内戦 中期
第六話 「さらなる刺客」
陽もすっかり昇った頃、白塗りの殺風景な会議室では四人と一体が円卓に集っていた。無幻結社の幹部四人と天使一体である。
内戦が始まってから四日目の朝を迎え、昨日のヤキリとガドンによる一騎打ちで戦況に大きな進展をもたらした。無幻結社にとって敵対関係にある可能性がある組織が一つ減り、残るはレリフィック教会とレジストリアのみとなったからだ。
ガドンには理解出来ていなかったようだが、ゴログ族とトーイ族とでは体格や力量の差が大きく、魔術で埋め合わせて補う事でようやく対等になるだろう。
その為、ヤキリの複製体を引き連れての交戦を行わなかったのだが、それ以外にも重要な理由がある。それは、ゴログ族だけは死に対して悔いがないのだ。
彼らゴログ族は少数の種族であり、この内戦を勝ち残ったとしても数が増える事は少ないだろう。と考えれば、内戦で決着を付けさせずに七日目を越えればチョウ帝国は創り直され、ゴログ族は始めに創造された時の数へと戻る。
種族としてはあまり繁栄する事なく存命を続けてきたゴログ族としてはそれでも得をするが、隣国に負けじと発展を目指しているトーイ族にとっては大きな損となる。特にチョウ帝国の歴史や技術を重んじている無幻結社としては、それだけは避けなければならない。
これらの事をガドンらが理解しているかは今後も不明だが、今日を含めてあと四日の内に無幻結社が勝利すればチョウ帝国は消滅されない。その事実だけでもこの内戦に希望が見いだせる。
昨日の事で疲弊気味なヤキリは円卓に圧し掛かる様に座っており、机に顎を乗せるというだらしない姿勢で皆に号令を掛ける。
「それではこれより、第二回無幻結社幹部会合を開始しまぁーす」
頭をガクガクと動かしながら話す姿は愉快なものだが、それを笑う者はこの部屋にはいない。しかし、忠告をする者はいた。
「さすがにだらしなさ過ぎる、寄りかかるなら机より椅子の方が肉体的な負担はない筈だ」
淡々とした口調でカザキに告げられ、ヤキリは納得したのか背凭れに身を投げる。それでも些かだらしなさは残ったが、厳粛な場でもない為このまま進められる事となった。
ヤキリは背凭れに上半身を倒しつつ顔を正面に向けている姿勢のまま、気だるげながらも釈然と語り始める。
「というわけで、一昨日連絡してた通りガドン鉱山組合と一対一で勝負して勝ってきました。なので彼らゴログ族と僕ら無幻結社は同盟関係、というか若干無幻結社が優位な状態になったよ。これで彼らが万が一に籠城とかせざるを得なくなっても、チョウ帝国が消滅させられる可能性は少なくなった。そういう場合は無幻結社と同じ結論或いは意思であるとさせてもらう事にしたからね」
その話に付け足す様にオサカも口を開く。
「レジストリアとレリフィック教会の動向が読めない現状だが、少なくとも何も出来ずに滅亡する事はない筈。しかし残る日数も半分、気を抜いている時間は無さそうだ」
「えぇ。後の組織がこの内戦にどういう結果を求めているのかまだ分からないけれど、あまり希望的な事は言えなさそうね。特にレリフィック教会には」
と言い、トバラは考える様に目を閉じた。彼女の言う通り、各組織が求める”チョウ帝国の姿”によって対立するか否か決まる現状で、最も対立する可能性が高いのはレリフィック教会であろう事は明白だ。
単に『科学』と『宗教』であるだけでなく、隣国から伝わる異国の宗派である為チョウ帝国が消滅されるとしても”レリフィック教は消滅されない”事は明らかである。
彼らにとって命にも代えがたい教えが守られるのであれば、この内戦で為すべき事はその教えのままに生きるのみとなる。そしてその教えは短絡的に言えば『死は救済』で、そんな組織と対立しない道は限られているだろう。
