第47話 赤い髪の女

 忍びの男に続いて表に出たカイムは辺りを見回した。女の大声を聞きつけ、また何かあったのかと夜の通りに人々が集まり始めている。彼らが寝静まるには、まだまだ早い時間だ。


「あそこです」


 忍びが指差したのは、向かいの二階建ての屋根の上。女が平屋根に立って何かしらの魔法の発動を終えたところだった。


 またあんなところに……。


 テレポートの魔法でも使ったのか。以前にも同じような状況に出くわした事がある。マチュアといいその時の黒マントといい、なぜシンボル・ソーサラーたちはすぐ高い所に登りたがるのだろう。カイムはうんざりした気分になった。そのマチュアやテッド、よれよれと頭を押さえながらフェイランも宿の中から出てきた。彼らも女を見つけて呆気に取られている。


「ようやく出てきたかい。あの時の黒髪の女はいないようだけど、噂通り今は猫の姿? まあ、後回しでいいわ」


 ふんぞり返って、忍びの男含めた五人を見回した。


「まずはお前たちに足掻く機会を与えてあげるよ。なんて優しいんだろうねえ、あたしは。さあ、かかっておいで」


 ニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべている。


「ほっといて逃げましょう」


 テッドが真っ先にまっとうな発言をした。一応弓に矢をつがえて射つ準備は整えている。


「彼女の仲間が貴族の私兵たちに知らせに行っています。ここでぐずぐずしていたら、あの女の思う壺ですよ」


「でも、宿の中にまだあたしたちの荷物が……。それに中にはこかげもいるし」


「私兵の心配なら無用だ」


 テッドやマチュアの言葉に答えたのは、いつの間にか五人の後ろにいた覆面女。


「あの女の仲間なら向こうで意識を失っている。拘束もしておいた」


「何者だ!」


 味方の忍びが飛びすさった。彼にさえ気配を感じさせなかった事に驚きを隠せないようだ。


「事前にお伝えしておいた味方です。名前は出せませんが、心配いりません」


 苦無を構える忍びをカイムが制した。


「助かりました。これであの女に専念出来ます」


 彼女は忌まわしき企ての首謀者の一人だ。カイムもこのままで済ますつもりはない。


「ぷ。なんですか? その格好。謎の忍び的な?」


 予想通りなマチュアの小憎たらしい反応に、アンジェは覆面の下で頬をひきつらせた。


「誰の為にこんな格好してると思ってるのかしら? あなた、後で覚えときなさいよ」


「え? 私は格好いいと思いますけど」


「自分も同意です」


 肯定的なフェイランに忍びの男も賛同する。テッドは一人苦い顔をした。


「あの~皆さん、一応今危機的状況なんですけど……。いつもこんなことばかり言ってる気がするなあ」


 六人全員に一斉に緊張感が戻った。テッドの諫言に反省したからではない。軽口を叩きながらも女から目は離していなかった。その女が無言で魔法の発動準備に入ったからだ。


 すかさずテッドが矢を放ち、忍びの男とアンジェは共にそれぞれの手裏剣を屋根上の女に投擲する。テッドの矢は的を逸れたが、二人の手裏剣は女に命中する軌道のはずだった。しかし、それらは彼女の目前で見えない壁に弾かれた。


 インビジブルウォール。術者の前方広範囲を覆い守護する不可視の壁。一定時間、ある程度の威力までの物理攻撃を防ぐ。女が屋根に登った後、真っ先に使っていた魔法はこれだった。


 為す術なく女の魔法が完成した。まずはシンボルの中心から六つの光が六角形を形作るように分かたれる。そしてその光はそれぞれが微妙に異なる軌跡を描きながら、一度に六人に襲い掛かった。六人とも皆、苦痛と驚愕の呻き声を上げる。マジックミサイルのシンボルを描いていたマチュアは、今度は逆にそれをキャンセルさせられる立場となった。くず折れ、意識を失いかける。


「そんな……六人に複数同時発動させるなんて……」


 女が使ったのもマジックミサイルだ。ファイアボルトやこれら一部の魔法は、その種類ごとに特別な訓練を積めば複数の標的に同時に放つことが出来る。ただし、標的の数が多くなるほどその難度は上っていき、威力もほんのわずかではあるが減少していく。


 決して彼女の実力を甘く見ていたわけではないが、マチュアにとっては予想以上だったようだ。


 カイムとフェイランの二人はタテナシがかかっていたので、他の者より早くダメージから立ち直った。カイムは被っていた革兜にセイゲツを灯し、その光が全員を照らすようにする。効果は微弱だが何もしないよりはいい。


