第43話 それぞれの戦い

 その頃、急遽参戦した覆面忍びの女はのらりくらりと攻撃をかわし続けていた。流星槌を使う騎兵は乗っている馬もけしかけ女を追い詰めようとしている。しかし、限られた広さの戦いの場では大して勢いも出せず、それもいまいち決め手に欠けていた。覆面女の反撃手段はたまに放たれる棒手裏剣のみ。それでも男二人を引き付けているだけで、十分戦力として貢献してくれていた。


 ソーサラーがモハマドから預かった馬は、すでにその物騒な場から遠く離れて佇んでいる。


 ソーサラーの男はパラライズの発動準備を始めていた。半減されてしまうマジックミサイルの他に攻撃手段のない彼には他に打つ手がない。いつまでもこの女と遊んでいる時間はなかった。もっぱら騎兵が相手をしてくれているおかげで、シンボルは難なく完成した。


「おい、女!」


 ディレイを利かせ、覆面女をこちらに振り向かせる。余所見されていては意味がない。彼女は右手をこちらに向けながら急接近してきた。その掌の中には中指にはめられた指輪の宝石。指輪が内側に向いている。


「かかったな!」


 麻痺の魔法を発動させる。それより少し早く女の右手の前に光る円形のシールドが発生した。


「それは拙者の台詞だ」


 目前でそれをかざされ、麻痺したのは男の方だった。彼女はソーサラーがパラライズの発動準備を始める前から、それを見越して先にその魔法の準備を開始していた。彼の背後で麻痺する馬車馬たちを見れば、男がその魔法を使うのは容易に想像出来る。ずっとこの機会を窺っていた。


「ば、馬鹿な……」


 身体の自由を失い、ソーサラーの男はくず折れた。離れた場所から覆面女に流星槌が打ち込まれた。彼女は今度はそれに向けてシールドを翳す。槌は光るシールドに弾かれ、飛んできた方向とまったく同じ角度に跳ね返された。当然そこには鎖がある。鎖を押し退けながら逆戻りし、勢いを弱め、男の目前で槌はズシリと地面に落ちた。


「奇妙な魔法を……」


 流星槌の男はそれがマソカガミと呼ばれるジュエル魔法であることを知らなかった。すぐにシールドは消えてしまった。発動準備に要する時間が長く、その割に効果時間は十秒ともたない。その分効果は絶大で、物理、魔法問わずあらゆるものを真っ向に反射する。反射された物はそこを単に折り返し点とし、元の射出点から従来通りの飛距離だけ進み、勢いの減衰も起こす。


 彼女は再びマソカガミの発動準備を始めていた。男は馬上で鎖を回転させ、槌を放とうとしている。魔法が完成した。彼女は自ら男へ走り寄った。男が彼女に向け流星槌を放つのと、覆面女がマソカガミを展開させるのはほぼ同時だった。


「ぐわあぁぁー!!」


 男は激痛に悲鳴を上げた。自分の飛ばした槌が近距離で跳ね返され、自分の右手を直撃したのだ。つまり、距離が近ければ近いほど凶悪な攻撃手段ともなりうる魔法だった。男は落馬して石畳の上をのたうち回った。右手は複雑骨折している。魔法で治療しても当分使い物にならないだろう。


「馬鹿ね……こうなることも予想出来たでしょうに……」


 彼女は思わず素の口調に戻って男を見下ろした。右手を押さえて呻き続ける男の傍らに膝をつく。


「情けだ。応急手当てしてしんぜよう。じっとしておれ」


 彼女は男の右手に手を翳した。暖かな光が右手を包む。コウフウの魔法をかけたのだ。


「少しは痛みも和らいだであろう。後は治療院に行くなり、仲間に癒してもらうなり、己の裁量でどうにか致せ」


「あ、ありがとよ……」


 真っ青な顔で男は横たわった。もはや戦う意思は消え失せた。



「待たせたな、小僧。まだ続けるか? おとなしく降伏するなら手間要らずなのだがな」


 エスペランザは男の治療をひとまず終え、円月刀片手に立ち上がった。止血はした。男を完全に治療するにはもう一、二回コウフウをかける必要がある。しかし、自分に歩み寄ってきた青年はその暇を与えてくれそうになかった。


「あんたたちが見逃してくれれば、続けなくても済む」


「悪いがそれは聞けぬ」


 エスペランザは左手にも短刀を抜き放った。カイムは右手で短剣を構えている。手斧を拾いに行っている暇はなかった。軽く握られた左手はエスペランザに甲を向け、反対側に光を放っていた。


 また目眩ましの魔法か……。馬鹿の一つ覚えとはこのことよ。


 前回戦った時に盾の裏側に灯したそれで逃げられた事を、エスペランザは思い出す。


 どちらともなく駆け出した。エスペランザの刀の間合い寸前で、カイムは左手を彼女の眼前に翳した。


「その左手ごと叩き斬るまで!」


 光に向けて円月刀を振り抜いた。同時に左の短刀を真横に打ち払う。


 ……どちらにも手応えがない。代わって光が砕け、粉のようなものが前方一面に撒き散らされた。慌てて息を止める。


「ぬ!」


 目に刺激物による強い痛みを感じ、思わず瞑ってしまう。涙が溢れ、もはや開けていられない。


 事前にこかげから渡された目潰し玉。カイムはそれを戦いの最中でも割れないよう、背中のフードの中に入れていた。エスペランザが男を治療している間、それにセイゲツを灯して左手に軽く握っていたのだ。


 エスペランザは狼狽えることなく目を閉じたまま、即座にカイムの居所に探りを入れる。刀を降り下ろした直後、敵の気配が左真横に来た気がした。なのに左手の短刀に手応えはなかった。となれば……。


