栄光の研究

 チョウ帝国北東部の住居区域の一角にある科学研究所が立ち並ぶ地域の一際大きな施設。そこで日夜研究を行う帝国随一と謡われた知能を持つ研究者がいる。科学者の名はヤキリという。

 ソ皇帝が即位してからこの地域一角の研究者たちはチョウ帝国からの研究費が降りず、人体複製の権威であるヤキリだけはその功績があったからこそ現在も研究を続けられている。しかし、彼の研究はあくまで”自身の複製”を造り出すだけであり、他の分野の研究が滞るのはチョウ帝国の衰退と同意義とも言うべき事態である。

 そこでヤキリはせめてその研究を途絶えさせないよう『無幻結社』を立ち上げ、先人たちの研究の成果や文明を”幻として無に還さない”様に努めた。


 昼下がりの平穏な日。居住区域の一角にある一際大きな建物では炎の様に赤い髪をなびかせ、研究に力を入れている男がいる。彼の名はヤキリという。

今行っているのは、自身の複製体が繊細な動作が要求される命令にどう対応するか、複製体はどれ程の活動が可能であるか等の動作に関する試験だ。

 彼自身の複製体とはいえ、外見は彼とは少し異なっている。ヤキリと同じ端正な顔立ちに赤髪と橙色の瞳ではあるものの、複製体たちは彼の幼い頃の姿を模っている。

ヤキリの年齢は二十八歳だが複製体の外見年齢は十歳前後で、彼と違って表情の変化は一切感じられない。研究の良し悪しで泣き笑いが激しい彼とは雲泥の差だ。

 現在試験が行われている複製体の製造番号はY.lb-001。正式名称『Yakili.little brother - No,001』つまりはヤキリが制作した複製体で初めて人型を保った複製体である。そこから始まり現在はY.lb-062を制作中だ。

今からY.lb-001は現在どれ程の肉体運動を可能であるか、前回の記録より劣っていないかなどを検査する事も兼ねている。その為、広い空間に様々な回避方法が要求される障害物があり、道も一本道ではない。

ゴールはヤキリが立っている場所で、全ての複製体は彼の居場所が内蔵された探知機能によって把握する事ができる。

 試験場となるこの空間にあるカメラの全てがY.lb-001を捉えるよう設定し、少し離れたスタート地点にいるY.lb-001へ対Y.lb専用通信機で声を掛ける。

「よーし、001番。そのまま障害物を飛び越えて僕の所まで走って来るんだ!」

「はい、お兄様」

と、淡白な声でY.lb-001が返事をしたかと思うと、外見からは想像もつかない身体能力で障害物を避け、一定の速度を保ってヤキリの方へ走っている。

網の潜り抜けや通気口の様な細い通路もお手の物、小柄な体型を感じさせない動きで崖の様に立ちはだかる壁も走る勢いで飛び越えた。そして着地した先にはヤキリが立っていた。

 普通の速度で走り寄るY.lb-001をヤキリは楽しそうに両手を広げて待ち構え、抱きしめた。そしてすぐに離れたかと思うと肩を強く握り、やや興奮気味に語り始めた。

「001番!先程の走りは実に素晴らしい、とても興味深いものだった!特にあの通気口を通っている時の合理的な動作、減速させない為の規則的な動作、分岐点で僕への距離が最も近い方角を選んだ判断力!どれも素晴らしい結果だったよ。それにあそこの―――」

と、まだ語り続けながらも大きく動かしている身振りと、それと連動している様によく動く表情筋で、雑誌や報道番組で語られる”知的で端正な顔立ちの研究者”という世間の印象は完全に崩れるだろう。とはいえ、この空間へ入れるのはヤキリと彼の複製体たち、そして彼の数少ない研究員仲間ぐらいである。その人物らには彼のこういった側面はただの日常風景だ。

