第44話 女私兵と謎のクノイチ
「貴様、ヴィルバルト!」
モハマドは立ち上がって馬上の男を睨みつけた。
「久しいな、モハマド。ここらでお前たち姉弟との因縁に終止符を打っても良いが、
薙刀を彼に向けて余裕たっぷり言い放つ。
騎兵に追い散らされた二人の私兵は、形勢不利と見てとうに逃げ出した。残って戦えそうなのはモハマドのみ。頼みの綱たるエスペランザはカイムの下敷き。ヴィルバルトの後ろからは二騎の騎兵と馬車を降りた二人の私兵。周りはこかげ、テッド、謎の覆面女に囲まれている。このまま戦い続けても万に一つも勝ち目はない。モハマドは歯噛みした。
「おのれ……」
事態の急変に呆気に取られていたカイムに隙が生じた。エスペランザは自分に跨がるカイムへ、仰向けの体勢から上体をしならせ頭突きを放った。タテナシに守られた
「うっ!」
それを額に受け、エスペランザの両手首を掴むカイムの握力が弱まる。右手が振りほどかれた。彼は身の危険を感じ、その身体の上から飛び退く。カイムの顔すれすれを円月刀が掠めた。もうワンテンポ遅ければ危ないところだった。
勢い余ってたたらを踏み、尻餅をつく。立ち上がったエスペランザは、しかしカイムへ追撃はしてこなかった。まだ目が見えないのだ。それにこれ以上戦っても、もはやどうにもならない事もわかっている。その様子を見て、彼女が視力を失っていることにモハマドは気づいた。
「姉者! 失礼する!」
彼はショーテルを放り投げ、エスペランザに駆け寄ると、その身体を抱き抱えた。
「何をする!? モハマド!」
「ここから逃げるに決まっている!」
馬車の進行方向へ猛然と走り出す。逃亡するならその方角しかない。
「他の仲間はどうするのだ!?」
「この際、見捨てるもやむなし!」
その行く手には覆面女がいた。退路を塞ごうと足を踏み出した彼女へ、ヴィルバルトが呼びかけた。
「構わなくていい!」
野次馬の壁を押し退け、モハマドはエスペランザをお姫様抱っこしたまま一目散に逃走していった。
「己の愛刀より、姉の身優先か。相変わらずのシスコンめ」
ヴィルバルトは呆れてそれを見送った。
「それよりも急いでここから移動する方が先決だ! そろそろブリエンテの私兵たちも動き始めるはず」
エスペランザの警笛の後、一斉に屋敷周辺の監視から移動したメランヴィル家の私兵たち。ブリエンテの私兵らもそれを怪訝に思い、少し遅れて二人ほどここまで様子を探りに来ていた。見守る群衆の壁に阻まれ、何が起こっているのかしばらく理解出来ずにいた。今頃は大慌てで仲間の元へ報告に戻ったところだろう。それでなくともヴィルバルトらが物々しく屋敷から飛び出していったことで、さすがに感づいているはずだ。
「治癒術師は負傷者と馬の応急手当急げ! 人の治療は引き続き走りながら馬車の中で行う! お前たちは後ろの警戒を怠るな!」
てきぱきと私兵らへ指示を下すヴィルバルト。彼らを取りまとめる立場にあるらしい。馬車の中からすでに一人の女が飛び出し、倒れている女私兵にコウフウをかけていた。
「私一人じゃ手が足りないわ!」
「拙者もコウフウが使える」
覆面女が治癒術師のもとへ駆け寄った。
「彼女の治療は拙者に任せてくれ。そなたはあちらの馬と騎兵殿を頼む」
救援要請は果たせなかったが、敵の私兵二人を引き付けてくれていた騎兵とその馬は傷だらけだ。
「お願い」
怪しげな彼女の格好に面食らいながらも、治癒術師の女は騎兵のところへ。騎手は後回しにして馬の治療を優先させる。馬車に乗ってきた私兵が代わりに馬に乗り、男の治療は馬車の中で行う手筈だ。
「そこの二人! 彼女を馬車へ運びたい。手を貸して頂けぬか」
女私兵の容態を気遣って様子を見に来たカイムとこかげに、覆面女は振り向いた。二人も割と満身創痍だ。
