第一章 シスコン王女と竜の二股

その①

 一ヵ月前、リオノーラ・アデル・レイブラは王宮でなみだに暮れる日々を過ごしていた。

 最愛の妹シャーロットが春先にりんごくの王太子のもとへとついでしまったからだ。


 来る日も来る日も、自室のかべけた妹のしようぞう画を見上げては、かのじよを思い出してめそめそと泣く。そのかえしだった。ちなみに肖像画は自作である。

 その日も、リオノーラは朝からドレスにえもせず、夜着のままながし、自身の赤いかみもれるような格好でなげいていた。

「ああ、シャーリー……どうしてわたしを置いていってしまったの……?」

「政略けつこんなのだから当たり前でしょう」

 独り言に返事があった。

 かたしにれたすみれいろそうぼうを向ければ、いつのまにやってきたのか、こんわく顔をしたそばじよのかたわらにれいじんの姿がある。

 ゆるげたきんぱつは黄金の細工物のように美しく、するどまなしのおくかがやへきしよくひとみはまるでみがかれたエメラルドのようだ。

 病弱で一年の大半をしんしつで過ごしているものの、十七さいと十五歳のむすめが二人もいるとは思えないほど若々しく、白磁のはだには張りがあり一点のくもりもない。

 リオノーラはあわてて立ち上がり、姿勢を正してから思い出したように目元をぬぐった。

「お、おはようございます、お母様。起き上がってもだいじようなのですか?」

「今日はすこぶる調子がよいのです」

 母のレイブラ第二おうロザリンドがこちらに向かってきたので、リオノーラは長椅子からはなれた。ロザリンドは当然のようにその長椅子にこしを下ろすと、引き連れてきたふたの侍女が差し出すおうぎを受け取ってぱちんと広げた。

「あの、今日はどうなさったのですか。わたしの部屋にいらっしゃるなんて」

「あなたが毎日毎日シャーリーシャーリーとうるさいからどうにかしてほしい、と苦情が来ているのです。あなた、他にやることはないのですか」

「ないです」

 そくとうだった。

 リオノーラは第二王女でありながら王位けいしよう権を持たない。十歳のころ、自分と妹へのいじめといやがらせを繰り返す異母兄姉たちとのそうぜつけんのすえに、王位継承権をする代わりにシャーロットには手出ししないと約束させているからだ。

 公務もない。王女らしくぜん活動でもしようとすれば、父からけむたがられる始末だ。

 役立たず、王宮のそうろう、赤い髪になぞらえて〝売れ残りのりん〟とかげぐちたたかれることもあるが、どれもまったく反論できないし、する気もなかった。

(仕官できるのなら、や竜騎士を目指すこともできたでしょうけれど)

 聞いた話によると〝大だんれつ〟の向こう側にある国々では王族や女性でも仕官できるという。古い慣習にしばられたレイブラではどちらも不可能なのでうらやましい。

「……そうでしたね。本当に役に立たない子。せめて政略結婚のこまとして使えれば少しは役に立ったでしょうに」

「なぜかみなさんお断りなさるんですよね」

「『なぜか』ではないでしょう!」

 ロザリンドが身を乗り出して、閉じた扇でぱしんとちようたくを叩く。

「口を開けばシャーリー、シャーリーって、妹の話ばっかり! 天気の話をしようものなら空の青さをシャーリーの瞳にたとえ、雲の白さはシャーリーの肌、太陽の輝きはシャーリーのがお! 破談になるに決まっているでしょう! シャーリーほどではなくともわいく産んであげたのに台無しですよ! 妹賛美の他に話すことはないの!?」

「逆にお聞きしますが、シャーリーのこと以上に語る価値のあるものがこの世に存在するでしょうか! いえありません!」

「ごまんとありますよ、この妹至上主義者シスコンっ!」

 母からの鋭い切り返しにもリオノーラはひるまなかった。

 物心ついた頃から、シャーロットはリオノーラの生きる意味だった。

 小さなりかごをのぞみ、その中でねむあかぼうの愛らしさに心をかれたあのときから、自分は一生このとてつもなく可愛い妹を守るのだと決めていた。

 そして、実際に妹のために戦い続けてきた。

 レイブラは女性にも王位継承権があるとはいえ男王が望まれる風潮は強く、女ばかり産んだロザリンドの発言力は弱かった。病気がちの体質もいけなかった。他のきさきや異母兄姉から見下され、いつしか嫌がらせやいじめを受けるようになった。そのたびに、せめてシャーロットだけでもつらい思いをさせまいと、リオノーラはかんに立ち向かった。

