第8話 決意と決別

 佐山 秋樹の車につゆさんと四季を乗せて、俺達はショッピングモールへ行く。

 俺の服と日用品を買い足す為だ。


 夏姫の服は入院している間に小さくなっているようで、夏姫母が趣味?で買ってきた普段着れないような服しかまともに入らなかった。


 …恥ずかしい。


 もっと普通の服は無いのかと思うが、小さくなってしまったものは仕方がないので今日に限ってはましな服を着て出かけている。

 恥ずかしがりながらソワソワする俺の姿を見て、アキは運転しながら笑う。


「ははは、春樹…じゃなかった、夏樹…ちゃん?恥ずかしがる事ないんじゃないか?かわいいんだし」


「うるせー。この身体にはまだまだ慣れてないんだよ。男だったらすぐに慣れるんだろうけど、女の子は死ぬまで慣れねぇんじゃないか?」


「死んでその身体になったくせに」

 アキはクククと笑いながら言う。それに対して俺は「うぐっ!!」と声を詰まらせるだけだった。


「アキ、それはやめて…」

 四季が助手席でアキを叱りつける。

 つゆさんも少し俯く。それに対してアキは申し訳なさそうに黙る。


「…すいません、嬉しくて調子に乗りました」


「いえ、夏樹が楽しそうに話す姿を見たら安心しています」と、つゆさんはどこか羨ましそうに言う。


「お義母さん?」俺は隣に座るつゆさんの顔を見る。どこか寂しさを醸し出す彼女の表情に胸が痛くなる。俺が今できる事は夏姫の両親と一緒に居るだけだと思っている。


 夏樹セラピーではないが、彼らの傷は夏樹でなければ癒せないから側にいるが、やはり頭では他人と感じているから他人行儀になってしまう。

 それを彼女も感じ取っているのだろう。彼女は首を振る。


「ううん、なんでもないの。気にしないで?それより夏樹ちゃん、話し方何とかならない?」


「う〜ん、まだちょっと無理ですね。身体に引かれる部分はありますが、やっぱすぐには治らないですよ。気をつけますけど…」


「そうね…無理しなくていいけど、やっぱり違和感があるから…」

 と、言って大人3人で話し始める。

 …いや、俺も大人だけど、今は話したくない。

 普段から四季やつゆさんの表情を読む癖がついてしまい、少し落ち込む事が増えてくる。俺も含めて色んな感情が交錯する車内は居心地がわるかった。


 俺はただ窓の外を過ぎていく景色を眺めた。

 しばらく車を走らせると目的のショッピングモールに着く。車を停めて、店内に入っていくのだが、周囲の変化に驚いた。


 店内入口の少し開かれた通路が、俺が思っていた以上に広く高い。以前の俺は様々な面で不便だった。四季が開けっ放しにしていた台所収納の棚の扉で頭を打ちもんどりをうったり、頭上注意の看板があればそれに顔をぶつける。

 だから自然と猫背になっていたが、今は逆だ。


 今の自分の視線の高さがとても低い事は前々から知っていたし、慣れたつもりだった。

 だが、女子中学生だとしても女の子は小さい。

 精一杯に背伸びをしてもアキはおろか、四季やつゆさんですら壁になる。


 確か女性の平均身長は158センチらしく、四季は平均より少し?大きいが、つゆさんはあまり大きいくない。今の俺はそれにすら届いていない。

 手術後の影響なのかとも思うが、小さい。


 だから行き交う人の大きさと自分の認識していたサイズのギャップに恐怖を感じる。ましてや、周囲の目線が痛い。


 なぜかというと、つゆさんの準備した服はどちらかといえば着る人を選ぶかわいい服だ。それを俺は見事なまでにに着こなしている。だから目を引くのだが、それ以上に髪が白い事でますます注目を浴びてしまう。

 行き交う人の「あの子可愛い」や、「天使みたい…」などという声を聞く度に怖くなり俺は四季の後ろに隠れる。


「どうしたの?」と、四季が驚いて聞いてくる。


「…怖い」と俺は呟くしかなかった。


 それを見て、四季は俺に抱きついて頬ずりし、「可愛い!!つゆさん、やっぱり連れて帰っていいですか?」と聞いているが、つゆさんは鬼の笑顔で、「ダメよ?」というのみだった。


 視線に耐えながらしばらく店内を物色する。

 四季の選ぶテイストとつゆさんの選ぶテイストが微妙に違うため服を買うのも一苦労だった。


 四季との付き合いで女性の買い物が長いのは知っていたが、自分がまさかターゲットになって引き摺り回されるなんて思ってもみなかった。


 …帰りたい。


 俺はしばらく付き合ってはいたものの、疲れを感じた為休憩することにした。

 2人に休むことを告げると、2人は納得してまた買い物の続きをする。つゆさんには買うものは一般的なものをお願いし、四季にはくれぐれもつゆさんの暴走を食い止めるよう釘をさす。

