第九話 「力の使い方」
開戦から五日目の明け方。チョウ帝国の南西部に位置する鉱山周辺区域は寝静まっており、それはザンドの家でも同じ事だった。
特に今日は業務を完全に停止させ、ゆっくりと休暇を取る様にとガドンがゴログ族全員へ呼び掛けていた。その為、ザンドとジェイミー夫妻と息子のドグは三人並んで眠り、陽が昇りきるまではぐっすりと眠るのだろう。
幼いドグを真ん中にザンドとジェイミーが左右を挟む様に横たわり、それぞれ息子の小さな手をしっかり握っている。穏やかに眠る一家は同じ夢を見ているのか、皆同じように楽し気に微笑んでいる。
そんな
それが何を意味するのか。穏やかに眠る彼らゴログ族は知る由もなかった。
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早朝の爽やかな風を窓辺で受け、変わり映えのしない校庭を眺めているカイト。昨日の命懸けな任務から無事に帰還したものの、もっと上手く立ち回れたり、もっと上手い魔術の活用が出来たのではと考えだしてからは眠れずにいた。
ただ無為に時間を過ごしてもこれから先を生き残れないと思い、考えなしに電子端末を眺めるのではなく頭を働かせる事にした。そこで、見張りも兼ねて窓辺で思案する事にしたのだが、これが思いの外良い案が浮かばない。
というのも、常に傍らで水面を漂う様に飛ぶ水雨が視界に入るからである。
睡眠を必要としない天使にとって人間が眠る時間は退屈でしかなく、これまではただ静かに朝を待つだけであった。それが今日はカイトも起きている。
水雨の目には決まった習慣から外れた事をする存在は物珍しく見えるのか、それとも構ってほしいのかは不明だが執拗に近くを飛び回っていた。そんな様子の水雨に根負けしたカイトは抑えめの声で話し掛ける。
「水雨、退屈なら一緒に考えてくれないか?」
その提案に言動としても行動としても飛びついた水雨だが、口を大きく開いて返事をしようとしたところでカイトが口に人差し指を当てて止めた。
それに答える様に水雨は無言のまま頭を縦に振る。
「喋っても大丈夫、でも小声でね」
「わかっタ」
そう言いながら頷く水雨。
表情は相変わらずヘラヘラとしているが、不真面目な態度という訳ではない。それをよく理解しているカイトは頷き、仮面を付けてからこう囁いた。
「よし。それじゃあ秘密の作戦会議だ」
「秘密?なんで秘密にするノ?」
「まだ確証のない事だからさ。ちゃんと実践出来たら皆に教えるよ」
「ふぅン、その実践はいつになル?」
質問を重ねる度に体ごと傾いており、カイトが次の様に答えている間にとうとう逆さまになった。逆さまになったままカイトと目線を合わせ、カイトから見ればまるで天井に足を付ける様な姿勢になる。
「そんなに遅くはならない、明日にはレジストリアの全員が行使出来る事が理想だね」
「ぼくの予想より早いネ、一体何を考えているノ?」
聞き様によっては煽りや皮肉と間違われてもおかしくはない言葉だが、そこには水雨の感情そのものが一欠片も含まれていない。あるとすれば、単純かつ素朴な疑問に過ぎない。
人間からすれば言葉足らずとされる水雨だが、カイトの周囲には多種多様な言葉使いの友人が多くいる。それには少し離れた場所で眠っているレイジも含まれている。
その個性溢れる友人たちに囲まれ、培った言語能力は水雨にも通用するものだった。
「まず、俺らは今のところ魔術の水を全く活用出来ていないと思う。とにかく水そのものを形を変えてどうにか防衛、あるいは掠り傷を与えるのが現状だよね」
こう語られた水雨は頷き、そしてカイトの言葉は続いた。
