その②

 そこから先は速かった。

 まずはまるんでり病にかんしたことにし、きゆうへ移動する馬車をちゆうえた。それから国境である大断裂の手前にある港町へ向かうと、待ち構えていた男の手引きで貨物用の〝りゆうせん〟に乗り、貨物室にかくれた。このまま丸一日ほどやり過ごせば、ヴァンレイン側の港町に着くと聞かされている。

 こんなに簡単に密入国できていいのだろうか、と両国の警備体制にいちまつの不安を覚えたものだが、そこは母と彼女が手配した人々のおかげだろうと無理やりなつとくした。

 かくして一日やり過ごした頃、貨物室のとびらが開かれた。とっさに木箱の裏に身をひそめると、張りのある低い声が響いてきた。

とうちやくしましたよ、ノーラ様」

 思わず木箱の上から顔を出すと、実年の男と目が合った。

 しら交じりのざんばら髪、左目にかけた黒い眼帯やシャツ越しにもわかるきたえ抜かれた筋肉のりゆうから、ともすればかいぞくか空賊に見えかねないふうぼうだが、ちがいない。

「はじめまして。あなたがブライアン様?」

「いかにも。お初にお目にかかります、ノーラ様。お待ちしておりました」

 むなもとに手を当てて恭しく一礼する。

 ヴァンレイン国の先々代竜騎士団長ブライアンは、想像よりも物腰の穏やかな人物だった。現在は貿易商で竜の調教師として働いているという話だから、職業がらかもしれない。

 彼の手引きで竜船を下り、船着き場を抜けて二頭立ての馬車に乗り込んだ。ぽくぽくとひづめの音に合わせて馬車が揺れ出すと、ようやくひとごこついて話せるようになった。

「お母君は息災ですかな?」

「ええ、とても元気にしています。長年わずらっていた持病も完治したと聞いています」

「肺のご病気も治られましたか。それは本当によかった」

 ブライアンが破顔する。笑うと顔中にしわが走るのがなんともあいきようがある。

「あの、ブライアン様は」

「私のことは『お館様』と」

 そう言ってから、照れくさそうに頭をいた。

「いえ、あなたにはこれから私の養い子として生活していただくことになりますので。ご身分がけんしてもいけませんし、私の方もこれからは他の養い子と同様に接させていただきます。無礼な口をくかと思いますがごようしやくだされ」

「もちろんです。よろしくお願いします、お館様」

「自分で言っといてなんだが、こそばゆくてしかたねえな」

 ブライアンはがらりと口調を変えてきた。こちらが素のしやべり方なのだろう。風貌に乱暴な口ぶりまで加わって、余計に空賊っぽさが増した。

「それで、なんだったかな」

「あの、お母様とはお友だちだとうかがっているのですが……」

「下級貴族出身のおれが王族のお友だちって言われても、信じがたいか」

「あっ、違うんです、信じられないわけでは……」

 リオノーラは慌ててていせいしようとしたが、ブライアンはと笑い飛ばした。

「いいってことよ。ひめ様、おっとロザリンド様とは王宮の庭園でサボっているときに知り合ったんだ。ロザリンド様もピアノのレッスンから逃げ出してきたところだったかな。それからはよく二人で好きな本の話をしたものだよ。当時『竜騎士物語』っていう本が流行っててなあ。男向けのぼうけん活劇だったが、姫様はあの本がたいそうお好きで。作中のけつとうシーンを再現してみせなさい、なんて無茶なことをおっしゃるもんだから──」

 まぶしげに細められた眼差しに、なつかしそうな光が宿っている。一度は訂正した母の呼び方が、途中でもどってしまっているのがまたほほましい。

(こんなところでお母様の昔の話を聞けるなんて)

