第十五話 「黄金なる救済」

 力任せに振り回すナディータの攻撃を正確に要点を突いて防御の姿勢を保つメイ。この両者が纏う空気は緊迫しており、高らかな金属音を天井の先まで響かせていた。

それぞれ自分の為ではなくを想って戦っている為、互いに少しも妥協や慢心しない熾烈な戦いとなっている。

 とは言え、その斬り合いも長くは続かず、メイの望まぬ形で終わってしまう。足元に転がっている茨の残骸を踏み、体勢を崩したのだ。

そしてナディータはその一瞬の隙を付き、メイに向かって力の限り斬りかかる。まるで余裕の欠片もない狡猾な手段ではあるが、彼女にとってはこれが最良の手段なのだろう。

 それを避けようと氷の双剣を交差させて防御の構えを取るメイだが、力が入らずに氷の双剣ごと押しのける様に手から武器を放すことにした。通常の決闘に置いて武器を捨てる事は負けを意味するが、自由に武器を生成出来るこの状況では関係ない。

 しかし、ナディータから距離を取ったメイは更に茨の残骸を踏み、後ろに躓いてしまった。転んだ場所は運良く茨の残骸は無かったものの、彼女は一気に窮地へ立たされてしまう。

ナディータが床に散らばる茨の残骸を杭に変え、メイ狙いを定めるように宙へ浮かせる時間はあったからだ。

 メイが氷の双剣を注視し、手元へ引き戻そうとしているにきづいたナディータは氷の双剣を遠くへ蹴った。蹴る力はあまり強くはなかったが、真っ平な床をするすると滑ってメイから遠く放されてしまう。

 そして再びメイの方を見たナディータの顔は、先程までの厳粛な教徒から雰囲気がやや変わっていた。まるで既に勝利を確信している様に笑みを浮かべ、息を整える様にゆっくりと言葉を発する。

「さぁ、祈りなさい。今からでも慈悲深き女神レリフィアが聞き入れて下さる事でしょう」

と告げるナディータ。

ナディータに無数の黄金の杭を向けられ、氷の双剣も遠くしまった今。メイは誰から見ても窮地に立たされているようだった。

しかし、当の本人は全く焦りも絶望も感じておらず、ナディータに向けてこう言い放つ。


「お生憎さま。私、無神論者なの」


メイの口許はにぃっと笑っていた。

この状況でまだ笑みを浮かべるメイを見て、ナディータは些か異質なものを見る目をする。だが、ナディータが彼女から狙いを外す事は無かった。

 ナディータが鋭く光る黄金の杭を放とうとした瞬間、彼女の頭上から突如として氷の四角い檻が落ちてくる。突然の事に驚き、ナディータは上を見て敗北を悟った

。氷の檻の内天井には不規則な大きさの氷柱が幾つもあったからだ。

ナディータが反撃しようにも、黄金の杭が彼女を貫く前に氷柱が降ってくるか、それに近しい攻撃を受け意識を失うだろう。彼女がそれに気づいたところで、メイはゆっくりと立ち上がりながら話し掛ける。

「見ての通り、あなたは完全に私の罠に嵌ってしまった。出来れば降参してほしいんだけど」

「小癪な真似を……!」

と、眉間に皺を寄せて呟くナディータだが、メイは平然とした態度で言葉を続けた。

「あなたには悪いけど、これで私達の戦いはおしまい。だからその浮かんでる尖った金も消して」

「何を生意気な!この戦いはどちらかが死ぬまで終わりなどありえません、もし終わらせたいのなら私を串刺しにして御覧なさい!」

「嫌よ」

ナディータの訴えは簡潔にはっきりと否定され、その言葉に口を噤んだ。そしてメイはその場に留まったままこう告げる。

「あなたの命までは取らない。何故だか分かる?」

そう問い掛けるメイに対し、ナディータは首を横に振った。

それを見て小さく息を吐き、メイは答える。

「絶対に殺さないって大切な人と約束したから、というのもある。だけど一番大きな理由は、私自身が人間性を失わない為」

と、抑揚はないが強い意志を感じる言葉をナディータは静かに聞いた。

「これがもしゲームであなたが対戦相手なら、容赦なく切っていた。ゲームだったら試合後に握手も挨拶も交わせるし、何度だって遊ぶことが出来る。

でもこれは現実、殺してしまったら相手とはそれ以上は何も出来ない。謝罪しようが傷を労わろうが相手には届かないし、その瞬間の出来事は一生私の中に住み着く。

それが嫌だからあなたを生かした」

そう語り終えたメイはゆっくりと息を吐く。レイジの様な多弁の真似事をしてみたは良いものの、一度に多くを語るのは不馴れでは疲れるのだろう。内心、レイジを見直したとでも言うように、おもむろに天井をチラリと見た。

