第七話 「鏡合わせの存在」

 内戦が開始してから四日目の昼前、レリフィック教会ではオリフィアが出立の支度をしていた。


 彼女は一昨日のレジストリア偵察は失敗したという報せを受け、緻密な作戦を魔術の質が低かったのが原因であるとナディータに伝えた。作戦の失敗は彼女にはないとも伝えたものの、ナディータ自身はとても気に病んでいる。

 しかし、オリフィアが報告内容で最も気分を害したのはレジストリアが発言した言葉である。ナディータが提出した録音機から聞こえてくるカイトとレイジの言葉は女神レリフィアの教えに反する点が多く、果てはナディータのオリフィアへの信心を揺るがす様な事を言い宣っている。

オリフィアは自身に人生を捧げて忠誠を誓い縋り従うナディータをこの上なく愛おしく思い、ナディータの心を己の袂で縛り付ける事に全力を注いでいるのだ。レリフィック教徒の中でも上位に君臨し続け、そしてそれに足り得る存在だという周囲からの賛美によってその栄光は続いてきた。

 それをたかがまだ年端もいかぬ少年らに邪魔されかねないとあらば、すぐにでもそれを排除、もとい”救済”せねばならないのが現在のオリフィアの目的となっている。雑草の芽は根を張られる前に引き抜いてしまえば良い、余計なものがせっかく耕した土壌に広がるより早く。


 オリフィアが自室の鏡台に向かって座って思考を纏めていると、傍らに立っている金陽が話し掛けた。

「オリフィア。あなたという人間に対して、わたくしは一つ疑問がありますの」

「何でしょうか」

「どうしてチョウ帝国に留まり、この内戦に参加していますの?自国に帰り寿命まで生き永らえる選択肢もありますのに」

単純でいて深い疑問を投げ掛けられたオリフィアだが、彼女の中ではその答えは当に出ていた。

「それは”私だから”です。他でもない、この私だからここに残り、この私だから教徒たちを束ね、この私だから他組織と交戦する」

と語り、一呼吸置いて意志を固める様に言葉を紡いだ。

「そして、この私だから。この内戦に勝利する」

しかしオリフィアの意志とは真逆に、金陽は不思議そうに頭を傾けた。

「勝利を目指していますの?他国の事象ですのに」

「えぇ。私が勝利した暁にはチョウ帝国という国家そのものを排除、この島全土をレリフィア王国の領土として祖国に献上します。当然、レリフィック教を国教として広め、この海域の全人類はレリフィック教徒にします」

「とすれば、あなたの目的において他組織は邪魔でしかありませんのね」

オリフィアは金陽のその言葉に無言で返した。

「だって自分が生まれ育った国が隣国に飲み込まれ、思想を植え付けられますのよ。我らが創造主様の恩情が如何ほどか窺えますの」

そう言ってクスクスと笑う金陽に対し、オリフィアは詫びる様に瞳を伏せた。

「傲慢なのはよく理解しています。ですが……」

そう言いかけた時、扉が数回ノックされ呼び掛けられた。

「ミス・オリフィア。時間です」

声の主はドレイトで、オリフィアは返事をすると同時にすぐさま立ち上がった。

「はい。今行きます」

部屋の扉開けるとやや離れたところにドレイトは立っており、何も言わずに会釈した姿勢のままそこにいた。それも当然で、礼をしている相手はオリフィアではなく、彼女の後から歩いてきた金陽に対するものだ。

自身が信仰する女神の外見を模しているとなれば、出来得る限りの礼節を持って応対するのは誰にとっても当たり前である。

 顔を下げているドレイトをそのままに、オリフィアと金陽は教会の入口へと真っ直ぐ向かった。そこにはすでにこれから共に出立する教徒たちが集まっており、彼女らの姿が見えた瞬間に騒めきは途絶えた。

