オリフィアの夢に尊き女神レリフィアが顕現してから五日が経過した。

あの日に教会の修道女や神父を全員集めて本堂で話し合いの席を設け、オリフィアが告げられた女神レリフィアの言葉を皆に広めた。そしてその言葉を全員の共通認識とし、自宅から教会へ通っている教徒たちへ広めた。


 暗い部屋に置かれた鏡台の前に座り、オリフィアは考える。あの時女神レリフィアは『五回目の朝日を浴びた後に力は与えられる』と言った。それはこれから迎える朝日から先の出来事の事だろう。しかし、本当にその通りになるのだろうか。あの尊き御声は自分の幻聴の類ではなかろうか。といった不安が日の出が近づくと共に押し寄せる。

 しかし、偶然にも今日はソ皇帝が噴水広場で何やら演説を行うという知らせはレリフィック教会にもきちんと届いた。わざわざが頑強な檻から出て来るというのだから、これ程の好機はないと思いこそしたものの、レリフィック教徒だと悟られればこちらに命の保証はないのだ。死なば諸共と言えば聞こえは良いが、多大な犠牲を以ってソ皇帝を救済したとして、その先の未来が安寧なものとは限らない。

その為、今回の演説は電子モニターに映る映像番組から見ようという取り決めとなった。

 オリフィアは様々な事を考え過ぎたせいか、鏡に映る彼女は表情が険しく硬くなっていた。両手で頬にしっかりと手を当て、解す様に手を色んな方向へ動かす。やがて求めていた形を見つけたのか、頬を捏ねる手を止めて鏡に映る自分を見た。

「えぇ、これぞ私。これでこそ私でいられる」

と言い、立ち上がった。

そして今日もまた、懺悔室で迷える教徒を救済の道へと誘うのだった。



 今日の懺悔による救済が終わり、本堂で行われた”朝の祈り”も滞りなく終わった。一度自室に戻っていたオリフィアが部屋から出たところでナディータと会った。どうやら部屋の扉の前で待っていたらしい。

「お早うございます、お姉様」

「おはよう、ナディータ」

その返答に少し顔が綻ぶナディータ。その優しい表情のまま、話は続けられた。

「お姉様がお聞きになった御告げの通りなら今日、これから何かが起こると思われます」

「えぇ。でもそれはきっと、とても素晴らしい事に違いありませんよ。身構えずとも良いでしょう」

「はい、私も同じように考えておりました」

等と微笑ましくも語らっているところへ、厳粛な面持ちのドレイトが二人に声を掛けた。

「ミス・オリフィアとミス・ナディータ。今日はこれから食堂で彼の皇帝の演説を聞く事になっています。お急ぎなさい」

「えぇ、存じております」

と、不機嫌そうな表情でナディータは則答した。自分がこれからオリフィアに言おうとしていた事を横取りしたドレイトは彼女の逆鱗に触れた。

そんな彼女を煽る様にドレイトは言葉を投げ掛けた。

「それならば早く食堂へ向かい給え。遅刻は厳禁だと日頃から言っているのは君だろう?」

「あら、まだ時間には余裕がありますのに?貴方にお姉様との大切な語らいを邪魔された事と合わせて気分がとても悪くなりましたわ」

「それはすまなかったな、それなら君は医務室で休んだらどうかね?ミス・オリフィアは私がエスコートしよう」

「そのお言葉だけで元気になれましたわ、大変感謝します。なので貴方はどうぞお一人で食堂へ向かって下さいまし」

「さすが若者は違うな、体調を気分で変えられて便利そうだ。是非ともこの老い耄れにもその元気を分けて欲しいものだな」

「あら、ご自分で老いているという自覚がおありだったのですか。それなら脳の老いにも早くお気付きになられた方がよろしいかと」

お互い一歩も引かぬ皮肉の言い合いを静かに見ていたオリフィアだったが、そろそろ潮時だと考えていた。オリフィアは怒りで肩を震わせているナディータを窘める様に呼び掛け、手を結ぶ。急に手を握られたナディータから怒りの感情は吹き飛び、耳まで赤らめ動揺して声が出せなかった。

