その②
そこから先は速かった。
まずは
こんなに簡単に密入国できていいのだろうか、と両国の警備体制に
かくして一日やり過ごした頃、貨物室の
「
思わず木箱の上から顔を出すと、実年の男と目が合った。
「はじめまして。あなたがブライアン様?」
「いかにも。お初にお目にかかります、ノーラ様。お待ちしておりました」
ヴァンレイン国の先々代竜騎士団長ブライアンは、想像よりも物腰の穏やかな人物だった。現在は貿易商で竜の調教師として働いているという話だから、職業
彼の手引きで竜船を下り、船着き場を抜けて二頭立ての馬車に乗り込んだ。ぽくぽくと
「お母君は息災ですかな?」
「ええ、とても元気にしています。長年
「肺のご病気も治られましたか。それは本当によかった」
ブライアンが破顔する。笑うと顔中に
「あの、ブライアン様は」
「私のことは『お館様』と」
そう言ってから、照れくさそうに頭を
「いえ、あなたにはこれから私の養い子として生活していただくことになりますので。ご身分が
「もちろんです。よろしくお願いします、お館様」
「自分で言っといてなんだが、こそばゆくてしかたねえな」
ブライアンはがらりと口調を変えてきた。こちらが素の
「それで、なんだったかな」
「あの、お母様とはお友だちだとうかがっているのですが……」
「下級貴族出身の
「あっ、違うんです、信じられないわけでは……」
リオノーラは慌てて
「いいってことよ。
(こんなところでお母様の昔の話を聞けるなんて)
「あの姫様の御子がお二人ともヴァンレインにやってくることになるとはなあ……運命じみたものを感じるよ」
ブライアンはどこか感慨深そうにがしがしとざんばら髪を掻いた。
リオノーラは着いたその足でブライアンとともにヴァンレイン王宮へ向かった。
二頭立ての馬車で揺られること一日半、大きな
ヴァンレインの王都ドラグリスだ。レイブラの王都も空からの
ブライアンが窓を開けて門番に通行許可証を見せると、すぐに通された。
城門をくぐった先には、石造りの街並みが広がっていた。レイブラのように壁が白
(って、油断は禁物よ。正体がばれたり、クビになったりしたら元も子もないわ)
見るものすべてが
すべてはシャーロットを守るためだ。
ドラグリス王宮は小高い
ヴァンレイン竜騎士団は五つの竜騎隊から編成されており、第二竜騎隊から第五竜騎隊まではそれぞれ東西南北にある国境警備に当たっている。王都を守護するのは、王宮に本部を
王都に入ったときと同じような手続きを繰り返し、リオノーラはブライアンに従って王宮に入った。まっすぐに竜騎士団の宿舎に案内される。
ここでは竜騎士と
「おっかしいな。新しい子を連れてくるって話してあったんだが」
ブライアンが困ったように頭を掻く。
しっかり
階段を下り、半地下にある使用人用の一室に通された。こぢんまりとした一人部屋で、家具は小さな机と
「ちいとばかり
「いえ、可愛い部屋だと思います。わたし、ここが気に入りました」
「そう言ってくれると助かるよ。まずはここの責任者に挨拶しないとなあ。ちょっと探してくるから、荷物を置いてゆっくりしていてくれ」
ブライアンが立ち去るのを待ってから、リオノーラは部屋の
ゆっくりしているように言われたが、リオノーラははやる気持ちを
裏口の戸を開けてみると、大きな切り株に
(竜騎士かあ……)
なれるものならば、雑用係よりもそちらになりたかった。
(わたし、リオノーラ・アデル・レイブラはシャーロット王太子
自分の
「困るんだよねえ。あんたみたいな女の子ばかり
目を
とはいえ黒髪は
違うのは目だ。
「
「それはこっちのセリフ。どうやってご
「なっ……!」
どうやらリオノーラがここで働くことは知っているようだが、
「失礼なっ! わたしは誰とも結婚をするつもりはありません!」
「そういう子ほど早く結婚するんだよねえ」
「わたしは違います! あなたこそ、こんなところでサボっていていいんですか? その制服、竜騎士団のでしょう!?」
青年は、ああこれ? と肩に引っかけた制服の
「サボっているのは否定しないけど、俺は
気楽に言って、もう一本の木剣を拾い上げる。すっと無造作に剣先を突き出しただけでも、剣を扱い慣れた者特有の安定感がある。
「いちおう、志望動機を聞いておこうかな。どうしてここで働きたいんだ?」
「それは……」
シャーロットを自分の手で守るため、などと言えるはずがない。
かといって、
「あなたみたいな不真面目そうな人には、王宮の警備を任せられないからです!」
青年が、おっ、と片方の
「
言うが早いか、青年が一気に間合いを
リオノーラが慌てて剣を構えると、そこに強い
(馬鹿にしないで!)