オリフィアは穏やかな微笑みを浮かべ、集まった教徒たちに言葉を投げ掛ける。


「それでは皆さん。愚かにも女神レリフィアの教えに背いた若輩者たちを救済に参りましょう」


慈愛に満ちた声色で語られたその言葉に、教徒たちは大きな歓声を上げた。そして金陽は人間たちが感情を昂らせる様子を見てほくそ笑んだ。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 時を戻して昼過ぎの市街地。上空を飛んでいる水雨に向かって、ぶら下がったままのカイトが提案する。

「水雨、そろそろ地上に降りようか。本通りだと見つかるからそこの廃墟に出来るだけゆっくり着地して」

そう言ってカイトが指差したのはコンクリートの無機質な建物の屋上で、その屋上に備え付けられているフェンスは雨風の影響で赤茶色になっている。彼が差した方角にある建物をキョロキョロとした目で見定め、そこを目標とした。

「いいヨ!」

と短く返事してすぐに行動へ移した。しかし、カイトに言われた通り出来る限りゆっくりとした着地をし、カイトとメイはようやく地上へ降りる事が出来た。

着地するなりカイトは水雨の方を向いて感謝を伝える。

「ありがとう」

「初めて空飛んだけど、楽しかったよ。ありがとうね」

カイトの後にメイも続けて感謝を述べたが、水雨はヘラっとした顔で体全体を右に大きく傾けただけである。その行動から察したのか、カイトがこう言った。

「誰かにお礼を言われたら”どういたしまして”って言うんだよ」

「そっカ、また教えてもらっちゃっタ!どういたしましテ!!」

「ふふっ、そこはありがとうでしょ」

メイがそう言って三人は笑い合った。

だが、和やかなままではいられない。長く同じ場所に留まらず、出来る限り早くレジストリアの拠点へ戻らなければならないからだ。

一昨日の防衛戦とレイジとナディータの一騎打ちを見て、カイトなりに結論は出ていた。カイトらが行使する水の魔術とレリフィック教徒が行使する金の魔術では攻防どちらも相性が悪く、人数が不利な状態では太刀打ちできないと判断している。

 それからカイトとメイは示し合わせた様に左右に分かれて建物の下を見下ろせる場所に移動し、そこから周囲の様子を探った。その間に水雨はする事がないらしく、ふよふよと宙に浮かんでいる。

 カイトが見下ろした左側には薄暗い路地裏が続いているのみで、何者かがいる様子も見られないものの日陰になっている部分と死角とではっきりと断言出来ない。しかし、特段異常が見られる訳でもないと判断したカイトは、更に左手側を見に行った。

 その一方でメイが見下ろした右側は表通りに面しているらしく、建物の正面玄関の真上になっている。メイがそっと屈みながら観察すると、まるで狙っていたかのように道をレリフィック教徒が歩いていた。

 彼らの修道服は黒ずくめで路地裏にこそ潜んでいそうなものだが、ただ”探せ”としか指示されていない彼らはただ二人組で歩き回る事が最善だと思っている。電脳空間でのシミュレーションゲームを得意とするメイにとって、道行く彼らの動きは素人以下とも言えるだろう。そのままメイたちに気付く事なく通り過ぎていく二人を眺め、姿が見えなくなった事を確認して立ち上がる。

 カイトの方は早々に周囲の確認が終わったのか、水雨のところまで戻っていた。三名が一箇所に集まった所で、改めて情報の共有が行われた。

最初に共有したのはカイトだ。

「一先ず周囲にそれっぽい人はいなかった。この建物はざっと三階建てっぽいし、路地裏で死角もあるけど大丈夫そう。たぶんね」

「うん、たぶん路地裏に人がいたとしても、教徒の可能性は低いと思う。さっき表通りを歩いて行ったし、さっきいた全体の人数からしてここ周辺に固まらないと思う」

「確かに。でも分からない、彼らこういう状況は初めてだろうから」

「でも私たちも実戦は初めてでしょ」

束の間の穏やかさの様に談笑するカイトとメイだが、二人のすぐ横を直立している水雨は一箇所を凝視している。大きな瞳で見つめるのはビルの正面から見て北東の方角、先程までカイトがいた場所である。

