第18話 放課後の彼女

氷室 涼音と接触した翌日の放課後、その日も引き続き会での活動を続けた。


ただ、掲示板というツールを使用していない生徒だって当然いる。俺だって校内の掲示板なんて使ったことのないものだったのだ。そこで考えた次の一手は、ネットではなく直接校内を回るというものだった。宣伝効果のため看板や厚紙も作り、準備を整えて挑む。


宣伝に向かったのは賀山くん、永瀬くん、黒田さんの三人だ。一方の俺と土屋くんは普段通り会の部室にて、掲示板での活動に勤しんでいた。


『あれ?再審査っていつだっけ?』


『明後日』


『俺は神谷さんでいいと思うわー』


『ウチもー』


『いや、氷室にするかな』


『涼音に一票』


『俺は会の奴らをフォローしてるから、神谷さんにする』


『黒手袋のフォロワーって私以外にいない?』


『あ、自分フォローしてます』


……なるほど。やはり生徒達は会か堕とす者のどちらかをフォローし、それに基づいて票を入れるらしい。


「ちなみにフォロワー数ですが、18人あちらに負けていますね。この数値がどう出るか───不安要素は残りますが」


「……そうだね。でも、もう明後日なのか」


生徒会再審査は明後日の放課後。HRにて投票を行うらしい。神谷 志穂か、それとも氷室 涼音か───このどちらかにのみ投票をする。……無論、どちらにも入れないだなんてことはできない。


「クライマックスですね。後は、勢いに乗ったまま宣伝をし続けるのみです」


「校内組にも期待しよう。この人数なんだから、圧力もある」


「ええ。人数は武器ですから、活かしていきましょう」


土屋に頷き、窓の方を見る。ここからは部活動に勤しんでいる生徒達がよく見えた。そこからは彼らの威勢の良い声や張った声が耳に届く───。


「……氷室さんや神谷さんは、きっとすごく重たいものを背負ってるんだろうね。学校を良い方向に変えたり、維持させたりって、本当に大変なことだと思う」


思わずそう呟いていた。生徒会長、委員長、優等生、厳格な家庭、帝王学、規範、模範、勝者───、


神谷 志穂という人間は、どこまでを抱えて生きてきたのかを、俺はまだ、その深くを知ることができていない。


当然だ。だって神谷さんと比べた俺の人生なんて、彼女から映る有象無象の中に紛れ込み掻き消えてしまうほどの、それくらいの脆いものなのだから。


でも、だからこそ───、



「───神谷さんの手助けがしたい」



それだけは、絶対に揺るがない意志だった。


そんなとき、部室のドアがノックされる。丁寧な力加減と間と回数でなぜかわかった。……それが神谷さんだということに。


そしてその読みが当たり、彼女がその姿を俺達に見せる。


「……こんにちは、。今はお時間、大丈夫ですか?」


「……やっぱり、知ってたんだね。俺達の存在を」


俺がそう尋ねると、神谷さんは頷いた。


「知っています。あなた達が裏で暗躍して、掲示板で宣伝したり、校内を歩き回っていることは」


「───さすが」


そう残すと、彼女は俺の方を見据え、口を開いた。いつもの無表情で、いつもの声色で、動じない姿勢で───。


「須藤くん、少しお話があります。あなたに、いえ、あなた達会への、伝えたいことが」


踵を返し、廊下に出ようと歩く彼女。どうやら、付いてこいという意味らしい。それを眺めて、土屋くんは言った。


「須藤くん、お願いします。僕はここで待っていますから」


「わかった。……行ってくるよ」


そうして廊下に出て、ドアを閉める。それを見届けた彼女は、次の要求をした。


「屋上に出ましょう。風に当たりたいので」


「……うん」


そうして沈黙を保ち、俺達は旧校舎の静寂な廊下を歩く。……空気は重く、まるでそれだけで体が潰れてしまいそうだった。


二人してそのまま階段を昇り、屋上へと足を踏み入れる。鍵は彼女が管理しているらしく、簡単に入ることができた。


「───」


屋上に入った途端、まず責めてきたのは日差しだった。夕陽の橙色が蛍光を放ち肌を焼く。そうして風は泳ぎ、俺達に平等に吹き付けた。


「……それで、話って?」


切り出すと、彼女はその広い屋上の真ん中に立ち尽くし、髪をなびかせる。淡い髪色が踊り、その度に心臓が高鳴った。


そうして彼女が切り出したそれは、俺の予想とは違ったものだった。


「───あなたは、神様を信じますか」


「え……?」


唐突だったから、声が上手く出なかった。しかし彼女はお構い無しに、俺を見据えて続ける。


「これは私の持論ですが、私は───神様なんて、いないと思います」


「どうしたの?急に……神様の話なんか」


「───そうですね。今は関係のない話です。しかし、私には関係のあることなんです」


「……どういう、こと?」


「昔からそうでした。生きていると、色々なことが降りかかるものです。何かに強く喜んだり、何かを強く憎んだり、何かが強く、主張してきたり───そんなことの連続です」


そうして彼女は振り返り、夕陽を背に主張する。


「幸せと不幸はそれでも、どんな人間にも平等だと思います。時に、追い詰められたとしても……まだ何かを糧にして、全力と全精力を振り絞るのが人間なのですから」


「───」


「少なくとも、私はそうしてきました。歯噛みと怨恨が降りかかっても、その度に大切な何かを思い描き、耐えてきた。───故に、」


彼女は、屋上の色彩を閉じ込めた瞳で……伝えた。



「───私という人間を、可哀想だなんて思わないでくれませんか」



「───っ、」


それこそがきっと、彼女がもっとも伝えたかったことだった。揺らぐ視界に映る彼女の口元から零れた、本音。それは俺を強く揺るがし、痛みを感じさせる。


「あなたが優しい人間だということは理解わかっています。傷つき苦悩する者を見ると、動こうとしてくれる人間だと。私が見てきた人間の中でも、あなたは本当に優しい人だった」


踏み出し、一歩を踏み出す彼女は、そのまま演説にも近い自身の想いを打ち明ける。


「ですが、だからといって神聖な勝負に手を出し、助けてくれるのはまた別の優しさです。それを私は、だと感じました」


「───」


「須藤くん、ですからどうか私に───最後まで独りで、戦わせてくれませんか?……これは、私の、なんです」


「……神谷、さん」


「掲示板での宣伝や、校内を回る宣伝も要りません。それで勝利を掴んだからといって、それは私の本領発揮なんかではありませんから。私は、自分を信じたいんです」


神谷さんはゆっくりとこちらに向かって歩み出す。そして、制服のジャケットのポケットからを取り出し、俺に見せつけた。


「間に合わないわけではありません。申し訳ありませんが、あなた達の暗躍が勝負に支障を出さないため、できる限りのことはしてきましたから」


「───っ!それ、は……」


彼女はそこから取り出したを自身の両手にはめ、提示する。───これは、そう…… のユーザーアイコンに酷似していた。


「まさか……神谷さんが、あのユーザーの正体だったの?」


「───。本当にすみませんでした。しかし、これで良いのです。こうでもしないと、努力無しに私の圧勝ということにもなりかねません。あなた達の努力を踏み躙ってしまったことについては、本当に申し訳なく思っています」


「……神谷さん」


「ですがどうか、信じてください。私が勝利を収めることを。そして、あなた達の分までこの勝負に打ち勝つことを───」


「───うん。わかったよ……」


「ありがとうございます」


───夕暮れの橙色も、もう消えかけていた。

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