反逆の少年

 チョウ帝国の北部に広がる住居区域に住む十八歳の青年は、日々を惰性で暮らしている両親や他の大人たちを嫌っていた。少年の名はカイトという。

 ソ皇帝が即位してから幾日かで両親は憔悴し、裕福と貧困の境にある家庭の育ちであったカイトは早々に学校を中退となった。今では両親名義で内職をしつつ、家事をこなしている。

 彼と同時期に中退となった生徒は少なくない。その為それほど疎外感は感じられないが、友人も全員仕事をしている為か早々に歳を取った様な気持ちにさせていた。



 どんよりとした重い空の下。布団に丸まって眠る少年は、少し癖のある黒髪の間から深い青色の瞳を覗かせた。アラームもなく日の出と共に起きたカイトは、電子端末を片手に布団からのそりと起き上がり重い足取りでキッチンへ向かった。

毎朝こうして起きてすぐにキッチンへ向かい、コップに一杯の水を飲んでから料理を始める。彼の両親が無気力に出勤の支度をしている間に、彼らの朝食を準備するのはカイトの役割だからだ。

 簡単でそれなりに栄養のあるものとして、パンに潰したトテポとスタレを挟んだものと牛乳を食卓に並べる。手を動かしつつ頭の中では『こんな事を死ぬまで続けなければならないのか、いや、それは嫌だ。しかしどうやって変える?』と言った問答が立て続けに行われる。

 そんな時に電子端末から軽い音が鳴る。恐らくチャットの着信音だろうとカイトは思った。昨夜は幼馴染のレイジやメイと電子空間でチャットしていたので、恐らくそれで送られてきたメッセージか何かである事は明白だった。

カイトが電子端末の方へ歩くと同時に両親が洗面所から順に出てきて、疲れた声で口々に挨拶をする。

「おはよう」

「カイトか、おはよう」

それにいつもの様に答えるカイト。

「あぁ。父さん、母さん。おはよう」

「いつもごめんなさいね、朝ご飯の支度……」

申し訳なさそうに食卓へ座る母親に対し、カイトは優しく笑いかけたつもりだ。

「良いんだよ母さん、今日も早いんだろ?」

「そうね。帰りは遅くなるかもしれないわ」

「わかった」

「あぁ。私も遅くなるかもしれない、夕食は先に済ませておきなさい」

「わかったよ父さん」

と言い会話が途切れ、微かな咀嚼音が耳を突く。静寂の中ではどんな音でも嫌に際立ってしまうものだ。電子端末と朝食を持って自分の席に着く。カイトは食べ始める前に先程届いたメッセージを確認する事にした。

 電子端末には予想通り、レイジからのメッセージが届いていた。昨夜、彼に何とはなしに相談していた事を思い出していた。


カイト:『どうやったらこの生活から抜け出せると思う?』

レイジ:『うーん……そいつは難しい質問だな』

カイト:『最近ずっとこればっかでさ』

    『朝起きるのが憂鬱なんだよ』

レイジ:『わからなくもない、みんな一緒さ』

カイト:『出た、便利な言葉』

レイジ:『でも他に言いようがないだろ?』

カイト:『まぁね』

レイジ:『いやなら自分で変えてみろよ』

カイト:『……具体的には?』

レイジ:『さぁ、それを考えてこそだろ!』

    『:)』


 カイトは先程送られてきたメッセージを見て少し気分が明るくなった。こんなにも希望が少ない世間で生きていながらも、レイジは変わらず陽気でいるという事。自分の漠然とした相談も流さずに聞いてくれる事。

カイトが何と返信しようか迷っていた頃には、彼の両親は出勤した後だった。あのが定められてから、両親による生活音がかなり減り足音もほとんど聞こえなくなった。それに合わせる様に、この家に住む十二歳の少女もとても静かになったものだ。現に栗毛色長い髪を揺らし、カイトの横から彼が見つめる電子端末をみどり色の瞳でじっと見つめているが、彼は一切気が付いていない。

少女の名はサキ。カイトの家族として共に暮らし始めて二年程になるが、カイトの両親とは会話をしたがらないが、口数は少ないもののカイトには普通に話しかける。しかし、彼女は根っからの悪戯好きなのだろうか、時々こうして驚かせて愉しんでいる。

「わっ!」

「うわぁぁぁぁ!!」

「ふふふ……」

と、口許に手を当てて小さく笑うその姿は可愛らしいのだが、カイトからすれば関係ないらしい。やや呆れた顔をしながらこう言った。

「お前なぁ……朝っぱらから驚かす事ないだろ。端末落とすかと思った……」

「でも落としてない」

「そういう事ではないのだよ、キミィ……」

「私には関係ない」

「へぇ、そうですかい」

そう言って立ち上がり、サキの分の朝食を食卓へ運んだ。既にサキは座っており、それから二人きりの朝食が始まった。食事中である二人の会話が弾む事などなく、電子モニターを起動させてニュースや映像番組を観るのは行儀が悪いと親に躾けられている。