ナディータがそうなる事は予想通りだったオリフィアは、ドレイトの方を向いてこう言った。

「それではドレイト神父、私たちは先に行っておりますので。ごゆっくりいらしてください」

そしてナディータを連れて足早に食堂の通路を進んだ。ほぼ思考停止状態の彼女は熱くなる頬に自らの手を添え、足を懸命に動かしている。

 彼女らが駆け足で去った後、ドレイトは背後から声を掛けられる。

「あららぁ、おヌイさんに逃げられちゃいましたねぇ。神父殿?」

「いやはや。ミス・オリフィアには敵わないものだ」

と言いつつ、ドレイトが振り返った先にいたのはサトだった。

「おんやぁ?私の言うおヌイさんが誰だか分かって言っているという事は、それを否定しないっていう事ですかぁ?」

首を傾け、ドレイトを斜め下から見上げる様な姿勢をしている彼女は、出会う者全てに鎌を掛けるのが好きらしく、常にこのような言動をしている。外見は大人びているとはいえ、まだ未成年の若輩者である彼女に感情的になるのはよろしくないとドレイトは冷静に返答した。

「いや、私が否定しないのは彼女が忠実であるという事だけだよ。ミス・サト」

「何それ。一番つまんないんですケド。何でそんな事言うんですかぁ、私泣いちゃいますよぉ?」

と言い、両手で顔を覆い、肩を小刻みに震わせた。その姿を見て、ドレイトは半ば呆れながらこう告げる。

「道化の真似事なら優しい大人から小銭を強請る時にでも使い給え。まぁ、それで貰えたとしても同情と憐憫の駄賃だろうがな」

と言われ、彼女は更に肩を揺らす。そしてばぁっと両手を開き、ドレイトに顔を見せた。そこにはにたにたと笑うサトの顔があった。

「なぁんて事言うんですか。私がもし泣いてたら怒られますよぉ?」

「ほう、興味深い。それは一体誰にかね?」

と、挑戦的な表情のドレイトへにんまりとした顔のサトはこう告げた。


「私のぉ、救済されたお父様とお母様。あと女神様にですよぉ」



 時は少し巻き戻り、オリフィアたちはドレイトから少し離れたところで歩調を緩めていた。まだ動揺しているナディータにオリフィアは優しく声を掛ける。

「急に連れ出したりしてごめんなさいね、ナディータ。でもあのままでは遅刻していたでしょう?」

そう言われたナディータは罪悪感からオリフィアの手を離し、伏し目がちに謝罪の言葉を並べた。

「はい、私があの男に構わなければよかったものを……お姉様の御厚意に甘えた結果になってしまい申し訳ございません」

と、ナディータは深々と頭を下げた。心の底から謝罪している彼女の頭をそっと撫で、オリフィアは心からの言葉を伝える。

「いいえ、私は貴方のあの時の行動や感情を責めてはいません。だからどうか顔を上げてほしいの」

その言葉を聞いたナディータは勢いよく頭を上げ、瞳を輝かせて返事をする。

「えぇ、分かりましたわ!お姉様!」

ナディータの愛らしい仕草に笑みが零れたオリフィアは、彼女に進むべき方角を示す。

「ふふふ、それでは行きましょうか」

「はい、お姉様」

そして二人は再び歩き出した。彼女らが食堂に付く頃、電子モニターではどこかの映像番組からの中継が流されていた。

 映像には急拵えにしては丈夫そうな舞台が用意されており、あのソ皇帝が登壇しても壊れない程度には頑丈に作られているのだろう。尤も、常に体重が増えつつある存在である事を鑑みるに、余裕で支えられる程の強度がなければ舞台を造った者の首が飛ぶのは誰もが分かっている事だ。

 オリフィアの存在に気づいた先に集合していた修道女や神父たちは彼女を一番良い席に招き、その席の一番近い席にナディータが座る事となった。二人が着席する頃にドレイトとサトがやって来た事で、レリフィック教会に住まう者たちが一堂に会し演説を静観する事となった。

 暫くして電子モニターに映る怠惰な肉塊を見た一同が醸し出した空気の冷たさは、言い表せない鋭さがあった。特に強く軽蔑していたのはナディータである。



こうしてレリフィック教の者たちはソ皇帝の演説を見た。

開戦まであと数刻。

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