「昨日、土壇場だけどヤキリさんたちと同盟を結んだし、それに従って土の魔術を行使するガドンさんとも共闘状態になっている。そうなると、彼らの援護か俺らが主体となって戦わなきゃいけなくなるかも知れない。でもそうなった時、今の俺らに他の魔術程の攻撃力があるとは到底思えないんだ」
「そうだネ、ぼくも今日からはとても大変だと思うヨ。今日で五日目だからあと二日しかないシ、これから激戦続きでもおかしくないよネ」
「うん。だから俺は魔術の制御をもっと綿密にすべきだと思うんだ」
「メン、ミツ?」
「要するに、魔術の精度を上げるっていう事。ほら、俺らがこの数日で使った魔術なんて水の防御壁か生活用水ぐらいだろ。辛うじてゼロが水滴を物凄い速さで飛ばして攻撃に変えていたけど、偶然の産物らしくてどうやったか忘れたって言われたし……それなら魔術の提供元である水雨に聞いた方が早いかなって思ったんだ」
「そうだネ、ぼくなら知ってるよ。それがぼくの存在意義だから」
と言って誇らしげに胸を張る水雨。先の言葉通り、水雨たち天使は創造主によって各魔術を司る存在として創られ、その存在が自身が司る魔術の知識がない等はあり得ない事である。
上機嫌な様子の水雨に対し、陽気な身振りをしながらカイトは告げる。
「勿論知ってる、だから水雨に相談したんだ。ゼロが起きてから詳しく魔術に関する知識を教えてくれないか?」
「いいヨ!」
そう返事しながら空中をうねる様に翼を羽ばたかせ、教室の四方八方をぐるぐると飛び回った。頼られる事が嬉しいのか、それとも何か他の理由があるのか。カイトには水雨の真意が分からなかったものの、教室の床に舞い落ちる羽根の一つがちょうどレイジの顔へ着地する。
細かく柔らかい羽根が鼻を
「へぇえっくしょん!!」
「あ、起きた」
と呟くカイト。その言葉を向けられたレイジは鼻の下をちり紙で軽く拭っている。そしてレイジのくしゃみの原因である水雨はなおも飛び回っていた。
程なくして、レイジが起きたとようやく気づいた水雨は、すぐさま彼の目の前まで飛んでくる。そして、抑えきれない楽しさが爆発しそうな勢いで話しかけてきた。
「おはようゼロ!レジストリアの強化計画が始まるヨ!!」
「ん、おはよう……その、レジストリア強化計画?って何だよ」
レイジは気だるげに返事をしつつ前髪を搔き上げ、慣れた手付きで仮面を付けた。そんな彼とは対照的に元気よく返事する水雨。
「そうだヨ!みんなで強くなるんだっテ!!」
「みんなで強くって、具体的には?」
「それをこれから決めるんだヨ!」
と、水雨相手ではあまり話が進展しないと思ったレイジは、水雨の後ろで電子端末を弄ってるカイトの方に目を向ける。視線を感じてカイトが顔を上げてレイジの方を見て、何となくだが察したらしい。彼に向かってこう言った。
「要するにまぁ、水って色々と変わるよねっていう話だよ。もうそろそろしたら目とウサも来るから――」
そう言っている途中で教室の扉を開けられた。そこにはメイにサキがしがみつく様にして立っており、二人ともしっかりと仮面を付けている。
「あ、来たね。おはよー」
「うん、おはよう。お待たせ」
「おはよう」
「おはようさん」
と、口々に挨拶する四人を教壇に肘を付きながら見ていた。特段何か言う事もなく、ただ安直に教壇の周りに集まるだろうと思っているのだ。そして水雨の予想通りというか、四人が察したお陰か、何の合図もなしにそろそろと集まった。
教団の前に四人が横一列に並び、それを見渡した水雨が話し始める。
「それじゃあ水の魔術講座を始めるヨ!ちゃんと聞いててネ!!」
「はーい」
ノリが良いのか、全員から返事が返って来た。
水雨が説明したのは無空が解説したものに付け足すような補足事項で、それは以下の通りである。
・魔術で生成した水に触れた場合、俗世の水に触れた時と同じく濡れる
・水の温度調節は自在だが強い精神力や想像力が必要だが、その温度に行使者は干渉されない