 ここ数日共に行動していたカイトだが、水雨がこのような行動をしているのは初めて見た。

「水雨、何かあった?」

と、カイトが呼び掛けると、水雨は彼の方を見ずに答える。


「ねぇ、スマイリー。人間って屋根の上を走るノ?」



 時はやや戻り、同じような高さの建物が並ぶ市街地。その中でも高い位置にある屋根の上に、一体の生命体が周囲の状況を視認していた。

彼に刻まれた名前はY.lb_054、ヤキリによって造られたである。そしてヤキリによってレジストリアと接触せよという命令が出されている為、その対象者を探している状態だ。

 すると、少し離れた建物の上空に天使の姿を発見し、瞬時に捜索対象者と照らし合わせた。当然、それは水雨と一致し、すぐに”スマイリー”の姿も視認した。

そこにいると分かれば、Y.lb_054が次に行うべき行動はただ一つ。


彼らがいる場所へ行き、任務を遂行する。それだけである。


 立っていた場所から助走を付けて近くの屋根に飛び乗り、そのまま速度を落とさずに形状や高さなどお構いなしに駆け抜けた。さほど距離が離れていない事もあってか、Y.lb_054の姿はすぐに水雨が視認出来る範囲に入り、水雨の動きと視線を留まらせた。水雨が地上へ降りる前に入手していた情報では、人間は屋根を走ったりはしないとあったからだ。

 程なくしてY.lb_054の姿がメイやカイトに見える程の距離になると、当然ながらカイトは緊張と驚愕で動揺し、メイは焦りつつも冷静に対処しようと身構えた。

傷一つない裸足で屋上に着地したY.lb_054は、真っ直ぐとカイトの方へ歩み寄ってこう言った。

「捜索対象者発見。お兄様、指示を」

カイトたちからすれば、白い診察服を着た赤髪の少年が裸足で屋根を爆走し、立ち止まったかと思えばこんな事を言ったのだ。疑問でしかないだろう。

カイトの不思議そうな顔は仮面によって隠されているものの、声色から動揺がにじみ出ている。

「あの、君。えと……屋根を走れるってすごいね、うん」

掛ける言葉が思い浮かばなかったのか、カイトの言葉は何とも言えない空気を作り出した。世辞などはプログラムされていないY.lb_054はその言葉に淡々を答えた。

「お兄様にそうあれと造られた」

「その、お兄様って誰?」

「お兄様は―――」

と、Y.lb_054が説明しようとした時、彼が持っていた新型通信機から電子音が聞こえてきた。それは手のひら程の大きさをした筒状のもので、筒の中に丸め込まれたモニターを出す事で映像や文書による通信が可能となり、筒の状態で上部のボタンを押す事で音声での通信が可能になるものだ。まだ世に出回っていない発明品ではあるが、初見でも操作は難しくない設計となっている。

