第三話 「聖なる狂気」

 あれから何事もなく一晩が経ち、明け方から宮廷内の一室はとても騒がしいものだった。というのも、舞台の上で掛けられた”起きていなかった”事にする術が解かれた男が彼の自室で喚き散らしているが、家臣や従者、ヤキリの複製体までもが彼に構う事はなかった。

 誰にも相手にされず、柔らかい布団に胡坐をかき、耳障りな声を上げている。今や彼の自室付近を歩く人間は誰もいないが、辛うじて一体だけ姿を現した。無空だ。

薄暗い廊下をコツコツと軽やかな靴音を鳴らして歩き、やがて元皇帝の部屋の前で立ち止まる。そのままドアノブに手をかけ押し開けた。

無空がやや力を入れて押し開けると、部屋は足の踏み場もなく物が散乱していた。

扉付近の足元には様々な厚みの書物や枕、果物や菓子類等の食べ物まで散らばっている。果物等に書物がぶつかった事で傷み始めているらしく、ぐしゃぐしゃになった菓子の香りと合わせて不快感を覚える程だ。

 案の定とも言うべきその惨状に対し、無空は何の感情も表さなかった。しかし男の方は違ったらしく、無空の姿を見るや否や物を投げつけようと狙いを定め、重い肉体を動かして投げつけた。

「お前の!せいだ!全部、全部!お前のせいだからな!!」

と言いながら力任せに投げられた陶器の食器だが、無空がそれを視認する事もなく背の翼であっけなく払い落された。それを面白く思わなかったのか、今度は棚の引き出し保管されているカトラリーを全て掴み取り、一本ずつ無空に向かって投げつける。

 フォークやスプーン、果てはナイフ等の刃物までもあったが、それら全て無空に傷を付けるどころか触れる事すら出来なかった。肩を大きく揺らして、乱れた呼吸でなおも訴えかける。

「ぼ、ボクがこんなに、可哀想なのも……ぜぇ、んぶ……お前のせい……も、元に戻せ、今すぐ……じゃないと―――」

「どうするつもりですか。また無意味に物を投げますか?」

という冷静な問い掛けも今の男には逆効果で、無空は話しながら物を避ける羽目になった。怒りが沸き上がったのか、厚い唇を歪ませ顔を赤くさせて怒鳴りつける。

「ぐぅ、うるさい!!」

まるで聞き分けのない子供の様に近くにあるものを投げつけるが、それら全ては歩み寄る無空の両翼で払い落されていく。近くに物がないかと見渡そうとした瞬間、彼の手元が影になった。無空が目の前に来たからだ。

 引き攣る顔に汗を滲ませて無空を睨み付ける事しか出来ない男へ、無空は淡々とした口調で言葉をゆっくり吐き出す。

「理解してください。ただの人間ならまだしも、散々甘やかされて甲斐甲斐しく育てられたあなたは人間の形をした肉塊。何の価値もない、ただの物質に過ぎないのですから」

返す言葉も力もない男に対し、更に言葉を畳み掛ける。

「昨日、一瞬で私の魔術に掛かったのが良い例です。本来、皇室の人間なら創造主たる御方の加護を少なからず受けている筈。しかしあなたは術を受け倒れ、私が気まぐれで解除するまで目覚める事はなかった」