 かんぺきぼうを誇る母にも当たり前だが子供時代、王女時代があったのだと思うと、みように親近感がいてくる。母に無茶振りされて困る青年騎士の姿が目にかぶようだ。

「あの姫様の御子がお二人ともヴァンレインにやってくることになるとはなあ……運命じみたものを感じるよ」

 ブライアンはどこか感慨深そうにがしがしとざんばら髪を掻いた。



 リオノーラは着いたその足でブライアンとともにヴァンレイン王宮へ向かった。

 二頭立ての馬車で揺られること一日半、大きなじようへきが見えてくる。

 ヴァンレインの王都ドラグリスだ。レイブラの王都も空からのしゆうげきに備えて高い城壁に囲まれているが、それよりもさらに大きく、いかつく見えるのはこの国がひんぱんに戦時下に置かれるためだろう。

 ブライアンが窓を開けて門番に通行許可証を見せると、すぐに通された。

 城門をくぐった先には、石造りの街並みが広がっていた。レイブラのように壁が白しつくいり固められてはいないが、石のはだが見えた建物も味わいがあって美しい。それだけで、リオノーラはこれから暮らすことになる街が少し好きになった。

(って、油断は禁物よ。正体がばれたり、クビになったりしたら元も子もないわ)

 見るものすべてがしんせんだが、目をうばわれてばかりはいられない。しっかり観察し、情報を吸収し、今後の生活にかしていく必要がある。

 すべてはシャーロットを守るためだ。

 ドラグリス王宮は小高いおかの上にあった。こちらもいくもの城壁に囲まれており、ひときわ高いところにある建物が竜騎士団のきよてんとなっているようだ。

 ヴァンレイン竜騎士団は五つの竜騎隊から編成されており、第二竜騎隊から第五竜騎隊まではそれぞれ東西南北にある国境警備に当たっている。王都を守護するのは、王宮に本部をく竜騎士団長直属の第一竜騎隊だ。

 王都に入ったときと同じような手続きを繰り返し、リオノーラはブライアンに従って王宮に入った。まっすぐに竜騎士団の宿舎に案内される。

 ここでは竜騎士といつしよに十数名の使用人が暮らしていると聞いていたのだが、人の気配がなかった。昼下がりの時間帯なので買い出しなどに出かけているのかもしれない。

「おっかしいな。新しい子を連れてくるって話してあったんだが」

 ブライアンが困ったように頭を掻く。

 しっかりあいさつをしなければ、ときんちようしていたリオノーラも肩すかしをくらった気分だ。

 階段を下り、半地下にある使用人用の一室に通された。こぢんまりとした一人部屋で、家具は小さな机としんだいとクローゼットがあるだけだ。天井近くにある窓から外の光もむので、日当たりは悪くない。

「ちいとばかりせまいが、まんしてくれ」

「いえ、可愛い部屋だと思います。わたし、ここが気に入りました」

「そう言ってくれると助かるよ。まずはここの責任者に挨拶しないとなあ。ちょっと探してくるから、荷物を置いてゆっくりしていてくれ」

 ブライアンが立ち去るのを待ってから、リオノーラは部屋のすみに旅行かばんを降ろした。寝台にぼすんとしりを落としてみると思った以上にかたかったが、このくらいは許容はんだ。物置小屋などにめられてゆかた回数は、両手で数えきれないほどある。

 ゆっくりしているように言われたが、リオノーラははやる気持ちをおさえきれずに部屋を出た。探険気分でろうをうろついているうちにちゆうぼうを見つける。

 裏口の戸を開けてみると、大きな切り株にまきり用のおのっており、そのすぐそばにぼつけんが二本けてあった。そのうちの一本を手に取ってみる。使い込まれてもうした木剣は、竜騎士たちの練習用のものだろうか。

(竜騎士かあ……)

 なれるものならば、雑用係よりもそちらになりたかった。

 りゆうで木剣を構えながら、美しい王太子妃シャーロットと、彼女に仕える竜騎士になった自分の姿を夢想する。竜騎士を示す白い制服に身を包み、彼女の前でひざまずけたら、どんなにてきだろう。

(わたし、リオノーラ・アデル・レイブラはシャーロット王太子殿でんに永遠の忠誠をちかいます──なんちゃって、なんちゃって!)

