不本意ですが、竜騎士団が過保護です

乙川れい/ビーズログ文庫

序 章 竜騎士団の雑用係

その①

 晩春の暖かな日差しの下に、でたらめな歌声がひびく。

「しゃーりーしゃーりー、しゃりしゃりしゃーりー♪」

 歌を口ずさんでいるのは、紅茶色のかみをした少女だ。

 冷たい水がたっぷり入ったおけかかえて、リオノーラは王宮のかたすみにある石造りの館の裏を歩いていた。重たいはいのうまで背負っているが、この程度でふらついているようではヴァンレイン王国がほこる竜騎士団の雑用係はつとまらない。

 以前はていねいげていた紅茶色の髪を背中でらし、足元では質素なお仕着せのすそがひらひらとひるがえる。みだらけのお仕着せは、実を言うと母国で着ていたドレスよりも気に入っていた。軽くて動きやすいのがいい。

 自作した歌を口ずさみながら、きゆうしやよりも一回り大きな木造の建物に入っていく。

 うすぐらい舎内には屋根のほころびかられる朝日がかがやく筋となって差しており、ぼう内でわらの上にそべるずんぐりとしたきよの生き物の姿をかびがらせている。

 姿かたちはちゆうるいに似ているが、人の何倍もある体躯に大きなつばさはくりよくの他にある種の神性が感じられ、決してトカゲなどと同類には語れない。

 よくりゆう。天の使いにたとえられる飛竜種である。

 ここにいるのは〝竜騎士〟とけいやくを結んだ──またはかつて結んでいた竜たちだ。

「みんなおはよう! 新しいお水を持ってきたからいっぱい飲んでね!」

 元気に声をかけても、竜が言葉や鳴き声で応じることはない。竜は竜騎士と契約を結ぶときと解消するときにしか話さないのだという。

 リオノーラは竜の世話をする時間が一番好きだ。最初は少しこわかったが、実際、かれらは迫力のある外見に反してとてもおとなしい。それに、人と接しているときほど発言に気をつけなくてすむので気が楽だ。

 鼻歌交じりで、飲み水の桶から昨日の水を捨て、しんせんな水をつぎ足していく。

 竜は契約者からじようする権利をあたえるだいしようとしてりよくを供給されている。だから人間と契約している竜は食事をらない。だが、契約者のいない竜は別だ。

 リオノーラは一番おくの房の前で重たい背嚢を降ろした。中からにんじん球菜キヤベツりん、チーズのかたまりを取り出して、房内で寝そべる竜の鼻先に差し出してみる。

「おはよう、アクセル。どれか食べたいものはある? 今日も林檎だけ?」

 いかついつらがまえの竜がぱちりと目を開け、鼻先を寄せてくる。

 アクセルは戦死した先代竜騎士団長の竜だ。契約者を失った後も野生にかえらず部隊と行動をともにし、いまも竜騎士団の竜舎にとどまっている。

 リオノーラの手にしたえさにおいを順番にいでいき、そのうちの林檎を口にする。竜にとってはあめだまくらいの大きさなので一口で飲み込んで終わりだ。

「もう一個食べる? それか、他のものはどう?」

 しかしアクセルはもういいとばかりにぷいと顔をらしてせてしまう。気難しい性質でリオノーラが来るまでは人の手から餌を受け取ることはなかったと聞いているが、それでも満足な食事量とは言いがたい。

「もう! ちゃんと食べるか、だれかと契約して魔力をもらうかしてくれないとせちゃうわよ。瘦せっぽちはモテないんだからね。うちの妹なんて世界一の美少女だけどふくふくと丸っこい人や動物が好み……ひゃっ!?」

 不意に背後からがばっと何者かにのしかかられて、思わず変な声が出てしまう。

 いや、何者かではない。

 かたの上から回されたたくましいうでも、頭の上にせられたあごかたさも覚えがあるし、何よりこんなをリオノーラにする相手は一人しかいない。

「だんちょ──」

「聞いてくれよノーラちゃん」

 低くてあまい声がごく近くから響いてきて、肩の重みがずしりと増した。

おれ、またアクセルにふられちゃったよ。これで四十五戦四十五敗。なんで契約してくれないのかなあ。こんなにいい男なのに。そう思わない?」

 同意を求められても困る。あと、人の頭に顎を載せたままなげかないでほしい。

(重い……けど、軽いっ!)

 いままでリオノーラの周囲にはいなかったタイプだ。

 けいはくなぶんとっつきやすいが、だからといってべたべたされても平気なわけではない。さきほどから心臓が無理だと言わんばかりにはやがねを打っている。

 リオノーラはすきを見つけてするりと腕の中からすと、大急ぎで背後の人物からきよを取り、くるりとかえってこうした。

「団長さん! きつくのはやめてくださいって、何度も言っているでしょう! けてるんですか!? わたしは団長さんのまくらではありません!」

 かんぜんと指をきつけた先では、を少し過ぎたくらいの青年が、短い黒髪を手でさえつけながらしようしている。

 長身で体格にもめぐまれており、実戦と訓練でみがげられた肉体のりゆうが、薄いシャツしにも見て取れる。

 目鼻立ちは整っているものの、たんせいと呼ぶにはの宿るあいいろそうぼうが少々じやをしており、そのせいかみような親しみやすさがある。肩に竜騎士団所属を意味する群青色の制服の上着を引っかけていなければ、せいにいる気のいいお兄さんに見えていただろう。

(この人がうわさの〝竜殺し〟だなんてね……)

 彼の名前はハーヴェイ・ボルドウィン。

 ヴァンレイン王国の竜騎士団長であり、騎士階級の出身ながら戦時の功績ではくしやく位をたまわっているけつぶつだ。

 さらに言えば、竜騎士にとって最大のきんである竜の殺害を行ったとして大陸中から〝竜殺し〟〝きようしよう〟とおそれられている男でもある。

「えー、だめ? ノーラちゃんっていつも魔力がダダ漏れになってるから、くっついていると傷の痛みがやわらぐんだけど」

「わたしはぐすりでものおこうでもありませんっ!」

「そっか、だめかあ。あと少し痛みが引けば、現場に復帰できそうなんだけどな……やっぱり、地道に治していくしかないか」

 整った顔がさびしげにかげるのを見て、はっとする。

(わたしったら……なんのためにここで働いていると思っているの!)

