天下の元で遊びまわるなんて、この身体でした事がない。だからいくら日焼け止めを塗っていたとしても、もともと白い肌が焼けてしまうのは仕方ない事だ。


「ならいいけど…、無理したらダメよ?まだ完調した訳じゃないんだから…」


「はぁーい」

心配そうな嶺さんを尻目に、私は風ちゃんに連れられてウォータースライダーの所に行く。


長い行列に並びながら私達は話している。

そして15分後に頂上にたどり着き、順番に2人乗りの浮き輪に乗って行く。


最初に奈緒ちゃんと香澄ちゃんが滑っていく。

このコンビは事件後からセットになる事が多い。


2人がこのグループの盛り上がり役兼仲介役をしている節があるので私達はグループとして成り立っている。

時々うざ絡みはあるが、それでも感謝してもし足りない。


次に乗り込んだのは美月と菜々ナナだ。

元々幼馴染だったから仲がいい。しかしやはり風ちゃんとの間に溝があるようで、この2人と風ちゃんが本当に仲良くなってくれれば嬉しい。


そして、最後に滑るのが私と風ちゃんだ。

最近明るくなってきた夏樹の最初の親友だ。


……がしかし、私に対する愛というか、執着心が以前に増して強くなった気がする。スキンシップ過多というか、事あるごとにに私に抱きついてくるし、私が他者と何かしていると嫉妬を含んだ目をしてくる。


百合の気質があるのかは分からないが、どうにかしないといけないと思う。


「きゃー」と奈緒ちゃんたちが流されて行き、次に待機をしていた美月達が流される順番を待つ。


そして、私が風ちゃんと一緒に8の字型の浮き輪にに乗ろうとした瞬間、私の目の前が暗くなる。

だが、すぐに視点は元に戻ると、私は首を振った。


「夏樹ちゃん、大丈夫?」


「うん、大丈夫。ちょっと疲れただけだから」

心配そうな顔をする風ちゃんに、私は笑顔を見せる。


「ならいいけど……、しんどかったらやめておいた方がいいんじゃない?」


「せっかくここまで来たのに、乗らないなんて勿体ないよ。ほら、美月と菜々ナナが行ったよ!!」

私は足早に8の字浮き輪の前に座り風ちゃんを手招きする。そして風ちゃんも後ろに乗ると、続いて流されていく。


「きゃ〜〜」と私達は黄色い声を上げて浮き輪に捕まる。自分でもこんな声を出すなんて考えもしなかった。


くねくねと曲がりながら、浮き輪はスピードを上げて流されていく。そして、そのまま浮き輪わ地上プールに流れ着き、私達はその浮き輪から降りる。


着水し、私が水面から顔を上げた瞬間に再び視界が白くなる。


「夏樹ちゃん!?」

遠くの方で風ちゃんの声と、高らかに笛の音が聞こえるが、身体に力が入らない。


ごぼごぼと身体が水に沈んでいくなか、キラキラ輝く水面を薄れゆく意識で眺める。


……また、死ぬの?