「私の劍を……」
女私兵は覆面女の治療を受けながら自分の武器を気にしていた。まだ任を全うする気満々のようだ。魔法具のタワーシールドはすでに元の形態に戻している。こかげは彼女の小劍を拾い上げた。ついでにちゃっかり自分の飛び苦無も回収している。こかげたちにヴィルバルトが呼びかけた。
「客人方も急ぎ馬車へ乗られよ!」
後から来た馬車を先頭に一行はその場から離れた。麻痺から立ち直った馬と御者により、こかげたちの乗るもう一台の馬車がその後に続く。その後方をヴィルバルトら三騎の騎兵が固める。七頭もの馬からなるその隊列は、もはやちょっとしたキャラバン並だ。
戦闘不能状態で転がるメランヴィルの私兵たちは、そこへ置き去りにされた。駆けつけたブリエンテの私兵に助けられるか。或いはそれどころではないと見捨てられ、そろそろ到着する衛兵に保護されるか。どちらかだろう。
一行の行き先はシュトルベルクの屋敷へ引き返すでも、カイムらの潜伏する宿でもなく、その近くの駐屯所と伝えられていた。ここの処理は近場の駐屯地の衛兵に委ね、別の駐屯所へ護衛を頼みに向かうつもりらしい。その後、マチュアとフェイランのいる宿に向かう予定だ。これだけ大仰な移動で目立つ上、ブリエンテの私兵の尾行は恐らく免れない。こうなった以上、隠密に事を運ぶわけにもいかず、レオの保護は後日に先送りすることになった。このまま強行してもクロード一家を貴族たちとのいざこざに巻き込んでしまう危険がある。
「俺のせいでこんな大事になってしまい、すみません……」
カイムは対面に座る女私兵と覆面女に頭を下げた。他にも謝りたい人間は大勢いるが、馬車の中ではどうしようもない。車内のランタンにセイゲツを灯し、自分たちや女私兵の治療に充てている。隣にはこかげが座っていた。素性の知れない覆面忍びをなし崩し的に乗せているのも緊急時ゆえの成り行きだ。あぶれてしまったテッドは仕方なくもう片方の馬車に乗っている。
「こかげもごめん。君を信じて宿で大人しくしているべきだった」
「うむ。あ、いや……」
「いえ、こうなったのも恐らく馬車が屋敷からつけられていたせいでしょう。それを警戒しなかった我らにも落ち度はあります。お気になされますな」
どう返そうかとあたふた言葉を選んでいたこかげに代わり、女私兵が答える。傷もだいぶ癒え、顔色はともかく元気は取り戻していた。
「貴殿らのおかげで仲間ともども助かった。改めて礼を言わせて欲しい」
こかげは彼女に手を差し出した。握手を求めている。
「よければ名を聞かせてくれまいか?」
「ピエラと申します。辺境伯閣下の命でシュトルベルク家にお仕えしておりました。こちらに来てまだ日の浅い新参ですが、宜しく頼みます、こかげさん」
「こちらこそ」
二人の間に固い握手が交わされた。こかげが彼女に親しみを覚えていることが見て取れる。カイムの目にした二度目の微笑み。この一晩で随分人当たりが良くなった気がする。
「辺境伯って、まさか西方国境のフェルスベルク卿? シュトルベルクに仕えていたってどういうこと?」
ピエラにコウフウをかけ終え、一息ついた覆面の女が興味津々話に割り込んできた。口調がガラリと変わっている。ピエラは戸惑い、こかげと顔を見合わせた。覆面女への警戒心からか、こかげはまた仏頂面に戻ってしまった。横でそれを見ていたカイムは少しがっかりする。
「助けて頂いたことは感謝しますが、あなたが何者か知れぬ以上、あまり詳しくお話するわけには……」
「どこのどなたかは存ぜぬが、貴殿にも深く感謝する」
ピエラの言葉に続き、こかげは対面の覆面女に探りを入れる意味を含めて謝意を表した。
「あなた、ちょっと見ない間に少し丸くなった? あ、太ったって意味じゃないわよ、念のため」