 最初はせんにゆうすることに意味があったが、いまはちがう。彼ら竜騎士が実力をいかんなく発揮できるようにえんするのが、ひいてはこの国にとついだ妹のためだと思っている。

「そ、そういうことでしたら、ちょっとくらいなら……」

「いいんだ? ありがとね。ノーラちゃんはやさしいなあ」

 後ろからぎゅっと、今度はのしかかるのではなく抱きしめられる。彼の体温が早朝の水仕事で冷えた体にじんと染み入るように伝わってくる。

(うう……)

 どうにも落ち着かない。

 この距離感は間違っていないのだろうか。平民にとってはこのくらいのスキンシップはつうなのだろうか。世間知らずの身ではわからなかった。

 ほのかにただよってくるせいりようなシトラスのかおりにくらくらしてきたころうろこみがき当番の少年が竜舎に入ってきた。ブラシと桶を手にした少年はリオノーラたちの様子に気づいて、しらけた視線を向けてくる。

「団長、またセクハラっすか?」

「違う違う、魔力でいやしてもらってんの。今日は一段と古傷が痛くて」

「へえそうっすか──ノーラ、この人こりないからぶっ飛ばしてもいいぞ。古傷が痛むっていうのも薬をちゃんと飲まないのが原因だから」

「えっ?」

「おいばらすな──」

 そくしたひじ打ちがハーヴェイのわきばらにめりんだ。

 ぐぇ、とつぶれたかえるのような声を漏らして、背後からのこうそくがほどける。くるりと振り返ってにらみつけると、ハーヴェイが体を前のめりに折って腹を押さえていた。

「……ふ、古傷のど真ん中に……」

「あやうくだまされるところでした! お薬はちゃんと飲んでください! しっかり治さないと、仮にアクセルが契約してくれたって元気に飛べませんよ!」

「苦いの苦手なんだよ。ノーラちゃん、口移しで飲ませて?」

「お断りですっ! お館様に言いつけますよ!」

「うっ、それだけはやめて、お願い」

 ハーヴェイが両手で自分を抱きしめ、こつおびえたようなりをして引き下がった。とてもではないが竜騎士団長などという重職にいている人物とは思えない。

(こういう人のことを『チャラい』って言うのよね)

 どうりようすい係に教えてもらった言葉を思い浮かべる。ヴァンレイン王国へやってきてから早一ヵ月、いつぱんじんの使う言葉のは着実に増えつつあった。

「アクセル、おまえのせいでノーラちゃんにおこられちゃったじゃないか。餌を食いたくないならさっさと俺と契約してくれよ。おたがいに協力し……って寝てるのかよ!」

 ハーヴェイは人参でアクセルの鼻先をぺしぺしとたたくが、竜の方は完全に無視を決め込んでおり、まぶたをぴくりとも動かさない。

 彼は自身の契約竜を持たない。戦時中にみずからの手で殺しているからだ。

 いまの彼は竜騎士団長でありながら元竜騎士という、少々とくしゆな立場にある。すぐにでも新しい竜と契約したくて、竜舎でゆいいつ契約者のいないアクセルに契約をせまっているのだが、かんじんの竜にその気がないのでは難しいだろう。

(竜の立場からしたら、竜殺しと契約するのはやっぱりいやなのかな)

 一人と一頭のこうぼう未満はもうしばらく続きそうだったが、リオノーラにはあいにく仕事がたんまりと残っている。空になった桶を持って竜舎を出る。

 再びで新しい水をみながら、ふときゆう殿でんのある方を見下ろしてみた。

 竜騎士たちの宿舎やしよは防衛と竜の離着陸の都合上、王宮内でも小高くなったところに作られており、中庭や外通路の様子がよくわたせる。

 リオノーラはここからのながめが大好きだった。

 その理由たる存在が、ちょうど屋根のついたちゆうろうじよを引き連れて歩いていくのが見えて、思わずこしを浮かせる。

(シャーリー!)

 りんごくレイブラ王国から嫁いできた十五さいの王太子シャーロットは、人形のようにしゆうれいな顔立ちをまっすぐ前に向け、ぼうを引き立てるごうしやなドレスを引きずってしゃなりしゃなりと柱廊を進んでいく。

(今日も世界一美しいわ! ああシャーリー、ラブ! 世界で一番愛してる!)

 向こうからはこちらは見えなくても構わず、リオノーラは空の桶をぶんぶん振ってありったけの気持ちを送り続けた。

「あーあ、またやってるよ」

「シャーロット様の大ファンだものね。確かにおきれいだけど」

「ノーラも結構わいいのに、こういうところが残念なんだよなあ」

 通りすがりの使用人たちのあきれた声など耳に入らない。

がんるのよシャーリー……もこっちで頑張ってるからね!)

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