 自分のもうそうに照れてしまい、ぶんぶんと木剣を振り回す。


「困るんだよねえ。あんたみたいな女の子ばかりされてもさ」


 とつじよ、聞こえてきた声に振り向くと、植木のそばに長身の男が突っ立っていた。

 目をく青年だった。

 とはいえ黒髪はめずらしくもないし、整った顔立ちも母や妹で見慣れている。竜騎士団の制服を着くずし、上着を肩に引っかけているのもとがめるほどではない。

 違うのは目だ。ゆうもうさとの同居するあいいろの眼差しに、なぜだか強く引き寄せられる。きよは変わっていないのに、目を見たしゆんかん、どういうわけか一瞬で懐に入り込まれたかのようなさつかくいだくほどだ。




だれっ!?」

「それはこっちのセリフ。どうやってごいんきよに取り入ったのか知らないけど、どうせあんたもあれだろ、竜騎士とお近づきになりたいとか、そういう目的で来たんだろ?」

「なっ……!」

 どうやらリオノーラがここで働くことは知っているようだが、たま輿こしねらいで竜騎士団に潜り込もうとしている不届き者だと思われているようだ。

「失礼なっ! わたしは誰とも結婚をするつもりはありません!」

「そういう子ほど早く結婚するんだよねえ」

「わたしは違います! あなたこそ、こんなところでサボっていていいんですか? その制服、竜騎士団のでしょう!?」

 青年は、ああこれ? と肩に引っかけた制服のはしつまんでみせた。

「サボっているのは否定しないけど、俺はにんだからいいんだよ」

 気楽に言って、もう一本の木剣を拾い上げる。すっと無造作に剣先を突き出しただけでも、剣を扱い慣れた者特有の安定感がある。

「いちおう、志望動機を聞いておこうかな。どうしてここで働きたいんだ?」

「それは……」

 シャーロットを自分の手で守るため、などと言えるはずがない。

 かといって、やとぬしでもない相手にこびを売るのもまっぴらごめんだ。

「あなたみたいな不真面目そうな人には、王宮の警備を任せられないからです!」

 青年が、おっ、と片方のまゆね上げた。口元がにやりと緩む。

おもしろい!」

 言うが早いか、青年が一気に間合いをめてきた。

 リオノーラが慌てて剣を構えると、そこに強いしようげきを叩きつけられ、手がじんとしびれた。剣をはじかれずにすんだのが不思議なくらいだ。間違いなく手加減されている。

(馬鹿にしないで!)

 レイブラ王宮で騎士たちのたんれんを覗き見しながら、見よう見まねで身につけたけんじゆつだが、それでもけいたちにだって負けたことはないのだ。

 二合、三合と木剣がこうさくする。

 両手で受け止めるのが精いっぱいだ。じりじりと追い詰められて後退していくうちに、右足のかかとがこつんと何かに当たった。さきほどの切り株だ。

 青年がさらにんでくる。なんとか剣を受け止めたものの、案の定体勢を崩してしまった。切り株に尻から落ちそうになる──斧の突き立った切り株に。

 まずい、と思ったときには、青年が飛び込んできて、背中にうでを回されていた。ダンス中に抱き寄せるような格好になって、尻もちをまぬかれる。

「ごめんごめん、ちょっとやりすぎた」

「────っ」

 リオノーラが平手打ちをそうとしたそのときだった。

「ハーヴェイ! 何をやってる!」

 しつせいおどろいて振り向くと、ブライアンが血相を変えてってくるところだった。

 彼が口にした名前に、思わず血の気が引いた。

(ハーヴェイって、あの〝竜殺しのハーヴェイ〟!?)

