クラースの森
「あの、私、本当についてきてよかったんでしょうか」
木々の間から差し込む柔らかな朝日の光を眺めながら、シルワはそう言った。
季節は春。クラースの森に生える木々には花が咲いているものもあり、花の甘い香りが森に吹く風に混ざり込んでいる。
道は舗装されており、ミササギたちの歩みは今のところ早い。
ミササギたちが森の入り口で、派遣されてきた調査官二名と合流し、森に入ってから一五分ほどたとうとしていた。
「なぜ、そう思う」
「だって私、何もできませんから。魔物が出たら足手まといになりますよね」
「ふふ」
シルワの言葉に、女性の調査官が柔らかく笑った。見る者に穏やかな印象を与える笑い方だ。彼女の名前はロサという。
「大丈夫ですよ。前に出たりしなければ。モルス様がいらっしゃるんですから、不安がる必要はないです」
「信頼されても困るのだが」
「しかし実際、あなたに関する噂は聞き及んでいます」
もう片方の調査官が言葉を継ぐ。
こちらは服装も髪型も細部まできっちりしているためか、真面目な印象を受ける男性だ。彼はアクイラと名乗っていた。
「ミササギ=モルス・クラーウィス。最年少でモルスになりながらも、その仕事ぶりはすばらしいと」
「最年少……、そう言われればそうだな」
ミササギは苦笑いを浮かべた。
「忘れていたのですか?」
「いや、そういうわけではないが。あまり興味がなかっただけだ。そんなことよりも」
そこで足を止めると、後ろにいる調査官たちにミササギは視線を向けた。そこはちょうど、道幅が広くなっている場所だった。
「今のところ、どこまでわかっている」
「あ、先にお伝えしておくべきだったのに失念していましたね。申し訳ありません。簡単に申し上げますと、王城からこの森までの街道には、例の魔物の痕跡は数えるほどしかありません。魔物よけも壊されていたことは確かですが、人によって壊されたのか魔物によって壊されたのかは判然としません」
穏やかな声音で、ロサはすらすらと述べていく。
魔物よけは、魔物が嫌がる特定のにおいを複数組み合わせたもので、簡単な守りの魔法も掛けられた防護柵のようなものだ。
これがあるから王城周辺に魔物が現れることはないはず、だった。
「魔物の痕跡とは、具体的に何だ?」
「毛や足跡などわずかなものですが、王城内に残っていた足跡と同じ足跡が、この森の近くで発見されています。実際、先ほどから森の入り口や森の中で見ているでしょう?」
「ああ。入り口にあったものは、やけにはっきりしていたな」
ミササギが答える横で、シルワはその足跡を思い返した。犬に似ている足跡だったが、大きさはその比ではなかった。狼の魔物のものに違いない。
「はっきり……言われてみれば、先ほどから森の中で見つけている足跡は、薄いものが多いですね」
アクイラは、考えるように口元に手をやった。
「森の入り口にある足跡が、はっきりとしている。単に地質の違いなのかもしれませんが、示唆的ですね。誘い込んでいるかのような」
「そこまでいくかは知らないが、用心するに越したことはないだろう」
ミササギは懐から地図を取り出した。革手袋をしたままで、そうは感じさせないほど慣れた手つきで地図を開いていく。
「後少し行けば、王家の墓所にたどり着くがそこからが問題だな。こうも手がかりが少ないと、どこに向かうべきなのかわからない」
シルワも背伸びをして、地図を眺めた。
だいぶ歩いてきた気がしていたが、地図でいうと森の真ん中にもまだ至っていない。それにミササギの言う通り、王家の墓所の先にも森はずっと広がってい る。
「ミサギ様はあの時、魂を感じて魔物が来たことを察知したんですよね。それで何か、わからないのですか?」
「やってはいるが場所が悪い。何せ、ここには多くの魂があるからな。強い魔物が潜んでいても気づきにくい」
ミササギは目を細めて周りを見渡した。シルワには何も感じられないが、ミササギには多くの魂が漂っていることが感じられていた。
死んだ肉体からあまり離れることができないため、墓地のある森に魂は元々集まりやすい上、今は『
魂が多いことは仕方がないことだが、魂の感知に頼れないのは不便だった。