「し、知らない!ボクは知らないぞ!!そんな事聞いてない!!」

「それはありえません。証言としてあなたの父親、にして証言させますか?それとも母親をお望みでしょうか」

「死を、なかった……ことに?」

「はい。どちらにせよ肉体は腐敗していますから、言葉を発せるかは不明ですが」

無空の冷血な白銀の瞳に圧倒されつつも、男は震える声で言葉を絞り出す。

「お前、頭おかしいんじゃ――」

「いいえ。いいえ。おかしいのはあなたです。まだ理解できないのですか?」

と、男が言い終わろうところへ無空が否定の声を被せた。そして丁寧にゆっくりと言葉を告げた。

「幸いにもあなたにはあと六日間も考える時間がありますし、その間じっくり考えてください。私はただ生存確認に来ただけなので業務に戻ります」

そして入って来た扉の方へ歩き出した。その後ろ姿へ縋るように男が手を伸ばしながら訴える。

「まて、ボクの事を放置するのか?ボクの人形を連れて来い!腹減った!!」

「自分の事はご自分でどうぞ」

無空は振り返る事もなくそう言い捨て、部屋を後にする。残された男が口を挟む間もなく、彼は扉が閉まっていくのをただ茫然と見ていた。

 これが、受け継いだだけの地位に驕り、過信していた名誉に溺れ、己の愚かさと向き合わなかった者の末路だ。

 しかしこの男はこの状況でもなお、誰かが自分の世話をしてくれると信じており、すべき事も浮かばないまま布団の上に寝転ぶ。そしてそのまま数刻もしない内に眠りについた。



 陽が天高く昇る頃、某所の学校は警戒態勢となっていた。レジストリアが襲撃を受けているのである。

 というのも、レジストリアの大半は実家暮らしの学生であり、帰宅すれば家族や近隣住人に被害が及ぶ。そこで急遽、昨日集まっていた学校全体を本拠地として活用し、要所にメンバーが交代で見張る事となった。

そして昼食も過ぎ、暖かい日和で和んでいた見張りが他組織の集団を発見し、全体チャットに『#正面玄関 #敵襲 ? #なんか来た』等のタグを付けて共有した。その後すぐに周辺にいたメンバーやカイトと水雨とレイジが到着し、すぐさまレイジがメンバーを統率し防衛体制の指示を出した。

「相手の敵意があるかも不明だし、正門からこちら側へ侵入させないように防衛しよう」

という指示に集まったメンバーは全員気合の入った返事をする。

「はい!!」

そうして膜が張られた後に襲撃者は徒歩で現れ、暫く話し合った後に攻撃を仕掛け今に至る。

 現在襲撃を受けている学校の正門には敵対者が若干名、その全員が黒い修道服に身を包んでいる。急な事でメンバー全員に敵対組織の情報を共有しきれていないものの、襲撃者の正体は外見からレリフィック教徒だとすぐに分かった。

 正門前にはナディータを中心に男女数名ずつが正門の前に横一列で並び、静かに佇んでいた。整然と立つ彼らとは裏腹に、黄金の十字架が宙を舞い地面に突き刺さっている。形状や大きさが様々な十字架はレリフィック教徒たちの魔術によるものであり、校舎に被害が加えられていないのはレジストリア側の魔術によるものだ。

 レリフィック教徒が行使する魔術は黄金を自在に生成させるもので、黄金の形状は行使者の精神に影響するとされている。その為、彼らが作り出す黄金は十字架を模っており、細部の形状や大きさは行使者で異なっているのだろう。

一方レジストリアは正門側に半円の厚い膜を張るように水を生成し、その水を穿つ様に放たれた黄金の勢いを軽減させ、校舎に当たらないように防衛している。

 この作戦が有効なのは、魔術で生成した物質は行使者との距離が一定を越えれば動かせず、魔術の制御がまだ不完全である今だからこそ可能な防衛方法と言える。



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 時は遡り早朝、レリフィック教会のとある一室での事。

その部屋にはレリフィック教徒の中でも熱心な信者である『執行者』達が数十名集っており、金陽とオリフィアを上座に全員が神妙な面持ちで着席している。というのも、昨日の対面式での事を報告する場として集められたものであり、彼らが強く信仰を捧げている女神レリフィアと瓜二つの外見を持つ金陽を前に緊張しているのだ。

 そんな執行者たちの心境などお構いなしにドレイトは取り仕切る様に全員に向けて声を投げ掛ける。

「それではこれより報告会を開始します。まずは尊き女神レリフィアの御姿を模され御光臨なされた金陽様の御参入を祝し、金陽様よりお言葉を賜りたく思います。皆、拝して清聴するように」

と言ってドレイトが金陽に向けて頭を垂れると、それに倣う様にその場に集った全ての人間が礼拝と同じく頭を低くした。

程なくして金陽が腰かけたままの姿勢で全体に美しい声を届ける。

「レリフィア様の教えを信じる皆さん、崇高なる創造神よりこの身を賜った者として感謝を伝えますの。私の役目は皆さんに力を分け与える事、皆さんがこの力を有効に活用するよう願っておりますのよ」