 だとしたら、この青年はヴァンレイン竜騎士団の最高責任者であり、よう主だ。

 リオノーラは慌ててハーヴェイの腕をすり抜けて距離を取ると、姿勢を正してかしこまった。いまさらつくろったところでかもしれないが、やらないよりはましだ。

「大変失礼しましたっ! 団長様とはつゆ知らず、とんだご無礼を……」

「ああ、あやまらないでいいよ。結構楽しかったし。けど、まさかサボり中のいつぱん騎士だと思われるとはねえ。俺ってそんなに団長っぽくない?」

 不満そうに見つめられて、ぶんぶんと首を横に振る。

「いえっ、そういうわけでは! 思っていたよりお若かったので……団長とかそういうのって、年功序列みたいなところがあると思っていたので」

「それなー。俺も先代が亡くなったときは、年上の竜騎隊長の誰かがぐと思ってたんだよ。実際に一人が『俺がやる』って言い出したときはそうなると思ったし」

 ハーヴェイはじゆうに満ちた表情になって両腕を組んだ。

「そしたら『いや俺がやる』『いや俺が』って全員が手を挙げはじめてさ。俺も立候補しなきゃいけないみたいな流れになってきたから、しかたなく手を挙げたんだよ。そしたらなぜかどうぞどうぞってゆずられて……あれ? もしかして俺、はめられた?」

 話を聞いていたブライアンがぶはっとした。

「そんときの話ならカルロから聞いたぜ。みんなびびっちまってそうしきみたいな顔してる中、おまえだけもりもりりようしよくを食ってたんだって? おまえならなんとかしてくれそうだってんで、わなにかけたんだとよ。まあ、結果よければすべてよし、だろ」

 ふてくされるハーヴェイをさかなにひとしきり笑うと、それからようやく思い出した様子で、リオノーラのそばに寄って背中をした。

「そうそう、しようかいおくれちまったな。この子はノーラ。古い友人の愛娘まなむすめだ。天涯孤独になっちまって、仕事を紹介してほしいって俺を頼ってきてくれたんだ。それでほれ、おまえんところ、人手が足りないと言ってただろう」

「雇うのは構わないけど……あんた、竜騎士団で働きたいのか? すい洗濯掃除に武具の手入れ、竜の世話まであって結構大変だぞ?」

 言外にやめた方がいいと言われた気がして、リオノーラは再び背筋をばした。

「働きたいです! 精いっぱいがんりますので、お願いします!」

 大変だろうと困難だろうと、竜騎士団に雇ってもらえるならなんでもするつもりだ。

 シャーロットを自分の手で守りたい、なんて、さきほどの手合わせの後では口が裂けても言えない。ハーヴェイが母の語っていたような人物なのかどうかもわからない。

 ただそれとは別に、シャーロットを守る竜騎士団が力を存分に発揮できるように、かげから彼らを支えたいと思った。役立たずの自分でも、そのくらいならできるはずだ。

 ハーヴェイがふっと降参したように苦笑した。

「物好きだねえ。まあ人手が足りてないのは確かだから、来てくれたら助かるよ」

「ありがとうございま──」

「だが、嘘はいただけないなあ?」

 どきりと心臓が跳ねた。まさか正体がばれたのだろうか。

 いままでの会話の流れを必死に思い出す。リオノーラの正体がばれるような発言はあっただろうか。わからない。混乱してしようさいまでは思い出せない。

「なあ、ご隠居?」

「なんだ?」

 ハーヴェイと、あくまでしらを切るブライアンの視線が交錯する。

「古い友人の娘ってやつ……嘘だろう。本当はあんたの隠し子なんじゃないか?」

「ええっ!?」

 リオノーラは慌ててブライアンを見上げた。

「どうしてお館様がこんなに親切なのか不思議だったんですけど、まさか……」

「まさかじゃねえ! 違う違う! 誤解です……誤解だ!」

 どうようのあまり口調が昨夜会ったばかりの頃に戻りかけている。必死にぶんぶんと首と手を振ってみせてから、ブライアンはハーヴェイにみつくような顔を向けた。

「んなわけねえだろうが! じようだんでもめったなことを言うんじゃねえ、るすぞ!」

「えー、あやしーいなー?」

「怪しくねえ!」

 ブライアンに背中をられて、ハーヴェイがころんとしばに転がった。すぐに受け身をとって起き上がり、痛そうに背中をさするが反省の色は見あたらない。

「すまんなノーラ。このとおりふざけた男だが、竜のついでに世話してやってくれ」

「はいっ!」

「……そこは元気よく返事をするところじゃないぞー」

 ハーヴェイがおどけたようにこうしながら手を差し出してくる。引っ張ってくれという意味のようだったので両手で彼の手をつかんで引っ張り起こす。反動をつけてあっさり起き上がった彼は、しかしリオノーラの手をすぐには離さなかった。