・魔術によって生成した水を飲んでも体内で分解されず、ただ体内をゆっくりと通り抜けるだけである
・魔術によって生成された水を凍らせた物質は、行使者が消すまで如何なる攻撃でも破壊されない
・既にその場に存在する魔術によるものでない水を操る事は出来ない
そこまで説明したところで、水雨はカイトを指差してこう言った。
「それじゃあスマイリー!とりあえずやってみテ!!」
「えっ、いきなり?」
「うン!大丈夫、スマイリーなら出来るってぼくは知ってるかラ!!」
という半ば投げやりな言葉をぶつけられたカイトだが、不思議と出来ないとは少しも思えないでいる。と言うより、自分の中にある感覚を研ぎ澄まし、そして明確にどうすべきか簡単に思い浮かべる事が出来た。
そしてカイトは思い描いたものをその場に出現させる。
「水雨の名の下に」
そう言った直後、教壇の上に水が掌程の球体となって浮かんだ。揺らめきあがら浮かぶその物質に一同は固唾を飲んで見守っている。
カイトが深くゆっくりと深呼吸した後、その水の球体に異変が起こった。球体の外側を膜が覆う様に段々と白く固まっていき、中心に向かって水の揺らめきがそのままの形で静止したのだ。
教室の照明で輝く宝石の様に変化した水を見て、一同は歓喜の声を上げた。我が事の様に喜び合う友人に若干の照れくささを感じているカイトだが、それにも勝って自分が魔術によって生成した氷をとても誇らしく思っている。
「流石はリーダー!コツとかあったら聞かせろよ」
「そうだよ、みんなでこれが出来たら向かう所敵なし」
「キラキラ……」
達成感からぼぅっとしていたカイトに三人が話し掛けた。気を撮り直したカイトは自分の中で今行った事を整理して話し始める。
「えーっとね。まず水を生成させて、その水が物凄く冷たいと想像する」
というのを水雨はうんうんと頷いていたが、他の三人の頭上には疑問符が浮かんでいるのだろう。そしてレイジが訊ねる。
「それだけ?」
「うん。これだけ」
レイジはとても単純な方法に驚いたものの、そもそも魔術で物質を出す段階で難しい手順もない事を考えればその通りで正しい。それを聞いていたメイは納得する様に小さく呟く。
「意外と簡単なんだね」
と言いながらメイは教壇の上に浮かぶ氷の球体を見つめた。
そして、カイトの傍らに歩み寄ってきたサキがこう言う。
「作る」
「あぁ、サキも氷作りたいの?良いと思うよ」
カイトから快諾されたサキはこくりと頷き、やや離れたところに移動した。そして小さく呟く。
「水雨の名の下に」
そしてサキ自身の身長程の高さの水の壁を生成した。まるで大きな寒天の様に教室内に生成された水の壁は、床に面している部分から上に向かって氷始める。
時折り微かにパキパキと軽い音が聞こえてくるが、十秒程で氷の壁は完成した。
それを見た一同は思わず拍手し、まじまじと氷の壁を観察し始める。
レイジが氷の壁に軽く触れた直後、すぐに手を放しながらこう言った。
「痛っ!」
「大丈夫?」
と言ってレイジを気遣うカイトだが、サキはからかう様にこう言い放つ。
「自業自得、さっきの話聞いてなかった証拠」
「ウサ様も冷たい……」
と悲し気に呟くレイジだが、サキが言っている事は間違いではない。
先程、水雨が説明した中では『生成した物質の温度に行使者は干渉されない』とあった為だ。
今回を例として挙げると、サキが生成し凍らせた氷の壁に魔術的な関与をしていないレイジが触れ、あまりの冷たさに痺れる様な痛みを感じたという顛末である。加えて、この氷は『如何なる攻撃でも破壊されない』という条件がある為、防衛手段としても更に強化される事だろう。
氷の壁をまじまじと観察したメイはカイトに質問した。
「ねぇ、スマイリー。これの仕方をメンバー全員にどうやって知らせる?」