「残念ながら、私たちは魂の感知が苦手なもので。あいにく、感知が得意な者の手も空きませんでした」
「調査官の手が足りていないことは知っている。気にしないでくれ。とりあえず、王家の墓所まで行こう。入り口までは行く許可を得ている」
ミササギは地図をたたむと、また歩き始めた。その後に調査官が続いていく。
「あの、調査官って皆さんが魔法を使えるんですか?」
その中で、シルワはロサに話しかけた。
シルワは少し前まで孤児院にいたために、この国の法律はもちろん、魔法に関しては全くと言っていいほど知らない。柔らかな雰囲気のロサなら、答えてくれる気がして問いかけたのだった。
「いいえ、違いますよ。調査官というのは、窃盗事件などの調査も行いますし、今回みたいに魔物の調査も行います。それぞれに専門の調査官がいますが、その中でも魔法が使える者はわずかです。そもそも魔法を使う能力がある者は、二、三千に一人、この国の中で五百人を超えるくらいですからね」
「魔法が使える人って、そんなに少ないんですかっ?」
「……なるほど、モルスのプロムスさんは魔法に詳しいわけではないのですね?」
ロサは、先頭のミササギに声を投げかけた。
「私のプロムスになって、まだ一か月ほどだからな。君が構わないのなら、教えてあげてくれ」
振り返ることなく、ミササギは告げる。
「では喜んで。話の続きをしますと、そもそも魔法の才があるかどうかは、特定の年齢になった際、一定の人数を同じ場所に集めて、才があるかどうか感知できる者が判定します。あなたも判定された覚えありませんか?」
「ええと、まあ」
シルワは曖昧にうなずいた。覚えがないことを考えると、魔法の才を判定する時と孤児院に入る時が重なって、その機会を逃した可能性が高い。
判定を受けていたら孤児院であんな目に合わなかったのだろうかと、一瞬考えた。
「魔法の才を見出された者は、選択する権利があります。魔法を学ぶかどうか。多くは学ぶことを選びますけどね。だって、魔法使いにしかできないことがありますから。魔法使いになれば、多くの人の助けになることができます」
「なるほど」
「魔法使いの数はおおよそ一定の数を保つはずですが、最近は少し足りていないので、私たちのような存在は本当に貴重ですね。貴重と言っても、私たちには職業を選ぶ権利がありますけど。法医師になるのか、技術者になるのか。それとも調査官になるのか」
ロサは、自らの胸に手を当てた。
「なぜなら法律上、特定の職業に就くことを選び、その職業に必要な特定の魔法しか覚えられないと決まっているからです。例外として、守りと癒しの魔法だけは全ての魔法使いが習得してもよいとされています。身を守るためのものですから」
話を聞きながらシルワは大きくうなずくと、ミササギの背を眺めた。
アクイラは何度か二人の様子をうかがっているようだが、ミササギは気にも留めていないかのように前を向いて歩き続けている。聞いているかどうか、よくわからない。
ロサも彼女の視線を追うように、ミササギに目を向けた。
「数十年に一回、魂の強い者の中でもさらに強い人物を選び、次期モルスを定めます。魔法を管理する役目があるモルスだけが、全ての魔法を学び知る権利がある。なのでモルスが次期モルスを定め、魔法をじかに教えるんですよ。なぜ、モルスが魔法を管理する職なのか、わかりますか?」
「そういえば二百年前に、魔法によって腐敗していたこの国の政治を変えたのが、当時モルスを務めていた人物、でしたよね」
「おかげで、元々『御魂送りの儀』と雑用だけが仕事だったはずなのに、魔法の管理というたいそうな仕事をやらなければならなくなった、ということだな」
聞いていたらしく、ミササギがどこかうんざりしたようにつぶやいた。
「二百年前、新王国建設に寄与した当時のモルス、オルド=モルスの功績を称えて、モルスは魔法を管理する職になったと言われています。名誉な職だと思いますが」
アクイラが話を付け足すと、
「名誉、か。まぁ、そうかもしれないな」
興味がなさそうに、ミササギは言葉を返した。ほどなくしてその足が止まる。
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