「あ、あの?」

 ふざけているのかと思って顔を見て、どきりとした。さきほどまでとは打って変わってしんけんな顔つきでこちらの手をぎようしている。

「ノーラちゃん、魔力強いな。こりゃあかなりのもんだ」

「そうですか?」

「細腕のわりに剣に勢いがあったから不思議だったんだが、魔力をわんりよくに載せるわざを自然に身につけているみたいだな。天性の才能ってやつか。雑用係にするのももったいないくらい。ノーラちゃん、竜騎士とか目指してみる?」

「えっ!? いいんですか!?」

 直接シャーロットを守る立場になれるのなら願ったり叶ったりだったのだが、リオノーラが喜んだのもつかの間、ぽかりとブライアンのこぶしがハーヴェイの頭を叩いていた。

「馬鹿言うんじゃねえ。大切な預かり物に危険なさせようとするな」

「わかってるって、冗談の通じないジジイだな」

 冗談ではなくてもいいのに、なんて言い出せなかった。




 それから一ヵ月。晴れて竜騎士団に雑用係として雇われたリオノーラは、いそがしくもじゆうじつした日々を送っていた。

 他の使用人たちによると、国民のあこがれの的である竜騎士団で働けるのはめいらしい。リオノーラにはわからない感覚だが、レイブラの王宮でくすぶっていた頃よりも何倍も楽しいのは確かだ。たまにとはいえ、シャーロットの元気な姿が見られるのもうれしい。

(それにしてもお母様ったら心配しようね。いい人たちばっかりなのに。団長さんもちょっといいかげんだけど、悪い人ではないし)

 竜舎当番を終えたら次は厨房の手伝いだ。

 すでに宿舎の食堂は、起き出してきた竜騎士たちでごった返している。まなこをこすったり欠伸あくびを噛み殺したりしながら席につく竜騎士たちのもとへ、他の炊事係の女たちと同様に手早く朝食をはいぜんしていく。

「ノーラちゃーん、俺のちょっと多めにちょうだい」

「今日も可愛いね。愛してるよ」

「はいはいお世辞を言ってもだめです、みんな平等に多めですからね」

 適当にあしらいながら次々と食事を運び、空になった食器を下げていく。食事時の食堂は戦場だ。いちいちまともに取り合っていたらきりがない。

 ちょうど空いた席に、色の髪を後ろで一つに束ねた青年がすわるところが目に留まった。リオノーラは新しい食器に急いで料理を盛って運んでいった。

「おまちどうさま!」

「──おい、待て。これはどういうことだ」

 呼び止められるまま振り返ると、彼は水色の鋭い眼差しをさらに険しくさせながら、湯気をあげる食器を指差していた。

「他の連中より量が多い。ぼくが王子だからといってとくべつあつかいをするな」

 リオノーラは目を丸くして、亜麻色の髪の青年──ジェレミア・エイク・ヴァンレインをまじまじと見つめた。

 我の強そうな顔立ちはせんさいにしてしゆうれいで、どことなく母に似ているところがある。それもそのはず、御年十八歳の彼はヴァンレインの第二王子だ。

 母の異母兄のむすであり、リオノーラにとってはしんせきにあたる。幼少の頃にレイブラをおとずれた際に一度だけ会っているのだが、向こうはこちらの顔を覚えていないらしい。

「別に、特別扱いなんてしていません」

「なんだと!?」

「ジェレミアさんがみんなよりも早く起きて自主鍛錬をしているところを見かけたので、みんなよりもおなかがすいているかな、と思ったから少し多めによそっただけです」

 ジェレミアが、むっ、と口ごもるのをしりにこっそりと?ほおを緩ませる。

(なんだか共感しちゃうのよね)

 彼は王子の身分でありながら竜騎士の道を選んだ。聞いた話では、じつけいであり王太子であるライオネルを国防の面から支えるために、兄のみならず両親や臣下らのもうはんたいを押し切って竜と契約したという。