 現にヤキリがY.lb-001をべた褒めしているこの瞬間もビデオ通話中である。通話相手はヤキリと学生時代からお互いの構想をぶつけ合った良き友人、カザキである。

白い無機質な壁に映し出されている男性は、ヤキリとは対照的に深海の様に深い青色の滑らかな短髪で、シンプルな銀縁眼鏡の奥には三白眼気味の黒目を持っている。

 彼にとって現在のヤキリの行動はヤキリ自身の呼吸に等しい現象だと認識しており、モニターの向こうで終わるまでカヒーを飲んでいた。

あと数分は続くだろうと思われていたヤキリのだが、カザキがカップを置く音で話は止んだ。あれ程語り続けていたものを突然止めるのは奇妙だ、と思われるかもしれないが、これにはある重要な理由がある。

 Y.lb-001から離れ歩き始めたヤキリは、壁に写されている友人の前で立ち止まりにんまりと笑った。通話に使われるカメラは映し出された映像の裏側に備わっており、通話相手から見れば定点の監視カメラの様な視点になる。

しかし、身振りが大きい上によく動き回るヤキリを写すには丁度良いものであり、彼の声は無線式ヘッドセットから届けられるという仕組みだ。

 ヤキリは上機嫌に両手を広げて、待ちかねているカザキに向かって語り掛ける。

「やぁ、カザキ!さっきの見てくれたかい、僕の001番が的確に障害物を避けていくところを!実に素晴らしいだろう!」

「あぁ、見ていたとも。お前の大好きな複製体が活躍している間にカヒーを淹れられた事だしな」

と言いつつ、カザキは傍らのカヒーをまた一口飲んだ。それを聞いたヤキリは憤慨し眉間に少し皺を寄せた。

「おいおい、それは見てるって言わないだろう!ちゃんと見ててくれないと困るんだが!」

「それは一体誰が困るのだろうなぁ、俺には検討もつかないが?」

「僕に決まってるだろう!」

「ならば良いじゃないか。勝手に困っていろ」

と、明るい声のヤキリとは正反対にカザキの低く落ち着いた声で語る。そしてヤキリはやれやれと呆れる様な身振りをしながら言った。

「酷いなぁ。あ、そういえばようやく通話に応答してくれたんだね、随分待ったよ!」

「待ったのはこちらも同じの筈だが……」

カザキはそう言って少し間を置いて話を続けた。

「優秀なお前と違って四六時中大好きな研究を続けられないのでな、生活費の為に昼間は労働に勤しんでいるのだよ」

そう語ったカザキが専門とする分野は電子工学の一端であり、ほぼ全てのチョウ帝国民が所持している電子端末と同程度の機能を持つ端末機器を開発していたのだが、研究費が打ち切られてしまってからは続けられずにいたのだ。

そんな事とは無関係なヤキリは飄々とした声で友を褒めた。

「へぇ、御立派だね!」

「どうだかな。しかし、お前からのコール履歴は五回あり六回目で俺は取ったのだが、通話を開始した時お前はカメラの前に居なかった。そしてようやく現れたかと思えば複製体を連れて動作の定期試験を始めただろう」

「あぁ、まぁね。僕にとって弟たちの定期試験の時間の方が何よりも大事だし」

「ほう。それほど重要ではない用事なら俺じゃなくて良いだろう、今日ならトバラ先輩辺りは暇だろうよ」

と言って切ろうとしたところをヤキリが大きく拒絶する。

「いや、トバラ先輩はダメだって!話し出したら止まらないんだってあの人!あと僕の弟たちを解剖しようとしたり、拉致したりするんだぞ!」

等と語られるトバラと呼ばれている女性は二人の先輩で、一つにのめり込んで研究するヤキリと様々な知識を幅広く修得したカザキを足した様な人物である。広く深く蓄えられたその知識量は、学生時代では教師に恐れられていた。

 現在は深い緑の髪と珍しい灰色の目を持つ知的な淑女の様な外見だが、自身の専門分野である機械人形等に関する話題を振ると相手の頭を破裂させんばかりに語りだす。

 ヤキリの鬼気迫る説得でカザキは通話を切らなかった。半ば同情しつつ話を戻す事にした。

「それで、一体何の用事だ?」

「僕、結社を立ち上げようかと思ってるんだ。今日はそれの誘い」

と、まるで自販機行くけど一緒に来るかとでも言う様な軽さで言われた。

「はぁ?」

「いやだからさ、あの皇帝が作った法でカザキも含めて多くの学者が研究を思う様に続けられてないじゃないか。このままじゃ良くないし、僕の研究費を結社へ寄付して社員に給料として支給したら良いんじゃないかなと思って!この国は足りていない物で溢れ返っているのに、僕の研究だけ優遇するっていう皇帝の意図も癪だし。

