第46話 フェイランの暴走

 日が暮れて間もなく、街のある通りに人だかりが出来ていた。それなりに大きな宿の入り口に二台の貴族の馬車が止まっている。その周囲には六頭もの乗馬。馬車を取り囲んで人々に睨みを利かせているのは貴族の私兵や街の衛兵たち。その数、十二人。およそ一個分隊の人数だ。統一された鎧や武器に身を固めた衛兵が五人。逆に武装がバラバラな私兵七人。


「下がりなさい! 見せ物ではありませんよ!」


 腰に小剣の鞘を下げた勇ましそうな女私兵。野次馬の中から恐れ知らずにも興味に駆られ近寄ろうとする者を押し留めている。馬に乗ったままこれ見よがしに薙刀を携え、隊の周囲を闊歩する騎兵。鋭い眼光で油断なく人々に注意を向けている。


 人々は物々しい彼らを見て口々に囁きあった。


「おい、ありゃなんの集まりだ?」


「こんな街中で戦でも始めようってのか?」


「いや、何でもお貴族様の大事な客人を警護なさっているだけらしい」


「噂じゃあ、あの連中昼間にシュトルベルク様のお屋敷近くで派手にやり合ってたって聞いたぞ」


 そんな彼らに紛れ、ブリエンテとメランヴィルの私兵たちが顔を付き合わせてひそひそと相談している。


「連中が護衛しようとしているのは、例の冒険者たちに間違いない」


 宿から出て馬車に乗り込む者を遠巻きに観察しながら一人が言った。マントを羽織り、ここらでは見かけない大きな編笠を被って猫を抱いている女。あれは頭に角の生えたガウルの女に相違ない。抱いている猫は姿を変えた黒髪の女忍びだろうか。フードを被った背の低い者もいる。恐らくシンボル魔法を使うというドワーフの少女だ。暗くて遠目なので、はっきりとは確認出来ないが、聞いていた体格や背丈に近い男もいる。大きな背嚢を背負っている。


「当たり前だ。オレたちは半日かけてシュトルベルク邸から連中をつけてたんだ。でなければお前らを呼び集めたりしない」


 しかし、ついに突き止めたはいいが、この状況では迂闊に手が出せない。相手には衛兵もいるのだ。駐屯所にたどり着くまでに、尾行しながら徐々に仲間を呼び集めたものの、もはや後の祭りだ。


「いまなら人数的にはこちらが上だ。無理にでも仕掛けるか?」


 衛兵と悶着を起こすのは後々厄介ではある。それを承知で強硬案を唱える者もいた。だが、皆一様に乗り気ではない。


「昼間、あれより遥かに少ない人数の時に仕掛けた奴らが、返り討ちにあって袋叩きにされたそうじゃねえか」


「しかもその中にはメランヴィルのレーヴェ姉弟もいたと聞いている」


「ふん。あいつらも噂ほどじゃないってことよ」


「だが、あの二人を手玉に取るほどの冒険者だ。舐めてかかると痛い目を見るやもしれん」


「それに加えて今やあの人数だ。さらに、シュトルベルクでも屈指の豪傑ヴィルバルトまでいる」


 猫になっている女忍びを除いた凄腕の冒険者四人に、ヴィルバルト含めた私兵や衛兵合わせて十六人。おまけに向こうは馬や馬車での移動に対し、こちらは走り詰めで疲労も激しい。純粋な戦力比だけで見ても分が悪いと判断した。その上で公儀の衛兵隊まで敵に回すのはリスクに見合わない。


 冒険者たちを馬車に乗せ、移動し始めた一行を私兵たちは引き続き追跡することにした。手を出さずに行き先を見定める。それが彼らの下した決断だった。もっとも目的地は大方察しがついている。シュトルベルクの屋敷に戻り、そこで彼らをかくまうのだろう。その後のことはまた改めて雇い主の判断に従えばよい。金で雇われた身である以上、必死になる理由もない。ごく一部の者を除けば、標的の冒険者たちに深い恨みがあるわけでもない。


 しかし、そんな私兵たちの中に一人だけそれに納得出来ない者がいた。雇われ者だが厳密には私兵ではない。彼らに対して一切指揮権を持たないので、口を挟めず見送るしかなかった。彼女と共に残ったのは直属の部下兼用心棒の三人の男。