Y.lb_054は無言のままカイトにその通信機を差し出した。

「俺が取れ、って事?」

「たぶんそうだよ」

動揺するカイトを励ますように見守るメイ。カイトは差し出された通信機を受け取り、それらしきボタンを押すと電子音が鳴り止んだ。

そして代わりに通信機から声が聞こえてきた。

「やぁ、レジストリアのリーダー君。僕を覚えているかな?」

唐突に謎掛けされたが、カイトはこういう時に使う便利な言葉を知っている。

「あ、あなたはあの時の……!」

「実に開戦の時の対面式以来、と言っても直接話はしなかったけどね!この無幻結社の社長であるヤキリを覚えてもらえてたようで何よりだ!」

カイトの誘導あってか本人の性格からなのか、ヤキリは元気よく自己紹介をした。その名前を聞き、カイトは先日の対面式の事を思い返した。

 カイトは記憶を辿ってヤキリと名乗った人物の外見等を順に思い出していくうちに、段々と元の冷静さを取り戻しつつあった。

内心穏やかになったカイトは、慎重にヤキリへ尋ねる。

「それで、俺に何か御用ですか?」

「うん、お互いにとって重要な事だ。単刀直入に言うと、僕ら無幻結社と同盟を組んでほしい」

「……本当に単刀直入」

と、心底驚いたという様な口振りでメイが呟くと、その声も聞こえていたヤキリが揚々と受け答える。

「あぁ、よく言われるんだよ。それでどうかな、リーダー君」

「そうですねぇ……」

カイトはそう言って少し考える。ヤキリ率いる無幻結社とレジストリアが同盟を結ばなかった事で起こるデメリット、そして結んだ事で発生する妨げ。

 現在の戦況を詳しく知らないカイトだが、対面式の時点で他組織と大きく隔たりを作っていたレリフィック教会が猛威を振るう事は確実である。現に今も彼らから逃げている事も合わせて、黄金の矛先は明らかにレジストリアに重点している可能性が高い。

しかし、この状態のレジストリアと同盟を結ぶという事は、レリフィック教会と対立するとも言える行動に当たる。果たしてそうする事で無幻結社に利点はあるのか……。

そこまで考えたところで、カイトはヤキリに疑問を投げ掛けた。

「あの、ヤキリさん。僕ら今まさにあの教徒たちから命狙われてるんですケド、こんな状況の僕らと同盟組んでもそちらの組織は得するんですか?」

「良い質問だ!それは当然、僕らにとっても君たちにとってもこの同盟は利点であるとも」

そう言ってヤキリは語り始める。

「まず第一に無幻結社の人間が行使出来る魔術が火で君たちは水の魔術。周囲の環境破壊に目を瞑るのであれば勝敗は不明だが、僕は環境破壊を避けたいので争いは湯を沸かす程度になるだろう。或いは僕らが君たちの発生させた水で流されて、大海原へさようなら~みたいな事にもなり得るね。

それに、この内戦で勝者が決まった後、このチョウ帝国を存命させなきゃいけなくなる。その時に無幻結社が残っているか分からないし、君たちレジストリアも残っているかも分からない。でも、もしどちらも生き残ったとして、お互いに敵にも味方にも満たない関係ではすぐに壊れてしまう。その時は神ではなく人間の手によって内戦が始まるんだ。

いくらチョウ帝国の未来を決める争いとは言え、人間はそれなりに必要だと僕は考えている。だから、少数種族であるゴログ族とも同盟を結んだし、内戦で彼らが全滅する事だけは避けたい。それに君たちの様な子供も欠かせない。未来を生きる者にとって良いものでないと、内戦に勝利した意味がなくなるからね。

ウォーマー農業組合は既に中立だから生存は確立されているし、残るはレリフィック教会だけど彼らの目的は”チョウ帝国の復興と繁栄”ではないと思う。

僕としては最悪な事態全てを避ける道として、君たちに同盟を提案したい。あくまで僕の希望的観測に過ぎない内容だけれど、少しくらい希望を持っていないとね」

と、言葉を結んだ。

長々と語られた言葉ではあったが、カイトらの身近にもよく長く語ってしまう人物がいる為、全く苦にはならなかった。ヤキリが語った内容をよく読み解き、カイトは実直な疑問を伝える。

「分かり切ってる事ですけども、ここで同盟を拒否したら僕らレジストリアをどうしますか?」

「勿論、僕の弟が君たちを排除。今日中にでもレジストリアを壊滅させよう」

ヤキリのその言葉に反応してか、ここまでずっとY.lb_054を凝視していた水雨が口を開いた。

「それじゃあコレは人間じゃなイ?」

「ご名答。人間とは全く異なる存在、でも僕の大切な弟だ」

「ふぅーン、変わった人間もいるんだネ」

「それは誉め言葉として受け取ろう。ちなみに、そこにいる僕の弟も火の魔術を行使出来るし、素の身体能力は人間と比にならない程強化してある。死にたくなければ僕の提案を受け入れてほしいな」

「うわぁ、そういうの大人げないですよ」

「いやいや、今は戦いの最中なんだ。これでもそちらに調歩してるんだけどね」

と、笑いながら話すヤキリ。彼の言う通り、レジストリアへの配慮は丁重なものであり、カイトもそれはよく理解している。

この先に待ち受けているかもしれない出来事、既に用意された事象などの可能性を加味し、カイトははっきりと宣言する。


「わかりました。同盟、組みます!」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「さて、どうしたものか」