 それに対して、四季とつゆさんは

「「分かったわ」」と、本当に分かったのか疑問に思う笑顔で答える。


 そして俺は通路にあるソファーに向かう。右手には高くなったガラス張りの転落防止用手すり目に入る。


 冬樹が産まれた頃はこの手すりから冬樹が落ちるのではないかとヒヤヒヤしながら抱っこした覚えがある。それなのに今見えるのは手すりの棒の少し上の高さ。昔のような怖さは感じない。

俺はショッピングモールの通路にあるソファーに腰掛ける。

 …疲れたな…。女の子になったからなのか、手術をしたからなのかはわからないがやはりこの身体は体力がない。無理をするとぶっ倒れそうだ。


 そう思いながら一段と高くなったショッピングモールの天井をただぼーっと見上げる。今は頭を真っ白にしておかないと気疲れをしたり、悪いことを考えてしまい壊れてしまいそうだ。

 過去の記憶が残っておらずリセットされていればどんなに楽だっただろうと考えてしまう。


 そうすればつゆさんとは娘として過ごすことができ、四季は俺という存在を死んだものとして新しい人生を送ることができる。幸運なことに、四季の側にはアキもいる。なのに、どうして…


 と考えていると、頭の上にぽふっと何かが乗る。

 それを手に取り見る。黒いニット帽だった。


「その頭は便利だな。初めて見るお前の姿でもすぐにわかる。だけど、目立つだろうから被っておけよ?今は可愛いんだし…」

 その声の主人はアキだった。しかも、気がきく。

 俺が目立つことを恐れているのを感じてくれたようだ。さすがは兄弟。産まれた時から一緒にいるから俺の考えはお見通しか…。

「…ありがと」


「おう!!」

 というと、しばらく沈黙が走る。


「…なぁ、アキ」


「ん?どうした?」


「ごめんな…、生きてて」

 俺は…アキに謝っていた。彼も俺が死ぬことを望んではいない。だが、このような再会も望んでいなかったはずだ。なのに俺は生きている。

 こんな背格好で…生きている。


「それを言うなら、俺はお前が生きていてくれてありがとう…だ。本当は死んだと思っていたよ」

 彼はと遠くを見つめている。


「いつでもお前に起こった不幸は変わってやりたい。四季や冬樹の為にも、俺の為にも。だから今回も半分でいいから、俺が引き受けられたらと…思った。だが、お前は生きていてくれた。その時は泣くほどホッとした…」

 アキの声が少し上澄むが、耐えながら続ける。


「どんな形でもお前が生きていればいい。その身体の子には悪いけど、お前が生きてくれればまたこうやって話すことができる。お前は俺の…家族だから」今にも堰を切りそうな声で話す彼の言葉に俺もくるものがあった。人前で泣くわけにはいかない。


