「確認」
内戦が始まり早くも二日が過ぎた。
宮廷は今日も忙しないものだった。国内の情勢を整える事に尽力しているダリス、治安維持に務めるヴォルツは休む間もなく働いていたのだ。
働きづめの二人に見かねた無空は業務時間が終えた頃、二人を呼び出した。
普段は会議室として使われている一室に二人と一体が向かい合うように着席し、本来なら書類が並ぶ場所には菓子とカヒーが置かれている。
口当たりの柔らかいハシュハロ、サクサクとした食感のビスクト。滑らかな舌触りのショコレッタまでも用意されていた。どれも一口大で大皿に山の如く積み重ねられており、程よく甘い香りが食欲をそそる。
それらを前にして些か緊張した面持ちのダリスとヴォルツに対し、涼しい顔で無空がこう告げる。
「本日の業務お疲れ様でした。どうぞ食べてください」
ダリスはヴォルツを一瞥した後、訝しげに目の前のものを見ながら無空に訊ねた。
「あー、これは……?」
「菓子です。人間は頭を使うと糖分が必要になると聞きましたので、厨房の人間たちに用意していただきました」
つらつらと丁寧に返答され、ダリスはそれを受け入れる他なかった。とは言え、まだ疑問を抱えているようだ。
「なるほど……?」
そう言いつつもまだ口を付けずにいた。
そんなダリスを見てヴォルツは何かを察したのか、手元にあるカヒーを一口飲んだ。それからハシュハロとビスクト、ショコレッタを食べた後にこう言った。
「───長官殿、これらの菓子類並びにカヒーは毒物などが含まれていないようです。安心してお召し上がりください」
しかし、ダリスからの返答はない。ヴォルツのさも当然かのような行動に唖然としているのだ。
一方でヴォルツはダリスがなぜ食べ始めないのか分からず、不思議そうに首を傾げた。
「長官殿、如何なされました?」
「ううむ、えぇとだね……君はこれまでそのような職務に就いていたのかね」
と、言葉を選びつつダリスは訊ねる。この問いに対する答えは淡泊なものだった。
「はい、内戦が始まる直前まで要人警護が主な任務でした。それが何か?」
その言葉を聞き、ダリスは深いため息をつく。
「……君とは対等の立場であると思っていたのだが、私の思い違いだったようだ」
「それは当然です」
ヴォルツがはっきりと否定した。
「私は副官であり、貴方は長官。明確な上下関係が存在するかと」
「それはあくまで天使から無作為に任命されただけの役職だ。その上、互いに国家の重要な立場に立たされている。そこに絶対的な上下関係があるとは思えないのだが?」
「お言葉ですが長官殿。こういった役職である以上、必ず不随するものだと具申します」
これまで上下関係が厳しい立場にあったヴォルツからすれば、ダリスの意見は全く予想外な価値観だった。
ヴォルツの価値観というのは、たとえ年下であろうと自分より任期が短かろうと上官は上官であり、加えて国家の重要人物ともなればその保護は何よりも優先すべきというものだ。
反対にダリスの価値観では表面上の上下関係はあれど、二人とも国家を動かすほんの一握りである事に変わりない。その考え方からすればヴォルツが毒味をするなどもっての他なのだろう、失望したというより怒っているという印象を受ける。
双方の価値観はどちらとも善悪で判断するものではないが、明らかに食い違っているのは確かだ。
見かねた無空が二人にこう告げる。
「お話はそこまでにしてください。せっかく用意していただいたものが冷めてしまいます」
無空の指摘通り、カヒーはすっかり冷めていた。その事実にダリスもヴォルツも口をつぐむ。
暫く沈黙が続いた後、話を切り出したのは無空だ。
「……お二人に与えた役職は極めて重要であり、私の考えが確かであればお二人にしか務まらないものです。ですので仲違いなどは控えていただけると───」
そう語る無空に対し、ダリスが割って入る。
「いや、これは仲違いではなく……お互いに尊重し合った結果だと思うのだが、ヴォルツはどうかね?」
「はい。私個人としましては有能な長官殿を尊敬していますし、先ほどのは単なる価値観の相違かと」
と、表情一つ変えずにダリスに賛同した。唐突に褒められた事にむず痒さを覚えるダリスをそのままに、無空は安堵したように言う。
「そうですか。良好な関係であれば問題はありませんね」
「はい。不仲ではありませんのでご安心ください」
また沈黙が訪れたものの、先ほどと違って穏やかだ。
「あー、うむ。では、いただこうか」
ダリスは居心地が悪そうに小さく咳払いをし、ショコレッタを一口。
「こ、これは……美味!」
と、噛み締めるように言うダリス。半分ほど堪能した後、カヒーを目一杯甘くして味わっている。
ヴォルツはというと、腹持ちの良いビスクトとカヒーを交互に食べている。他の菓子には手を付けていないところを見ると、どうやら甘味はあまり好ましくないらしい。
和やかに菓子を食べる二人に対し、無空は暫く柔らかな表情で静観した。それから頃合いを見計らい、こう話を切り出す。
