内戦 後期

第十一話 「盲目的な信心」

 サトがから帰ってきてから一晩が過ぎた。とは言え、まだ夜中の三時である為、まだ夜と言えるのだろうがオリフィアは既に起床している。

そして、睡眠を必要としない肉体を持つ金陽もまた起きており、身支度を済ませたオリフィアの後を追う様に二人連れ立って部屋を出た。すると、何やら扉の前に白い布で包まれた何かが置かれている事に気付く。

 オリフィアは、それを抱え上げて中身を確認する。布に包まれているのは人間の腕が二本で、これはサトがオリフィアにと持ち帰ったであった。

芳ばしくも鼻に残る独特な香りのする焦げた肌、まるで捻じれた粘土の様になっている肘の部分。オリフィアはここに人間の腕が左右一本ずつここにあるという事実を踏まえ、昨日サトに頼んだお土産の事を思い出していた。


 昨日、あの場所でサトは訊ねた。『お土産は何が良いでしょうか』と。


 そしてオリフィアは答えた。『宝石が良い』と。


 そこから導き出される答え、そして他の選択肢を選んでいた場合を想像しただけで彼女の胃は締め付けられる思いだった。今回はこの腕の持ち主とではサトが有利に立てたのだろうが、もし不利となって彼女が再起不能になってしまうとレリフィック教会の主戦力の一角を失う事になる。

 内戦も残り二日となり他組織に何時攻め込まれるか分からない状況で、昨日ああしてサトを送り出した事こそが間違いだったのではと思えて仕方がないのだ。しかし、それも過ぎた事である。

 オリフィアが険しい表情で腕を抱えているのを見た金陽が不思議そうに声を掛けてきた。

「もしかして、昨日の事を後悔していますの?もう結果が出ていますのに?」

それにはオリフィアも素直に同意する。

「……はい。私の浅はかな考えでこのような事が起こってしまって……この腕の主がなら良いのですが」

「それはただの願望に過ぎませんの。起こってしまっては人間ではどうしようもありませんし、この現実を受け入れるべきだと思いますの」

柔らかい言葉使いでそう告げられるも、その言葉には無慈悲さしか感じられない。それに対して、オリフィアは負の感情を抑えつつ返事する。

「そうですね……」

そう言いながらその二本の腕を再び布で包み、部屋の中へと入れた。金陽は出て来るのを部屋の外で待つ。

すると、廊下の向こうからこちらに歩いてくる者がいると気が付く。暫く警戒していた金陽だが、すぐにその警戒は解かれる事となった。

 時間帯を気にして足音を控えめに廊下を歩くナディータは、オリフィアへ会いにやって来たのだ。というのも、ようやくナディータが自らの失態から立ち直った為、これから懺悔室の当番をしようと決めていたらしい。

オリフィアの部屋の入口に立っている金陽に気が付いたナディータは、やや速足気味に駆け寄った。

「おはようございます、金陽様」

「おはようございますの」

「あの、お姉様は……」

と、ナディータが訊ねたところ、本人が部屋から現れ答える。

「おはよう、ナディータ。私はここよ」

「お姉様!おはようございます」

そう言って深々とお辞儀するナディータにオリフィアは微笑みを浮かべ、今までと変わらずに接してくる彼女を嬉しく思った。それからナディータは自身の考えをゆっくりと語る。

「……私が無様に負け帰ってから今日までの事、深く反省しております。この失態は必ずや払拭しますので、どうかその機会をくださいまし」

「貴方が気に病む事ではないの、これはあくまで私の失態なのだから。だから拭い去るようなものは貴方にはなくってよ」

と、やんわりとナディータの進言を拒否した。そしてオリフィアは言葉を続ける。

「それでも貴方が私に負い目を感じるのなら……そうね、今日から私はずっと教会に留まるから、貴方はそばにいて頂戴」

「よろしいのですか?内戦も残り二日、このままで勝てる筈も―――」

「貴方も知っている通り、私はとても我が儘なの。だから、この内戦の行く末とは別の約束。と言うより命令かしら?」

ナディータに向かって小さく笑いながら告げる言葉から、オリフィアが心の底からそれを願っているのだと分かった。そしてナディータはこれから二日、どんな事が起ころうともオリフィアと共にある事を心から誓い言葉に出す。

