「提案」

 夜も更けた頃、メリルの家にワンドが訪ねた。突然の来訪だったが、メリルはさして驚きはしなかった。

「ワンドじゃない、どうしたの?」

「ウォーマーさんから回覧板。『木洩』という天使様が怪我や病気の治療してくれたり、魔術を使わせてくれるらしい」

そう言ってワンドはメリルに回覧板を手渡す。受け取ってすぐ、メリルは挟まっている文書に目を通した。

「へぇ、他の組織に食糧供給をするんだね」

と、小さく呟く。

「そうみたいだ。戦わない代わりにってウォーマーさんらしいや」

「突然戦えって言われても無理だもんね。私もたぶん同じ事しちゃうなぁ」

そう言って考えるような素振りを見せるメリル。程なくして、ワンドにこう提案する。

「ねぇ、次はジョートくんの家だから一緒に持って行かない?」

「いいよ。こういう連絡は早い方が良いし」

ワンドが快諾したのはメリルの提案を期待していたからだろう。内心浮かれているのは言うまでもない。

 メリルは回覧板にサインした後、家の中に向かって声を張る。

「おばあちゃーん!ちょっとワンドとジョートくんの家行ってくるねー!」

程なくして、離れたところから返事が返ってきた。

「はいはい、気を付けていってくるんだよー!」

「はーい!」

と、メリルは大きな声で返事をする。それからワンドの方へ向き直って言う。

「お待たせ、行こうか!」

「あぁ」

 そうして二人は薄暗い道を歩き出す。二人の頭上には真っ白な満月が浮かんでおり、満月を囲むようにぽつぽつと星が輝いていた。

「……今日は満月か」

と、ワンドが呟くとメリルは空を見上げる。

「わぁ、ほんとだ!綺麗だね!」

そう言いながらメリルは眩しいくらいの微笑みを向けた。それに釣られてか、ワンドも自然と笑顔になった。

「あぁ。綺麗だ」

ワンドのその言葉には複数の意味が込められているようだ。しかしそれは肝心なところに届かないらしい。

 星々の下でくるくると踊るように歩くメリルを見て、ワンドはここ暫くの騒動を忘れそうになっていた。もう少しこのままでいられたら、そんな淡い想いでメリルを見ているのだ。

 一方でメリルはというと、月も星々も綺麗で夜風が気持ちいいのが嬉しいらしい。ワンドも楽しそうにしている事も相まって、たまにこうして息抜きするのも良いなと呑気に思っていた。

 それぞれ絶妙なすれ違いをしているうちにジョートの家に着いてしまった。

玄関横の小さな鐘をワンドが鳴らすと、カランコロンと軽い音が静寂の中で響く。

「はーい!」

家の中から返事が聞こえてすぐに扉が開かれ、ジョートが顔を出した。

「メリルさんにワンドさん、こんばんは」

「やっほー」

と、軽く手を振るメリル。

「何か用事ですか?」

「うん、回覧板持ってきたよ。はいどうぞ」

そう言って持っていた回覧板をジョートに手渡した。

「どうも。他の組織に食……供給?」

「しょくりょう、だな」

と、ワンドが読みを教える。

「ありがとうございます。なるほど……で、こっちは天使様?」

「そうみたい。確かお名前は木洩もくせつ様で……」

と、メリルが思い出そうとしているところにワンドが付け加えた。

「植物を自在に操れる魔術が使えて、俺たちにもそれを使わせてくれるらしい」

「へぇ……植物を操れる?ってすごいですね」

ジョートが不思議そうにしていると、メリルがワンドに訊ねる。

「ねぇ、その魔術って私にも出来るかな?」

「出来るよ。その紙にも書いてある通り『木洩様の名の下に』って言った後、自分が植物をどうしたいか想像すれば───」

と、ワンドが説明している途中でメリルがこう宣言した。

「木洩様の名の下に!」

そしてメリル足元に小さな芽がいくつも生え、すぅっと茎が伸びた後に白い花が次々に咲く。ほんの数秒で何もなかった場所から自身の腰辺りまで生長した花々を見て、メリルは大喜びした。