「…なぁ、あの約束は覚えているか?」

 というと、彼は再び黙り込み「ああ」とだけ言う。


「もしお前が良ければ…お前が四季と冬樹を助けてやってくれないか…」

 というと、アキは俺の顔を見る。


「…それはできない。それはお前が死んだ時の話だ。それに…冬樹が認めるかどうか…」


「田島 春樹は死んだ。今の俺は…香川 夏樹だ。それ以外ではない。それに、プロサッカー選手の子供になるんだ。お前をすぐに認めるよ」


「四季はどうするんだ…」


「俺がどうにかする。お前、来季はイングランドだろ?連れて行ってやってくれ」


「お前は…どうするんだ」


「俺は香川 夏樹、中学生の女の子として生きるよ。そんな2人にはこんな姿、見て欲しくないから」


「わかった…冬樹の事は任せろ。お前に誇れる男にしてやる。だが、四季は…彼女に決めてもらう。それは譲らない」


「分かった…頼む」

 と言って、俺はアキに拳を伸ばす。それに対してアキも拳を返してくる。


「忘れるな…お前は、俺の誇りだ…」

 胸を2回叩いて俺は言う


「俺たちは家族だ…どこにいても、どんな姿でも」

 そして再び、拳をぶつけ合う。

 互いの泣きそうな表情は、なんとか崩壊をま逃れた。


 しばらくして四季とつゆさんが戻ってきた。両手いっぱいに荷物を抱えて。その様子を見て俺は唖然とした。


「お義母さん…買いすぎ。四季も…自分のも買ったな?」

 お義母さんはえへへと笑い、四季も笑う。

「仕方ないじゃない。安かったし、冬樹もおっきくなったから新しいのは買わないとね?」と悪びれる様子なく話す。


 …まぁ、いっか。四季の財布の中身の事は心配だが、2人ともしばらく買い物してないだろうし、ストレス発散しないといけない。

 そう思い、何も言わずに3人の後ろをついて行く。


 その後の2人は嫌がる俺を連れて下着…ブラジャーを買いに連れて行かされたが、それは別の話で…。


 そして再びアキの車で自宅の方にむかう。

 山積みの荷物に囲まれて、元来た道を帰ると香川宅に夏姫父のものであろう車が止まっていた。


 車から下りて荷物を運び出すと中から夏姫父が出てきた。


「お帰り、冬樹くん迎えに行っておいたぞ〜」

 と飄々とした口調で話す夏姫父。俺はまずそれに驚いた。まごまごとしている俺を尻目に、四季は


「香川さん、いつもありがとうございます。助かります」と当たり前の様に話している姿にも俺は驚いた。夏姫父も笑いながら、遊んでもらっていたと嬉しそうに話している。


 入院中、よく冬樹を見ていてくれた事は知っていたが、まさかそこまでさせているとはつゆ知らず、俺はのうのうと暮らしていたのかと後悔する。


「香川さん、すいません。冬樹のことまで押し付けた様な感じで…」と言うと、夏姫父は嬉しそうに、


「前にも話したと思うけど、冬樹くんはもう息子の様なものだ!!気にするな!!ただ、男の子は元気でいい。わしもついて行くのがやっとだったよ」

 と笑っている。

 香川父の後ろから聞き慣れた声が聞こえる。

「おじちゃん、ママ達帰ってきたの?」

 田島 冬樹の声がこちらに近づいてくる。


 細く長い身体と、見ないうちに少し大人びた表情をするようになった冬樹を見て俺は泣きそうになる。

 冬樹もこちらに気がついた様で少し恥ずかしそうにこちらを見るている。


「夏樹姉ちゃん、お帰り!!」


 その言葉に俺は言葉を失う。

ついさっき、俺は冬樹をアキに託す事を決めた。

 だが、託すと決めたはずなのに、手放しなくないと思う自分がここにいる。ただいまを言う相手が家族なら、俺の家族は四季と冬樹だけだ。


だけど、彼からすれば今の俺はパパが助けたお姉ちゃんだ。ところが、実際に助けられ無様に生きているのは夏姫ちゃんではなく、田島 春樹という人間だった。

 今の俺はその醜態を息子の前に晒している。

 だが、彼の中では俺が夏姫を助けたことになっている。その幻想を崩してはいなくない。

だから、俺は息子に対して嘘をつかなければならない。

 そんなことを考え、無言になっていると冬樹は訝しみ、「お姉ちゃん?」と呟く。


 その瞬間、俺は冬樹に抱きついて、泣きながら

「ごめん、ごめん…」と言い続けた。

 それに冬樹は戸惑い、オロオロしている。

 だが俺は構わずに泣き続ける。私の後ろでは四季と夏姫のお母さんが、冬樹の後ろでは夏姫のお父さんがひっそりその様子を見ていた。


 しばらく泣き続けたあと、俺は大人しくなり冬樹から離れる。離された冬樹は少しホッとした表情をする。


 俺は目の周りに溜まった涙を拭き、冬樹の顔を見る。

 …大きくなった、俺が小さくなったけどやっぱり大きくなった

 幼い頃の面影と半年間見ることが叶わなかった愛しい我が子の顔を見るのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。


 冬樹も落ち付きを取り戻し、俺の顔を見る。

 そして、顔を少し赤くなっている息子に対して、私はひとこと声をかける。


「冬樹くん、ただいま」


 その言葉に俺は声が詰まる。俺は冬樹の父親だ。

 だが、目の前にいるのは彼にとってはただの女の子、香川 夏樹だ。

 俺は彼にとって夏姫を助けた、最高の親父として死んでいくべきなんだと思った。


俺は四季の手を取り冬樹の前にもどる。

「冬樹君、ごめんね。『冬樹君のお母さん』を借りちゃって。お返しするね」

と言うと、冬樹はいいよと答えると俺は四季の手を冬樹に繋がせる。四季はその行動に対してどのように思っているのだろう。けど、そんなことはもう、関係がなかった。


俺は四季と冬樹の手を離すと、冬樹の後ろにいる夏樹のお父さんの方を向き直す。


「じゃあ、冬樹くん。『私のお父さん』と交換ね!!」と言って私は『私のお父さん』に駆け寄り、手を繋ぐとその手を引っ張って『私のお母さん』のところへ行く。その行動に、冬樹とアキ以外の大人が驚いている。


香川夫妻と会って以降、俺は私という事はなかったし、夏姫父を『お父さん』と呼んだことはない。もちろん、俺から手をつないだりする事はなかった。

そう、この人達は夏姫の家族であって俺の家族ではない。だが、私は冬樹に酷な仕打ちをする。


「この人達が『私のお父さんとお母さん』なの」

と、大きな声で冬樹に紹介したのだ。

すると冬樹は俯き独り言のように「…いいな」と呟いた。それを私は聞き逃さなかった。


そして、その様子を少し離れた位置から見ていたアキに目配せをする。視線だけでアキは分かってくれると信じて…。


アキは私のその行動を見て深くため息をつく。

そして、冬樹の元へ行き、冬樹の頭に手を置く。

アキは冬樹の親ではない。だが、冬樹にとっても彼は尊敬できる存在だ。


 そう、これは過去との自分との決別なのだ。

俺は今日を境に、私として生きていく事を決意する。だから、四季と冬樹の事はアキに託し、冬樹が私から離れて行くその日まで、近くで昔の家族を今の家族と一緒に見守って行く。そう、決意した。


 だから、俺は今から"私"なのだ…。

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