 宿の前から散っていく私兵や野次馬たち。その後に四人組だけぽつんと残っていた。


「あっしらも後を追わなくていいんですかい? あねさん」


「金魚の糞でもあるまいし、ぞろぞろ大勢でつけてってどうするんだい」


 派手な銀糸のローブを着た赤い髪の女。四十路に差し掛かろうというくらいの年齢か。細身で背が高く、髪を結い上げまとめている。


「馬鹿な連中だよ、まったく……。少しはここにも監視を残しておこうと思わないのかねえ……。お前たち、ついておいで」


 彼女は男たちを引き連れ、静かになった宿の入口に向かった。執着心の薄い私兵らと異なり、カイムたちに大きな怨恨を抱えている。計画の妨害だけに留まらず、貴族たちからの信頼を失墜させられ、顔に泥を塗られた。


 不甲斐ない魔獣たちの様を見て、両貴族の一門ばかりか組織の構成員の中にまで計画そのものを疑問視する声も上がっている。懸命な説得によってなんとか規模縮小は免れずに済んでいるが、それも磐石とは言い難い。代わりに彼女は権限を大きく抑制され、以前のように資金も人も自由に扱う事は難しくなってしまった。


 その憎き冒険者たちを発見したとの報を聞きつけ、急遽動員出来たのは三人の下っ端のみ。ペット買取りの際にも付き従えていた男たちだ。彼女含め自分たちが犯罪容疑者として捜索の対象になっていることも無論承知している。だから今まで表立って動けなかったのだ。しかし、標的を見つけたとなれば話は別だ。彼女はもはや形振り構っていられなかった。


「いらっしゃいませ。お泊まりでしょうか?」


 一人を外の見張りに残し宿に入ると、受付フロントのカウンターにいた男が声をかけてきた。狭く薄暗い雰囲気のフロントが多い安宿と異なり、そこそこ広く、ランタンやランプの明かりも多い。


「いいや、ちょっと中を調べさせて貰うだけさ」


 彼女が客でないとわかると受付の店員は露骨に笑顔を消した。


「ちょっと! 困りますよ!」


 カウンターを通り過ぎ、ずかずかとフロントの中央まで進み出て辺りを見回す。二人の取り巻きもそれに従った。


「お前たちは二階をお探し!」


「へい!」


 男たちが正面階段をかけ上がろうとした時、店員が鋭い指笛を鳴らした。取り巻き二人は驚いて立ち止まり彼に振り向く。


「せっかく店員に成り済ましたのに、少しは芝居させろ!」


 店員がカウンターの中から赤毛の女に四方手裏剣を投げつける。彼女はそれを避けて盛大にひっくり返った。二人の取り巻きが慌てて引き返し盾になる。彼らはすでに短剣を抜いていた。店の入口で見張っていた男も飛び込んできた。


「お前は急いで貴族の私兵たちに知らせな! あんたらが間抜け面で尾行してるのは囮だってね!」


 倒れたままの女の指示を受け、彼はすぐさまUターンした。店員に扮していた男は、その男へも手裏剣を投げつけた。背中に当たるも距離と革鎧のせいで刺さらず、男はそのまま店の外へ。手傷を負ったのは間違いないが、あれでは足を止められない。


「ちっ」


 忍びの彼は舌打ちして身軽にカウンターを飛び越えた。手には苦無。


「む!」


 後を追おうと駆け出したところを幾重にも連なる青白い稲光に絡めとられた。痛みはないが頑丈な鎖でがんじがらめに縛られたように身動きが取れない。巨大は魔獣ガルムの動きすら止めていた魔法。ライトニング・バインドだ。


「今のうちにこいつをおとなしくさせるんだよ!」


 女は魔法を維持したまま取り巻き二人を促す。


「そこまでです!」


 二階の階段上に現れたのはフェイラン。鞘に収めた大太刀を手に階段に足をかけている。その後ろにはカイム。


「カイムさん、お願いします」


 彼女の言葉に頷き、カイムはフェイランの背中を押しながら階段を猛烈な勢いで下り始めた。二段、三段飛ばしでかけ降りる。


 彼らに続いてマチュアとその後ろに弓を持ったテッド。時間で猫になってしまっているこかげも、ひょっこり顔を出す。


「屋内でそんな長物持ち出すたあ、ド素人が!」


 取り巻きの一人がフェイランの大太刀を見て嘲笑う。赤毛の女を庇い前に躍り出た。女はもう一人の取り巻きに声をかける。


「お前はこいつを抑えときな!」


 ライトニング・バインドを中断し、忍びの男を彼に任せる。前に立つ取り巻きの後ろから半分身体を覗かせ、シンボルを描き始める。前回と同じてつを踏むのはもうこりごりなのだろう。