「いえ、お姉様。どうか約束にしてくださいまし。私も同じ思いですから」

「ナディータ……」

そう呼ばれて優しく笑い掛けるナディータ。オリフィアはそんな彼女の手を取り、歩き出しながらこう言った。

「それじゃあ早速、一緒に行きましょう!金陽様もおいでくださいませ」

「わかりましたの」

と、暫く沈黙していた金陽が口を開く。オリフィアに手を引かれて歩くのはいつまでも慣れないものらしく、ナディータの頬は僅かに赤く染まっている。

それからオリフィアたちは地下の”救済室”へと向かった。



 オリフィアを先頭に規則的な控えめな靴音で礼拝堂の脇を通り、懺悔室がある方へ真っ直ぐと向かう。そしてその懺悔室の横にある木製の扉を押し開け、そろそろと静かに中へ入った。

 部屋の中は暗い闇が広がっており、オリフィアが携帯していた小型のライトを付ける。ライトの大きさに反してその光は澄み渡ったが、扉を開けて数歩先はすぐに石階段が螺旋状に続いていた。

 それから特に会話もないままコツコツと石階段を下り、やがて一つの扉の前に行き着く。そこは冷たい石の壁や床に囲まれた木製の古びた扉で、形容し難い異様な雰囲気を放っている。しかし、そんな扉を前にして、オリフィアたちは表情一つ変えずにいた。

 オリフィアが木製の扉をゆっくり押し開けると、室内は暗闇に包まれ誰かがボソボソと呟く声が聞こえている。ナディータが扉横のスイッチを押すと、三回ほど照明が点滅した後に部屋全体が明るくなった。それによって部屋の状況と呟き声の正体が分かった。

 壁や床、天井が全て灰色に塗り固められている殺風景なやや広い部屋で、その中央には木製の長方形の机とそれに合わせた椅子が二つだけが置かれている。

そして、部屋の角で蹲る様にして座らされている薄着の男性がおり、頭に被せられた麻袋で年齢や詳しい容姿は分からない。しかし、部屋の明かりが付いた事に男性は半狂乱になり、麻袋越しに自分の頭を抱えては声にならない声を上げている。

何等かに対しての恐怖によるものか、或いは寒さによるものかは定かではないが男性は体を震わせていた。時折り呟き声に交じって歯をカチカチと鳴らしているが、それで更にどちらか判断出来かねている。

 蹲る男性にオリフィアはゆっくりと近づき、彼の前に膝を付いた。そして優しい声でこう語り掛ける。

「もう、大丈夫ですよ」

そう言いながらオリフィアは男性の頭に被さった麻袋を取った。麻袋を取った事で白髪交じりの赤毛と目元や口周りの皺が目立つ初老の男性だと分かる。

そして顔を露わにした男性は眩しさに顔をしかめたが、オリフィアの優しい微笑みを目の当たりにして感情が込み上げたらしい。大粒の涙を懸命に手で拭いながら、嗄れ声で話し始めた。

「あぁ、オリフィア、様ぁ……私を、どうか、どうかお助け、ください。悍ましい、あのが来る前に……!」

と言ってオリフィアの肩に縋りつこうとした瞬間、ナディータが冷酷な声で『金陽様の名の下に』と呟いた。男性に聞こえるかわからない声量ではあったが、その後生成された黄金はきちんと彼に届いた。

 ナディータが小声で宣言して裁縫針の様に細く鋭い黄金を十本生成させ、その全てがあっという間に男性の右手に全て刺さった。

「えっ」

痛覚より先に視覚的な情報が先にやってきたらしく、男性は驚きの声を上げる。そしてじわじわと傷口から血が垂れ始めた頃、ようやくそれが『痛い』という事だと再認識した。

「あ、あぁ!手、手に!!痛い!痛いぃ!!」

オリフィアに伸ばした手を引っ込め騒ぎ立てる男性を見て、ナディータは冷淡な言葉を突きつける。

「汚らわしい手でお姉様に触れようなど……の分際で、身の程を知りなさい」

そう言われた男性は痛みに悶えながらも、ナディータの方を哀しげに見つめこう語った。

「で、ですが、私はあの憎き男を確かに救済しました!女神レリフィアのお導きの通り、あの男と会って悩みがないか等を聞きました。しかし、あの男はそんなものなんかないと笑い飛ばして……あなたが言う反教者は私ではありません、私は確かにお導きに従ったんですから!」