そう言いながら道を歩くカザキの傍らをトバラが並んで進んでいる。特に急いでいるわけでもないが、自然と速足になってしまうのはこの二人の癖とも言えるだろう。

カザキもトバラも、考え事をする度に歩いてしまう癖があるらしく、今もコツコツと靴音を鳴らしながら表通りを歩いている。

 彼らの通信機にはヤキリからレジストリアを見つけてほしいという指示から更新されておらず、複製体らと解散してから探し続けている。しかし、当のカイトらは建物の屋上であり、カザキとトバラがいる場所からはかなり離れている。

「これならいっそ、作戦そのものを複製体だけで済ませられたのでは?」

「そうね。それか私たちが彼らくらいの身体能力を手に入れるか、どちらかでしょう」

「本当に冗談が下手ですね、先輩は」

「あら、私は本気よ」

「ははははは」

「うふふふふ」

あまりにも途方もない捜索で二人は笑うしかなかった。手元の簡易レーダーに従って歩き続けてはいるものの、目標とする座標は飛び飛びであまり精度は高くない。

 もはや徒歩で見つけるのは無謀なのでは、と結論付けられそうだった矢先。二人が通りの角を曲がった所で最も避けたかった存在と遭遇してしまう。オリフィアと金陽である。

カザキらが気づいたと同じく、彼女らもこちらに気付いたらしい。微笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

お互いに警戒した距離感で立ち止まり、まずカザキが言葉を投げ掛けた。

「これはこれは、レリフィック教会の宣教師様ではありませんか。今日はお二方でショッピングですか?」

「先日はどうも、学者さん。今日は所用があってこちらまで参りましたが、青々と実った果実が空色のリトに奪われてしまったのです。お買い物どころではございませんわ」

と、オリフィアはやや悲し気な抑揚で語るものの、事の顛末を見ていた二人にとっては少し滑稽なものだった。そんな彼女を茶化す様にトバラが言葉を返す。

「あら、それは無念でしたわね。ですがリトを捕まえるには怖いお顔ではいけません、丁度今している様に笑顔でいなくてはいけませんわ」

「……どういう意味でしょうか?」

「そのままの意味ですわ。まさかお忘れですか?リトに逃げられた時のご自身のお顔を」

そう煽られ、オリフィアの穏やかな表情は引き攣った。

「お黙りなさい……っ!」

と言って右手を素早く前に突き出し、続けてこう宣言した。

「金陽様の名の下に!」

そしてオリフィアの突き出した右手を大きく囲む様に十字架が円を描き、十字架同士が重なる度にその数は増えていった。トバラはどんどん増えていく十字架を見て何か勘づいたらしく、カザキの前に出て宣言をした。

「火晴の名の下に!!」

そのままオリフィアが生成十字架に向かって淡い黄色の火の玉を飛ばし、次々に火の玉同士が繋がり燃え広がっていき、十字架の先端から溶け始めた。その様子を見たカザキは、トバラにだけ聞こえる程の声量で呟いた。

「ふむ……金の融点を超える温度の火であれば、攻撃を防ぐことが出来る……」

「えぇ。それに学生の頃に調べていたのを思い出したの、貴方も”五行説”を知っているでしょう?」

「当然。このチョウ帝国の古い文献には必ず出て来るもので、研究者や科学者そしてそれを目指す者にとっては当たり前の知識です」

と、交戦中にも関わらず淡々と語られるのが癪に障ったのか、オリフィアが不意打ちの様に十字架を自らの手中に数本生成して投げつけた。幸運にも十字架の鋭い先端はトバラの足元を掠め、赤い血が玉となって足に沿って垂れた。

「交戦中にお話ですか?金陽様の御業を前に、そして火晴様の御業を行使している者として恥ずべき行為では?」

「それはあくまで個人の考えや思想の範疇であり、我々がそれに応じる義務はありません。もしあったとすれば事前に通達されるべきですし、実際にそんなものはありませんでした。なので、あなたのその主張はただの押し付けです」

