始まり

開幕

 チョウ帝国の中心にある厳かな宮廷。かつては賢帝と謳われたセ皇帝が行政を執り仕切っていた玉座に座る者はなく、ただただ綺麗な椅子と化していた。

というのも、新しく即位したソ皇帝は歴代随一と言える程肥えており、玉座に座る事すら困難な程である。その為、行政は全てソ皇帝の自室で執り行われるようになり、そこへ各地方の状況や帝国民からの書状を伝える為に多くの臣下が出入りした。

 ちなみにソ皇帝の自室には、床の半分に敷き詰められた柔らかい布団と読まれた形跡のない書物。布団の端に置かれた低く長い文机と布団の奥を隠す様に天井から布が幾重も垂れている。それ以外の場所はほとんど食べ物や飲み物で埋め尽くされ、食べかけのまま放置されて傷んだものまである。

 極度な怠惰で傲慢なソ皇帝は、隣国であるレリフィア王国からの使者が出向いているにも関わらず謁見にすら応じず、レリフィア国王からの文書に目を通す事はなかった。その上、日常生活すらままならず、何をするにしても世話をする者が必要な程だ。

 それも先代のセ皇帝と女帝が晩年まで統治に尽力し、遅くに授かったソ皇帝を宮廷で何不自由なく暮らせるようにした事から始まる。世話は全て従者に任され、甘やかされ、勉学を始めねばならない頃には誰にも手を付けられない暴君となっていた。若かりし頃ならいざ知らず、老いてしまったセ皇帝には若さと勢いのある息子を止められなかった。

こうして精神的に幼児以下で知的能力も識字能力も低い上に、教養も何もない存在が育ってしまったのだ。

 そんなソ皇帝の自室へは世話係であり遊び相手となっているY.lb-030から数えて十体が日替わりで五体ずつ投入されており、充電が切れる寸前まで常に侍らせている。そして夜中にソ皇帝が眠った頃に回収し、新たに五体が投入されその間に複製体を回復させるといった現状だ。

 これにより損する事はほぼ皆無であり、これまで機嫌を悪くしがちだったソ皇帝が癇癪を起さずにいるだけで従者や臣下一同は助かっている。特に複製体という生身の肉体より遥かに丈夫な上に食事の必要がなく、ソ皇帝好みの容姿で彼の醜さに臆さない者を複数用意出来るのは奇跡にも等しい。

 複製体である彼らによって多くの従者は救われており、ソ皇帝へ食事させ入浴させ就寝させる等は全て彼らに任された。ヤキリの発明は確かに多くの人を救っている、それだけは揺るぎない事実だ。


「あーん」

と言い、口を大きく開けて食事が運ばれるのを待つソ皇帝。そこへ慣れた手つきで匙に掬った食事を口へ入れるY.lb-035。大きな口が閉じられると同時に匙を引き抜かれ、暫く咀嚼した後にソ皇帝は呟く。

「今日のはボク好みじゃないなぁ、作った奴は舌おかしいだろ」

と言いつつも食事を止める気はないらしく、再び口を開け運ばれるのを待った。そして先程と同じ数量の食事が的確に口へ入れられる。暫くはそれの繰り返しで、部屋にはもちゃもちゃと咀嚼している音が響く。

「よくこんな不味いもの作るよな、お前もそう思うだろ」

そう言いながら、自らの腹部に寄り添う様に座らされているY.lb-037の頭を軽く叩きながら声を掛ける。Y.lb-037は無機質な声でこう答える。

「はい、ソ皇帝陛下」

この機械的に決められた返答でもソ皇帝はとても機嫌を良くした。心なしか食事を噛む速度も速くなったような気もする。

そんな彼は珍しく今日は午前中から起きていた。

しかし、自分で今日の演説の日取りを決めた以上は守る事が至極当たり前であり、特段讃えられる事でもないが、日々の積み重ねから疲れ切っている従者たちはこれに感動を覚えた。

 ゆっくりとした朝食が済んだ後は、豪華な浴場で汗ばんだ肉体を綺麗にした。ソ皇帝の分厚い肉体を磨き上げるのには人間では力量が足りず、力の強い複製体が五体掛かりでどうにか清潔に出来る。今日は特にその清潔感は重要であったが、歩く度に顔に滲む脂汗のせいでそれも無駄に終わった。