レイブラ王宮で騎士たちの
二合、三合と木剣が
両手で受け止めるのが精いっぱいだ。じりじりと追い詰められて後退していくうちに、右足の
青年がさらに
まずい、と思ったときには、青年が飛び込んできて、背中に
「ごめんごめん、ちょっとやりすぎた」
「────っ」
リオノーラが平手打ちを
「ハーヴェイ! 何をやってる!」
彼が口にした名前に、思わず血の気が引いた。
(ハーヴェイって、あの〝竜殺しのハーヴェイ〟!?)
だとしたら、この青年はヴァンレイン竜騎士団の最高責任者であり、
リオノーラは慌ててハーヴェイの腕をすり抜けて距離を取ると、姿勢を正してかしこまった。いまさら
「大変失礼しましたっ! 団長様とは
「ああ、
不満そうに見つめられて、ぶんぶんと首を横に振る。
「いえっ、そういうわけでは! 思っていたよりお若かったので……団長とかそういうのって、年功序列みたいなところがあると思っていたので」
「それなー。俺も先代が亡くなったときは、年上の竜騎隊長の誰かが
ハーヴェイは
「そしたら『いや俺がやる』『いや俺が』って全員が手を挙げはじめてさ。俺も立候補しなきゃいけないみたいな流れになってきたから、しかたなく手を挙げたんだよ。そしたらなぜかどうぞどうぞって
話を聞いていたブライアンがぶはっと
「そんときの話ならカルロから聞いたぜ。みんなびびっちまって
ふて
「そうそう、
「雇うのは構わないけど……あんた、竜騎士団で働きたいのか?
言外にやめた方がいいと言われた気がして、リオノーラは再び背筋を
「働きたいです! 精いっぱい
大変だろうと困難だろうと、竜騎士団に雇ってもらえるならなんでもするつもりだ。
シャーロットを自分の手で守りたい、なんて、さきほどの手合わせの後では口が裂けても言えない。ハーヴェイが母の語っていたような人物なのかどうかもわからない。
ただそれとは別に、シャーロットを守る竜騎士団が力を存分に発揮できるように、
ハーヴェイがふっと降参したように苦笑した。
「物好きだねえ。まあ人手が足りてないのは確かだから、来てくれたら助かるよ」
「ありがとうございま──」
「だが、嘘はいただけないなあ?」
どきりと心臓が跳ねた。まさか正体がばれたのだろうか。
いままでの会話の流れを必死に思い出す。リオノーラの正体がばれるような発言はあっただろうか。わからない。混乱して
「なあ、ご隠居?」
「なんだ?」
ハーヴェイと、あくまでしらを切るブライアンの視線が交錯する。
「古い友人の娘ってやつ……嘘だろう。本当はあんたの隠し子なんじゃないか?」
「ええっ!?」
リオノーラは慌ててブライアンを見上げた。
「どうしてお館様がこんなに親切なのか不思議だったんですけど、まさか……」
「まさかじゃねえ! 違う違う! 誤解です……誤解だ!」
「んなわけねえだろうが!