オリフィアからそう訴えかけられたトバラだったが、彼女はそれを釈然と否定した。

論理立てて否定されたオリフィアだが、彼女はまだ微笑みを浮かべる余裕はあった。

「ですが、私は先程の行為を不愉快に思いました。謝罪を要求します」

そう言ったと同時に、トバラの魔術によって溶けかけている十字架が彼女に向かって飛んできた。そもそも金が溶ける程の温度というのはおよそ人間が触れるべきではない高温であり、それに当たれば一溜りもない。

トバラは咄嗟の事で避ける事もままならないと目を閉じたが、暫くしても全身が燃える様な事はなかった。ゆっくりと目を開くと、視界に写るものに変わりは見られない。トバラの前にカザキが前に出ていた事を除いて。

 しかし、カザキは考えなしに飛び出したのではない。彼の右手には炎が纏わりついており、左手側の地面では溶けた黄金がシュウシュウと音を立てている。この状況から、カザキによってお互い焼身死体にならずに済んだと安堵したトバラだが、まだ気を抜けない。

カザキは場にそぐわず微笑み続けるオリフィアに向かって声を掛けた。

「ご存じですか、宣教師さん。金の融点、約千度なんですよ」

「知りませんが、そうなんですね」

「えぇ。人間というのは無機物と比べて脆いもので、金が溶ける程の高温を帯びた物質を無数に肉体に浴びれば、どうなるか分からない訳ではないでしょう」

「そうですね、少なくとも火傷はするでしょうね」

というオリフィアの答えに、カザキは思わず笑みが零れる。

「はっ、ねぇ。専門的な分野になるからあまり否定は出来ないが」

「あなたのポリシーは知りませんけれど、先程のは”素晴らしい救済”の理想形だと思います」

「理想形……?」

カザキは眉をひそめて問うた。オリフィアが語る”救済”という言葉の意味などは既に理解済みだったが、その行為に理想も何もないと彼は思っている。

だが、オリフィアからすればその疑問の方が不可思議なものだった。

「えぇ、理想の救済の在り方とも言えるでしょう。金陽様は女神レリフィアの現身とも言える存在、そんな尊き御方が携わった魔術で死に至れるのなら、救済される者にとって至上の喜びとなります」

「はぁ。それも勝手な考えに過ぎないと思いますが、あなたが言うならそうなんでしょう。あなたの中だけでは」

呆れたように肩を竦めるカザキだが、そんな彼に対してオリフィアは微笑みを浮かべたままである。オリフィアはその微笑みと柔らかい声色で、同情する様に言葉を投げ掛けた。

「可哀想に、女神レリフィアの教えに気付けないとは。それと、忠告遅れましたが、あなたは背後にも気を配るべきですね」

オリフィアが微笑みを浮かべたままそう言った後、カザキの背後から鈍い悲鳴が聞こえてきた。振り返ると、そこにはあまりの痛みに膝を付いているトバラの姿があった。

「生成までの時間稼ぎ、感謝します」

そう述べるオリフィアは金の瞳を微かに開き、にんまりと口角を上げた。

 トバラの背中には黄金の十字架が深々と斜めに刺さっており、その鋭い先端は彼女の脇腹から突き抜けている。十字架を抜かない限り出血は少ないものの、その状態でも肉体には負担が大きいものだった。

咳き込む様に痰混じりの血を吐き、肩で大きく良きをするトバラにカザキは駆け寄ろうとした。しかし、それは彼女自身によって拒絶される。

「来ないで!」

腹部を負傷していながらも大きな声を出したせいか、少し咳き込んでしまった。

程なくして、トバラがくぐもった声でカザキに告げた。

「私は良いから、戦って。大丈夫、だから」

「しかし―――」

「この程度、私の頭に対処法が載っているわ……」

そう言って笑って見せたが、カザキには一抹の不安が残る。だがそんな事などお構いなしに、オリフィアは次の攻撃準備を始めた。

 彼女の上空で黄金の球体がぐねぐねとうねりながら肥大化し、それは段々と形を整えられていく。それは一昨日レジストリアでナディータが作り出した巨大な十字架と同じもので、恐らくはオリフィアから真似たのがナディータなのだろう。

