第11話 暇と五線譜

 翌日、久宮 風は学校を休んだ。

 それは私の日常にとって大した問題ではない。

 ただ、となりの席の人がいない。それだけの事であった。そして、見通しの良くなったとなりの席だけがポツンと残る教室で、私は2度目の中学生の生活を送る事になり、1週間が過ぎた。


 朝起きて、身支度を夏姫母にチェックを受けながら整えて中学校へ行く。そして授業を受ける。その間の私は体調を崩すことなく過ごし、2日に一度保健室に顔を出し、怜さんの問診を受ける。

 それが終わると家に帰り、手伝いと宿題を済ませて自室へ戻る。

 そんな日が続くと、一年前まで社会人だった俺にひとつの思いが浮かぶ…。


「暇だ…」

 ぽつりとお母さんの前で零すと、夏姫母は不思議そうな顔をする。


「どうしたの?暇だなんて?」


「いや、大人だった頃は学生生活に戻りたいなんて思うじゃないですかぁ〜。だけど、実際にこうやって中学生に戻るとできることが少なくて退屈になっちゃうんです。夜に外をうろつく訳にもいかないんで…」


「あぁ、そうねぇ〜。中学生の女の子が出歩くのは危ないからダメねぇ。」


「そうでしょう?私もコワイ思いはしたくないです。だけど…」


「だけど?」


「暇ぁ〜!!お酒もダメ、タバコもダメ、外もダメ!!私は何をしたらいいの!!」


 私は頭を掻きながら叫んだ!!


「そうねぇ、タバコもお酒も20歳になってからねぇ〜」

 と、笑いながらも母は続ける。


「私、もう35歳…」


「けど、中学生!!あっ、お手伝いを増やそうか?夏樹は暇を潰せて私は楽が出来る!!一石二鳥じゃない!!」


「…いや、イイデス…」


 母は悪い顔をしながら嬉しそうに手を叩いている。その横で、私は顔をひきつらせる。

 私は日々の生活の中で、家事の半分をやっている。

 朝食、ゴミ捨て、夕食、洗濯の取り込み、衣類の畳み、休日の家の掃除などは私がやるようになった。

 一宿一飯の恩は労働で返すという思いと母の指導の賜物である。


 だが、中学生になった今、慣れない環境で心身ともに疲弊することが増えた為、減らしてもらったばかりだ。


 だって考えてもみてよ!!

 おっさん(外見美少女)にとっては若者のオーラが眩しい上に、話は合わない。それなのに外見のせいで歩いていれば人は見つめてくるわ、話しかけられるわ、しまいにはラブレターだらけという有様。

 もう勘弁して欲しいわ!!慣れない笑顔に頰が引きつるよ!!


 ついでに言うと、男なら誰でも入りたいと思う秘境、女子更衣室だけど…あれはダメだ!!

 ありとあらゆるところに青臭い女子がキャッキャしているんだよ?

 もうね、目のやり場に困ると言うか、場違い感しかない空間にいる気分は未だに慣れない。まだ身体にも慣れていないけど…声を大にして言いたい。


…すぅ………おっさんを殺す気か!!!!!!!?


おっぱいがおっきい子を見ると眺めてしまうけど…いや、変態、ロリコンじゃないよ?

いづれは私も…なんて考えてしまうだけで…


こほん!!


という事で、慣れない中学校に通うという精神的負荷が強い今、これ以上家事は増やしたくない。


 だけど暇…。


「学生に戻りたい、戻れたらって誰しも考えるじゃないですか?あれは妄言ですね。大人になってからの親の加護の元、縛られての生活は地獄ですね」

と、私は頰をひきつらせている。


「う〜ん、じゃあ付いてきて。いいものがあるの!!」


しばらく考えて、夏姫母はソファーから立ち上がりリビングから出て行く。それを見た私もその後を追う。


 そして、地下への階段を下るとドアが見えた。

 普段は私が行かないように鍵がしてあるのだが、たまに母は入っているようだ。その部屋の扉を開けると、そこには少し大きなピアノが置いてある。


「…お母さん、これピアノ?」


「そうよ、ピアノ…」

 というと、母は少し俯いてしまう。

 私は、首を傾げてその様子を見る。


「…このピアノは…あの子が産まれた日に買い替えた、大事なピアノ。あの子がこれを弾く姿が私達は好きだったの…」


 というと、母はピアノの蓋を開け、中の赤い布を取った。そして、ひとつ音を奏でた。

 その音に、私の身体は何故か反応し、背筋に多少の悪寒が走る。夏樹には無い記憶が、私の身体を通して反応しているようだった。


「けど、私はあの子に厳し過ぎたの。上手く弾けるようレッスンをして、出来る限りを叩き込んだわ。叩きこみすぎ、あの子はピアノを嫌った」


 そう言って母はピアノの椅子に座り、ひとつ、またひとつと音を紡ぎ、一曲の音楽となった。

 その音には愛情と、哀しみと、そして怒りが込められているような気がした。


「あの時の事を私は忘れないし、あなたにも味わって欲しく無いの。だから…秘密にしてたの…。だから、あなたは…」


「すごい、すごいよお母さん!!」

 私…、いや、俺は音楽の事は分からない。

 ピアノを弾いたこともないし、旋律に乗る感情の有無もわからない。だけど、ココロに響く。


 幼子が新しいおもちゃに飛びつく様に、私はピアノを弾く母に飛びついた?


「どうやって弾くの?教えて下さい!!」

 私が母の瞳を見る。すると、母は顔を逸らす。


「教えて…あげてもいいけど…いいの?」

 戸惑いながらも話す母に私はいいよと返す。

 その声にじゃあと言って、母は席を開ける。

 その席を衝動のまま座り鍵盤を見る。


 その景色は広い様に見えたが、狭くも感じた。

 そして、ひとつ音を奏でる。

 ピンと、木が線を叩く音がした。

 そして、もうひと音鳴らす…。

 それを何度も繰り返してみる。


 俺は音楽を知らない…だけど私の身体は音楽を覚えている。けど…。


「やっぱり、わかんないや…」


 紡いだ音を鳴らし終わると、私は母の方を見る。

 その瞳には水が溜まっている。


「だから、教えて下さい、お母さん!!」

 というと、母は涙を拭いこちらに笑いかける。


「厳しくするわよ?」


「…お手柔らかにお願いします」


 ってな訳で、私の日課には母のスパルタピアノレッスンが加えられました。


 ※

 数日後


「…私、楽譜が読めません」


「はい?」


「だから、楽譜が読めません!!」


 というと、母は呆れた顔をする。

「あれだけ弾けててなんで楽譜が読めないの!!」


「知りませんよ〜。身体が動く範囲で適当に弾いただけですし」


というと、母は深いため息をついて一冊の本を取り出す。


『たった1週間!!猿でも弾ける、簡単ピアノ読本』


「…お母さん、これは?」

と私が言うと、母は目を光らせる。


「私が書いたハウツー本よ!!1週間でお猿さんでも、ピアノを弾けるんだから、夏樹ちゃんも弾けるようになるわよね?」


「はい!?!お母さん、ちなみに前職は??」


と聞くと、お母さんは嬉しそうに一枚のCDを取り出す。


「元世界的ピアニストです!!テヘペロ☆」


…お母さん、目が怖っ…いや、キャラが怖いです!!




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