そこでとりあえずは少人数から初めてみようかなって。だからまずは親友であるカザキにって思って連絡したというわけ」

と、ヤキリの計画は淡々と語られた。軽い気持ちで聞いた話が思いの外規模が大きく、カザキは暫く理解が追い付かなかった。

少し考える仕草をしたカザキだが、やがて口を開いてこう訊ねた。

「つまり、お前が考えたその都合の良い組織に俺を勧誘し、皇帝へのささやかな反逆に加担させようっていう認識で間違いないだろうか」

「正解!さすがはカザキ!」

と言い、全身で丸を表現する。オーバーリアクションではあるが、カザキが見ている画面からはあまり大げさには見えない。

そしてカザキは自分の意思を語る。

「ちなみに俺は賛成だ、大いに賛成しよう。差し当たって、この組織の詳しい取り決めや加入の基準等も聞かせてくれ。人員を増やす前にその辺りを明確に―――」

「いや、そこまでは決めてない。僕自身、規則とかそういうのを守るの苦手だからね」

「それもそうか。お前のお陰で母校の校則も増えたし、寧ろそれで良いのかも知れんな。その辺りは俺が決めておくことにしよう」

と言いながら、彼の前に置かれているキーボードを手早く操作する。恐らく、議事録を残しておく為であろう。

「それじゃあ次、国からの研究費はどの程度のものか聞かせてくれ。特に限度額などは詳しく」

「研究費は決まった額を貰うんじゃなくて、僕が欲しいと言った額が送られるんだよね」

その言葉にカサギは驚愕を隠し切れなかった。途中までは動かしていた手を止め、数秒程瞬きもせずにカメラの向こうにいるヤキリを凝視した。

「……それは本当に事実か?」

「嘘付く意味ってある?」

「全くもって皆無だが、国から下りる費用がそれでは財政破綻にも等しかろうに」

「うん、だから一応ソ皇帝に直接謁見して聞いたんだよね。端末に録音してるけど聞く?」

そう言いながら彼は右手を白衣の横ポケットに入れ、何やら握っている様子だった。勘の鋭いカザキはやや疲れ気味な声色でこう言った。

「いや、頭が痛くなるから流すな」

「わかった」

と言い、ヤキリはポケットに入れていた手を抜き話を続けた。

「あと、僕の弟たちをソ皇帝が気に入ったとかでさ、030番から数えて十体を宮廷に貸し出している使用料金とかで限度額もなし!僕が金に無欲な男でほんとに良かったね、っていう感じ」

「そうか。いよいよあの皇帝の思考が読めなくなってきたな、爪の先程小さな羽虫の方がまだ賢そうだ」

「それは言えてるね。ほんとに好き勝手本能のまま生きてるっていう感じで、030番から039番に色んな機能を付けろって横暴な改造を要求されたし」

と言いながら憤慨している様子のヤキリ。幸か不幸か、彼の造り出した複製体はソ皇帝にとって好ましい姿をしており、愛玩用として迎え入れ常に侍らせているのだと言う。

 人間の労働を軽減させる為に造り出した彼らはあらゆる作業にも対応出来るように作るつもりでいたヤキリだが、この扱いには少し不満気ではあった。カザキは友であり同じ研究者として慎重に言葉を選んだ。

「何とも言えんな。実験の一環と言えば聞こえは良いが、ていの良い人質の様なものだ」

少し間を置き、語り続けた。

「しかし、そのお陰で人間が皇帝の玩具とならずに済んでいるのも事実だ。お前にとっては望んだ事に近しいものである事は間違いないな」

「そうだよ。だからそういうの全部が”幻の様に無かった事にさせない為に”僕の提案する『無幻結社』が成り立つんだ!」

そう言ってヤキリは踊りだす様に両手を広げた。楽し気に高笑いする彼をそのままに、カザキは思考を巡らせていた。

 まずは結社の予算から社員にどう配分させるか。この結社に加入する者のほとんどは数日前まで国から支給されていた事もあり、従来の規定をそのまま引用する方法でも可能ではある。しかしそれではヤキリ個人が求める研究費としてまかり通る額ではなくなってくるだろうとカザキは思った。