と語り、少し間を置いてこう付け加えた。

「見ての通り、この姿は女神レリフィアを精巧に模していますの。その為この玉体は人間の皆さんの目を潰してしまいますので、決してのよ?」

とゆっくりとした語りが終わり、金陽はドレイトの方を向いて声を掛ける。

「以上で挨拶は終わりますの」

その声に短く返事をし、ドレイトは執行者たちに頭を垂れたまま声を発した。

「金陽様、素晴らしい御言葉を我々へ紡いで頂きありがとうございます。皆、頭を上げましょう」

と言いながらドレイトは顔を上げ、全員が頭を上げた頃に再び声を掛けた。

「それから、昨日の報告をミス・オリフィアから」

と名指しされたオリフィアが立ち上がり、全員の方を向いて話し始めた。

「昨日の天使様方の御光臨は皆さんよく覚えているでしょうから、この場での報告は割愛させていただきます。なので私からお話しする事は宮廷での会合での事です」

と語りだし、昨日あの場所で無空が伝えた事から必要最低限を皆に伝えた。自分らがどういう状況なのかやこの内戦の意味、そして金陽の力添えによって得られる魔術等は詳しく語られた。しかしその一方で相手の組織がどういう者たちでどんな魔術を使うかはあまり語られなかったが、話を聞く者たちの中にそれを指摘する者はいなかった。昨日の話を共に聞いていた金陽とドレイトもである。

 ドレイトはオリフィアに対して口出しする事も可能だが、彼女に指摘したとして百害あって一利なしなのだ。彼の発言力などオリフィアの足元にも及ばず、下手に指摘すれば生存すら危うくなる程である。

その一方で金陽はドレイトほどの危険はないが、彼女もまたオリフィアを指摘する事はない。創造主よりこのチョウ帝国での活動を任された身ではあるものの、レリフィック教徒を勝たせろとは命じられていないのだ。

 そうして終えられたオリフィアの話に皆が頭を悩ませ、暫く無言が続いた。彼らが望むのはレリフィック教徒の待遇を優位にさせる事で、他の組織とはどれも折り合いが悪いだろうと思われているのだ。

他国の宗教な上に教徒の半数がレリフィア王国出身者である以上、元来対等と公平を望むお国柄のチョウ帝国では叶えられそうもない望みである。

 しかし、この沈黙の中で怒りの感情を昂らせていた者もいる。ナディータだ。

彼女はあるゆる全てを差し引いても代えがたい存在であるオリフィアの話を聞き、一箇所だけ看過し難い部分があった。

そんなナディータの様子をすぐに察したオリフィアは優しく声を掛けた。

「どうしたの、ナディータ。お顔が険しくなっているわよ」

ナディータはその呼び掛けにハッとし、姿勢を正して返答する。

「は、はい。お姉様。みっともない顔をお見せして申し訳ございません」

「貴方が謝罪をするなら私は全てを赦しましょう。そして私は貴方に求めます、何故そうしていたのかここでお話しなさい」

と、形式的な話し方のオリフィアに向かって、ナディータは率直な主張を伝える。

「はい、お姉様。それは先程のお話の中で看過し得ない箇所があったからです。あの青少年で構成されているという組織が、お姉様の御意見に楯突いたと……!」

その言葉を聞いた執行者たちは口々に賛同の言葉を呟き、一瞬にして賑やかな会となった。

「なんと……!オリフィア様に口答えをするなど!」

「恥知らずの小童なんぞ、すぐにでも救済すべきでは!?」

暫く静観していたドレイトだが、収拾がつかなくなる前に騒ぎを静める必要があるだろう。

程なくしてドレイトがスッと立ち上がり、よく通る低い声で全員に一言呼び掛ける。

「皆、静粛に」

そして再び静寂が訪れ、程なくしてドレイトが再び話を続けた。

「それではミス・オリフィア。ミス・ナディータへ返答を」

と言ってドレイトは着席し、オリフィアが全員に向けて語り始める。

「ナディータの言う通り、あの場で少年たちは私やドレイト神父の意見を完全に否定していました。女神レリフィアの教えに基づいて発言した我々に落ち度はありませんが、彼らとは根底から理解し得ないのかもしれません。ですが彼らはまだ若い学生集団ですので、これから思想を改める可能性も大いにあります。ですよね、サト」