 その一方で、これほどメイに説明されたナディータは不服そうな表情を浮かべ、膝を抱える様にしゃがみ込んでいる。床に直接座るのは彼女の感性に反するのだろう、頑なに体幹が試されるような姿勢を続けた。

 そんなナディータから少し距離を取ってメイも座り、やや遠くに見える扉からカイトたちが出て来るのを待っているらしい。面布で顔をほとんどは隠れているものの、僅かに見える口許は柔らかく微笑んでいるようだった。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 内戦の最終日、争いとは程遠い場所にある南西のとある家屋。

二日前にサトから攻撃を受け、組合長のガドンとその息子ザンドが重傷に追い込まれた。特にザンドに到っては肘から先の両腕を奪われ、救出された時には既に意識は無かった程である。チョウ帝国最新の医療と科学技術、そして天使の魔術を駆使して行われた治療によって両者共に一命を取り止めた。

しかし、その翌日すぐに意識が回復したガドンとは違い、ザンドが今日になっても目を覚まさないでいる。

 寝台に真っ直ぐと寝かされてはいるが、僅かに呼吸しているのを見れば生きてはいると言えるだろう。それでも普段のザンドからかけ離れた姿を見て、寂しげな表情を浮かべる者は少なくない。

ザンドの看病の為に寝台の傍らで椅子に腰掛け、瞳を陰らせている妻のジェイミーもその一人だ。時折りザンドの額に乗せるタオルを取り換える以外に特段動きはなく、何時までも一文字に閉じっ放しの顔を見ては溜め息を零している。

 ジェイミーはザンドが両腕を失ったと聞いてからこんな様子で、ザンドの治療の関係で彼の実家に泊まっている。心ここに在らずな彼女に変わってドグの世話はサンドラが務め、サンドラが忙しい時は寝台から歩き回れないガドンが抱えている状態だ。

ガドンもサンドラも息子の意識が心配ではあるものの、自分らがどうしていようが意識が戻るかはザンド次第なのだ。加えて、彼が目を覚まして真っ先に会うべきなのはジェイミーだと二人は思っている。


 医師が言うには、遅くとも五日以内には目を覚ますと言われており、ジェイミーは五日間不眠の覚悟で見守っていた。そして彼女の願いは二日目の昼頃に聞き入れられる。ザンドが目を覚ましたのだ。

しかし、ジェイミーが想定していた目覚めではなかった。ザンドが意識を取り戻し、まず発したのは叫びにも等しい呻き声だったからだ。

「あ、あぁ……ぁぁああああ!!熱か!!熱かぁ!!」

掠れた声を発しながら懸命にもがいている夫を見て、ジェイミーは溢れそうな感情を堪えて必死に呼び掛ける。

「ザンド……!大丈夫、もう大丈夫なのよ!」

「ぐぅ、ぁあ、あああ!」

と、尚も呻くザンドに向かって繰り返し呼び掛けながら、熱を帯びた額に冷たいタオルを宛がう。

「ザンド、ザンド!今はもう安全だから、ここはあなたの実家よ!!」

そう伝えながら触れるザンドの体温は熱く、ジェイミーは僅かながら不安を感じていた。錯乱する夫を見て、まだ意識を取り戻していないのではと思っているのである。

 ジェイミーの抱いた不安とは真逆に、ザンドは段々と落ち着きを取り戻してきた。荒い呼吸は変わらずだが、体を無理に動かすようなことはしなくなったのだ。

周囲を慌ただしく見渡し、そして傍らに立っている妻の姿に目を止めた。そして酷く辛そうな表情を浮かべ、謝罪の言葉を口にする。

「ジェ、イミー……すまん。すまん事ば、した……」

ザンドはそう呟きながら、自分の腕を見つめた。彼の両腕には木製の義手が力無く取り付けられており、とてもじゃないが動きそうな気配はない。

 彼が口にした謝罪の言葉は、自分らの生活やドグの未来の為に働かねばならない身でありながら、何をするにも欠かせない大切な腕を二本とも失った事。そして、取り付けられた義手を動かす気力が湧かず、自分の腕は完全に無くなったものと意識してしまっている事に対する謝罪である。

