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人々が苦しい労働に耐え、一晩が経った。チョウ帝国には今日も当たり前の様に陽は昇り、心地よい風が吹き抜ける丘や草原の瑞々しい草花を鮮やかに見せた。
そしてチョウ帝国南東で壁に囲まれたこの集落に点在する畑の作物たちもまた、収穫される時を今か今かと待ち構えている。
そんな爽やかな早朝だが、そこに住まう人々は暗い表情をしている。人々はこのたった七日間で失ったものがチョウ帝国内で最も多く、今までの暮らしが遠い過去であるかの錯覚を起こす者もいる程だ。
この絶望に溢れる中で希望を見出すとすれば、今日行われるソ皇帝の演説で法が改定され条件が良くなる事だけだ。しかし、これからの暮らしが今までと同程度のものになったとしても、集落の半数が治療が望めない感染症によって非業の死を遂げた事に変わりはなく、それを救えなかった虚無感は消える事もないだろう。
そして、その暗く悲しみに満ちた感情を抱えたまま、ウォーマーを始めとするこの集落の人々は今日も働く他ない。ゴログ族の様に計画的に働けるのならそうしただろうが、鉱山で得られる宝石を納める事と個々人で行っている畑や家畜からの収穫物を納める事はやり方が大きく異なっている。
その為、今日のソ皇帝による演説は聞けないだろうと思っていたものの、幸か不幸か演説開始の数十分程前から局所的な大雨が降り始めた。大粒で勢いの強い雨で地面は
そしてその間に丁度良いとして、電子モニターや電子端末でソ皇帝の演説を見る事にした。図らずしも集落のほぼ全員が、である。
ウォーマーは自宅の電子モニターから、ジョートは自室のラジオを用いて。メリルとワンドとペトラは厨房でパンを作っている片手間に、ワンドの電子端末から拝聴する事となった。
それぞれソ皇帝に対して思う所は多々あるのだが、今日の演説で改められた法を撤回または改善されるだろうと希望的に捉えていた。勿論、最悪な事態も容易に想像出来るが、それではこれまでを生き延びた意味がない。苦しみながら生きるよりは愛する者と共に焼かれてしまった方が幸福だろうと思うものも多い。
その中でもウォーマーが抱えた感情はとても根深いものだった。今朝もあの日から日課となった墓参りに行き、一日にする事を墓標に向かって語り掛けていた。
「やぁ、カーチェ。そしてザック。今日もどうにか朝を迎えられたよ」
そう言いながら墓標の正面にしゃがみ込む。チョウ帝国では土葬が一般的である為、形だけでもと木箱に入れられた二人分の骨は墓標直下の地中に埋まっている。
悲しみ疲れた顔を浮かべるウォーマーだが、それを払い除ける様に穏やかな声色で話す。
「今日はあの皇帝が噴水広場で演説を行うらしいけど、見れるかどうか怪しいね。きっと今日もお役人が農作物を回収にやってくるだろうし……」
そう言って俯いたまま言葉を続けた。
「でも悲しんでばかりもいられない。あれから感染者は随分減ったし、みんなで協力してどうにか食べていられる。今はそれで精一杯なんだ、精一杯なんだよ」
溢れそうな感情を押し込める様に自分を言い聞かせた。暫く沈黙が続いた後、ウォーマーはゆっくりと立ち上がりこう言った。
「それじゃあ、行ってくる。また夕方に来るから」
そして墓地を去ったウォーマーは寂しげな足取りで自分の農場へ向かった。
訪問医が感染者から採取した細胞を調べると、幸か不幸かこれに感染するのは人間だけである可能性が高いという結果が出た。その為、家畜や農作物には被害がほぼ無いと判明し、集落までその知らせが届いたのは昨日の夕方の事だった。
何もかもが後出しとなっているこの状況で、無事に次の朝を迎えられた事は何よりも喜ばしい事となっている。たった数日の間に多くの死を間近で体験した者たちだからか、今までの価値観から変わってしまったのだろう。
まだ完全に感染を食い止められていない状況では、誰もが楽観的にいられるはずもなかった。
まるで人々の心を表す様に上空を厚い雨雲が覆い、やがて大粒の雨となって大地を濡らした。地上の悲しみを全て流し出すような土砂降りとなる頃には、皆家路に着いていた。しかし、全員の頭にあるのは大雨でも徴収されるのか、この天気で明日はどうなるのか、そして納めなければならないとすれば不作時の為に貯めていた作物から奪われるだろうという事。最悪な予想は一つ思いつけば百は浮かぶもので、暗く重い感情に苛まれる者も少なくはない。
そんな人々が気晴らしに求めたのはこれから行われるだろう、ソ皇帝による演説の中継だけだというのだから、何とも皮肉めいている。
自分以外に誰もいない家で一人、外の雨音に耳を傾けながら頬杖をつくジョートは、強い孤独と空虚さを感じていた。雑音混じりのラジオから聞こえる声で孤独感は幾らか紛れるものの、それでも少年が一人だけで過ごすにはこの家は広すぎた。
その同時刻、忙しなくパンを作っているメリルたちを静かに見守るペトラは、手助けする事も出来ない自分に不甲斐なさを痛感していた。目の前の二人を長らく見守って来た彼女からすれば、それぞれの考えも察しが付いているものの衰えた自分には助ける事も出来ないと分かっているのだ。
毎日生活を切り詰めて苦しい量を納めなければならないのも異常だと言うのに、こんな状況が何時まで続くか分からない絶望感は大きい物だった。しかしそれを物ともせず、日に日に生産量を増やしているメリルを止められない自分へ憤りを感じている。そして何より、メリルの求める”幸福”の姿に彼女自身は含まれていないと知っており、それに対して否定も訂正も出来ない自分を責めていた。
ふと、俯きがちなペトラに気づいたメリルは作業の手を緩め、優しく声を掛ける。
「おばあちゃん、具合悪いの?大丈夫?」
その言葉にハッとしたペトラは落ち着いた声色で返答する。
「あ、あぁ。大丈夫よ、ちょっとぼーっとしてただけ」
「そう?それなら良いんだけど……ツラかったら休んでて良いからね」
「ありがとう、メリル」
「うん」
そうしてメリルは再び作業に戻った。
一方その頃、ウォーマーはジェリーの待つ我が家へ着き、濡れた髪や服を拭っていた。ジェリーいつもより早く主人が帰って来た事を純粋に喜び、尻尾を左右に素早く振っている。上機嫌のジェリーはウォーマーの膝辺りをじゃれる様に擦りつき、洗面所だろうが台所だろうが何処へでも付いて行った。
そして、ウォーマーが家事を一通り済ませた頃、今日行われているという演説の事を思い出した。考え過ぎではあるだろうが、もし朝方に墓標の下に眠る二人へ語り掛けた時の事が天に聞き届けられたとすれば、これを好機と捉えなければいけない様な気がしていた。
リビングの壁際に置かれる電子モニターの前に座り、そのすぐ横にジェリーが伏せた。やがてモニターに映し出されたのは、豪華に飾り立てられた舞台だ。まるで神に捧げる供物かの様に絢爛たる装飾を見たウォーマーに嫌な予感が走る。
『もしかするとソ皇帝は、悪い意味で我々国民の想像を絶するほどの存在なのではなかろうか』
そして、何処からともなく奏でられる音楽を聴いた事で群衆の騒めきが強くなった頃、舞台の
こうして農産業地域の者たちはソ皇帝の演説を見た。
開戦まであと数刻。
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