と、執行者たちの視線はオリフィアから名指しされたサトへと移った。端の方に座っていた彼女はヘラっと笑いこう答える。

「えぇ、オリフィア様。、彼らもまた我々の教えを信じるようになると思いますよぉ」

そう言い終わると同時にオリフィアが話を続け、執行者たちの視線も再び彼女へと向けられた。

「そうね、ありがとう。ともすれば、彼らがどういう思想や意志を持っているのか確かめる必要がありますね。その役目を請け負って下さる方はいますか?」

という呼び掛けに、一人の者が瞬時に席を立った。ナディータだ。

彼女は立ち上がったと同時にオリフィアの方へこう告げた。


「はい、私が参りましょう。お姉様」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 暫く続いた無言の攻防を先に断ち切ったのは、カイトの拡声器から発せられる警報音である。今まで拡声器を持つ機会がなかった彼からすれば、ボタンの押し間違うなど当然だろう。

正門とやや距離を開けた場所からやや動揺した口調で声を通した。

「あー、びっくりした……えっと、とりあえず攻撃を止めてもらって良いですか?」

というカイトの声が届いたのか、レリフィック教徒たちは一度攻撃を止めて一箇所に固まった。それからしばらくして教徒たちの中からナディータが前に進み出て、カイトの方へ届くように声を張り上げる。

「わかりました、一時的にですが停止しましょう!ですが、あなた達の様な子供は一刻も早く”救済”されるべきなのです!」

「救済、ねぇ。こちらとしては全く頼んでないんですケド。押し付けがましいもんですねぇ」

そう言うカイトの声は飄々としていたが、何処か強い意志を感じるものだった。そんな彼の言葉を窘める様にナディータが返す。

「これを良く思わないのはあなたがまだ幼い証拠なのです!大人の意見に背く事で自分の立場を守る、そんな浅はかな子供は大人に保護されているべきだと理解しなさい!」

「いやいや、それとこれとは全く別でしょう。大人は子供に教育と称して殴るんですか、それが正しいんですか。少しも理解できないんですが?」

「なぜ暴力的な話にするのです!大人しく救済されていれば良いというのが分からないのですか!」

怒りで肩を震わせるナディータに対し、カイトは平然とした態度で立っていた。いつの間にかカイトの横に駆け寄っていたレイジが拡声器を取り、言葉を投げ掛ける。

「数分前までご自分が何をされていたか覚えてらっしゃらない?保護すべきと言った子供に向けて黄金の塊を大量に投げ込んだんですが、全く素晴らしい思想ですねぇ」

「金陽様の崇高なる御業にその様な呼び方をするだけでなく、女神レリフィアの教えを愚弄するのですか!聞いていた以上の礼儀知らずにも程があります!!恥を知りなさい!!」

と言い、強く否定するナディータだがカイトとレイジは特に気に掛けてなどいなかった。無宗教の彼らにとって何かを崇める事も拝む事も理解できず、ましてや初対面で名前も知らない相手に『浅はかな子供』や『恥知らず』等と言われたのだ。

 感情的なナディータに対して仮面のお陰で表情が変わらない様に見えるレイジだが、内心少しだけすさんでいるせいか言葉が刺々しくなる。

「そもそも、自分の思想を誰かに押し付ける事そのものが間違ってるんですよ。必ず右から足を踏み出さなきゃ歩いちゃいけないんですか?違うでしょう、でもあなたが言っているのはそういう事なんです」

「誰もそんな事は言っていないでしょう!?憐れなあなた達を救おうとしているお姉様の善意を踏み躙るつもりですか!」

「いやだから……あなたと話してると埒が明きませんね。そもそも語られている言葉が薄っぺらいんですよ、そのせいで”お姉様”とやらも不出来な人物に聞こえますし。もう少しよく考えてから話してはどうです?」

