第20話 父と娘

次の日、私は寝坊をしてしまった。

午前11時時、普段ならお母さんがおこしにくるのだけど、今日は気がつかなかった。


この身体になってから引きこもりの私がめずらしく遊びに行った。

体力のない私はそれだけでも疲れるのに、昨日見たくないもの、気づきたくないものを目の当たりにしてしまったことで追い討ちをかけたように身体に負担が掛かっていたようだ。


重い体を無理やり起こし、着替えをして下へ降りていく。


「おはよう…」


「おはよう、今日はゆっくりだったのね」


「…うん、ちょっと疲れちゃいました」


「そう…、ご飯は?」


「お昼ご飯でお願いします」


「わかったわ」


私は食卓の席に座り、お母さんが出してくれたミルクティを口にする。リビングを見渡してみるが冬樹の姿はない。


「あの…、冬樹は…?」


「朝ご飯を食べて帰ったわ。なんか用があるみたいだったよ?」


「用?なんだろ…」

普段なら私が起きるのを待って昼ごはんまで食べて帰るのに…。


少し疑問は残ったが私はいつものように「いつもすいません…」と謝ってしまう。

親だったんだから仕方ないとはいえ、こんな身体になったからと言って親の感覚が抜けない自分がいる事が怖い。


昨日、田島 春樹は消してしまうと四季に言ったばかりなのに、春樹という存在を消す事ができない自分に嫌気がさす。


「あなたの…従兄弟が来たって思えばいいんじゃない?」


「従兄弟…?」


「そう…、従兄弟。あなたには従兄弟がいなかったから。そう思えばいいのよ…」


お母さんはそう言いながら私の手を握る。


「四季さんに昨日の事、聞いたわ…」


「…」

奥様ネットワーク恐るべし。昨日の今日で伝わるなんて…。


「夏樹…私はあなたの家族よ。あなたは私の娘。たとえあなたが私達を家族と思う事ができなくても、私達はずっとあなたの家族だからね!!」


「…はい」


…私はひとりになる。本来の家族と別れてしまう。

だけど、この人は私をひとりにしてくれないだろう。


安心していいのか、がっかりしていいのか…わからない。だけど、全ては私が決めた事。

なら、この夫婦とは心を通わせる事ができたらいい…。せめてひとりじゃないと思えるくらいに…。


「ただいま〜!!」

バンと玄関の扉が開き、お父さんの大きく間抜けな声が家中に響く。

そして、リビングに足早に入ってきて私の所へ来ると、私を強く抱きしめた!!


「ただいま、パパの可愛い天使ちゃん!!」


…テンション高!!気持ち悪!!それに…酒臭!!