そんな意味合いを加味したトバラの発言に対し、考えるように少し唸ったヤキリは反芻する様に同意した。
「確かに、この間の顔合わせでもレリフィック教会の人たちだけ凄い敵意剥き出しだったからね。特にリーダーのオリフィアさん、自分らレリフィック教会以外の人間に用はないって感じだった」
「あぁ。あの女性は宗教家特有の『自分が信じる教えがこの世で最も正しい』と思い込み、その教えを信じる自分すらも正しい存在だと思っているだろう」
と、ヤキリの客観的な感想にカザキが肯定した。二人ともオリフィアとはあの場が初対面ではあったが、それでも彼女がどういう人物か理解するのには十分な時間だった。
その場の全員がレリフィック教会に対して同じ認識であると分かり、話は続けられた。始めに言葉を切り出したのはオサカである。
「では、残る一つのレジストリアはどうかね。少なくともレリフィック教の者たちより対話出来るだろうと思うが」
という呼び掛けにヤキリは少し考える様に首を傾けながら答える。
「うーん、そうだね……僕らの理念や魔術からしても対立する事は避けるべきだけど、恐らくは相手次第なんだよねぇ」
「ほう……つまりは彼らとは確実に味方となるか定かではないと?」
「うん。まずレジストリアは若者が電子空間に集まって結成された集団らしくて、彼らの多くは皇帝に将来と日常を唐突に壊された事だろう。勿論僕らも他の組織もそれは同じだけど、彼らとしてはみんな纏めて”大人”に見えているだろうね」
そしてやや困った顔をしながら言葉を続けた。
「リーダーも副リーダーもきちんと状況を理解して発言できる賢さはあったけど、そんな彼らが学ぶ場所や自由な将来を守れなかったのは大人の責任。相手からして僕らの印象は最悪だろうけど……」
「確かに相手からすれば最悪だな、我々は。だがそんな事で身を引けないのが現状ではレジストリアを味方に付けるしかない、それはあちらも同じだろう」
と言い、カザキはカヒーを飲み干した。彼の意見に皆賛同したが、ここで大きな問題が浮上する。
彼らはレジストリアの拠点を知らないのだ。どこにいるかも明確に分からなければ話し合いも何も出来ず、小さな国土とは言え歩き回るなど時間の無駄と言えるだろう。全員が頭を悩ませていた時、静観していた火晴が口を開けた。
「レジストリアの居場所、俺ならわかる」
その言葉に一番嬉しそうに反応したのはヤキリだった。必要最低限しか言葉を発しない火晴が問われてもいないのに発言したのだ。
宛ら初めてY.lb_001が言葉を発した時の様でもあり、勢いよく椅子から立ち上がった。
「火晴!それは本当か!?すごいな君は、一体どうやって彼らを見つけるか是非聞かせてほしい!!」
「俺たち
表情豊かなヤキリとは正反対に、火晴が淡々とした話を続ける。
「他の天使もこれは出来るけど、それを人間に共有しているかは不明。それでも実行するかはヤキリが決めて」
「勿論決行するとも!善は急げとも言うし、すぐにでも出立するべきだ!」
と、間髪入れずに答えるヤキリだが、足元がふらついたのか椅子に受け止められた。そんな様子のヤキリを見たトバラとカザキが苦言を呈する。
「まさかあなたが直接乗り込むんじゃないでしょうね?そんなフラフラな状態で組織のトップが敵陣に行くなんて、無謀にも程があるでしょう」
「先輩の言う通りだ。昨日はオサカさんがゴログ族と交流を深めていたから出来た事、そう易々と今日も出来るとは限らないのは目に見えている。という訳で……」
と立て続けにトバラとカザキが語った後に、二人は声を揃えて言った。
「「社長は大人しく待機!決行は我々で十分!!」」
力強く命令されたヤキリは少し驚いた顔をしたものの、すぐに笑みが零れた。自分が背負うつもりでいたものを軽々と奪われ、その頼りがいのある二人の姿がとても頼もしく見えた。