と、正論だが不躾な物言いをするレイジ。彼の言葉に返答する者がいないまま静寂は訪れ、やがてナディータが笑い声を上げる。彼女のその笑い声を聞いたカイトらはすぐに”地雷を踏んでしまった”と勘付くと同時に、大変な事をしたかもしれないと思った。

ナディータの絶叫にも近い狂ったその声に冷静さなどなく、菫色の瞳を見開いてカイトたちの方へこう告げる。

「あなた達とは分かり合えそうにありません!今この瞬間にそう判断しましたわ!!なので救済活動を強行致します、対象者はここにいる全員です!!」

このあまりにも極端な発言に、カイトはやや驚きつつも冷静に提案した。

「さすがにその人数で俺たち全員を相手にするのは無謀すぎるでしょ、もう少し現実的な数にしたらどうですか?」

「そうだヨ!金陽と距離が離れてる君らは泥水塗れになるのが目に見えてるシ!!」

と、今まで黙っていた水雨もカイトに賛同する。カイトに言われた事はどうでも良いナディータだが、尊んでいる金陽と近しい存在である水雨の言葉は聞き入れたらしくこう言った。

「……わかりました。尊き天使である水雨様がそう仰るのなら、私はその御意思に従うのみ。ですが、これでは我々レリフィック教を辱めた罪は拭いされませんわ」

瞳孔が開いたままのナディータに問い掛けられ、レイジが拡声器を受け取り一歩前に出て提案した。

「それじゃあ俺と一騎打ちはどうでしょう。一応組織の副リーダーなので首はお墨付きですよ」

と言い、自身の首を指差した。

「良いでしょう。ではその様に」

そう言って黄金を生成しようとしたが、それはレイジによって停止される。

「いえ、そこからじゃなくてこっちで行いましょう。お一人だけお通りください」

という声に合わせてか、正門に張られいる水の膜の一部が一人分程の大きさの空間が開けられた。ナディータはレイジの言葉通り、一人のみで水の入口を潜りグラウンドへ足を踏み入れる。彼女が潜り終えたと同時に空間を飲み込むように入口は閉められた。

ナディータは少し歩いたところにいたカイトらとは距離を取って立ち止まり、彼らに向かって呼び掛ける。

「約束通り来ましたよ。それで、どうしましょうか」

「細かい決まりなどなしに、お互い納得するまで続けるとしましょう。開始の号令は我らがレジストリアのリーダーという事で」

「請け負った」

そう言いながらカイトが軽く手を振る。一見緊張感のない態度に見えるが、カイトの仮面の下は緊張で歪んでいるのはこの場の誰も知る由もない。

そして一瞬にして緊迫した空気へと変わり、ナディータとレイジは互いに向かい合った。カイトは双方を交互に見やり、右手を高く振り上げてこう宣言する。


「よーい―――始め!」


「金陽様の名の下に!」

と言うカイトの掛け声が終わると同時にナディータは誓いを立てる。それから祈るように顔の前で手を組み手のひら程の十字架を周囲に形成させ、レイジは左手を前に突き出しこう言った。

「水雨の名の下に」

するとレイジの四方を囲うように水の壁を形成された。その一方でカイトはというと、水雨から瞬時に脇下から抱えられて空に浮かんでいる。

 ナディータが形成させる黄金は長さが違う棒が融合しているだけの様なデザインをしており、彼女の根底にある精神性をよく表しているものだ。それが四方からレイジ目掛けて放ったが水の壁によって弾かれ、散らばる様に地面へ落ちてすぐに消えた。

 レイジが自身の周囲に形成した壁の表面は激しく流動しており、ナディータの十字架ではその壁を貫く事は出来ない。それを見越してか、ナディータは弾かれた十字架を消滅させ、攻撃の手を休める事なく連撃を繰り出している。