ただ静かに時間だけが流れていった。


やがて二人が食べ終わり、カイトが食器を洗い終わった頃にサキが声を掛ける。

「今日はどうするの?」

「うーん、一つ候補はある」

「それって楽しい?」

「あぁ、とびっきり楽しくて愉しくて最高なやつだ」

「いいね、しよう」

「わかった。じゃあ行こうか」

と言って、カイトは席を立って自室に向かい、サキがその後を黙って付いて行く。

カイトの部屋は年相応に物が多く、色はモノトーンで統一されている。部屋の左側にはさっきまで寝ていた布団と衣服を収納する背の高い棚が置かれ、右側には本棚やクローゼット、勉強机や椅子等がある。そして勉強机の上には電子機器と電子モニターが二台置かれている。カイトは電子モニターと文字盤が置かれた机の前に座り、それを横から見るサキ。

彼が電子モニターを起動させると、暫くして透明感のある青色の画面が表示される。それから暫く彼が操作すると、一つのサイトが表示される。

黒い背景に蒼い文字。それは―――

「レジストリア……?」

少したどたどしい言葉使いで口に出すサキ。

「うん、そう。レジストリア」

「これでどうするの?」

「サキも仲間入りしないかと思って」

「何するの?」

「悪い奴を懲らしめるんだ!」

「……」

その言葉を聞いて、サキは明らかに不機嫌そうな顔をしている。これには彼女の本来の家族が関係してくる。

サキの家族はレリフィック教に入信したが彼女はその教えに共感出来ず、従弟であるカイトの家へ預けられ今に至る。

「あぁ、違うぞ。これは”救済”ではなく”反逆”だ」

「そう」

「そう。今の所メンバー内でこの国の不条理を嘆くくらいしかしてないけどな」

「……やる」

伏し目がちだったサキの瞳がカイトの顔を真っ直ぐ見た。その顔は強い決意を持っていた。

「それは良かった、さっそく登録しとくな。リーダー権限でサキはレジストリアの幹部だ!」

と言い、聞き心地の良い音を響かせてキーボードを叩くカイト。その横で電子モニターをキラキラとした目で見つめるサキ。

「”目”……ってメイ?」

「そう。メイも幹部だ、その上の”0”はレイジだぞ」

「あいつ、嫌い」

「はは、そうだったな」

と軽く笑って流すカイト。サキにとってレイジは勝手に喋り続ける辞書の様なもの。彼女にとっては余計なお世話、という感じなのだろう。

「それじゃあ、リーダーとしてレジストリアの説明をするぞ。しっかり覚えておくこと!」

「うん」

「まず第一に、相手が不愉快に思う事を言わない。もし言ってしまったり指摘されたらすぐに謝ること。次に個人が特定されることは書かない。レジストリアの集会には仮面を装着すること。皇帝はメンバー全員の総称として”腐肉”と呼ぶ事。

これで大体。何か質問は?」

「ない」

「よし、それじゃあサキはレジストリアでの名前は”ウサ”。ちなみに俺はスマイリーだ」

「うん」

「これでサキも晴れてレジストリアのメンバーだー!」

と言って伸びをしたカイトの顔はどこか晴々としていた。それを見ていたサキだったが、何かを思い出したように部屋を後にして暫くした頃にまた戻ってきた。顔には可愛らしいギサウの仮面を付けている。

「仮面、これで良い?」

「お、ちゃんと持ってたか。俺のとお揃いでも良かったのに」

と言ってカイトが取り出したのは、楕円形の仮面に油性ペンで簡素な顔が描かれているものだ。そして仮面にはバリエーションがあるらしく、喜怒哀楽の四枚を持っていた。カイトはその中でも”楽”に当たる仮面を付けて見せる。

「ほら、いいだろ?」

「いらない」

「そっか。借りたくなったら―――」

「ない」

無情にもギサウの仮面から冷たい二文字を放たれてしまった楽し気な仮面。心なしか仮面にも表情があるように見えた。

「はい……」

と、少し悲しそうに仮面を元の場所へ戻し、気を持ち直す様に深呼吸をしたカイト。

そしてサキに呼びかける。

「よし、まずは家事!それから仕事だ!」

「おー」

と、サキも拳を上に掲げた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 チョウ帝国の城下街、宮廷に近い区画の一角に着物を扱う老舗の店があった。ソ皇帝が公布した法により、着物は宮廷の人間のみが着用を認められるようになった事で一般客は全く来なくなった。その一方で宮廷の使用人が新しい着物を用意させたり、破れたり大きく汚れたりした着物を持ち寄ったりした。