 カザキが再び正面を向いた時には既に形成が完了しており、オリフィアは余裕を取り戻したのか微笑んでいる。その微笑みに対して、カザキは名状しがたい嫌悪感を抱いていた。

そしてカザキは、オリフィアに向かって丁寧な言葉を使う事を止めた。

「宣教師、こくごんという言葉を知っているか?」

というカザキの問いかけに、オリフィアは無言で返した。

「フン。こちらの文化や伝承には疎いだろうから教えてやろう」

そう言いながらカザキは右手に巨大な炎の手を生成させた。そしてその手をぐんと伸ばし、オリフィアが上空に生成した十字架を強く掴んだ。

十字架を掴まれた瞬間、オリフィアはカザキの目的に気付く。十字架を溶かし、ただの金塊にするつもりなのだ。

オリフィアにとって信仰の象徴、自分の存在を肯定する存在としてある黄金の十字架。それが今、物理的に破壊されようとしている。オリフィア自身が言葉を発さずとも、余裕のない表情で黄金の瞳は揺らいでいるのを見れば、彼女の精神状態も窺える。

じわじわと溶けていく黄金の表面を固めようと躍起になるオリフィアだが、彼女自身の精神状態を模る黄金の十字架は段々と歪な形へ変わっていった。それに対し、カザキは力強い語気と共に火の勢いは増していった。

「火剋金、それ即ち火は黄金を打ち滅ぼすという理。つまり!今の俺の前にお前は無力であるという事だ!!」

その言葉が続けられるにつれ、轟々と燃え滾る炎は段々と赤く染まっている。そして、十字架そのものが悲鳴を上げている様な高音で捻じ曲がっていき、やがて黄金の雫を垂れ流しながら地面に落下した。

 十字架が崩れ落ちたと同時に、オリフィアは地面に座り込んだ。彼女はそのまま頭を項垂れ、誇りと信心をねじ伏せられた事に対して沸き起こる様々な感情に身を震わせた。

そんなオリフィアに向け、カザキは未だ炎が燃え盛る右手をゆっくりと振り下ろす。彼の顔に憐憫の欠片もなく、かと言って憎悪する感情が起こる事も無かった。

彼の右手がゆっくりと降ろされるのと同様に、時計塔の針もまたゆっくりと進んでいる。そして―――。


ゴォ―ン、ゴォ――ン。


 夕暮れを伝える鐘が響き、カザキが右手の火を消した。これまで上空から静観していた金陽はオリフィアの許まで舞い降り、声を掛ける。

「オリフィア。帰りますの、祈りの時間が始まりますの」

「は、はい。分かっています……」

と、狼狽え気味にオリフィアは返事をした。そんな様子を見かねてか、ヒラヒラとした黒いチュール生地で彼女を包み込む。そして金陽が小さく呟いたかと思えば、オリフィアは瞼を閉じて眠息を立てている。

 金陽は眠ったオリフィアを抱きかかえ、カザキらの方を一瞥だけして飛び立った。

その場に残されたカザキとトバラだが、二体一とは言えかなり疲弊している。特にトバラは足と腹部に刺さった鋭い十字架による負傷が酷く、生きている事が奇跡だと言えるだろう。

彼女の豊富な知識を基に行われた応急処置は薄れる意識の中でどうにか完了したらしく、カザキが振り向き見た時には寝息を立てていた。眠る彼女の顔はどこか誇らしげで、どこか達成感に見た溢れていた。

 そんなトバラの姿に安心すると、途端に全身の力が抜けた。カザキ自身も魔術行使による疲労感が凄まじいものの、地面に座って喉元の咽喉マイクに手を添える程度の余力はあった。