その二人の意志に応える様に姿勢を正し、落ち着いた声色で高らかに宣言した。
「それでは今日の作戦を発表する!火晴の探知能力を用いてレジストリアのリーダーを見つけ、可能であれば同盟を結ぶ!実行部隊はカザキとトバラ先輩、そしてY.lb_050からかぞえて六体の計八名で決行する!その間僕とオサカさんはここから二人に相手の位置情報を伝達し、場合によっては結社の防衛を行う!」
次々に名前を挙げられ、作戦を理解した各々はしかと頷いた。そしてそれを確認したヤキリは誇らしげにこう言い締め括る。
「以上、解散!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
朝焼けが眩しい教室の一室。広々としたこの場所で一人の少女、サキが目を覚ます。しかしサキが目を覚ました事は誰にも分からない。
無口な彼女は可愛らしい仮面で顔を覆ったままだからである。傍らで眠っているメイもまた顔を覆っているものの、僅かに見える口許からは寝息が漏れている。
眠っているメイを起こさない様にそっと立ち上がり、自分が寝ていた布団を畳み始める。積み重なった布団の上に枕を乗せた時、その上にギサウの仮面が柔らかく落ちた。
「あ」
短く声を発したサキは驚いた様に緑の丸い目をぱちくりとさせ、枕に落ちた自身の仮面を見つめた。仮面に結ばれていた紐の中心が千切れ、大きく解れている。
先程の声で起きたのか、サキの背後からメイが声を掛ける。
「おはよう、どうかした?」
「メイ……紐が」
と言ってサキが仮面を見せる。メイが仮面を受け取り、暫く沈黙し仮面を凝視した。
紐を結べば仮面としての機能は戻るものの、伸縮性のない紐ではサキの頭に合わなくなってしまう。
これではレジストリアのメンバーとして活動出来ないと思ったサキは、少し不安そうな表情でメイを見つめる。その視線に気づいたメイはサキに優しく声を掛ける。
「大丈夫。私の家に丈夫な紐や直す道具もある、今日取りに行けるようにカイトに言うよ」
「うん」
「それじゃあ、サキはここに居て。一応ここは幹部用の階だから大丈夫だとは思うけど、何かあれば隣の部屋のレイジにチャットして」
とメイが言うと、サキは少し俯いた。メイはサキがレイジとあまり仲良くないのを知っている為、彼女の手をそっと握りこう言った。
「アイツはあれでしっかりした奴だから」
「うん」
「ちょっとうるさいけど、信頼は出来る」
「……わかってる」
その言葉を聞いたメイは、サキは単に毛嫌いしているわけではないと僅かだが確信を持てた。握っていた手に力を入れ、決心する様に言葉を伝える。
「なるべく早く戻ってくるから。それまで二人で協力して、ここを護って」
「うん」
微かに見えるメイの口許は微笑んでおり、表情があまり見えないものの笑いかけている事は分かる。サキも微笑みを返し、程なくしてメイが教室を後にした。
静かになった教室で、サキは周囲を見渡す。仮面を付けていないこの状態をメンバーに見られれば、大きな不和をもたらすかもしれないと思ったからだ。
教室の中で何か顔を隠せるものはないかと考えた末、サキが思いついたのは何とも可愛らしいものだった。
教室の隅に置かれていた棚に置かれていた白い布。それを自分の目の位置に合わせて穴を開け、同じ棚に置かれていた桃色のクレヨンでギサウを描き込んだ。
それを頭から被ると、サキの上半身はすっかり覆われた。
窓ガラスに映る自分の姿を誇らしげに見て、自身の電子端末で写真を撮って幹部のみのチャット欄に掲載した。
一方その頃、メイが駆け足で隣の教室に向かい扉を数回ノックして声を掛ける。
「スマイリー、ゼロ、どっちか起きてる?」