「えー、
「怪しくねえ!」
ブライアンに背中を
「すまんなノーラ。このとおりふざけた男だが、竜のついでに世話してやってくれ」
「はいっ!」
「……そこは元気よく返事をするところじゃないぞー」
ハーヴェイがおどけたように
「あ、あの?」
ふざけているのかと思って顔を見て、どきりとした。さきほどまでとは打って変わって
「ノーラちゃん、魔力強いな。こりゃあかなりのもんだ」
「そうですか?」
「細腕のわりに剣に勢いがあったから不思議だったんだが、魔力を
「えっ!? いいんですか!?」
直接シャーロットを守る立場になれるのなら願ったり叶ったりだったのだが、リオノーラが喜んだのもつかの間、ぽかりとブライアンの
「馬鹿言うんじゃねえ。大切な預かり物に危険な
「わかってるって、冗談の通じないジジイだな」
冗談ではなくてもいいのに、なんて言い出せなかった。
それから一ヵ月。晴れて竜騎士団に雑用係として雇われたリオノーラは、
他の使用人たちによると、国民の
(それにしてもお母様ったら心配
竜舎当番を終えたら次は厨房の手伝いだ。
「ノーラちゃーん、俺のちょっと多めにちょうだい」
「今日も可愛いね。愛してるよ」
「はいはいお世辞を言ってもだめです、みんな平等に多めですからね」
適当にあしらいながら次々と食事を運び、空になった食器を下げていく。食事時の食堂は戦場だ。いちいちまともに取り合っていたらきりがない。
ちょうど空いた席に、
「おまちどうさま!」
「──おい、待て。これはどういうことだ」
呼び止められるまま振り返ると、彼は水色の鋭い眼差しをさらに険しくさせながら、湯気をあげる食器を指差していた。
「他の連中より量が多い。
リオノーラは目を丸くして、亜麻色の髪の青年──ジェレミア・エイク・ヴァンレインをまじまじと見つめた。
我の強そうな顔立ちは
母の異母兄の
「別に、特別扱いなんてしていません」
「なんだと!?」
「ジェレミアさんがみんなよりも早く起きて自主鍛錬をしているところを見かけたので、みんなよりもお
ジェレミアが、むっ、と口ごもるのを
(なんだか共感しちゃうのよね)
彼は王子の身分でありながら竜騎士の道を選んだ。聞いた話では、
とはいえ、彼だけを特別扱いしていると思われるのは本意ではない。
「いらなかったら、他の人にわけてあげてください」
「だ、誰もいらないとは言って……」
「じゃあもーらいっ!」
ひょいと後ろから伸びてきた手が、ジェレミアの食器からウサギのかたちにカットされた林檎をさらっていく。あっという間に林檎はハーヴェイの口に消えていた。
彼は今朝もアクセルに契約を
「団長!」
「いやー、ジェイミーがいらないって言うからさー。残しちゃもったいないなーと」
「誰もいらないとは言っていない! あと、勝手に人の名前を改変するな!」
ジェレミアが子犬のようにわめく中、ハーヴェイの口元からはしゃくしゃくと小気味よい
あっ、と思ったときには、彼らの頭に次々と盆の角が落ちていた。
ぐぇっ、とか、いたっ、とか情けない声をあげて頭を
「おやめなさい、
銀糸のような美しい髪に珍しい
東方小国の血を引きながらヴァンレイン竜騎士団の副団長まで上り詰めた才人だ。名をカルロといい、ブライアンの養い子の一人でもある。いつもふざけてばかりの緩いハーヴェイとは対照的に、騎士団内での風紀や規律に厳しく、竜騎士たちの間ではひそかに「筆まめ先生」と呼ばれている。
カルロはすたすたとハーヴェイに近づいていくと、懐から
「部下の食事を奪うような意地汚い団長に仕えることに限界を覚えました。お
「やだなあカルロちゃんたら。いつもいつも冗談きついんだからー」
ハーヴェイは慣れた手つきで封書を受け取ると、笑顔でびりびりと細かく破り捨てた。ここでは見慣れたやりとりに、貴重な食事の時間を
(本気で
ヴァンレイン竜騎士団は今日も平和だ。
「……ふん、辞めたければさっさと辞めればいいだろうに」
ぼそりとしたつぶやきが聞こえて振り向くと、ジェレミアが口元をハンカチで拭いつつ立ち上がったところだった。目の前に置かれた食器は既に空になっている。早食いと早寝、早着替えは騎士や兵士の得意技だ。
「やりたくない仕事でも職務を
じろりと
「いえ、ジェレミアさんって本当に竜騎士団を大切に思ってるんだなーと思って」
「なっ……!? り、竜騎士として当たり前だろうが。くだらんことを言うな。これだから
「そうですよね、ごめんなさい」
さらりと答えて、リオノーラはジェレミアの食器を盆に載せて下げていく。
厨房に戻る途中で他の食器も回収しながら、ちらりとカウンターに置かれた木製の日めくりカレンダーに目を向ける。
今日は水曜日。約束の日だと思うと気合いが入る。
(夜まで頑張れば……うふふふふふふ)
「おい、変な顔になっているぞ」
「この顔は生まれつきですー。ぐふ、ふふふふ」
なぜか引いた様子のジェレミアに笑顔で言い返すと、リオノーラは自作の歌を口ずさみたい気持ちを抑えて、空の食器を手早く回収していった。
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