「下か!」


 左下に転がるカイムに円月刀を突き立てようとした。その足元がカイムの両足に絡め取られ、彼女はその動作途中のまま、バランスを失って仰向けに転倒する。あらかじめタテナシをかけていたので、それによる痛みは軽微だ。両手の武器も手放さなかった。だが、視力は奪われたまま。

 すぐに起き上がろうとしたところへカイムに馬乗りされた。武器を振るおうとするものの、その両腕も掴まれる。思いの外、力が強い。かなりの握力で手首をギリギリと締め付けてくる。


 二人は息も荒く、無言でそのままの状態を維持し続けた。



 テッドは戦闘が始まってからしばらくの間、相手と睨み合いを続けていた。彼が相手をする事になった私兵は慎重な男だった。鎧はテッドと同じ革製だが、フルフェイスの鉄兜を被り、中型の鉄の盾で身を固めていた。武器は右手に持った鉄製のメイス(鎚鉾つちほこ)。その出で立ちでここまで走ってくるのはさぞや大変だったのだろう。開始早々肩で大きく息をしていた。それがより一層、男を消極的にしていた。彼と対照に好戦的だったウォーハンマーの太った私兵も、さして労力は変わらないはずだが、体力に差があったようだ。


 テッドはこかげにこっそり渡された目潰し玉を、カイム同様フードの中に忍ばせていた。しかし、相手が盾を構えて守りを固めていては使う機会が無い。彼としてはそれを用いてさっさとケリをつけ、他者の支援に向かいたかった。結果的にそれがエスペランザに目潰し玉への警戒心を抱かせることなく、カイムの戦法に貢献する事になった。


 互いに睨めっこを続ける二人の中間点に、手斧が飛んできて落ちた。エスペランザに絡め取られ弾き飛ばされたカイムのものだった。テッドはそれを見てさらに危機感を募らせた。後方からカイムに目をやる。しかし、エスペランザは彼に背を向け、仲間の治療へ向かうところだった。それを見て安堵し、再び己の戦いに専念する。やがてエスペランザとカイムが再び戦端を開こうとすると共に、テッドも行動を起こした。


 なたをいきなり鉄兜の男へ投げつけたのだ。緩く回転しながら男へ飛ぶも、当然それは鉄盾に弾かれる。しかしその衝撃は重い。男の視線が一瞬自分から逸れた隙に、テッドはフードの中から目潰し玉を取り出した。前方の手斧を拾うと見せかけダッシュする。鉄兜はそうはさせじと、こちらも地を蹴った。拾わせなければこちらの勝ちだ。相手は丸腰なのだ。盾を向けて走る必要などない。メイスを振りかざし、男はテッドに迫った。


 僅差でテッドが手斧へ到達した。最初から拾うつもりなどなかった彼は、身を屈めることなくそれを足でケリ飛ばした。石畳の上を滑り、男の足先へ。それに気をとられた男の鉄兜に目潰し玉が炸裂した。兜の前面スリットの間から粉が顔面に振り注ぐ。奇しくもそれはエスペランザとカイムの戦いでも同時に起こった事だった。


 男は咳き込み、視力を奪われ、闇雲にメイスを振り回した。すでにテッドは目潰し玉の巻き添えを避け、そこから飛び退いている。投げつけた自分の鉈を拾いに走る。それを手に取り、無闇やたらと暴れる男の背後に忍び寄った。もはや放っておいても良かったが、周りに危険が及ぶ可能性も大きい。兜越しにその頭へ鉈を叩きつける。男は昏倒した。膝をつき、うつ伏せに倒れて動かなくなった。



 テッドと鉄兜の決着がついたその前方では、カイムがエスペランザを組伏せ、馬乗りになったところだった。


姉者あねじゃ!?」


 こかげを蹴り倒して距離を離し、多少の余裕が生まれていたモハマドがそれに気づいた。


「貴様あぁ! 姉者から離れろ!!」


 頭に血が上って周りが見えなくなった。まだ十分戦えるこかげに背を向け、カイム目掛けて走る。こかげはとっさに飛び苦無を投げるも、倒れた体勢からの準備不足な投擲では威力も弱く、狙いも曖昧になってしまった。モハマドの鉄の胸当てに弾かれてしまう。


「カイム殿!」


 こかげが思わず叫ぶ。彼女はそれと同時にこちらへ猛然と疾駆する馬蹄の足音に気がついた。モハマドはそれすら気にも止めず、カイムとエスペランザのもとへ。そこへ手斧が投げつけられた。


「ぐおっ!」


 胸当てに当たり深手には至らずも、さすがに無視の出来ない一撃だった。息が詰まる。テッドの放ったそれを受け、モハマドは怯んで足を止めた。さらにそこへ馬が駆け寄り、馬上から薙刀なぎなたが振り下ろされる。冷静さを取り戻していた彼は、転がりつつそれを避けた。


「遅くなってすまん! 救援に参ったぞ!」


 馬に跨がり薙刀を構えた男が声高に叫んだ。


 最初にいた騎兵はまだ道端で二人の私兵と戦い続けている。そこへ彼らとは別にもう一騎の騎兵が駆けつけ、私兵らを追い払った。さらにその後方からはもう一台の馬車もこちらへ向かってきていた。左右の乗降口からは、それぞれ私兵が身を乗り出し、飛び降りようとしている。


「あの馬車も我ら辺境伯側の味方だ! 父、ヨハンネスの指示でまかり越した!」


 彼は馬を御しながら、その場の全員に聞こえるよう高らかにそう告げた。

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