その呼び掛けから数秒が過ぎ、扉が開けられた。眠たそうに頭を掻きながら顔を出したのはカイトだった。
「はーい、起きてるよ」
見慣れた笑顔の仮面で眠たげな顔は見えないものの、その声からして寝起きすぐなのだろう。
そんなカイトに対し、特に悪びれる事もなくメイが話を切り出す。
「おはよう。唐突だけど緊急事態、でもメンバーには公表出来ない事態が発生した」
「え、どうしたの?ゼロも起こそうか?」
緊急だと聞いて少し動揺したのか、猫背を正してやや早口で返答した。そんなカイトの背後に擦りつくように水雨がゆっくりと飛んで来て、キョロキョロとした瞳でメイとカイトを交互に見た。
「いや、起こすのは後で良い。とりあえず教室の中で話そう」
「わかった」
そしてカイトと水雨とメイは教室の中央に集まり、レイジを起こさないように声を潜めて話が続けられた。
「それで、緊急っていうのが……」
とカイトの耳元で続きを囁いた。
「え!仮面の紐が切れた!?」
「しー、声が大きい!」
「ご、ごめん」
と謝るカイトの横にぬるっと水雨が飛んできて訊ねる。
「紐が切れたら大変なノ?」
「確かあの仮面の紐はウサの頭に丁度良い大きさで、あれ以上短くは出来ないんだ」
「なるほド」
「そう。だから私の家に材料取りに行こうかと思って、カイトも来てくれる?」
「うーん、少し危険だけど……最悪水雨に飛行を頼むかもしれない」
「いいヨ、目は軽そうだから余裕だヨ!」
「少なくともゼロよりは軽いと思う。たぶん」
「じゃあ、起きない内に行こう。無理にでも止められるだろうし―――」
「ばっちり聞こえてるけどな」
ぼそぼそと語られていた囁き話はその配慮虚しく、全てレイジの耳に入っていたらしい。隠そうとしていた為かやや緊張した様に身を固まらせたカイトはぎこちなくレイジの方を向き、やや明るめな口調で揚々と声を掛けた。
「や、やぁ、起きてたんだね!そ、それじゃあ、そういうわけだから、僕ら行ってくる。ね」
と、言いつつ後ずさりしているが、レイジがそれを追う事はしなかった。布団の上に胡坐をかいて座り、見送る様に手をヒラヒラと振った。
「はいはい、いってらっしゃい」
「止めないの……?」
拍子抜けした様な声色でメイが尋ねるとレイジはこう答えた。
「止めたって無駄だって知ってるし、時間もあんまりない。それなら俺が出来るのはここの防衛指揮とウサのお守だろう?そのくらい平気だから行ってこいよ」
「反対されると思ってたケド……ほんとに良いの?」
カイトのやや困惑した訴えに軽く笑い掛け、レイジは率直に答えた。
「まぁ、危険な事には変わりないけどな。いくら水雨が同行するって言っても不利な相手や状況はあるだろうし、逆に何事もない可能性だってある。昨日はただ警戒しているだけで何もなかったから、今日の行動で良くも悪くも何かが変わるならそっちの方が有意義だと俺は思う」
レジストリアの”0”ではなく、カイトとメイの友人として語られたその言葉には偽りなどなかった。開戦から四日目の朝ともなれば時間があまりない為に焦りが出てきてもおかしくはないが、彼はいつもの様にいたって冷静だ。
「そうだな。このまま何もかも消されたくないし、さっさと行って帰ってくるよ」
「おう。忘れ物とかしないようにな」
「もちろん。ありがとう」
レイジの真摯な意見に感謝しつつ、カイトは友人を誇らしく思った。数十人余りの同世代の男女を束ね、的確な指示を出せる人物が友人なのだ。緊急時とは言えそう簡単には真似できない芸当である。
素早く身支度を整え、教室を出てすぐに電子端末から音が鳴った。カイトとメイの両方に届いたそれは、別の教室で待機しているサキによるものだ。