 ひいと言われるかもしれないが、兄のために頑張る姿が、妹のために王女の身分を捨てたリオノーラには身にしみるほど共感できるし、おうえんしたくなってしまうのだ。

 とはいえ、彼だけを特別扱いしていると思われるのは本意ではない。

「いらなかったら、他の人にわけてあげてください」

「だ、誰もいらないとは言って……」

「じゃあもーらいっ!」

 ひょいと後ろから伸びてきた手が、ジェレミアの食器からウサギのかたちにカットされた林檎をさらっていく。あっという間に林檎はハーヴェイの口に消えていた。

 彼は今朝もアクセルに契約をせまって無茶をしてきたようだ。黒い髪や肩に羽織っただけの制服に飼い葉のかすがくっついている。

「団長!」

「いやー、ジェイミーがいらないって言うからさー。残しちゃもったいないなーと」

「誰もいらないとは言っていない! あと、勝手に人の名前を改変するな!」

 ジェレミアが子犬のようにわめく中、ハーヴェイの口元からはしゃくしゃくと小気味よいしやく音がひびいている。そのすきに、ジェレミアの食器へと他のおかずをぬすもうとする竜騎士たちの手が伸びる。

 あっ、と思ったときには、彼らの頭に次々と盆の角が落ちていた。

 ぐぇっ、とか、いたっ、とか情けない声をあげて頭をかかえる竜騎士たちの上から、あきれたようなため息がれた。

「おやめなさい、きたない」

 銀糸のような美しい髪に珍しいかつしよくの肌をした青年が、手にした盆を下ろす。

 東方小国の血を引きながらヴァンレイン竜騎士団の副団長まで上り詰めた才人だ。名をカルロといい、ブライアンの養い子の一人でもある。いつもふざけてばかりの緩いハーヴェイとは対照的に、騎士団内での風紀や規律に厳しく、竜騎士たちの間ではひそかに「筆まめ先生」と呼ばれている。

 カルロはすたすたとハーヴェイに近づいていくと、懐からふうしよを取り出して突き出した。封書にはでかでかと『退職願』と書かれている。



「部下の食事を奪うような意地汚い団長に仕えることに限界を覚えました。おいとまをいただきたい。南部に土地を買って畑を耕しながら余生を過ごします」

「やだなあカルロちゃんたら。いつもいつも冗談きついんだからー」

 ハーヴェイは慣れた手つきで封書を受け取ると、笑顔でびりびりと細かく破り捨てた。ここでは見慣れたやりとりに、貴重な食事の時間をけずってまで目を止めるような者はいない。新参者のリオノーラでも一ヵ月近く見続ければ気にならなくなる。

(本気でめる気なさそうだし。じゃれてるだけよね、あれって)

 ヴァンレイン竜騎士団は今日も平和だ。

「……ふん、辞めたければさっさと辞めればいいだろうに」

 ぼそりとしたつぶやきが聞こえて振り向くと、ジェレミアが口元をハンカチで拭いつつ立ち上がったところだった。目の前に置かれた食器は既に空になっている。早食いと早寝、早着替えは騎士や兵士の得意技だ。

「やりたくない仕事でも職務をほうしないのはある意味真面目なのかもしれんが、気にわん。竜騎士団は国防の要だ。やる気のないやつは必要ない……何を見ている?」

 じろりとにらまれて、慌ててかぶりを振る。

「いえ、ジェレミアさんって本当に竜騎士団を大切に思ってるんだなーと思って」

「なっ……!? り、竜騎士として当たり前だろうが。くだらんことを言うな。これだからせんの女は……」

「そうですよね、ごめんなさい」

 さらりと答えて、リオノーラはジェレミアの食器を盆に載せて下げていく。

 厨房に戻る途中で他の食器も回収しながら、ちらりとカウンターに置かれた木製の日めくりカレンダーに目を向ける。

 今日は水曜日。約束の日だと思うと気合いが入る。

(夜まで頑張れば……うふふふふふふ)

「おい、変な顔になっているぞ」

「この顔は生まれつきですー。ぐふ、ふふふふ」

 なぜか引いた様子のジェレミアに笑顔で言い返すと、リオノーラは自作の歌を口ずさみたい気持ちを抑えて、空の食器を手早く回収していった。

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