男性の言い分を聞き、それでもなおナディータは蔑むような眼差しを向ける。

 彼が語る内容からして、数日前にナディータが立ち会いの下でオリフィアに懺悔した者と同じ人物だと分かるだろう。あの時、オリフィアの助言通りにしていれば今こうして痛い思いもせず、穏やかに生きていけたのかも知れない。

しかし、今こうなってしまえばもうどうする事も出来ず、彼に残されたのは助言の通りに復讐きゅうさいするか、妻や娘と再会するかのどちらかだろう。それがナディータの言う『反教者』に残された道なのだ。

 男性の言葉を聞き、オリフィアは穏やかに話しかける。

「では、あなたはその人を救済出来ないのですね?」

「い、いえ。ですから私は出来る限りの救済はしました、先程言った通りです!」

「ですが私たちから見れば女神レリフィアの尊きお導きを拒絶し、否定すると見なします」

「そ、そんな!女神レリフィア様のお導きに背いてなどいません!!」

と、慄きながら否定する男性。彼の解釈する教典とオリフィアたちが認識している事に相違があり、それを互いに全く理解していない。

 本来なら思想と意見の違いで決裂するだろう状況だが、それはナディータが許さなかった。男性が語った言葉に嘘はないが、彼女からすれば何もかもが支離滅裂であるからだ。

「黙って聞いていれば、女神レリフィアの教えを曲解しお姉様に楯突くなんて……許されざる行為だとわかっていないようですね」

「何を言うんですか!私はオリフィア様と対立など……それに、あなたには関係ないでしょう!?」

否定に否定を重ねられ、ついにはナディータを強く糾弾した。そしてその言葉はナディータの逆鱗に触れるには十分過ぎるものだ。

 ナディータはオリフィアと金陽の方を交互に見て、まだ穏やかさを留めた微笑みでこう告げた。

「お姉様、金陽様。お部屋の外へ出て頂けますでしょうか?」

それを聞いたオリフィアと金陽は快諾し、男性に慈悲深く忠告をする。

「あなたは私のの怒りに触れ、とても私では止められません。ですから最期に、あなたに女神レリフィアの救済がありますように。と、お祈り申し上げます」

「い、妹?」

と、驚きを隠せない男性をそのままに、オリフィアと金陽は部屋を出て行った。今のナディータにはオリフィアの呼び掛けも届かない、しかし届かせずとも彼女の頭には『自分』が詰まっていると知っている。

 部屋の扉が閉じられ、男性の視線は扉からナディータへと移った。

そして、今になって右手の針が痛み出し、それは確実に強くなっている。何故痛みが増しているのか分からない男性は、おずおずと謝罪の言葉を並べ始めた。

「あの、先程は本当に申し訳ございませんでした。まさかあなたがオリフィア様の妹さんだったとは、三年程入信していますが知りませんでした、あはは」

そう言って明るい雰囲気にしようとしているのが感じられるが、今のナディータにはどんな浮ついた世辞も賛辞の言葉も届かない。ただ暗く濁った菫色の瞳で男性を見つめ、冷淡に短くこう告げる。


「もう言い残した事はありませんね?」


 そんなナディータの言葉に耳を疑った男性は目を丸くしてこう呟く。

「え」

男性が力なくそう呟いた瞬間、彼の右手に激痛が走る。傷口を見ると、針が刺さっている根元が何やら蠢いているらしく、皮膚の中でが蠢く度に途方もない痛みが襲ってきた。

「ぎぃあああ、あ、あぁ」

途絶え途絶えに悶絶する男性は自分の右手首を抑え、痛みに苦しんだ。しかし彼の皮膚の中にあるの蠢きが止まる事はなく、段々とその場所も伸びていった。

 そして、右腕だけでは足りないとでも言う様に、腕の中のは肉体にまで広がっていく。彼の肩辺りにが来た頃、地面に伏せる様にして苦しむ男性が問い掛ける。

「ぐぅあ、あ、あの。これ、ぁあ。なん、で、すかぁ」

激痛で言葉が出しにくいのか、途切れ途切れに時間を掛けて告げられた。

ナディータはその場から動くことなく、男性のその問いに答える。

「あなたの体内を這い廻っているのは、尊き天使様の御業による黄金の魔術です。先程あなたの右手に深々と針を十本刺したので、その全ての針から細い茨を伸ばし続けています。黄金を適宜に足しながらなので少し時間は掛かりますが、あなたが受ける罰には丁度良いと思いますよ」