自分の思っていたこととまったく同じ事を言い出したその女を、カイムは驚いて見つめた。
「ちょっとっていっても、まだ二日も経ってなかったわね」
覆面を脱いだその女は、麗しの小兎亭のギルドマスター、アンジェだった。ウェーブのかかった長い茶髪を軽く振り、手で整える。
「あーもう熱苦しいし、息苦しいし、髪は乱れるし。久しぶりに被ったけど、うんざりね。あなたたち、もう少し早くあたしに話振ってくれても良かったんじゃない?」
「覆面取るタイミングなんて、アンジェさんの自由でしょうに……」
「なぜ貴殿がここに……」
「理由も告げずに宿から飛び出して行って! あなたたちを心配して探してたに決まってるでしょ!」
怒ったようにそう言われ、カイムもこかげも小さくなった。
「というのは表向きの話で、あなたたちに仕事の依頼が来てたから探してたのよ」
「そっち表向きにして欲しかったです。というかアンジェさんがジュエル魔法使える忍びだなんて初耳でしたよ」
「昔はあの痛い拙者口調で会話してたのですか?」
「貴殿とか言ってるあなたにだけは言われたくないわ! 高い場所から変な名乗りあげたり、推して参るだの言わなかったり、これでもなるべく痛さは抑えたつもりなのよ!」
「落ち着いて下さい。今はそんなやり取りしてる場合ではないでしょう」
こかげに憤慨するアンジェをピエラが諌めた。自分の役割を奪われ、カイムは乾いた笑いで場を誤魔化す。
カイムは今までに起こった事をかいつまんでアンジェに説明した。引き続きこかげがシュトルベルクの屋敷で起きた事をカイムにも語って聞かせる。ピエラも要所で捕捉を入れてくれた。話を聞き終えたアンジェは、腕組みして額に手を当てた。
「馬鹿ね……事前にあたしに相談していれば、止めたものを……」
シュトルベルク、メランヴィル両貴族から依頼を受けた事は聞かされていた。しかし、メランヴィルの依頼内容は秘匿とされていた為、曖昧に濁されていたのだ。すべては報酬額に目が眩み、メランヴィルを騙るヨハンネスの偽の浮気調査依頼に乗ってしまったのが始まりだ。そう考えるとヨハンネス側に属するピエラとしては肩身が狭い。話の後、彼女は居心地悪そうにしていた。
「でも、ペットをさらっていた一味を潰した事によって、結局はその組織の恨みを買っていたでしょう。遅かれ早かれ俺たちはこの一連の騒動に関わらざるを得なかったと思います」
自分を正当化しようとしたわけではないが、カイムは案外さらりと真相を受け止めた。
彼らが貴族との間にトラブルを起こした事は、姿を眩ました後、入れ替わるように店の周りを監視し始めた不審な連中を見れば察しがつく。アンジェがここに辿り着いたのは、カイムたちを探しシュトルベルク邸の様子を見に来て、たまたま出くわしたに過ぎない。彼女の他にもう一人老齢の忍びも手分けして探してくれていた。アンジェがそうまでして五人の行方を求めていたのは、もちろん心配もあるが、彼らへの依頼が人の生死に関わるものだったからだ。
「依頼人はローゼンミュラー子爵よ」
「また貴族……」
カイムとこかげは揃ってげんなりした。貴族の中にもクリスのような良識ある人物がいるのは十分理解している。今まさにその庇護下にあるのも承知している。しかし、また新たな貴族と関わるとなると、どうしても拒否反応を示してしまう。
「馬鹿ね。貴族を敵に回しているなら、他の貴族とコネクションを築く必要性は尚更でしょ。それとその依頼人代理は、あなたたちが深くお世話になった呪術師のクラウズさんよ」
その名前を出されては、カイムもこかげも話を聞かないわけにはいかなかった。
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