 届くはずの食事が届かなかったり、真冬にたきぎが届かなかったりしてもへこたれなかったのは、シャーロットという守るべき存在がいたからだ。

 つまり、妹のおかげでいまの自分があると言っても過言ではない。妹は自分にとって空気であり水であり太陽であり、世界のすべてだ。

 ちなみに世界のすべてである妹を産んだ母妃はほぼ神である。

(やっぱりシャーリーが世界で一番尊いわよね。知ってた。はい証明しゆうりよう

 リオノーラが一人でうんうんとうなずいている一方で、ロザリンドはこちらの表情から何かったらしく、うんざりした顔で額に扇を当てていた。

「あなたがここまで妹鹿でなければ、シャーリーではなくあなたをヴァンレインに嫁がせられたのですけどね」

 うっ、と思わず言葉をむ。

 ヴァンレインはレイブラ、オルダートと並ぶ大陸の三大国家の一つだ。

 大陸北部にあるレイブラは、ヴァンレインをはじめとする中部の国々がぼうへきになって南部のオルダートからのしんりやくを受けずにすんでいるが、国境の半分を共有しているヴァンレインはそうもいかない。二つの国は過去に何度もいくさを繰り返している。

 そんな国の王太子であるライオネルは、戦死した騎士や兵士たちのためにに服していたらしく、二十二歳にしてしよこんだと聞いている。昨年の秋に大国オルダートとの戦争が終結したのを機にようやく結婚をする気になり、その相手としてしよもうしたのが敵対こそしていなくとも良好な関係であるとは言いがたい、レイブラの王女だった。

 つまり王女でさえあればシャーロットでなくてもよかったのだ。

「わたしのせいでシャーリーは戦争国家になんて嫁がされ……うわああ──」

「はいそこまで。あなたの『シャーリーシャーリーうわああん』につきあうつもりはありません。今日はあなたによい話を持ってきたのです」

「……よい話?」

 ごうきゆうに入りかけていたリオノーラは目元を拭い、長椅子の母をまじまじと見つめた。


「あなたを、ヴァンレイン竜騎士団にせんにゆうさせて差し上げます」


「はい?」

 思わず変な声が出た。

 竜騎士団はどこの国でも保有している軍隊だ。もちろんレイブラにだってある。

〝大断裂〟というきよだいにして深く、はばのある大地のが国境として国家間に存在するため、戦争の多くは空中で行われる。その際にかつやくするのがりゆうであり、かれらとけいやくして背にまたがる竜騎士だ。どの国でも竜騎士団が国防の要となっている。

「あのう、お母様。失礼ですが、いまのお話の流れでどうして竜騎士団が?」

「王宮の方はだいわりしてから一新されてしまったので手が回せませんが、竜騎士団の方にはまだツテがあります。あなた一人くらいなら雑用係としてもぐませられます。ヴァンレイン竜騎士団、特に王都守護役であるだいいちりゆうたいは王宮のしき内にじようちゆうしていますから、たまにはシャーリーに会うこともかなうでしょう」

 リオノーラはなまつばを飲み下した。

(シャーリーに、会える……?)

 それは願ったり叶ったりだ。しかし心配ごとがいくつかある。

「行きたいのはやまやまですけれど、わたしはこれでも王女です。急にいなくなったりしたら、お困りになるのでは……」

「あら、役立たずすぎて王宮の居候、売れ残りの林檎とまで呼ばれているあなたに、何か特別な価値があると?」

「ないですよね!」

 まず一つ目のねんつぶされた。問題は二つ目だ。

「ですが、さすがにご病気のお母様を置いていくわけには」

「わたくしのことなら結構。とっくに治ってますから」

「ええっ!? あの、でも先月も具合が悪化したと……」

びように決まっているでしょう。最近は東方からい薬が手に入るようになりましたからね。おかげで一昨年あたりに完治しました」

「…………」

 約二年間、この母はうそをついてとう会やばんさん会への出席を断りつづけていたのか。

「病気でせっているふりをしていた方が便利なこともあるのですよ。あなたみたいに年がら年中元気百倍な子にはわからないでしょうけれど」

「まったくわかりませんが、お母様が本当はお元気だと聞いて安心しました!」

「安心して国を捨てられる?」

「うっ! いえ、それとこれとは話が……」

 国を捨てるという言葉の重みに口ごもる。平民ならばともかく、王族と生まれた者がそうやすやすと捨てられるものではない。

「あなた、シャーリーが心配ではないの? シャーリーを守りたいとは思わないの?」

「思いますよ! でも、ヴァンレイン竜騎士団の武勇はおよんでおりますし、わたしのような小娘一人が行ったところでどうなるわけでも」

 さんざん役立たずあつかいを受けてきたので、分はわきまえているつもりだ。独学で護身術を身につけてはいても、しょせんは素人しろうとだ。大人の男たちにかなうとは思わない。

「あら、そう? ヴァンレインの竜騎士団長は自分の契約竜をせいにしてげるような、非情で非常識な男だというのに? そんな自分さえよければいいような男が、異国から嫁いできた王太子妃を守ってくれると思っているのですか? はーっ、あなたって本当に頭の中がお花畑なのですね」