 宮廷からの仕事で店の経営が危ぶまれる事もないが、十八歳になる店の跡取り娘が学校へ通えなくなった事は痛手であった。娘の名前はメイと言い、アッシュブラウンの長い髪と暗く赤い瞳が特徴的でカイトの幼馴染である。

 メイは幼い頃から裁縫を得意とし、今では出来る者が限られている金刺繍と言う糸の様に細い金を用いた刺繍を施す技術を持っている。裁縫の腕は店の主である父親を越えている為、学問をきちんと修めてから跡を継がせようと思っていた矢先、あの法である。

元々あまり余裕のない家計であった為、メイはあの法が公布されたその日にカイトを始めとする多くの生徒と共に中退となった。

 ソ皇帝が即位した式の夜、駆け込むようにビリビリに裂かれた着物を持った使用人が現れた時はメイと両親は笑うしかなかった。歴代の皇帝が着用した式典の着物には真新しい染みが付き、丈夫な糸は千切れていたのだ。伝統ある着物を駄目にしたソ皇帝に対して笑ったのではなく、美しき着物をけがすような人間の下で暮らす自分たちを笑うしかなかったのだ。


 そんな日から今日で三日。ソ皇帝による使者が家族総出で修復した式典用の着物を受け取りに着たものの、更なる注文を申し付けてきた。

何でも、ソ皇帝が創意工夫し設計した着物を用意された布を使って仕立て上げよというもので、着物の設計と実寸等が記された紙と布を手渡されて早々に帰られた。

その後、父親は早速ソ皇帝が渡した設計した着物を見て驚いた。あまりにも稚拙な設計で筆もまともに使えておらず、虫が蠢いている方がまだ形を整えているだろうと言える程だった。

唯一の救いは実寸が別紙に記されていた為、少なくとも着物を仕立てる事は可能であるという点だ。

 あまりにも酷い設計を見たメイは言葉を失い、カイトとレイジとで作ったグループのチャット欄に設計図を写して送信し嘆く事にした。


メイ :『ねぇ、見てこれ』


 最初に反応があったのはレイジだった。そして少し遅れてカイトからも反応が返ってきた。


レイジ:『うっわ、何それ』

カイト:『何を描きたかったの、これ……』

レイジ:『それ子供の試し書きか何か?』


と送信してきたレイジにメイは面白がってこう送る。


メイ :『レイジ、不敬だよ』

    『皇帝陛下の直筆なんだから』

レイジ:『マジかよ、これは想定外』

カイト:『さすがに筆くらいは持てるだろうと思ってたけど』

    『ほんとに食べる事しか出来なさそうじゃん』

メイ :『きっとそう』

    『実寸の数値も一緒に渡されたけど、もっと太るだろうから意味ないよね』

レイジ:『そりゃあなぁ』

    『農産業区域なんて毎日作物持ってかれるらしいぜ』

カイト:『何それ、逆に怖い』

メイ :『:-<』

カイト:『メイ、頑張って』

レイジ:『メイなら出来るさ』

メイ :『:->』



 最後にそう送り、電子端末の通知を切った。これからこの最悪な設計からおおよそのデザインを導き出し、型紙を作らねばならない。

メイは長い髪を一つに束ね、大きく息を吸って気合を入れた。

こんな仕事は早く切り上げて、レジストリア入会者の試験を行わねばならない。こんな物しか作り出せないソ皇帝には何も希望しない、彼女が望むのはカイトが創り出したレジストリアの未来の姿だ。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 夜も更け、レジストリアのチャット欄が賑やかになる。若者で構成されているとは言え、そのほとんどは学校に通えなくなり若くして労働に明け暮れる者がほとんどである為、いつも日付が変わる夜中がよく賑わう。

 しかし、今日はチャット欄が賑わう理由がもう一つあった。それはサキ、レジストリアではウサが仲間入りし、最年少にして幹部となったからだ。

メイのサキの性格解析結果から基づき、彼女が幹部となった事に反論がある者はおらず、皆大いに迎え入れていた。

 そして、サキがまだ幼い事をカイトが告げると、メンバーは皆彼女を気遣って歓迎会は日付の変更と共にお開きとなった。主役を無理矢理に起こしてまで続ける必要はない事は誰もが共通して認識していた。

 この瞬間から”ウサ”のファンクラブは立ち上げられ、翌日から名前にギサウのマークを付ける者や仮面にギサウを描き込む者も現れたのは言うまでもない。



開戦まであと四日。

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