「あたしゃコケにされるのが何より嫌いでねえ」


 女は屋根の上で得意げに邪悪な笑みを浮かべている。


「最初に少しぐらいは遊んであげようと思ったけど気が変わったよ」


 言い終わるやすぐにまたシンボルを描き始める。今度のそれは他の魔法のものと違っていた。従来のものが光線で形作られているのに対し、燃え盛る炎の線で描かれているのだ。それが何の魔法なのかすぐに気づいたのはマチュアだけだった。しかし、彼女は歯を食いしばり、すでに再びマジックミサイルの準備に入っている。それを他の者に伝えている余裕はない。


 女の魔法が完成するより早く、マチュアから眩い閃光が放たれた。地上から斜め上にほとばしり女の描いていた炎のシンボルを貫通して、その体に到達した。魔法の構築までに、より時間を要するそれはかろうじて阻止された。インビジブルウォールは双方向からの魔法には干渉出来ない。


 魔法のキャンセル合戦。女が六人にマジックミサイルを撃った後、無駄口を叩かず即座に次の魔法に移行していたなら……。マチュアはダメージから立ち直れず、魔法を差し込めなかった。それを煽ってやりたかったが、それでは彼女と同じ過ちを犯すことになる。マチュアはそれより仲間に伝えなければならない事があった。


 赤毛の女の纏うローブは魔法によるダメージを二割減する性能を持っている。そして彼女がマジックミサイルを受けたのはこれで二度目。次の三度目を食らっても、増加した耐性により苦痛は相当軽減される。それを物ともせず、恐らく彼女は次に使う魔法を完遂させるだろう。


「今、あの女が使おうとしていたのはファイヤーボールよ」


 マチュアは苦しそうに片膝をつきながら、他の五人に告げた。


「放たれればこの宿周辺が火の海になるわ。そして次はもうあたしでは止められない」


 それは決して誇張ではない。着弾と同時に大規模な爆発を引き起こし、一帯を焼き払う強力な範囲攻撃魔法だ。


「皆さん! ここから散り散りに逃げて下さい!」


 忍びの男が叫ぶも誰も逃げようとしない。その言葉に従ったのは、何事かと遠巻きに集まり始めていた街の人々だった。


「宿も無事では済まないはず……。あの人は自分の手下すら巻き添えにするつもりですか……」


 テッドは無意識に自分の懐に手を入れ、娘から貰ったお守りの人形を握り締めている。アンジェは無言でそこから前に踏み出した。マソカガミの準備はとうに始めている。しかし、ピンポイントで自分を狙ってくれなければ意味がない。


「マチュアさん! 私にまたあの魔法を!」


 フェイランはカイムと目配せし、マチュアに詰め寄った。


「頼むマチュア。時間がない。俺たちに考えがある」

 

 カイムもそう言いながら頭の革兜を外している。


「わかったわ」


 マチュアは躊躇うことなく、すぐに魔法の準備を開始した。


「今のシンボルを見ても逃げようとしないなんて無知なのね。それとも命知らずなのかしら?」


 赤毛の女にまた悪い癖が出た。中断された後、すぐにまたファイヤーボールの魔法準備を再開させるべきだった。アンジェのマソカガミ同様、ただでさえ発動までに時間のかかる魔法だ。


「せいぜい悪あがきしてあたしを楽しませておくれ」


 再びファイヤーボールの準備を始めるも、マチュアのウェイト・エリミネートを受け、下からこちらへ真っ直ぐ飛んでくるフェイランの姿を見て中止した。


「この猪突猛進女が!」


 このまま撃てば宙を接近してくる彼女に当たり、自分も巻き添えになる。代わりにマジックミサイルに切り替えた。


「はあああ!」


 フェイランは抜き身の大太刀を構え、インビジブルウォールに激突した。斜め上に身体が弾かれる。彼女は即座に刀から手を離し、それをまたすぐにキャッチした。瞬間的にでも一旦身体から離れた物は、魔法の効果を失い重さを取り戻す。ゆるい放物線を描いて遠ざかっていくフェイランにマジックミサイルの光が接触する。その衝撃でさらに加速し、彼女は背後の宿の壁に激突した。バウンドしてゆっくり落下していく。そうした衝撃を何度も受け、魔法まで食らっているのに意識を失わずにいられるのはタテナシあってこそ。