「わぁー!すごい、すごいね!一瞬でお花が咲いた!!」

「本当だ!これが魔術、なんですか?」

実際に目にした事でジョートも興味を持ったらしい。碧い瞳をキラキラさせて白い花をよく観察している。

「そうみたい!あ、ごめんねジョートくん。家の前にお花咲かせちゃって」

「いえ、大丈夫です!……たぶん」

メリルが咲かせた花は玄関先に密集して生えており、決して邪魔にならない場所ではない。焦っているメリルとジョートにワンドが助言した。

「メリルが消そうと思えば消せると思う。だから大丈夫だ」

「そうなんだ!……えい!」

メリルの掛け声と同時に白い花々が緑の光となって弾け飛んだ。幻想的な光が散った後、ワンドが付け加えて説明する。

「あと、大小関わらず怪我も病気も治してくれるらしい。その時は呼べば来てくれるそうだ」

「へぇ……すごいですね」

と、ジョートが感心していると、メリルもそれに頷いて同意した。

「こんなに素敵なものを使わせて怪我くれて、その上怪我や病気も治してくれるなんて……とっても優しい天使様なんだね!」



 少年少女らが談笑している頃、ウォーマーは自宅で重苦しい静寂に身を置いていた。家にはウォーマーと木洩とヌイのジュリーがいるものの、聞こえるのは壁掛け時計の振り子が揺れる音くらいなものだ。

 ウォーマーと木洩の間に会話がないのは単に、彼が話し掛けていないからである。それ以上の理由はない。

木洩自身はこの状態を全く気にも留めていないらしく、ウォーマーの向かい側に着席したまま身動き一つせず微笑んでいる。時折思い出したかのように瞬きをする以外は人形と大差ない。

 あまり人間味が感じられない天使を相手に談笑、というのは無理な話だ。特に木洩のような存在では会話を弾ませるのは困難だろう。

木洩の本質に気づいていればいるほど溝が深まり、畏怖する。人間としての感覚を強く持っていればいる程、その傾向にあるようだ。

その為、傷心のウォーマーと木洩では相性があまりよろしくない。それは誰が見ても明らかな事実だろう。

 ふと、ウォーマーは自身の足に擦り寄る存在に気づく。唯一の家族であるジュリーだ。

ウォーマーと木洩の不安定な関係などお構いなし、という風にジュリーは顔を押し付けてくる。難しく考えたって仕方ないのだから自分に構え、とでも言いたげな仕草だ。

それを察してかウォーマーはジュリーの柔らかい毛並みを優しく撫で、悲し気な面持ちでこう呟いた。

「お前はいつも私に寄り添ってくれるな」

やっと構ってもらえて嬉しいのか、ジュリーは尻尾をパタパタと振って短く吠える。どうやらご機嫌な様子だ。

ジュリーの愛らしい仕草でウォーマーもやや和み、表情からは緊張の色がなくなっていた。

 心持ち軽くなった勢いでちらりと木洩を見たウォーマーだったが、すぐにそれを後悔した。

向かい側に座る木洩はただ何もせず、こちらをじっと見つめ続けていたのだ。

片目だけ見える薄黄緑の目からは表情が掴めず、何もかもが見透かされているよう。気味が悪い、そう思わずにいられなかった。

 暫く目を合わせていたにも関わらず、ウォーマーと木洩に会話はない。やがて、無言に耐えきれなくなったウォーマーが先に視線を外した。

外した先は当然ジュリーだ。不安そうな面持ちのウォーマーに首を傾げている。

 家族が帰らぬ人となった事、内戦やその先の事を憂いている彼の苦悩は穏やかではない。ただ、それを理由に自暴自棄になってはいけないと理解し、苦労しているのは自分だけではないと分かっている。

疲れきった顔でぎこちなく微かに笑って、祈るように呟いた。

「私の提案で……これ以上、誰も苦しまない事を願うよ」

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