チャット欄に載せられた写真には白い布で上半身が覆われ、目元だけ丸く刳り貫かれた姿のサキが写っている。緑色の瞳はこちらを見ていないものの、彼女が伝えようとしている事をカイトら三人は理解した。
そしてその写真の下にはサキのメッセージが続いている。
サキ :『これでいい』
『?』
端末操作が不慣れな為、覚束ない言葉にはなるがそれをとやかく言う者はいない。
カイト:『上手だね!』
メイ :『良いと思う』
『:->』
レイジ:『これでしばらくは安心だな』
カイト:『でも魔術使うのは禁止』
『布が水吸ったらどうなるかわかるだろ?』
サキ :『おもい』
カイト:『そういう事!』
『なるべく早く帰ってくるからな』
サキ :『いてらしゃい』
レイジ:『気をつけてな』
メイ :『そっちもね』
レイジ:『:)』
サキ :『へんなかお』
最後に送られてきたサキのメッセージでメイとカイトは思わず笑ってしまった。廊下から笑い声が聞こえてきたものの、サキもレイジもそれ以上チャットを更新する事はなかった。
サキは送ってからすぐに電子端末をポケットに仕舞い外を眺め始めており、レイジは見張りをしている者たちにカイトらが出立する事をそれらしく濁して伝えている。
それを見習ってカイトとメイもレジストリアの全メンバー見れる場所にただ一言『いってきます』と書き込み、早朝にも関わらず多くの反応が返って来た。
多くの激励を受けた二人は必ずここへ戻らねばと強く実感し、決意の込められた一歩を踏み出す。そして階段や廊下を足早に抜け、すれ違わぬように静かに突き進んだ。二人が歩く速さに合わせ、カイトの斜め上を天井すれすれに水雨は飛んでいる。
正面玄関に付くと見張りをしている者が二人見え、カイトらに気づくと素早くそちらを向いて姿勢を正した。リーダーとは言え特段敬う事を決めていないカイトだが、彼を尊敬している者は自主的にこの様な行動をする。
そんな彼らに過剰な労いは毒となる事が分かっているカイトは、少し立ち止まって一言だけ告げた。
「それじゃあ。頼んだよ」
ただ一言だけではあったものの、彼らにとっては十分な言葉であった。仮面で表情が分かりにくいがはにかんでいるらしく、返事の声が少しだけ震えていた。
「は、はい!」
彼らの返事にカイトはこくりと頷き、やがてゆっくりと歩き出した。それに続いてメイと水雨も同じ歩調で歩き始める。
カイトらが去った後も見張りの片方はまだ緊張しているのか、固まったまま少し震えていた。もう片方はポケットから電子端末を取り出し、耳を押し当てている。
その様子に気づき恐る恐る尋ねた。
「何、してるの?」
「別に。さっきの録音してたから聞いてる」
「えっ!?ズルい!私にも聞かせてよ!!」
等と、平和的な言い争いが行われたものの、録音していた音声を電脳空間へ投稿する事で終息した。当然ながら彼の端末は通知が止まらず、レイジやサキが面白がって拡散した事でレジストリアのほぼ全員がリーダーのその声を聞いた。
そして、カイトがその事に気付いたのはすっかり日が暮れた夜の事だったが、それはまだ先の話である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
陽が街中を
この店の周辺は比較的治安の良い区画なのか、度々警護組織の隊服が目に留まる。相手からすればカイトらの方が目立つだろうが、目に見えて異様なのはふわふわと浮いている水雨だ。カイトは視線の先が自分ではないと分かっていながらも緊張し続けていた。
メイは特に疲れている様子もなく、自分の家に着くなり駆け足になった。早く帰らねばと思っているのか、両親の安否が不安なのか不明だが、どちらでもあり得る事だ。
一方カイトは店の裏口に寄りかかり、メイが出て来るのを待機する事にした。
自身を落ち着かせる為にゆっくりと深呼吸を続けていたカイトを覗き込む様に、水雨が大きな瞳でじっと見つめて尋ねる。