そんな予感が脳裏に走った瞬間、私は一気に水から引き上げられる。その際に頭上に降り注ぐ水飛沫を私の視界は捉えていた。


「ごほっ、がほっ!!」

私は水から引き上げられると、飲み込んだ水を吐く。そして、はっきりとしない意識の中で、誰かの腕に抱き抱えられている事に気がつく。


「……春樹さん?」

薄れゆく視界が私を抱き抱えている人の顔を見て、口走ったのはなぜか昔の自分の名前だった。


そして再び、視界は暗くなり私は意識を失っていく。だが、無意識のうちに私は彼の胸に顔を寄せていた。


まるで、あの日のように……。


降り注ぐ火の粉の中、私が腕に抱かれているのは見たことの無い顔だった。


その顔は、必死で力強く私の身体を抱き抱えている。その人の顔を見ると私はなぜか安心して、その人の胸に顔を寄せる。


その人の顔は…かつての俺だった。


「夏樹、夏樹ちゃん!!」

私が目を覚ますとそこは知らない天井だった。


そして私の顔を覗き込む水着姿の嶺さんと心配そうに見つめる友人達がベッドを囲んでいた。


「嶺さん……?」


「よかった、心配したのよ!!」

私が声を出すと嶺さんは私に抱きつく。


「ここは……?」


「プールの救護室よ。よかった、無事で……」

彼女は安心して私から体を離すと、真剣な面持ちで私を見る。


「だからあの時無理しないでって言ったのに!!今回は熱中症みたいだったから良かったものの、下手したら死ぬところだったのよ?」

瞳に涙を浮かべた嶺さんが真剣に私を叱る。


「……ごめんなさい」


「はぁ、もう救急車は必要ないわね。少し休んだら病院に直行するから、もう少し寝てなさい」

謝る私に安堵したのか、嶺さんはスマホで電話を始める。


すると風ちゃん達が寄ってきて私に抱きつくと、「よかった〜」と私の無事を何度も確認する。

私はごめんと返すのみで、他に何も言えなくなってしまった。


だが、私はふと気になった事があり、嶺さんを呼ぶ。私の表情を汲んだ嶺さんは友人達を外で待つように話す。


そして、私と嶺さんしか居なくなった室内で嶺さんは話始める。


「今回は付いてきて正解だったわ。あなた、何度も言うようだけど、動けても普通の身体じゃないんだからね!!私が居ない時もあるんだから無茶はダメよ!!」


「ごめんなさい……」


「まぁいいわ、話があるんでしょ?なに?」

私が凹んでいると、彼女は頭を掻きながら話を切り替える。


「……気を失っている間、夢を見ました」


「へぇ、どんな?」

私が話し始めると、彼女はスマホを取り出して録音を始める。治療のため、メモがない時はこうして録音をしているのだ。


「夢は……火事の日の夢でした。その夢で見たのは本来の私が見てきたものではなく、春樹であった自分を私が見ている。そんな夢でした」

私がそう言うと、嶺さんは顎に手を乗せて考える。


「その腕の感覚や、暖かさ、行動に至っても全部克明に思い出せるんです。気を失う最後まで、私は恐怖を感じる事なく、安心して眠れた。そこまで思い出せる……逆の立場だったのに」


「……それは夏姫、あなたじゃない夏姫ちゃんの記憶ね。記憶と言っても、夏姫ちゃんの身体に残っている記憶……」

嶺さんはそう言うと、ゆっくりとため息をつき再び話し始める。


「今のあなたの頭と身体、別々だったものが馴染んでいっている。それは不思議な事じゃない、そうじゃないといけないの。だけど、そこにはある問題もあるの……」


「ある問題?」

問題という言葉に私は恐怖を覚える。

死につながる事なのか否か、覚悟はしているとはいえ、やはり怖い。


「なにも怯える事じゃないわ。体と脳の感覚が一つになれば、習慣とか性格とかが変わってくるっていう症例があるって言われている。それは心臓移植をした患者にね」


「心臓だけで……」

体の変化が心臓だけでも性格に現れるのだ。じゃあ、全身を入れ替えた私はどうなるんだろう。

性格は?行動は?記憶は?


「多少なりとも影響は現れると思うわ。自我侵食なんて言うと滑稽だけど、これから少しづつ何かが現れてくると思う。けど、それは頭と体の感覚がシンクロしてきたと言う事なの、怖がることはないわ」

嶺さんは怯える私の肩に手を置いて励ましてくれる。


春樹の頭と夏姫の身体が同期して夏樹になって行く。そう言う意味で捉えるといいのかは分からないがポジティブに考えよう。


怖がることは何もない。私は、私なのだ。

春樹も夏姫も夏樹も全て引っくるめて自分だと、私は私に言い聞かせる。


私の決意に満ちた顔を見て嶺さんは安堵する。


「けど、あの夢は何だったんだろう?」

夏姫が見せた、私を救う俺の夢。それは何を意味するのだろう?


「さぁねぇ〜。もしかしたら春樹さんのことを白馬の王子様か何かに見間違えちゃったんじゃない?罪な男ねぇ、春樹さんって。年端の行かない女の子に夢を見させるほど恋に落としちゃって」

私が夢の意味を考えていると、嶺さんは茶化しながら言ってくる。


私は「はぁ!?」と間抜けな声を上げる。

だけど急に顔は赤くなり、心臓が跳ね上がっているのがわかる。


…まさかね。


心臓の高鳴りに驚きはしたものの、そんな訳がないといい気がせる。

第一、彼は俺自身で、俺は既に死んでいるのだから。


「じゃあ、帰ろうか。立てる?」

私は嶺さんに手を借りて立ち上がると、救護室から出て行く。


救護室の前には友人達が待っていて、私の姿を見るなり、抱きついてきた。


けど、近い将来に苦悩が待ち構えるとは、この時の私は思ってもいなかった。


「あぁ〜!!」

失念していた。何を失念していたかって?


それは…来た時は水着を着てきたからすぐに更衣ができたのだが、帰りは逆にシャワーをしたり髪を乾かしたり、女の園の中に飛び込んでいかないとならない。


私は嶺さんに手を引かれてシャワールームに入って行く。男にとっては理想郷のような地獄に私は再び身を投じる事になるのだった。


……あ、よかった、下着はちゃんと持ってきてた。

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