 入浴を終えると、チョウ帝国随一と言われる呉服屋に特注で作らせていた着物へと着替える。着物のデザインはソ皇帝が行ったもので、派手さと豪華さを履き違えた代物となっている。現代風に言えば『最悪だね!』ボタンが数千回は押されるような出来栄えではあるが、ソ皇帝はとても気に入ったらしく肥えた腹部を大きく揺らして歓喜した。

「おぉ、スゴいじゃん!ボクが考えた通り最高の着物だ!お前らもそう思うだろ?」という喜びの声に答える様に、Y.lb-035、036、037、038、039は声を揃えてこう言った。

「はい、ソ皇帝陛下」


 こうして諸々の支度が済み、豪華な特設野外舞台の前には多くの帝国民が集まり、報道のカメラも多く配置されている。そこに集まる者たちや報道を通して参加する者たちの全てが自分の演説を心待ちにしている、という状況をソ皇帝はほくそ笑んだ。

 そして、豪快でいて優美な音色と共に重量感のある肢体を大きく揺らし、目にも毒々しい着物を見せ付けるように豪華な舞台へ登壇した。その姿を見てしまった人々の半分は思わず目を逸らす。しかしその様子をソ皇帝は肯定的に捉えており、自分があまりにも輝かしい為に直視出来ない愚民だと思っている。

 ご満悦な表情を浮かべ、ソ皇帝はスタンドマイクの前に立って暫く群衆を眺めていた。彼の目には貧しい者たちが惨めにも寄せ集まっている様に見えているのだろう、教養のある者なら口にしない言葉がまず飛び出した。

「よぉ、貧乏な愚民たち。ボクの最高に美しい晴れ舞台の為に集まったお前らは良い選択をした、愚民にしてはな」

言葉を選ばない直球な暴言にその場に集まった帝国民、舞台裏で聞いていた従者や臣下、様々な媒体で聴収している帝国民は耳を疑った。そしてこの言葉はただほんの語り出しに過ぎないものだ。

驚愕や憎悪を表情に表す者たちをしたり顔で眺め、安全な場所から語り続けた。

「でもお前ら愚民には感謝してるよ、お前らのみみっちい労働のお陰でボクは毎日幸せだ。こうして最高の舞台と最高の着物まで手に入った!」

と、声高々に感謝の言葉を並べたが、誰一人として世辞にも受け取れなかった。そんな民衆の感情などお構いなしに、ソ皇帝の減らず口は続く。

「ここまでしてもらったし、少しくらいは感謝しないと神サマから罰が当たるらしいからな。まぁ、神なんて信じちゃいないし存在しないけど!」

そう言って顔の脂肪を揺らして大笑いした。その醜い姿に全ての帝国民は気分を酷く害し、ソ皇帝の演説などには一握りの希望も託せないだろうと悟った。一頻り笑ったところで、ソ皇帝は懐から紙を取り出して少し見て、顔を上げ語り始めた。

「それで今日の話をバカな愚民でも分かるように纏めてやったぞ。まず最初にお前らの税収低すぎっていう事と、ボクを讃えてこの偉大さを書き残す役職が欲しい事。それから宮廷の飯が不味いから新しく料理人を募集してるっていう事、以上の全部で三つだ」

と言って、挙げられた内容はどれも国民が望んでいたものとは全く異なっており、どれも酷い内容である事は言うまでもない。この言葉を聞き、怒りに身を震わせる帝国民がいる中、ソ皇帝はお構いなしに語り続ける。

「まずはお前らの税収の話するぞ。とりあえずお前ら貧乏過ぎ!お陰でボクが欲しいものもあんまり買えないし、隣のあの国に色々負けてるし、ほんとダメな奴らだな!しかもあの忌々しい国王が賠償金だーって言って大金を毟り取ろうとしてくるし、みんなでボクを苛めてるのか?お前ら愚民もあの国王と繋がってるのか?違うだろ!お前らはボクのなんだ!命も財産も何もかも全てな!!」

そういった酷い宣言をしたが、帝国民並びにレリフィック教徒を中心としたレリフィア王国民にとって聞き捨てならない事を叫んでいた。レリフィア王国の国王がソ皇帝に対し、多額の賠償金を請求しているという点だ。