 今度は矢が飛んできた。奇跡的に外れず女に向かってくるも見えない壁に空しく阻まれる。その矢を放った者の頭が光っているのを見て、赤毛の女は違和感を覚えた。人数が一人少なくなっている。あの光る革兜を被っていたはずの男がいない。辺りを見回した。斜め後ろから気配を感じた。


「いつの間に!」


 左後ろ、屋根の上にカイムがいる。手斧を構え、滑るようにこちらへ接近してくる。フェイランとテッドが注意を引き付けている間、彼もマチュアに魔法をかけてもらい、少し離れた位置から飛んできたのだ。相手に視認されにくい夜間だからこそ出来た事だった。


 ここの向かい側の宿の壁を垂直に上がり、途中でそれを蹴って斜めに上昇しながら隣の屋根を越えた。越えると同時にフェイランのように手斧を手放し、すぐに持ち直す。その重さで高度を下げながら、正面のさらに高い建物の壁を蹴って斜めに反転してきたのだ。


 だが、広くもない屋根の上でその勢いは殺せない。避けられたら二度とチャンスはない。なのに気づかれてしまった。


「残念だったね!」


 女がカイムの突進をかわそうとした時、彼とは対角線上の方向から何かが飛んできた。


「なっ!?」


 かなり遠い距離から放たれた棒手裏剣。その為威力は弱く、女の身体に当たりはしたが傷は浅い。そしてそれによって女の動きが止められた。なんとかカイムの手斧はかわすも大きくよろめき、屋根から滑り落ちた。両手で軒先に掴まり宙ぶらりんになる。一方カイムは彼女を飛び越え、下へ落ちていった。


「くっ! 覚えておいで!」


 片手を離し、胸のブローチを握り締める。彼女も落下した。落ちながらその全身が光に包まれる。光が収まると彼女の姿は忽然と消え去っていた。下で待ち受けていた忍びの男やアンジェたちの目の前に、何か小さな物が落ちた。テッドの革兜の光に照らされたのは一匹のネズミだった。着地したそれは彼らから逃れるように鳴き声を上げて走り出し、路傍の排水溝の中へ。あっという間の出来事だった。


 テッド、アンジェ、忍びの男の三人はしばし呆然とその排水溝を見つめていた。やがて忍びが口を開く。


「任意に小動物に姿を変えられる魔法の装飾品があると聞いたことがあります」


「……つまりそれによって逃げられたってことね」


「ええ。ただし一度それによって獣になると丸一日元に戻れず、その間の知能もその動物に準じたものになるとか。さらに元に戻れるだけの空間にいないと永遠にその姿のままだそうです」


「気軽に使うにはいささかリスクの大きな品ですねえ」


「けどまあこれで少なくとも一日は、あの女の顔を見ずに済むのね。そのまま猫にでも捕まればいいのに」


 アンジェの言う通り、無力なネズミになっている間、他の肉食獣などに襲われる危険もある。出来れば彼女も使いたくはなかったであろう。しかし、どうしようもない危急の際には有用な逃避手段であることは確かだ。お尋ね者の彼女が無理を承知で乗り出してきたのもこれがあるからだった。


 赤毛の女より先に転落して痛手を負ったカイムや、さすがにダメージが蓄積してへとへとなフェイラン、魔法を使いまくって疲労困憊したマチュアの三人も集まってきた。


「誰かが手を貸してくれたように思ったんですが」


 自分が赤毛の女に突進する途中、彼女が何か飛び道具に当たって怯んだのをカイムは見逃していなかった。それを話すとアンジェが肩をすくめた。


「それは多分あたしの師匠よ。あたしの他にもう一人あなたたちを探してくれてる忍びがいるって言ったの覚えてる? ここに来る直前で別れたんだけど、まだ心配で見守ってくれていたのね」


 カイムたちが死に物狂いにならなくても、赤毛の女は恐らく師匠がなんとかしてくれたであろう。アンジェはそう思ったが口には出さなかった。


「なぜ姿を見せないのでしょう?」


「あまり人前に出たがらないのよ。人見知りとかじゃなくて、忍びとしてそういうポリシーがあるみたいね。あ、そうそう、こかげが人に戻ったら伝えておいて頂戴。もうじき引退して暇になるから、気が向いたらいつでも修行に来い。師匠がそう言ってたって」


 こかげは宿の入り口まで出てきて座り込み、片足を上げて暢気のんきに毛づくろいをしていた。

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