淡々と語られるその言葉で耳にした恐ろしい単語、自分が想像していた事よりも遥かに残虐であると知ってしまった男性は泣きながら発狂した。


呻き、叫び、荒い呼吸で涙を流し、そしてまた叫び。

それを何度繰り返そうと自身の肉体を蠢き巡るは動きを止めず、そのままどんどん肉体を突き進んだ。


 そして男性はナディータにこう訊ねる。

「あ゙、あ゙あ゙。な゙ンで、ナぜ!痛ぃ!い゙だぃぃいいい!!」

惨めな程に泣きじゃくり、涎か涙か鼻水かも分からない程ぐしゃぐしゃに濡れた男性。数分前の面影など何処にもなかった。

そんな憐れな男性にナディータは冷酷にもこう告げた。

「なぜ?それはこちらの台詞です。まだ自分の立場が分かっていないとは、最早呆れますね」

と言い、更に言葉を続ける。

「あなたの様に愚かで無知で浅ましく、そして惨めな人間は初めて見ました。自分は価値のない塵芥以下だと、最期くらい誇って良いのでは?」

並べたてられた罵倒の数々は、男性を肉体のみならず精神をも深く抉った。

最早声を発する事すらままならない男性は、地面に喀血しながら倒れ伏せるしかない。時折り神経に茨が触れたか貫いたかで身を大きく仰け反らせるが、それも僅か数秒で力なく動かなくなってしまっている。


 やがて、男性の足先まで細い茨が張り巡らされた頃。ナディータはここまで時間を掛けた事を後悔していた。

最早これ以上何もする気が起きないナディータは、念には念を入れて男性に留めを刺そうと考える。当然、文字通りの意味だ。

「それでは、ご機嫌よう」

その言葉を合図に、男性の肉体から一斉に黄金の茨が飛び出た。

 ナディータの匙加減で押さえられていた黄金の茨、その先端部分が男性の肉体に収まりきらずにあふれ出したのだ。そしてそのまま冷たくなった肉体を覆う様に伸び続け、全身に絡みついていった。


それから一分後。


 肉体に巻き付く黄金の茨は無数の傷を付けながら生長し、灰色の床には血の赤色がどくどくと広がっていく。やがてそれらの広がりも落ち着いた頃、男性の姿は見えなくなった。全身を黄金の茨に包まれたからである。

 昂っていた感情がようやく平坦なものへ落ちたナディータは、扉の方へ駆け寄ってすぐに扉を開けた。そこにはオリフィアと金陽が立っており、オリフィアはナディータに向けて微笑みかけている。

それにつられてナディータも自然と笑顔になり、オリフィアにこう告げた。

「お姉様、金陽様。お待たせ致しました。ようやくあの男の救済が完了致しましたが、いかが致しましょうか?」

その問いに、オリフィアは少し考えてから答えた。

「そうね、とりあえずそのままにしておきましょう。ドレイト神父に頼んで庭園の肥料にでも出来るかも知れないもの」

「それは素晴らしい案ですわ!あの反教者に相応しく、そして最上の救済となりますでしょう!!」

と、驚嘆するナディータを見てオリフィアは深く実感する。彼女はまだ自分を信じ、自分を何よりも重要視していると。

倫理観が欠如していようと、道徳心に憚れる行為であろうと、躊躇わずに遂行する事。更にはそれらを誇らしげに語ってくる彼女には愛おしさを感じている。

昨夜まで気にしていた事が無駄だと分かったオリフィアだが、今の満ち足りた感情に比べればどうでも良い事だった。

 オリフィアはナディータに優しい口調で提案する。

「ねぇ、ナディータ。もうそろそろ朝食の時間よ、早く行きましょう?」

「えぇ、お姉様。早速参りましょう!」

そしてナディータは魔術の生成を解除した。

つまりは男性の肉体に隙間なく巻き付き蠢いていた黄金の茨が、一瞬にして無になったのだ。当然、その肉体は原形も分からない程傷付いており、全身を赤黒くさせている。

そんな亡骸をそのままに、オリフィアたちは部屋の電気を消して立ち去った。


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