 階段をかけ降りる途中で、カイムは彼ら目掛けてフェイランを投げつけるようにその背中を突き飛ばした。勢いがつき過ぎて彼自身は残り半分の階段を転がり落ちる。片やフェイランは物凄い速度で宙を滑り真っ直ぐ階下の三人へ。両手に持った大太刀の鞘はまだ抜かれていない。


 フェイランを背後から追い抜き、煌めく帯を引いて光弾が女たちのもとへ。赤毛の女が魔法を完成させるより一瞬早くその身体に刺さる。間一髪、彼女より早く準備を始めていたマチュアのマジックミサイル。女は苦痛の呻きと共に魔法を中断させられた。


 取り巻きの目も向かってきたその光弾で一瞬眩んだ。その先制攻撃と宙を飛び直進してくるフェイランに度肝を抜かれつつ、果敢にも怯まず短剣での突きを放つ。伸ばした腕の先には、床に垂直に立った大太刀のみ。フェイランの姿は目の前から消えていた。わけがわからず呆然とする男。


「イ~ナ~ズ~マ~」


 頭上から声が聞こえた。背後を見上げた男の目に映ったのは、天井に両手をついた状態で身体を丸めるフェイランの姿。手にしていた刀を思い切り床に突き立て、その反動で上に飛び上がったのだ。


「キイィィィック!!」


 背後上から斜め下に強烈な飛び蹴り。


「ぐおっ!」


 背中にそれを食らってよろめくも、掠めただけだ。当たり所は悪くない。体重が乗っていないので衝撃も軽い。しかし、体勢を立て直す間もなく今度は下から頭突きがきた。どうやらキックとは名ばかりでこちらが本命の一撃だったらしい。男は顎にそれをモロに受けた。伸び上がって宙を舞い、床へ落下する。


 マチュアのウェイト・エリミネートとフェイランのタテナシ。二人の魔法を組み合わせ、カイムの手を借りて編み出した荒っぽい屋内戦法。彼女たちは留守番している間、これを考え、脳内シミュレートまで行っていた。部屋に閉じ籠って鬱憤の溜まっていたフェイランのガス抜き目的ともいえる。


「こいつらを引き付けておきな!」


 赤毛の女はもう一人の取り巻きにそう言い捨て、慌てて逃げ出した。


「そんな! 姐さん!?」


 入口へ走る彼女を男も追いかけようとする。


「逃がしません!」


 フェイランの空中戦はまだ終わっていなかった。男に頭突きをかました後、彼女は身体を丸めてくるくる回転しながら室内の角へ。そこから壁を蹴って女目掛け宙を飛ぶ。


 フロントを縦横無尽に飛び回る彼女との衝突を避け、味方の忍びは壁に張り付き動けない。カイムも階段から転げ落ちた後、床を匍匐ほふく前進していた。彼もフェイランにタテナシをかけてもらっていたのでダメージは少ない。フェイランの刀に辿り着くと、それを持ち上げ彼女の予測軌道上に柄を差し出した。


「フェイラン!」


 彼女は宙を飛びながらそれを鞘から引き抜くという芸当を成し遂げた。抜き身の大太刀を引っ提げ、そのまま宙を女に迫る。運悪く彼女の後を追っていた取り巻きがその身代わりとなった。刀の重さで高度を下げ、フェイランは床に足を着いた。


「やあああああああ!」


 魔法の効果が切れ、勢いを維持したまま男に走り寄る。壁に添って逃げようとしていた男へ真横に刀が振るわれた。それは男の眼前で壁を抉り、寸でのところでピタリと止まる。目の前で壁に突き立った刃に腰を抜かす暇もなく、フェイランが身体ごとぶつかってきた。まったく止まるつもりのなかったそれを受け、男は彼女と壁との挟み撃ちになった。フェイランと共に激しく壁に叩きつけられ、共に床を転がる。壁を突き破らなかったのが不思議なくらいの勢いだった。


「もう無茶苦茶ですね……」


 階段を降りながら、テッドは呆れ果てている。マチュアもその後に続く。忍びの男は外へ逃げていった赤毛の女を追う為、床に倒れたフェイランや取り巻きたちの身体を飛び越えた。壁に食い込んだままの大太刀はその下をくぐり抜ける。彼が外へ出るよりも早く、屋外から甲高い女の声が響き渡った。


「よくもやってくれたね! そこから全員出ておいで! あたしを怒らせた事を後悔させてやるよ!!」

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