幕間
「報告」
夕暮れに包まれる空の下、無幻結社の一室では二人の男女が待機していた。
片やカップに温かい茶を注ぎ、片や忙しなく室内を歩き回っている。
意味もなく右往左往する男、カザキに対して落ち着いた様子のトバラが声を掛ける。
「お茶が入ったけれど、飲まないの?」
穏やかなトバラと反して、カザキは絵に描いたように落ち着きがない様子だ。やや苛立ちを見せながらこう言った。
「大変ありがたいのですが、今は茶を飲んでる場合ではないのでいただけませんねぇ。えぇ、一大事ですので!」
言葉を荒げるカザキだが、それで動じるトバラではない。眉一つ動かさずカップに砂糖をたっぷり入れて溶かしている。
微かにジャリジャリと音が聞こえる程だ、相当甘いのだろう。
しかし、それを澄ました顔で一口飲んでこう言う。
「そうは言ってもね、私たちではどうしようもないでしょう?私たちの知るヤキリなら大丈夫よ」
カザキがここまで焦っているのにも理由がある。
というのも昨夜、二人の端末にヤキリから連絡が来ていたのだ。
ヤキリ:『出掛けてくるね!』
直接話す時はあれ程多くを語るヤキリだったが、メッセージとして言葉を送る時にはかなり短くなる。それも必要最低限の事しか書かない程に。
どこへ、いつ、誰と、『出掛けてくる』のか全く書かれていない。
簡潔と言えば聞こえは良いが、組織の長たる人物が今どこにいるとも知れないのは困る。今のように生死の境が曖昧な戦場ではなおの事。
特に示し合わせたわけではないが、トバラとカザキは偶然にも昼過ぎに結社へ訪れていた。
それから数時間余り、ここで待ちぼうけというわけだ。
「そもそも何をそんなに慌てているのかしら。きっといつも通り元気に帰ってくるわ」
というトバラの言葉に対し、カザキは冷静にこう言った。
「……ヤキリの安否が気掛かりなのではなく、ヤキリが何かしでかした損害がないか危惧しているんですよ。奴は今、自分の意志で計り知れない高火力を瞬時に引き起こせるんです。爆発の一つや二つ、いつ起こったっておかしくはないんですよ」
「そうは言ってもね、責任ある立場になったのだからあまり無茶はしない筈でしょう。それこそ学生時代のような爆発騒動で校則改定の嵐にはならないわ」
「それはどうでしょうか。ヤキリは好奇心が歩いているような奴ですよ、責任ある立場になったからこそ大爆発の一つや二つは起こすでしょう」
と、互いにヤキリを信頼しているからこその発言だ。しかし実際には爆発を起こしていないが、それに等しい無茶をしているのは確かである。
二人が議論しているところへ、まるでタイミングを見計らったかのように扉が開かれた。
そこには火晴とオサカの姿があったが、肝心のヤキリがいない。だが、よく目を凝らして見ると火晴の細腕にヤキリが引きずられていた。
状況がよく飲み込めていないトバラとカザキに声を掛けたのはオサカだった。
「おぉ、ちょうど良いところに。二人に報告しなければと思っていたところだ」
その声に反応して、ヤキリが引きずられたまま語り掛けてくる。
「あれ、カザキと先輩来てます?ただいまー!」
そう言いながら自分の存在を大きな身振りで知らせるヤキリ。傍から見れば駄々をこねる子供のような動きだが、当人は立派な成人男性である。
「暴れると危ない。動かないで」
と、火晴が冷静に忠告する。襟を掴んで運んでいる以上、無暗に動かれると足をぶつけてしまうからだろう。
「わかった」
火晴からの忠告を素直に受け入れたが、心なしかしょんぼりとしている。
そのまま火晴にずるずると引きずられ、いつも座っている定位置まで辿り着く。流石に椅子には自分で座るらしく、ふら付く足取りで立ち上がってすぐ椅子に凭れた。
「ふぅ。やっと着いた」
と、大きく息を吐く。
外傷はないのにかつてない程の疲労感を見せているヤキリに対し、初めに問いかけたのはカザキだ。
「大変お疲れな様子だが、どちらまでご旅行に?」
皮肉を込めた言い方をされ、ヤキリも相応の返答をした。
「うーん、ちょっと大地と友達になってきただけだよ?それ以上の事は何もないし良い事しか起こしてない。火晴の力をたくさん借りただけで……」
そう言いながらカザキから目線を反らして遠くを見る。それもその筈、火晴の魔術を膨大に行使したとなれば、戦闘を行ったと白状したも同義だ。
「なるほどなるほど、たくさんという事は余程熱く交流したんだろう。相手の安否が心配だな」
とわざとらしく頷くカザキ。それを訂正するようにヤキリは徐に立ち上がる。
「それは問題ない!ガドンさんや他のゴログ族の人々には傷一つ付けてないし、僕が言うのも癪だけど過去最高の和平関係が───」