「ねェ、ここどこなノ?」
「目の家だよ。着物を作ってる店でもある」
と、答えられたが、水雨は今一つ分かっていないらしい。空中で回りながら浮いている。
「うーン?家、店?わかんないなァ、天界には無いシ」
「そっか、そっちじゃ生命も物も神様が全部作るだろうし、知らなくてもおかしくはないか」
「人間には創造主サマみたいな存在がいないから、家や店があるノ?」
逆さの状態で回るのをやめ、カイトの方に顔を向ける。
「そういう事。みんなで出来る事を分担して成り立っているんだ」
「ふーン、そっかァ。大変だネ」
「そうでもないさ。これが人間だから」
何気ない事を話していると、勝手口が開きメイが出てきた。その手には丈夫そうな鞄が握られており、彼女の後ろにはやや不安そうな顔付きの両親が立っている。
開けられた扉の隙間を縫う様にすうっと水雨が飛び、メイや彼女の両親に興味を示した。
「こんにちハ!」
ヘラヘラと笑った顔の天使を見たメイの両親は驚いたが、すぐに柔らかい声色で返答した。
「はい、こんにちは」
「こんにちは、あなたがこの間舞い降りたっていう天使さま?」
「そウ!水雨って言うんだヨ!」
「へぇ、それはそれは……」
と、更に談笑が続きそうだったが、それはメイによって制された。
「ほら、水雨。早く帰らないと」
「そうだったネ!それじゃあネ、人間!!」
ぶんぶんと手を振りながら後ろに飛ぶ水雨に、メイの両親は優しく手を振り返していた。メイが扉を閉める時、父親が一言だけ伝えた。
「いってらっしゃい」
その温かい言葉に感情が溢れそうになるも、しっかりと受け止め返事した。
「行ってきます」
そうして扉を閉めてカイトの方へ向き直り、気持ちを落ち着かせてこう言った。
「お待たせ。帰ろう、みんなの所へ」
「応とも!」
そして陽気になっているのか、カイトがこう提案する。
「そうだ、表の方から帰ってみよう。ここら辺がどうなってるか様子見た方が良いし」
「うん、私は良いよ」
「ぼくも賛成!」
と、メイと水雨から同意を得たので、カイトを先頭に仕立て屋の裏から表に出た。
もうじき昼時ではあるが通りには人があまりおらず、警護組織の者が大半だ。警護組織の者が巡回している事もあってか、明らかに悪人と言える帝国民が目に映らないこの道を随分久しく感じた。
水雨は物珍しそうに建物を眺めたり、道行く人々に声を掛けたりと飛び回っており、その後をカイトとメイが程よい歩調で付いて回った。
のどかな昼下がりの街道に聞こえる軽快な足音、時折りすれ違う荷車の音や家屋から聞こえてくる子共の笑い声。つい最近まで通学路としていた見慣れた風景なのだが、壊れた部分が補強されていたり石畳が抉れている箇所も目に留まる。
カイトの周囲はこの数日間で多くの事が変わってしまったが、街が本来の穏やかさを取り戻しつつあるのを見て嬉しく思った。
変わり映えのしない青い空を遠くに見ながら、仲間たちが待つ学校へ歩みを進めるカイトらは背後からの呼び声で足を止める事になる。
「ご機嫌よう。レジストリアのリーダーさん」
耳障りの良い丁寧な物言いと声色、その声にカイトらが振り返るとそこには記憶に新しい人々が立っていた。全身を真っ黒な修道服に身を包んだ五~六人程の集団で、彼らの先頭に立つ声の主であるオリフィアは黄金の瞳を細めて笑い掛けている。
オリフィアの持つ異質な雰囲気は初対面のメイを警戒させるには十分な程で、カイトと同じく瞬時に彼女の方を向いて身構えた。特段変わる様子がないのは水雨だけらしく、街並みを眺めるのと同じ顔付きで漂うように飛んでいる。
程なくして、オリフィアの背後から重なっていた影が別れる様に、金陽がゆっくりと前に進み出た。相変わらず顔は黒いベールに覆われて分からないものの、微かに見える口許は微笑んでいる様に見える。