その問い掛けに、考える様に唸って答える。
「うーん、そうだなぁ……」
開戦から二日目の様に、何の前触れもなくレリフィック教徒たちが襲撃に来るとも限らない。そんな現状で見張りの者たちを持ち場から離れさせる訳にもいかず、かと言って見張りである彼らが会得しなければいけない事でもある。
カイトは暫く考えた後、思い出したかの様に妙案を提案した。
「そうだ、これから動画を撮ってみんなに拡散してもらおう!」
「うん、それならほぼ確実に全員が見るね」
それにレイジとサキも頷いた。一方で水雨はいまいち”動画”というものがよく分かっていないらしく、不思議そうに小首を傾げていたが提案を否定しなかった。
その場にいる全員から賛同を得られた為、一旦生成した氷を消して黒板の前に集まっている。動画内で伝えるべき事、演出、そして誰が投稿するかなどが話し合われた。
そして完成した動画は投稿後すぐに拡散され、感謝や労いのメッセージが四人それぞれに多数寄せられた。その動画を見た後の感想で特に多かったのは『たすかる』や『尊い』等であったり、レジストリアを代表する四人と水雨が全員映っているものはこれだけである為、全員を推している者は暇さえあれば何度も見ていた程だ。
動画内で彼らが絡んだ事に留まらず、電子空間で全体公開の場所でも会話していた。それらが重なり、レジストリアのメンバーの多くは電子端末から目を離せない日となってしまうが、この日はレリフィック教徒による襲撃もなく平穏な一日として終わる。
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宮廷の広い会議室では、ダリスが書類に囲まれてあくせく働いていた。その隣の机ではヴォルツが書類を分野毎に分け、代わる代わる訪れる部下にそれらを渡す業務を担っている。
内戦が始まってからこれまで元皇帝が溜めていた重要書類や現在絶えず届く報告書、そしてこれまで無下にされてきた国民の嘆願書の確認などに追われており、睡眠と食事以外はほぼ席に付いている程だ。しかし、それ程の業務を突然任されたダリスだったが、元々書類仕事は得意だったらしく以前より生き生きしているようにも見える。
とは言え、それでも疲労感は積み重なっていくもので、業務の手を少し止めてヴォルツの方を見た。彼女は彼女で忙しなく機敏に務めているが、ダリスの事も視界に入っていたらしい。ダリスはこんな小言を言われた。
「長官殿、お手隙であれば私の代わりに市街地の見回りを代わりに頼めますか?」
「い、いや。それは遠慮しておこう。私が赴いては部下の良い迷惑だろう」
「そうですか。でしたら次の休憩までは手を動かしてくださいね」
そう言われ、ダリスは再び書類と向き合う他なくなった。というのも、ダリスからすれば実戦もそのような訓練もした事がないのに、国民や部下を護れる筈もないと思っているからである。その思いから開戦から宮廷を出ていない為、未知の戦況では足手まといとなるだろうと考えているのだ。
しかし、その一方で見回りを提案したヴォルツからすれば、市街地の見回りなどただの散歩に等しい。と言うのも、彼女は訓練を受けた軍人であり、開戦前は要人警護に就いていた。そんなヴォルツからしてみれば、魔術を行使する他組織の構成員も荒くれた国民等も同じ対処が可能である以上、どちらも簡単なものだと言う認識は変わらない。
双方に価値観のズレが多少はあるものの、それが寧ろ良い方向へ進んでいるのは間違いないだろう。現にダリスは的確な対処と判断を各所に下し、段々と先代のセ皇帝が治めていた頃に近しい治安を作り上げていたのだから。
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