余りにも考えなしの様な戦法を見せられたレイジは挑発する様に声を掛けた。

「自分から言いだしておいて何ですけども、一騎打ちとは言え地味ですね。さっきまでの強襲でお疲れですか?」

そう言われたナディータは手を組む力を緩める事なく、レイジを真っ直ぐと見て答える。

「そう言っていられるのも今の内でしょう」

「そうですか」

と、レイジも短く返答する。戦闘中とは思えない平然とした会話だが、レイジが水の壁を消滅させてしまえば無数の十字架が全身を強く打つだろう。急所に当たれば一気にレイジが不利となる事は確実だ。


 一方、上空を飛ぶ水雨と抱えられたカイトは地上の攻防を見ていた。と言えば聞こえが良いものの、実際はたまに飛んできた十字架を水雨が乱雑に避けている。その為、カイトの視界は常に不安定で振り落とされない事を願うしかなかった。

地上の様子を見ていた水雨がカイトに声を掛ける。

「ねぇ、スマイリー!あの人間何かしそうだヨ!!」

「うぅん?あんまりよく見えないケド……」

そう言ってカイトがナディータを凝視した時、飛んできていた十字架を水雨が勢いよく避けた。それによって急に横へ振り回されたカイトだが、偶然にも口を開いていなかったので舌を噛まず済んだ。

カイトは奇跡的に今生きている事を噛み締めながら、自分やレイジを始めとするレジストリアの全員が今日を生き延びる事を願う事にした。文字通り地に足が着かない彼にはそれが精一杯である。


 長く続いたナディータの攻撃だが、彼女の背後をふと見て気づいたレイジはこれまでの攻撃が準備段階でしかなかった事に気づく。

ナディータの背後に蠢く黄金は段々と大きくなっていき、数刻前まで小柄な彼女の背後に隠れていたのが嘘の様に高くなっていく。次第に模られていくその黄金は祈る美しい女性を中心に、そこから先端までに無数の蔦が絡んでいる様な造形の大きな十字架が上空に浮いた。

 レイジは冷静に水の壁を形成したまま後退りし、これから行われる攻撃に身構える。とは言え、彼の眼前に迫る巨大な黄金の塊で繰り出される攻撃など分かり切っていた。

これに水の魔術で対抗する方法を知らないレイジだが、そんな彼の事情などお構いなしにナディータが目を見開き告げる。

「さぁ、受け取りなさいまし。これがお姉様の、レリフィック教の救済です」

大きさにして彼女の二倍以上はあるだろうその黄金が、レイジ目掛けて振り落とされる。

レイジは最低限避けられる距離まで十字架の下に留まった。ナディータが黄金をどれ程操れるかは未知であり、そうして十字架からの物理的な攻撃が当たらない範囲を見極め、安置へ飛び込み素早く前転して事なきを得た。

 レイジの推測通り、十字架は彼が先程まで立っていた地面に深くめり込んだ。もしあそこで動けなかったら、等と考えると額に汗が滲む。

しかし重量のある十字架とグラウンドとに起こった衝撃で砂埃が舞い上がり、仮面の目の部分がぼやける様に汚れた。先程まで水の壁によって全身に細かい雫が飛び、それは仮面も例外ではなかった。

付着した細かい汚れを拭いさる事も出来ず、強制的に霞まされた視界でナディータの姿を探すレイジ。

そんな彼の耳は淡々とした声を聞き取った。

「遅いですよ」

その声は背後から聞こえ、レイジは瞬時に振り返ろうとしたが足をもつれさせてしまった。小柄な彼女と比べて体格差のあるレイジだが、彼が座り込んでしまえばナディータが有利となる。

 ナディータが振り下ろそうと構えた手から浮いた空間に黄金の十字架を形成されていき、レイジへと向けられた先端が段々と鋭利なものへとなっていった。レイジの頭の中には過去に読み漁った対人戦での資料や文献等が次々に浮かんでは消えていき、現在のこの状況に応用出来る”答え”を見つけられないでいる。

 刻一刻と時間が無くなる中、レイジが導きだしたのは瞬時息を吸い込んで自身を包むように水を生成させる方法だ。西日がよく当たるグラウンド、そして水の表面は常に小さく弾んでいる。そして水中にいる利点を用いて自身を包む水の一部をナディータへ当たるように構えた。