向かい合った両者の間に流れた沈黙を切って、金陽がカイトの方へ声を掛けた。
「お会いできて助かりますの。水雨の気配を辿って来たのだから会えて当然だけれど、もし会えなかったらどうしようと思っていましたのよ?」
柔らかく語られるその言葉に偽善はなく、心の底から『助かった』と思っている様に聞き取れる。カイトは思いがけない声掛けに驚きはしたものの、極めて冷静に受け答えた。
「なるほど、天使同士ではそういう事も可能なんですね。ところで、もし今ここで会えなかったらどうなっていたんですか?」
「決まっていますの。レジストリアの人間を順繰りに”救済”致しますの」
穏やかで暖かな声色で語られるその言葉に、人間ならざる者が与える畏怖を背筋に感じる。その絶対的とも言える強者に対して、カイトは再び疑問を投げ掛けた。
「ちなみに、これから何をする気か聞いても良いですか?」
「えぇ、勿論。あなた達二人を救済し、レジストリアを事実上壊滅させますの」
金陽の声色と反して残忍な目的を聞いたカイトは、顔の向きを変えずに声を上げる。
「水雨!」
「はーイ!!」
その呼び掛けを待っていたかの様に水雨は楽し気に返事をし、カイトとメイを両腕に抱えて水流の様に飛び立った。
一瞬の事で反応が遅れたレリフィック教会の一行はカイトらの逃走を食い止める事なく、ただ遠くに消えていく水雨を眺めるしか出来なかった。これに一番憤慨したのはオリフィアである。先程まで余裕たっぷりに微笑んでいた表情からは穏やかさが消え、無に近い顔つきへと変わってしまったのだ。
しかし、まだ平静を保とうという意識はあるらしく、後ろに控えているレリフィック教徒たちにそちらを向かずに指示をする。
「二人一組で市街地を探して回りましょう。邪魔する者は全て排除しなさい。女神レリフィアの救済からは逃れられないと知らしめるのです!」
「はい!!」
そう言ってレリフィック教徒たちが散らばった後、険しい表情のオリフィアに金陽が声を掛ける。
「何かを覗き込むという事は、その何かからも覗かれている意識を持たなければなりませんの。私が出来る事は水雨にも出来ますのよ」
「わかっております」
「では、次は過ちなどありませんのね?」
「えぇ。また彼らの居場所をお教え下さい、金陽様からお借りしたこの御業で必ずや仕留めましょう」
という慈悲や手加減などない、心打ちに燃え滾る感情をそのまま吐き出した。金陽はそんなオリフィアの様子を見やり、嫋やかにこう告げた。
「それでは案内しますの」
「はい」
そうして二人は街道の真ん中をやや足早に歩き出した。
レジストリアの人間とレリフィック教会の人間が対峙した事を見ていた警護組織の者たちは、建物の壁際で身を潜めていたが彼らが解散したのを確認してすぐに警戒を解いた。必要とあれば仲裁しなければいけないのが彼らの役目ではあるが、そうでない場合は身を隠す様にと伝達されているのだろう。
白い隊服を着た者が額の汗を拭いつつ、傍らの同僚に声を掛ける。
「いやぁ、今のは流石に肝が冷えた」
同じく疲れた様子の白い隊服を着た者もそれに同意する。
「全くだ。あいつらは確かどちらも組織の長だったし、もしここで交戦したら市民の避難誘導も視野に入れなければならなかっただろうな」
「本当か!」
「あぁ、組織の長は天使を連れていると聞いたから確かだ。会話はあまり聞こえなかったが、仮面した青い服の少年と先頭に立っていた修道服の女性が長だった気もする」
「へぇ、よく知ってるなぁ」
「おいおい、各組織の特徴と長と配属天使だけは覚えろってヴォルツさんに言われただろ」
「へへ、そういやそうだった」