「食べながらで結構ですのでお聞きします、お二人は私の魔術を覚えていますか?」
その問いにはヴォルツが答えた。
「はい。無空様の魔術は『万物を無効化させる』というもので、その対象や条件は実に幅広いものだと記憶しています」
「その認識で間違いありません」
と、肯定する無空。
「そこで疑問なのですが、何故お二人はこの魔術を行使しないのですか?」
そう問われ、ダリスは飲んでいたカヒーを変に飲み込んでしまう。咽るのを抑えつつ咳を数回した後、喉を
「……失礼。いやはや、予想だにしていない問いかけだったのでつい」
「そうですか。お大事になさってください」
無空はダリスを単調に労わった後、話を戻した。
「話を戻しますが、なぜ行使しないのでしょうか?使用条件は初日にお話した通りなので行使可能ですよ」
「あー、そもそもだ……その魔術は人の手には余るものであり、無暗に行使すべきではないと思うのだが?」
というダリスの回答に対し、無空は驚きの表情を浮かべる。
「すべきではない、今のあなたはそうお考えなのですか?」
「最初にその魔術を聞いた時から私はこの意見だが……この事で君に何か意見した覚えはない筈だ」
奇妙な物言いをする無空に対し、ダリスは名状しがたい違和感を覚えた。まるで自分が別の考えを持っていたかのような、そしてそれを無空は知っているかのような言動だった。
「……そうでしたね。先程の失言はお忘れください」
とだけ言い、無空は話をヴォルツに投げ掛ける。
「では、あなたはどうお考えですか?なぜ行使しないのかも合わせてお聞きしたいのですが」
不意に話し掛けられたヴォルツはすぐに持っていたカップを置き、無空の方を真っ直ぐと見て答える。
「はい。これまで私が行使してこなかったのは単に機会がなかった為です」
「機会がなかった、ですか?」
と、小首を傾げる無空。
「はい。無空様の魔術は『万物を無効化させる』という、極めて貴重で高度なものです。行使するならば相応の状況であるべきかと」
「では、どういう状況になれば行使しますか?」
「そうですね……人命救助の際に必要と判断すれば行使すると考えます。我が国の医療技術は隣国と比べて低く、隣国からの援助は困難でしょう」
ヴォルツが語るのに対し、無空は納得し頷いた。
「なるほど。確かに、創造主様もチョウ帝国の医療発展を懸念していました。その為の木洩と私なのですが、それだけでは足りないでしょう」
「木洩様は南東の人々の治療を優先していただきたいですし、無空様には既に組織外の国民全てを保護していただいてますので、それ以上の重責は不要かと」
「あなたのお気遣いには感謝しますが……つまりは、現在までにあなたが行使するに足る状況がなかったという事ですか?」
その問いにヴォルツは深く頷いて答える。
「はい。主に市街地を巡回しておりますが、私含めて部下からは重傷者が出たとの報告はありません」
そしてヴォルツは無空に真っ直ぐ訊ねた。
「一つ疑問なのですが、何故我々が無空様の魔術を借りない事をそこまでお考えに?」
「そうですね……単純に興味があるからとでも言いましょうか。人間がどういう意志を持ってこの力を使うのか、その決定は私にも理解できるものなのか。興味があるからです」
と、無空も言葉を飾らずに答える。
無空にとって自身の考えが最も公平であり、尚且つ正しいものだと認識している。しかしそれは
束の間の沈黙を破ったのは無空だった。
「では、こうしましょう。一日一度、大小問わず人助けの為に魔術を行使してください。それなら双方の理念に反しはしないでしょう」
と、提案する無空。ヴォルツは無言で頷いたものの、ダリスが疑問を投げる。
「あー、その規定は私にも適用されるのかね?」
「どちらでも構いません」
「であれば、私は行使しない」
ダリスは語気を強くした。
「理由は幾つかあるが、まず第一に私にはそれを行使した事で起きる事象に責任を持てない。であれば始めから関わらないのが身の為だろう」
と、語り甘いカヒーを一口。
「そうですか。わかりました」
ダリスの意見もまた人間が持つ価値観の一つとして納得したのだろう、無空はそれに対して意見することはなかった。
そしてそれはヴォルツも同じである。特に何か発言する事無く、カップに残ったカヒーを飲み干した。
これ以上に会話が弾む事はなかったが、不思議と居心地の悪さはなかった。
それもその筈、これまでお互いの腹の内を探り合っていたのが杞憂に終わり、こうして話が出来る間柄だと分かったのだ。
話し合いが出来る関係というのは極めて重要だ。特に彼らのように急ごしらえで集められた者たちならば。
菓子もなくなった余韻に浸っているダリスに無空が話し掛ける。
「本日はこれでお開きとしますが、とても堪能していただけたようで何よりです」
と、少し誇らしげな表情をしている。それに対してダリスは晴れ晴れとした顔つきで応えた。
「あぁ、実に有意義な意志確認の場だった」
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