 ナディータは形成完了した短剣の様な十字架を振りかざし、レイジも水の表面から一部弾き出した瞬間―――。


ゴォ―ン、ゴォ――ン。


 遠くから聞こえてくる鐘の音に全員が耳を傾けた。六度鳴ったその鐘はチョウ帝国に住まう全ての者に夕暮れを伝え、毎日休まず音を響かせているものだ。

その鐘の音を聞いたレリフィック教徒はいそいそと立ち去り始めた。

先程まで臨戦態勢だったナディータも正門に向かって歩き出しており、そんな彼女に向かって座り込んだまま水浸しのレイジが声を掛ける。

「もうお帰りですか?あと少しで俺を殺せたというのに、きっと後で後悔しますよ?」

という問い掛けにナディータは上体だけ振り向き答えた。

「これから”夕の務め”なのであなた達に構っている時間などないのです。今日は偵察が目的ですし」

「そのお務めの後にでも偵察っていう言葉を調べ直した方が良いのでは?こちらとしては、今日の事は襲撃としか思えませんし」

そう言いながら洋服の水気を絞り出し、言葉を続けた。

「そもそも、偵察っていう名目ならなぜ我らがリーダーと話したのですか?その結果こうなったのも不要な事だったのでは?」

その問い掛けにはやや俯きがちに答えたが、語気の強さから罪悪感等は持っていないようだ。

「お姉さ―――いえ、こちらとあなた達が利害関係を持てるかを知る必要がありましたから……先程の交戦は品位に欠ける行動だとは思いますが、レリフィック教を貶す様な物言いには腹が立ちました」

「……なるほど、わかりました。引き留めてすみません」

「そうですか。それではご機嫌よう」

と言ってナディータは正面を向いて歩き出したが、数歩進んだところで言葉だけがレイジに投げ掛けられた。

「……最初の質問の答えですが、金陽様の力がなくともあなた達を”救済”する事は容易です。お忘れなく」

そうして再び歩き出し、やがて他の教徒達と共に去っていった。

レリフィック教徒らが去ってから暫くし、カイトがようやく地上に降ろされた。抱えられた時と同じ体制のまま足を地に着け、よろめきながら自力でレイジの横に立つ。

そのすぐ後ろを水雨はふわふわと漂った。

 数時間も続いた警戒態勢もこれで解かれ、ようやく気が落ち着けるレジストリア。今生きている事に安堵感を覚えるレイジは肩の力を抜き、ゆっくりと息を吐く。

その横にいるカイトは疲れ切った声色でレイジに労いの言葉を掛ける。

「お疲れ。こうして並べて立てると信じてたぞ」

「勿論。まだくたばれんさ」

と言って草臥れた様子のお互いを見て笑い合った。するとレイジは自分の左頬に少し掠り傷が出来ている事に気づく。

「痛っ」

「あれ、どこか怪我した?」

と言ったカイトに続き、水雨がレイジの顔を覗き込むように飛んでくる。

「死ぬとかじゃないならぼくが治せるヨー?」

「あぁ、いや。自分の甘さで出来た傷だから大丈夫」

その返答にカイトはふむふむと納得したように頷いて、水雨はキョロキョロとした瞳で見つめながら言う

「どうしても痛むなら早めに言ってネ!」

「ありがとう」

 傷を気遣い自分の意思を尊重してくれる友、そしてやや人間味のある提案をする天使。彼らの両方に感謝を伝えつつ、こんな些細な会話が出来る相手も大切なのだと深く噛み締めた。

 その一方で教会へ帰る途中のナディータも自身が小さな負傷をしていると気づく。

彼女の場合は右頬で、黒いウィンプにも穴が開いてしまっている。並んで帰っている教徒たちがその事に気付くと甲斐甲斐しく扱われるものの、ナディータはそれが鬱陶しく思えた。

 しかしそんな彼女を一瞬にして笑顔にする人物がいる。ご想像の通り、レリフィック教の光と謳われるオリフィアだ。彼女がナディータの切れた右頬をハンカチで軽く拭うだけで彼女は舞い上がる様に感激したのは言うまでもないだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る