そこまで語ったが、カザキの思惑に乗せられた事に気づいて言葉を止めた。しかし、言葉を止めるには少し遅かった。
ヤキリの背後には既にトバラが立っていたのだ。
「つまり、オサカさんと火晴を連れて社長自ら敵陣へ赴いたという事かしら?曖昧な連絡だけを残して?」
穏やかな口調で話しているが、言葉の節々からは冷たいものが感じられる。
トバラは後ろを振り向けないでいるヤキリの肩を掴み、ゆっくりと椅子に座らせた。それからゆっくりと語りだすが、肩に手を置いたままだ。
「まさか忘れてはいないでしょう?あなたが極めて重要な立場の人間であり、あなたの生死によって我々無幻結社の勝敗が決する事を。他の組織と違って戦闘経験なんて欠片もない者が多い以上、他の組織と交戦なんてとてもではないけど無理なの。
火は魔術としては有利なようだけど、使い方次第では容易に劣勢へと追い込まれるのだから。魔術の特性上、複数人での魔術行使が困難だからなおさらね。
加えて、内戦後のチョウ帝国にヤキリという科学者がいなくなってしまえば、向こう数百年……または永劫にあなたの分野は発展しないものと考えなさい。あなたの悲願は誰にも請け負えないんだから。それから───」
と、更に話を続けそうなトバラをオサカが止めた。
「まぁまぁ、その辺にしておきなさい。南西へ赴いたのは私がゴログ族と交流があるからであって、ヤキリも考えなしに訪問したのではない」
「それは勿論理解しています。私はこれ以上ヤキリが無茶しないよう、きちんとお話しただけです」
そして一呼吸置いてこう言う。
「ねぇ、ヤキリ?」
澄ました顔で言いつつも、ヤキリの肩に添えている手にはじわじわと力が入っている。ヤキリは自身の肩にかかる重い圧力をひしひしと感じてはいるが、こうして忠告してくれている事に対する感謝の方が強い。
例え背後の凍てつく視線に身が縮こまっていても、それはトバラなりの優しさなのだ。
「わかってくれたかしら?」
「……はい、以後気をつけます」
「あらそう。なら良いわ」
そう言ってトバラはヤキリの肩から手を放す。トバラからようやく解放されたと思っていた矢先、次に圧力を掛けてきたのはカザキだった。
「当然、旅先の土産話は聞かせてくれるんだろうな?」
「うぐ」
と、痛いところを突かれるヤキリ。そこにカザキは畳み掛ける。
「聞かせてくれるんだろうな?」
「それじゃあ、改めて報告します……」
そう言ってヤキリが椅子に座り直しつつ、机に真っ直ぐと向かった。それに合わせて三人も各々の定位置に着席する。
全員の視線が自分に定まったのを確認し、ヤキリは報告を始めた。
オサカと火晴を連れて南西のゴログ族集落へ赴き、話し合いではなく長同士の決闘で勝敗を決めた事。負傷者が出ないよう広場で十分に距離を取り、審判にはゴログ族の聡明な青年ブルッグスが立ち会って正々堂々と正面から戦った事。
そして族長ガドンとの激闘の末、ヤキリが勝利し同盟を結んだ事。
一同が静かに聞いている理路整然した報告は結びまで来た。
「最後に実戦で魔術を行使した事で気づいたんだけど───」
と、そこまで言って言葉を溜めた。
「かなり疲れる!何て表現したら良いのか分からないけれど、とにかく疲弊するんだよ!!」
未知の疲労感に悪態をついている訳ではなく、歴とした事実として情報共有の為に語気を強めているのだ。
とは言え、語彙が足りないのだろう。とにかく『疲れる』という部分に力を入れている。
これに対して苦言を呈したのは火晴だ。
「これまでの実験の比ではない高純度な火力を生成し制御した。疲れて当然」
「勿論分かってるつもりだよ。でもこんなに歩けなくなる程とは思ってもみなかったね」
そう言って肩をすくめた。ヤキリの意見に賛同するようにオサカが口を開く。
「これまで実戦を行わなかったのだから致し方あるまいて。それにしてもガドンらが友好的だった事が幸いした、ヤキリもつくづく運が良いものだな」
「全くだ」
と呟いたのはカザキである。眉間に皺を寄せているのを見るに、想定外に突拍子もないヤキリの計画に思うところがあるようだ。
「あらゆる条件が噛み合い、正に運良く生還したようなものだ。本来ならば社長がこういった立ち回りをすべきではないが……」
「まぁ、よく言うじゃないか。結果良ければ全て良しってね!」
楽観的なヤキリらしく副社長の憂いを払い、揚々とこう宣言した。
「以上、報告終わり!解散!!」
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