等と談笑しながら二人は再び巡回に戻った。二人が歩き去った路地裏では息を潜めている者がいたのだが、歩き去っていった警護組織の者が気づく事はなかった。
やや薄暗い路地裏でも多少の光りが入るのか、一人が掛けている銀縁の眼鏡が度々反射している。そこに並んで立つ二人は耳に装着している小型通信機に耳を傾け、表の街道の様子を窺っていた。彼らのすぐ後ろには同じ背格好と外見をした者たちが整列している。
小型通信機からは男性が緊張感に欠ける陽気な声で語り掛ける。
「もう喋って良い?火晴の探知能力を基に開発した”対天使レーダー”に引っかからない範囲だから、今のうちに状況報告するのが良いと思うよ」
その提案に対し、喉元の咽喉マイクに手を添えて応答した。
「そうだな。そっちのレーダーで凡そは分かっているだろうから端的に言うが、レジストリアのリーダーと少女一人とレリフィック教会のリーダーと教徒数名が接触。だが、レリフィック教会側の天使が何やら語ったと思えば、レジストリアのリーダーが自分の天使に呼び掛け自身と少女を天使に担がせ上空へ飛び立っていった。あっけなく逃げられたレリフィック教会のリーダーは激怒し、教徒を方々に散らし捜索を指示していた」
「えぇ。恐らくレジストリアの目的はレリフィック教会に再び見つかる前に拠点へ帰還、そしてレリフィック教会はレジストリアのリーダーを殺す事でしょうね。あの剣幕、修道女がしていい
と、二人が通信相手に語った後、彼らの耳に考えている様な唸り声が聞こえてきた。腕を組み、小首を傾げながら考えている男性の横に立つ天使、火晴がスタンドマイクに向かって口を開く。
「たぶん、水雨は今も飛んだまま。でも時機に地上へ降りてくる。レジストリアのリーダーは慎重な人間、空中戦になれば不利だと考える筈」
「なるほど!黄金の生成は大きさや量が自由自在、水もそれは自由だけれど黄金に比べて攻撃も防御も困難になる。更に空中ともなれば、何かの拍子に天使が彼ら二人を手放してしまった時の危険まであるわけだ!それが分かれば誰もが地上で帰還経路を探るだろう!」
「あと、水雨は飽き性。興味が削がれて人間を手放す可能性も否定出来ない」
「ほほう、その行動もまた興味深い。是非とも話を聞かせて欲しい!出来れば本人が良いけど、語り出した火晴からの情報でも良いよ!!」
そう言ってテンションが高鳴っている通信相手を窘める様に、凛々しい顔付きの女性が苦言を垂れる。
「あのね、とりあえず今は私たちに指示をくれないかしら。いつまでも路地裏で進展なしは嫌なのだけれど」
それに同意する様に傍らの男性も頷いた。
「そうだったね!うーん……それじゃあ、弟たちの誰かと君らの内誰かがレジストリアとどうにか合流して。我らが副社長が昨日完成させた通信機を弟にそれぞれ渡して、彼らと接触出来たら手渡してもらうとしよう!そしてその通信機で対話をしようじゃあないか!!」
この場の勢いで組み立てられた簡素な計画だが、現状では幾らか応用が利く状態の方が動きやすい為、誰も文句を言う者はいなかった。
彼らの通信相手は自らが立てた計画に反対の声が上がらなかった事を確認し、宣言する様に楽し気ながらも落ち着いた声色でこう言った。
「それじゃあ、健闘を祈っているよ!」
という言葉で通信は途切れ、それを合図に作戦は決行された。
”弟”と呼ばれていた者たちは方々へ散り、プログラムされていた通りに的確な隠密行動を展開している。その一方で白衣を着た男女は靴音高らかに街道を歩き、住居区域にある学校を目指した。
目的は違えど、三つの組織がここへ集った。
それが何を意味しているか、どの様な結果を及ぼすか。
人間が気づくのはもう少し先である。
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