 それらの意味が含まれていると凡そ理解したジェイミーは、ザンドの義手を手に取ってこう告げた。

「焦る事ない、この新しい腕だってその内動かせる様になる。こうして手を繋いでいられるんだもの、またドグを抱っこ出来るわ」

「ばってん……えらい時間の掛かるかも知らんとぞ」

と、弱気なザンドにジェイミーは優しく語り掛ける。

「でももばってんもなし、始める前から希望を捨てたら何も出来ないでしょう?まずは私の手を握り返す事から始めましょ」

そう言ってジェイミーは暖かく笑い、ザンドの手を固く握った。その腕には確かに血が通っていないものだが、僅かに手を触れられている感触が伝わってくる。


 こうしてザンドのリハビリが始まった。

ザンドがこれまでの様に腕を動かせるかは未だ不明ではあるが、彼自身が持つ意志の強さと愛する者たちの支えをもって順調に行われる事だろう。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



「さて、こうして広くなった事だ。お互いに正々堂々と決着を付けようじゃないか!」


 声高らかにそう告げるヤキリの表情と仕草は、まるで舞台役者の様に明るいものだった。それに反して礼拝堂は黒く焦げほとんどが炭と化し、自分はしていない筈が罪悪感を覚え縮こまるカイトとヤキリに対して侮蔑の視線を向けるオリフィア。そして、それらをニヘラと笑ってこの場を見守る水雨と黒いベールの下で微笑みを浮かべる金陽、ただ無表情に棒立ちを続ける火晴がいる。

 先程の言葉に誰からも返答が無かった事にヤキリは疑問を覚え、もう一度この場の全員に語り掛けた。

「えーっと、それじゃあどっちから攻撃始める?試合的な形式に則るなら次はオリフィアだし、特にないならスマイリー君が攻撃する番だと思う。僕は一回休みみたいなものだけれど、防御はさせてもらうよ。怪我もしたくないし、まだ死にたくもないからね」

と言うヤキリの言葉を聞き、朝方に彼のしていた事を思い出したカイトは内心『どの口が言うか』と思っている。しかし、話がややこしくなると知っている為、そのまま沈黙を続けた。

 少し間を置き、ヤキリの言葉に返事したのはオリフィアだ。

「……教会を焼き払った上に呼び捨てにされるとは、向こう見ずにも甚だしい。自分の立場を弁えてはいかが?」

「いやいや、僕は教会を焼き払ってなんかない、ここの部屋だけ燃やしてすぐに消したじゃないか。それに君と僕は対等だし、尊敬しない人に敬称は付けない主義でね」

と、答えるヤキリ。飄々とした様子で自分の考えと真逆の言葉を返され、オリフィアは呆れを通り越した感情を語った。

「全く理解出来ません。あなたの全て、何もかも。早急にきゅうさいされるべきです……!」

そしてオリフィアは自分の周囲に無数の黄金を生成させ、すぐに様々な造形をした十字架へと形成させる。まるで彼女の揺るぎない信心を具現化させているかの様な十字架たちを前にし、カイトはそれらに向かって攻撃を開始する。

 オリフィアの周囲に浮かぶ十字架を洗い流す勢いの水を生成させ、全ての十字架を水に濡らした。それに異変を感じたオリフィアはカイトへ声を掛ける。

「あなた、一体何をしようとしているの?まさか今のが攻撃とでも言うのかしら」

「すぐに分かりますよ」

と、短く答えるカイト。そんなカイトを見て、オリフィアはまず彼から救済しようと定める。

 自身の右側に形成されている十字架を、少し離れた場所にいるカイトに向かって投げ付けようとした。しかし、彼女の意思とは反して十字架が微塵も動かない。

オリフィアは投げようとしていた十字架の方を見たが、外見からは異変を感じられなかった。だがどれだけ十字架を動かそうと精神を研ぎ澄ませても微動だにせず、不審に思い一番手前に浮かんでいる十字架に触れる。