「…おかえりなさい、お父さん。酒臭いですよ。」

私の頰に頬ずりしようとする父の顔を手で剥がす。


「フライトの間少し引っ掛けたからな…。夏樹に早く会いたくて飛んで帰ってきたんだ!!」

酒のせいか、私に会えたからか上機嫌のお父さんをお母さんが引っ張ていく。


会社役員の夏樹ちゃんのお父さんは月に一度は海外へ出張に行ってしまう。だが、私が退院してからは出張をセーブしていたのか、このゴールデンウィークが久々の出張だった。


だから1週間私に会えない事を惜しみながら渋々出張に行っていたし、帰りは私に早く会いたいと思ったらしい。中身は他人の、おっさんなのに。


私にお土産と言って現地産のチョコレートやご当地のキーホルダーと言った嘘でもセンスがいいとはいえないものを買ってきて、ニコニコしている。


「あなた、ご飯は?」


「食べてない。食べる時間があるなら早く帰る!!」お父さんは踏ん反り返る。


「じゃあ、すぐ用意するわね」

と言ってお母さんは台所に立つ。


「…じゃあ、私も手…」

私が立とうとすると彼女は私を制する。


「今日はいいわ。それよりこの酔っ払いの相手をしておいてね」


「はぁ」


お父さんはお母さんから缶ビールを貰うと、食卓でプルを開ける。私はそれに気づいて缶ビールをお父さんから取ると、グラスにそれを注ぐ。


喜んでいる父とたわいも無い話をしていると、昼食の出来上がる。3人でそれを美味しく食べる。

親子なのに親子じゃ無い歪な関係の私達の共同生活。

表面的にはうまくやれている。口では家族だと言ってくれている。


だけど、心の奥では何を思っているのだろうか。

偽物の娘を気味悪がっているのかもしれないと思うと全てが嫌になりそうになる。


お父さんは終始上機嫌だったが、昼食を食べ終わると疲れたからと自室に行ってしまった。

出張から帰るといつもそうだとお母さんは言った。

夕飯までは寝ているらしい。


私は睡眠の邪魔をしないように地下へと移動する。

そしてようやく弾き慣れたピアノの前に行き、練習をする。ただただ、一心不乱に練習する。


指の運びは身体が覚えているし、楽譜も…読めるようになった!!…猿でも1週間で弾けるようになる本のおかげで!!(ガクブル…)。


集中力があるのか、嫌なことがあったからなのかわからないが、壊れたように弾き続け気がつけば、3時間が経っていた。


私は休憩がてらリビングにお茶を飲みに行く。

するとお母さんと目が合う。目つきは鋭い。


「夏樹ちゃん。練習するのはいいけど程々にね…。

音が暴れていたわ」


「はい」

私はお茶を飲みながら返事をする。


って言うか、リビングまでピアノが聞こえることはないのに、どうしてお母さんに聞こえるんだろう…不思議だ。


「そろそろお父さんが起きてると思うから呼んで来てもらえる?」


「はい」

私はリビングを離れ父の部屋へと向かい、コンコンとドアをノックする。


「どうぞ…」

と、ドアの向こうから父の声がする。

先ほどとはうってかわって真剣な声。


「あの…お母さんが呼んでますけど…」


「ん、ああ。ひと段落ついたら行くと言ってくれ」

父は書類を見ながらパソコンで何かを打っている。


「お父さん、これは?」


「ああ、仕事だ。本来なら帰社してやらないといけなかったんだが、早く帰りたかったからな」


「どうして?」


「夏樹に早く会うためだって言っただろ?」

口調は厳しそうに聞こえるが、目つきは優しかった。


「どうして…?」

私はあえて疑問をぶつける。

するとお父さんは椅子をくるりと回転させ本棚の方を向く。


「夏姫にしてやれなかったからだ」

顔は見えない。だけど、その声で表情は推し量る事が出来た。一言で言えば後悔なのだろう。


「私も妻もあの子には厳しかった。一人娘だったからいろんなことを期待し、いろんなものを押し付けた。だからあの子は手一杯になった…」


だんだんと声のトーンが下がり顔も俯いている。

私は黙ったまま、次の言葉を待った。


「そんな中、あの日私はあの子と喧嘩をした…。あとは君が知っている通りだ…」


お父さんが、私のことを君と言った。

彼は夏樹じゃない私の名前を呼ばなかった。


「お父さん…」

私はそれ以上何も言えなかった。

本来なら呼ぶはずのないその呼び方で私は呼ぶ。


「…君が、苦しんでいるのはわかっている。私達のわがままに付き合わせていることも、苦しめていることも分かっている。だけど…」


彼は堰を切ったように泣き始めた。

2人が苦しんでいる、だが私は…何もできない。


「私達は後悔はしていない。娘と…いや、夏樹ともう一度私達と生きていく事ができる。その為ならどんな事も私は乗り越えて行く。君は嫌かもしれないが、一緒にいる時間も作りたい…」


と言い終わると室内には沈黙が訪れる。

2人の間には絆など存在していない。

だけど…。


「…お父さん、一つきいていいですか?」


「なんだ?」


「夏姫ちゃんってどんな子でしたか?」


私は夏姫ちゃんのことは知らない。知る由も無い。

あの日、古本屋で偶然居合わせただけの女の子だ。


「あの子は…とても可愛いくて…聡い子だったよ。もしかしたら、私達の気持ちに気付いていたのかもしれない。親が子に気を使わせていたんだ…」


「…私は夏姫ちゃんにはなれません。可愛くもないし、あなた方の気持ちに気がつくほど聡くもありません。だけど…」


私はお父さんの机に近づいて、その上に散乱する書類の束をまとめてみる。


「ただ一つできる事があるのなら…一緒にいる時間を増やすお手伝いをする事くらいです」


種類の束を見て私は出来そうな事を探す。

一枚の書類に目が行く。特に問題なさそうな書類だった。


「お父さん、ここ間違えてますよ」

その書類の誤っているところを私は指差してお父さんに指摘する。


「ん?あぁ…本当だ…」

お父さんは指摘されたところを見直し訂正する。


「社内情報ですのであまり役には立たないとは思いますが、私ができる事があれば…手伝わせてください。これでも社会人でしたから」


「…」


彼は複雑そうな表情を浮かべる。

仕事人間の彼が急に家庭の事に時間を割くことは難しい。しかも、私に手伝わせていいのかも思案すべきところだろう。


「その代わり…夏休み、どこかに連れて行ってください」


と私はにこりと笑う。それをみたお父さんの表情がパッと明るくなり「ああ、行こう!!」という。


流石にあまり難しい事は出来ないだろう。だけど、表計算などパソコンへの打ち込みくらいならできる。


それに、絆がないのなら寄り添えばいい。

四季たちとはいずれに別れることとなる。

それなは新しい家族と呼べる存在を大切にしないと…。


そして私達は共に仕事を始める。

家族としての時間を作る為の時間を。


ドアの向こうではお母さんがひっそりと泣いていた。だけど、いくらたっても降りてこない私達に業を煮やして、お母さんは部屋に入ってきて火を噴く。

それを私とお父さんは正座で聞いている。


…お母さん、怖い…



と思いながらも、少しは家族に近づいたかな?

と、2人で目を見合わせ苦笑いをした。

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