 とはいえ、その金額は不確かであろうと、なぜ請求されているかは容易に想像出来る。ソ皇帝の新しい法により、レリフィア王国民の命は何よりも軽いものとされ、どんなに惨い殺され方をされようが王国民が被害者である限り、罪は問われない事となっている。それを知ったレリフィア王国の国王は憤慨し、チョウ帝国に住まうレリフィア王国の国籍を持つ者たちの人権剥奪と命を軽んじる事の無いようにと通告した。

しかし、その通告を何度も無視して気が向くままに貪欲な日々を暮らし、返答せずにいた為にこの有様。当然の仕打ちとも言えるが、それで困るのはソ皇帝ではなくチョウ帝国に住まう全ての者たちだ。

 明らかに自分の考えなしな法と職務に対する怠慢とが招いた結果であるが、ソ皇帝はそう捉えていないらしい。全て悪いのは帝国民であるとでも言う様に、次の話を続ける。

「それで税収が少ない理由をボクなりに考えたんだけど、お前ら愚民どもがボクを敬ってないんじゃないかって気づいたんだ。このボクの偉大さを国中に広める人間が必要だと思ったわけ。お前らみたいな愚民に理解出来るかなぁ、この最高に良い提案と計画!お前らはあんな老い耄れを”賢帝”って言ってたみたいだけど、ほんとに賢いのはボクの方だとそろそろ理解した方が良いよ?」

と煽るように語り続け、いよいよ最後の話題となった。この薄っぺらい絶望的な演説は時間にして約十分で終わるようだが、聞く事しか出来ない人々にとってそれは数時間にも及ぶ拷問にふさわしかった。

「最後に、さっき飯食ってて思ったことを話すぞ。んで、やっぱり宮廷の飯は味がほんと最悪で、心優しいボクは毎日我慢して食べてるわけ。でもちゃんと美味しいものも食べたいから、今日までいた料理人を全員クビにして新しく集める事にした。腕に自信がある奴はこの後に宮廷門の前に集まれ。ボクの舌が認めた奴だけ料理人にしてやるぞ」

どうだ、光栄だろうとでも言う様に威張り散らすソ皇帝だが、民衆は嫌悪感からすぐにでもこの場を立ち去りたい者が大半であった。そして、今さっき解雇を宣言された宮廷料理人たちはあまりの衝撃に理解が追い付かず、その場で倒れたり発狂したりと地獄にも似た光景となっている。

 ようやく苦痛に満ちた拷問が終わると思っていた帝国民だが、ソ皇帝は最後にとんでもない爆弾を落としていくこととなった。

「あと、何日前か忘れたけど何時だったかにボクが作った偉大な法、あれ全部上手くいってるみたいだからそのまま続行な。異論がある奴は全員死刑だから、そこんとこよろしく」

と言って、ソ皇帝がマイクから離れた瞬間、民衆が空を指差して驚嘆の声を上げ始めた。ソ皇帝が彼らの示す方角を見るとそこに眩い光が現れ、余りの眩しさから民衆は目を覆った。それはソ皇帝も例外ではなく、膨れ上がった太い手を顔に押し当てる様にして覆った。

 やがて光が治まった頃、人々は舞台の上を見て驚き慄いた。そこには舞台の豪華さが霞むような美貌を持つ六体の天使が舞い降り、余りにも神々しい姿であるがゆえにあれ程厚かましい態度でいたソ皇帝はすっかり腰が抜けていた。

 六体の天使はそれぞれ端正な顔立ちであるが外見が大きく異なり、舞台向かって右から髪色が緑、青、銀、金、茶、赤の順に並び、それぞれの個性を表す様に背に生える翼も形が異なっている。共通点があるとすれば、淡い色をしたチョウ帝国の古い民族衣装を着ているところであろうか。

 そしてその天使たちの中心に立つ、白銀の瞳と同色の髪を肩の高さで切り揃えた天使が前に進み出た。横に細く長い耳と折りたたまれたやや長い純白の翼、半袖と膝下丈の裾が特徴の衣装に身を包んだ天使は無表情のまま淡白にこう告げる。


「神は皇帝に失望の意を示した。よって、次にこの国を統治する者を決する為に公平なる争いを開戦させる」


こうして、神によって仕組まれたチョウ帝国の全てを覆す内戦が始まった。

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