 いくら限度なく支給されるとしても突然その額の桁が増えれば不自然であり、財政を管理する役人が押し掛けないとも言えない。そこでカザキは、少なくとも始めのうちは精々五人程度を加入させて少しずつ額を上げようと考えた。

 ふと彼がモニターの映像を意識して見ると、ヤキリの姿は既にない。画面の端でY.lb-001が待機しているのを見るに、軽く席を外しているだけだろうと思ったカザキもカヒーを注ぎに席を立った。


 カザキの離席と行違う様にヤキリが戻ってきた。やや浮かれ気味な足取りで待機していたY.lb-001に語り始めた。当然ながらY.lb-001には会話に相槌を打つ機能など搭載されておらず、物言わぬ人形に向かって話している様なものだ。

それでも構わず語り続けるのは、単にヤキリが物事を語るのが好きであると同時にY.lb-001を始めとするを求めて姿を模った彼らに深い愛情を持っているからだ。

「僕はこれがとても良い事が起きると確信しているんだよ001番!得意な分野の研究に関しては天才的な頭脳を示す僕だけど、こういった事はあまり学ばなかった為に思考が深いところまで及ばなくてね。これもまぁ、適材適所というものなんだろう!」

などと、よく通る声で語られる言葉は、スピーカーから離れていたカザキにもよく聞こえている。ヤキリと通話すればいつもこの調子である為、ある種の定番とも言えるだろう。

 そしてヤキリはそのままの声の抑揚で次々に語りだし、カザキが温かいカヒーを片手に着席する時には信じ難い事を口にした。

「そこで僕は善は急げと思ってあらゆる分野の研究仲間にメッセージを一斉送信してきたんだよ!少し気が進まないけどトバラ先輩にも送信したし、れんこうじゅつの復元と科学化を研究してるオサカさんだって必要だから送信してきたさ!」

と指折り数えながら声高に名前を上げていく。次々に上げられていく者たちの何れも重要な立場にいる研究者や学者ではあるものの、カザキが想定していた初期人数の定員を大きく上回っている。

 ヤキリが彼ら彼女らに何と言って勧誘したのかは定かではないが、カザキの負担は大きい物である事に変わりなかった。やがて、壁に映し出されている頭を抱えたカザキの姿に気づいたヤキリは名前を挙げるのをやめ、今日だけで悩みを多く抱えた親友の方を向き話し掛けた。

「おっ、カザキー!さっきまでの聞いてただろう?そういう事だから、お互い頑張ろうなー!」

と、大きく手を振るヤキリだったが、カザキには唸るような声で力なく返事するしかなかった。彼の半ば強引な行動には振り回され慣れていたと思っていたものの、それは過信であると気付かされる。

 しかし、チョウ帝国がこのまま滅びゆく様を実感しつつ絶望を背負い生きるくらいなら、多少の無理を押してでも生きる意義と未来を求めた方が有意義である事は明白である。カザキにとって後者の道を選ばないのはソ皇帝とほぼ同格とも言える愚行で、知識ある者としてそれだけは避けなければという使命感がある。

それに気付くと同時に、彼はこれから取り掛かる作業の為に気持ちを切り替えた。その為にはまずビデオ通話を切断しなければならない。

 カザキは重い唇を開き、ヤキリに声を掛ける。

「……それじゃあ、これから諸々の規定やらを決めてくる。完成したら纏めて送信するから、必ず全てに目を通してくれ」

「わかった」

と、呑気にも手を軽く挙げて答える。その返事から少し間を置いて、カザキは真っ直ぐヤキリを見据えて言う。


「頼んだぞ、


そう言われて一瞬きょとんとしたヤキリだったが、すぐに凛々しい表情を作り対抗する様に答える。


「お前もな、


お互いに不敵な笑みを浮かべ、笑い声を上げ終えたところで通話は終了した。

 こうして、あまりにも急ではあるもののささやかな反逆組織として『無幻結社』はここに設立された。



開戦まであと二日。

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