「ヤキリ。いるか」

ボソボソとした声量ではあるものの、その為の咽喉マイクである。

カザキの発信からものの数秒で返事が返って来た。

「カザキ!暫く通信が途絶えてたけど大丈夫か!?すぐに座標を言ってくれ、弟たちに向かわせるから!」

「あぁ、そうだな。座標は通信機で……俺よりトバラ先輩が危ないから、早く向かわせてくれ」

「勿論だ!お前も意識をしっかり保てよ!わかったな!!」

そう言い続けるヤキリの声を遠くに聞きながら、カザキは空を見上げた。橙色の空に浮かぶ淡い暖色の雲、それから地面に散らばる溶けた黄金。空の色は先程まで自分が生成していた炎とはまた違った色味ではあるが、すぐさま先程の感覚が呼び起こされる程の素晴らしい夕焼け空だ。

 何故あの時オリフィアを炎で焼かなかったのか、カザキ自身は結論を出す気などなかった。なぜなら、その答えは考えるまでもなく浮かんだからである。

「……情、か」

そう言いながらトバラの方をふと見やる。口許は小さく開き、腹部が上下に動いているところを見ると、彼女が生きている実感が湧く。カザキがトバラに対して特別な感情を持っていないものの、彼女にはまだ返せていない恩がある。

 ヤキリも交え学生時代から学術的な知識や過去のあらゆる文献、隣国での研究結果等を見聞きすればすぐに意見交換を行っていた。それによって自身の研鑽を積み、今でもその知識は役に立っている。

 情に厚いカザキからすれば、あのまま自身の感情のままオリフィアを焼き殺し、ヤキリへの救援が遅れてトバラを失う結果は避けたい。今回は運よく止めるきっかけとしてあの鐘の音が聞こえたものの、それが無くとも止められたのかという問いには否定出来ない。

 しかし、現実に導き出た結果としては十分なものだ。やや運に左右された場面もあったが、概ね成功と言って良いだろうとカザキは思っている。

そして、更に状況を好転させるようにカザキらの一人の女性が歩み寄ってくる。警護組織の副官であるヴォルツだ。

ヴォルツはカザキとトバラを交互に見やり、まだ意識のあるカザキの方へ声を掛ける。

「無幻結社の者ですね。そちらの方はかなりの重傷と見えますが、お仲間に伝達は成されていますか?」

「あぁ、今救援を待っている。何か御用でも?」

「……大した事ではありませんが、無空様から”一日一回だけ誰かを救う為に魔術を使って”と言われているので、それをここで使おうかと思いまして」

「ふむ、実に興味深い臨床試験だな。何かしらを無効化させる魔術を人間が行使した場合、どの程度まで無かった事に出来るのか。全く以て興味深い内容だ」

と、段々薄れていく意識を保つため饒舌になっているカザキだが、その意見を同意と判断したヴォルツはトバラの前に膝を付いた。

そして、彼女の腹部に手を添えてこう呟く。

「無空様の名の下に」

それから程なくして、ヴォルツはすっと立ち上がりそのまま歩き去ろうとした。しかしそれをカザキは止め、真剣な声色で問い掛けた。

「待て、何をしたかだけでも教えて行け。治療の優先度に関わる」

「……専門的な医学知識はありませんが、見たところ背後からの攻撃をされているようだと分かりました。であれば、内臓に大きな損傷がある可能性が高く、今のチョウ帝国の医療技術で内臓器官の完治が見込めるとは思えません。なので、彼女にという魔術を行使しました」

落ち着いた口調で語られたその言葉は医療に関する観点ではなく、戦闘時における技術の中での結果論として語られるようなものに近い。

明確な答えを得られるとは思っていなかったカザキは、やや驚きはしたもののきちんと礼を述べた。

「そうか、ありがとう」

「いえ。これも責務ですから」

そう言ってヴォルツが歩き去ったあと、再び静寂が訪れる事となる。

それから暫く経った後、Y.lb_050からY.lb_055までの六体がカザキらを発見した。その時にはカザキも眠っていたが、どちらも命に別状はない。

 まるで彼らを労う様に街道の石畳には、熱を帯びた黄金の雫たちは暗くなりつつある夕陽に照らされ輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る