オリフィアが触れた十字架はこの世の何よりも冷たく、指先の体温を一瞬にして奪われたような感覚になった。十字架の状態にオリフィアは憤慨し、カイトの方を見て問う。

「何をしたのです!私の信仰のカタチに、金陽様からお借りした御業に……!」

感情的に声を上げるオリフィアに対し、カイトはこう答える。

「簡単な事ですよ。魔術によって生成された物質は行使者の好きなように動かせて、それはどの魔術でも変わりはない。だから俺はあなたの十字架を氷で覆い、あなたが十字架を制御するのと同じく覆った氷を制御させています」

「なるほど!金そのものはオリフィアのみが制御する事になるけど、金を氷で覆えばその氷自体の制御権はスマイリー君にある。そうすると魔術制御が上手な方に物質の場所は左右されるだろうし、平常心とは言い難いオリフィアが冷静なスマイリー君に下回るのは当然だね!」

と、感心した様に解説するヤキリ。

ペラペラと言葉を並べ立てられたが、オリフィアの怒りは収まらなかった。しかし、それはカイトの行動の妨げにはならない。

 オリフィアの制御が弱っている氷に覆われた十字架を動かし、彼女を囲う柵の様に配置した。当然、オリフィアはその配置を崩そうとするが、カイトの真っ直ぐに統一された魔術制御を前に彼女の十字架は微塵も動かない。

 そんな状況で更に焦るオリフィアに向かって、カイトは声を掛ける。

「このままではあなたは凍死してしまいますケド、敗北を認めるならすぐに開放しますよ」

その呼び掛けは無言で返され、カイトは続けて言葉を投げ掛けた。

「どうでしょう、オリフィアさん。降参してくれますか?」

と訊ねるカイトに向かって、オリフィアは険しい表情を浮かべる。程なくして、穏やかに微笑みをカイトに向けつつ返答した。

「お断りします」

その言葉を受け、カイトは内心ガッカリしている。やっと彼女の動きを封じ、終戦に導けたと思っていたからだ。

現状を希望的に考えていたカイトだが、すぐにその考えは改めさせられる事となる。彼の後ろでが床に倒れたからだ。


「ヤキリ!」


 突如、カイトの背後で火晴が声を上げた。その声に反応して、カイトは瞬時に後ろを振り向く。

 カイトの背後には、先程まで立っていた筈のヤキリが床に膝を付いていた。彼の赤く長い髪の隙間から、三本の黄金の杭が僅かに見える。左肩に一本と左の肩甲骨付近に二本の黄金の杭をその身に受け、その痛みから言葉が途切れ途切れ吐かれた。