 きつな情報てんこもりな物言いが不安をあおってくる。

「ど、どういうことですか? 竜って、ヴァンレインでも神の使いとして神聖視されてるんですよね? それを犠牲にって……」

「新しく就任した竜騎士団長はてんこうで、目的のためならば手段を選ばないおそろしい男のようですよ。あなた、オルダートの〝げいりゆうせんかん〟は知っていますね?」

「ええ。数々の街をほろぼしたという、まわしい改造竜ですよね」

 大陸の大半でしんこうされているてんりゆう教を信仰せず、独自の文化を持つオルダートの生み出した悪夢の生体戦艦だ。全なる神である〝あまつ竜〟を除けば世界最大級のたい?ほこる鯨竜を薬物を使ったまじないで洗脳し、頭頂部にあるりよくこうを改造した魔力ほうによって数えきれないほどの街をかいめつさせ、その名を大陸中にとどろかせた。

「その鯨竜戦艦をげきついしたのが新しい竜騎士団長です」

「……一人で、じゃないですよね?」

 だとしたらそれはもう人間の所業ではない。

「魔力砲の砲口に火薬を積んだ自分の契約竜をとつげきさせて、内側からばくはつさせてたおしたそうですよ。自分たちが逃げるために竜を犠牲にしたのです」

「それは、なんというか……」

「非情にしてもほどがあります。他人の竜ですら手にかけるのは罪深いというのに、自身の契約竜などあってはならないことですよ。そのおかげで一つの街が壊滅から救われたとはいえ、竜はてん使い。使い捨てのような扱いをしていいものではありません」

 リオノーラはぞっとした。

 母の話を聞くかぎりでは、とんでもない男が竜騎士団長の任にいているようだ。戦時中で非常事態だったとしても、じよういつしている。

 ロザリンドはぱちんと閉じた扇の先を向けてくる。

「その竜騎士団長──〝竜殺しのハーヴェイ〟と呼ばれる男が王都守護役のトップなのですよ? もしもオルダートにまれたらどうなると思いますか? 自分が生き残るために王族やシャーリーを見捨てないと言い切れますか?」

「それは……ですが、全部お母様の推測でしょう? そこまで悪い人かどうかは……」

「はーっ! あなたのシャーリーへの愛はその程度のものだったのですね!」

「…………!」

 いつしゆん、何を言われたのか理解できなかった。

 その程度? 何が。シャーリーへの愛が?

「見くびらないでください!」

 のどを痛めかねないほどのだいおんじようでの反論に、母と侍女たちが顔をしかめる。

「いくらお母様でもわたしのシャーリーへの愛を『その程度』呼ばわりなさるなんて許せません! わたしの愛は大断裂よりも深く広く、底なしなんですから!!」

「その大断裂をえる勇気もないくせに」

「ありますーっ! シャーリーのためなら海越え山越え断裂越えて! 世界の果てまで飛んでいって帰ってこないかくはできていますっ!」

 力任せにさけんだせいで呼吸が苦しくなり、リオノーラは肩で息をした。

(い、言ってしまった……)

 売り言葉に買い言葉で言わされた感もある。

 呼吸を整えながらロザリンドをうかがうと、どこか満足そうな双眸と目が合った。

「それでこそリオノーラ・アデル・レイブラです」

「え?」

 意外な反応に目を丸くしていると、ロザリンドはふところからたたまれた便びんせんを取り出し、侍女がうやうやしく持ち上げているぼんせてみせた。

 その侍女が近づいてきて盆を差し出してくるので、リオノーラはうながされるまま便箋を手に取って広げてみた。そこには『ノーラ』なる十七歳の少女の生まれとち、家族構成などがつらつらと書かれている。

「ノーラというのはどなたですか?」

「あなたのにせの身分です。あなたは嘘が下手ですから、わたくしの方で設定を考えておきました。ヴァンレインに入ったらてんがいどくの少女ノーラとして生きなさい」

 どうやらリオノーラのヴァンレイン行きは決定してしまったようだ。急なじようきようの変化に頭がついていけないながらも、なおに母のはからいに感謝する。

「あ、ありがとうございます。ところでここに『両親を病気で失い、き両親のであるブライアン・マクベスをたよる』とあるのですが、マクベスさんというのは?」

「十年ほど前までヴァンレインで竜騎士団長をつとめていた男で、わたくしの旧友です。いまは竜騎士を引退し、貿易船用の竜の調教師をしています。あちらでの身のり方についてはその者にたのんでおきました」

 何から何まで、あまりにも準備がよすぎる気がした。かなり前から、もしかしたらシャーロットが嫁いですぐに手配を進めていたのかもしれない。

「感動しました。お母様がわたしのためにそこまでしてくださるなんて……」

「毎日毎日シャーリーシャーリーとうるさくて、いいかげん苦痛になってきただけです。それよりもわかっているのでしょうね? もう身の回りの世話をしてくれる者はいなくなるのですよ。それどころか、あなたが世話をする側になるのです」

「もともとわたしたちはお兄様たちに勝手に人ばらいされて、つい最近までろくに世話してもらえなかったではないですか。そうせんたくも料理も、できないことなんてないくらいです。王宮を抜け出して、下町でやといの仕事をしたことだってあるんですよ」

「……そうでしたね」

 薄い唇を緩めてどこか寂しそうに微笑むロザリンドに、リオノーラはドレスの袖をまくって小さな力こぶを作ってみせた。

「竜騎士団が守ってくれないのなら、わたしがシャーリーを守ってみせます!」


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