「くっ、これは……思ったより痛い、な」

そう呟きながら自分の肩に刺さる黄金の杭に手を掛ける。ヤキリの肩に深々と刺さったそれは、傷口から溢れる鮮やかな血液を流してどくどくと白衣に滲んだ。

「ヤキリさん……血が!」

と、カイトが寄ろうとしたが、そんな彼に鋭い言葉が投げ掛けられる。

「スマイリー!前見テ!」

「え―――」

水雨の呼び掛けで正面を向き直るカイトだが、その直後彼の仮面に重い衝撃が走った。彼の頭を狙って黄金の杭が投げつけられたのだ。

しかし、カイトが正面を向いた事で幸運にも彼自身に怪我はないものの、その衝撃で彼は少し後ろへよろめく。そしてカイトの仮面がひび割れ、右目付近が露わになる。

 カイトに傷も与えられず、内心穏やかではないオリフィアが彼に向かってこう告げた。

「もう少しお仲間を気遣っていれば、彼と共に女神レリフィアの下へ逝けたというのに……」

そう言うオリフィアを否定する様に、ヤキリが声を発する。

「僕はまだ、生きている。まだ僕の弟はんだ、こんなところで……死んでたまるか!」

その強い語気に合わせ、肩に刺さっていた黄金の杭を引き抜いた。そして自らの右手に煌々と火を灯し、熱された黄金の杭を自らの肩に押し当てる。

シュウシュウと焼ける音と共に、ヤキリの悶える声が耳に染み付く。そして、ヤキリは自分に寄り添っている火晴に声を掛ける。

「火晴、背中の……頼めるかな?」

「あぁ」

と、短く返事した火晴の顔はどこか悲し気だったが、すぐに言われた通りの行動に移した。火晴は黄金の杭を同時に引き抜き、簡易な治癒魔術を行使する。

黄金の杭を引き抜かれた反動でヤキリは意識を手放したが、火晴の魔術によって傷口はみるみる塞がっていく。とは言え、火晴の治癒魔術はあまり上質ではなく、傷を完治させられない。

しかし、現状では止血されただけでも十分だと言えるだろう。先程まで苦しそうに呻いていたヤキリだが、今は穏やかな呼吸をしている。

 カイトはヤキリが一命は取り止めている間にこの戦いを終わらせ、すぐにでも治療しなければと考えた。それはオリフィアも同じらしく、先程カイトに向かって投げた黄金の杭を手元に戻す。

そしてカイトに向かって微笑みを浮かべ、悠々と声を掛けた。

「さぁ、あなたもきゅうさいしてさしあげましょう」

「させませんよ。俺も、ヤキリさんも、表で待ってる仲間も」

はきはきと答えるカイトに目を少し開け、彼女の金の瞳が冷酷に輝く。

「何を血迷った事を、あなたに勝ち目はありませんよ?」

そう言ってオリフィアは黄金の杭を鋭く尖らせている。しかし、その様子を見てもカイトの青い瞳が揺らぐ事はなかった。

「いいえ」

と、オリフィアに対して短く否定するカイト。そして言葉を続ける。

「俺たちの勝ちです」

そう言って、割れた仮面の隙間からカイトが笑って見せた。

海の様に深い青色の瞳が見つめる先を追うようにオリフィアは後ろを向き、その瞬間に自身の敗北に気づかされる。

 焼け焦げた礼拝堂で唯一輝く巨大な十字架が、オリフィア目掛けて倒れようとしていた。彼女はどうする事も出来ず、それを受け入れようとそっと瞼を閉じて呟く。

「貴方に祝福あれ」

その誰にも届かない祈りの言葉の直後、オリフィアは地面に倒れた。しかし、倒れた彼女に巨大な十字架が覆い被さる事はなく、十字架の姿は跡形も無くなっている。

 その様子を見て、カイトは大きく息を吐く。こうなると想定していた事とは言え、些か緊張があったのだろう。それが今少しずつ解かれていた。

そしてカイトは、ヤキリとオリフィアにまだ息がある事を確認した。それぞれ生きていると分かり、一気に気が抜けて安堵した様に床へ座り込む。

「はぁー……良かった……」

と呟くカイトの傍らに水雨がぬぅっと飛んで来て、ヘラっと笑った顔で声を掛ける。

「おめでとうスマイリー!スマイリーが勝者だヨ、この国の未来を決めれるヨ!」

「あぁ、そっか。そうなるのか……うーん」

いまいち現実味がないのか、少し考えるカイト。しかし、彼の中で結論は既に出ていた。

「いや、これは俺だけの勝利じゃない。だから俺が国の未来とか色々決めるのは間違ってるし、そんな事はしたくないかな」

そう言って水雨に笑い掛ける。それに対して水雨もいつもの様に笑い掛けた。

カイトらが談笑しているところに、金陽がゆったりと歩み寄り声を掛ける。

「あなた、どうしてわたくしが生成させたと分かりましたの?」

不思議そうな声色で尋ねられ、カイトは思ったままに答えた。

「最初見た時におかしいと思ったんです。あれ程大きな十字架をこの国かレリフィア王国が造れるのだろうか、って金細工職人さんには失礼ですケドね。

それから暫く気に掛けてなかったんですが、ヤキリさんが礼拝堂を燃やした後に再び見て確信しました。人間が造った物なら多少は変形している筈なのに、少しも変わりなかったですし」

と言って金陽に笑い掛ける。金陽は黒いベールの下で僅かに微笑み、カイトに訊ねた。

「では、何故十字架を倒しましたの?初めに”オリフィアを殺す気はない”と言っていましたのに、撤回しましたの?」

「……正直、割に合わない賭けでした。オリフィアさんの十字架を濡らした時、上の方に水を掛けておきましたが動かせるとは思ってませんでしたし。

あの時動かせたのはきっとあなたのお陰ですし、あなたはたぶんオリフィアさんを殺さない。結果上手くいったので言う事なしですね」

「そう。よく分かりましたの」

と呟いた後、金陽は言葉を続ける。

「自分の行動を全て己の手柄としない、あなたのそれは誇るべき長所だと思いますの。それは誰かを信じる事を知っている、そして行動できる人間は限られていますのよ」

そう言って、金陽は水雨と火晴の方を見て、声を掛けた。

「私はこれから無空へ終戦を伝えてきますの。あなたたちはここにいる人間たちをきちんと見守っていますのよ?」

「はぁーイ!」

「わかった」

水雨と火晴の返事にこくりと頷き、純白の翼を広げて割れたステンドグラスから外へ飛び立つ。金陽が翼をはためかせ真っ黒な炭や灰が軽く舞い上がったが、カイトが軽く咳き込む程度に済んだ。


 それからカイトは、上着から電子端末を取り出して連絡する事にした。

画面には勿論、共に戦った仲間たちが集う慣れ親しんだ四人だけの空間。

そこにただ一言、カイトは書き込んだ。


カイト:『おまたせ』



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 宮廷に内戦が終息したと報せが入ったのは、ダリスが昼食後の甘い菓子を味わっている時だった。

期間ギリギリに決着が付くだろうと思っていたダリスは驚き、食べていた焼き菓子で咽てしまった程だ。彼の隣で真っ黒なカヒーを飲んでいたヴォルツもカップを床に落とし、無表情ながらも彼女の感情は手に取る様に分かる。

 気を取り直すようにダリスは軽く咳払いをし、報せを届けに来た無空に声を掛けた。

「えー、それでは、もう我々が皇帝の真似事をする必要はない。という認識でよろしいだろうか」

「いえ、あなた方にはこのまま国を統治して頂きます。勝者の間でそう決定されました」

と、淡々と機械的に答える無空の言葉を聞き、ダリスは自分の耳を疑う。そして、横で話を聞いていたヴォルツに訊ねる。

「ヴォルツ、聞いたかね」

「無論です長官殿。その勝者とやらと是非ともお会いしたいものです」

そう言って静かに闘志を燃やすヴォルツに向かって、無空は穏やかに語り掛けた。

「それは認められません。勝者はそれを望んでいませんし、創造主からの命令に反します。そして、先程の続きですが―――」

と、無空によってダリスたちの今後をつらつらと語られた。

 明日よりダリスはこの国を纏める”総統”という役職に就き、それを補佐する役職にヴォルツが配置されるのだという。国民や他の組織から見ても、今は亡き前皇帝の頃と同等まで国として穏やかになっている。たった七日間でここまで多くを戻した偉業は計り知れず、それらの功績を讃えての役職であると説明される。

 両者共に自身の能力を買われての事だからと納得し、この国に皇帝ではない統治者が誕生した。



 内戦が終結したこの日の深夜、天使たちはチョウ帝国の中心部の上空へ集まり情報を共有した。

と言うのも、天使それぞれに課せられた任務を全員が完遂したかの確認、そしてそれらを互いに把握する為である。

 そうして結果を互いに伝え合った後、横隣り通しで手を結んで輪を作った。一見して遊んでいる様にも見えるが、これはとても重要な事である。

天使を代表し、無空が口を開く。


純白ビェールィ ・宮殿ドヴァレーツに御座し召す。只今、ようやく。ようやく内戦が終息へ向かいました」


 晴れやかな顔で語り掛ける無空に言葉が返ってくる事はないが、今の天使たちにとってそれは重要ではない。もう少しで空の遠い先の天上ニェーボ ・世界ミールでチョウ帝国を創造した存在、そして天使らの父に直接会えるのだから。

 暗闇が大空を包み込む中、天使たちの純白の翼は星々の瞬きの如く煌めいている。時折り地上へ舞い降りる羽根はまるで、漸く終戦を迎えた人々を祝福している様だった。

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