第41話 追走劇

 カイムとテッドの二人がここまで来たのは、こかげの身を案じたゆえだ。戻ってくるのが遅過ぎる上に、彼女が人の姿を保っていられる刻限はとうに過ぎている。何かあったとみて間違いないと思うのは至極当然だろう。


 走るのが不得意なマチュアと、頭の角がどうしても目立ってしまうフェイランの二人は不本意ながら宿で待機だ。カイムとテッドまで長く戻らないようであれば、無理に探そうとせず、宿を変えるよう言い含められている。二人が承服したようには見えなかったが、表面上は頷いていた。


「ですが、こかげさんが万が一敵の手に落ちてしまったのであれば、当然僕らの居場所も伝わっているはずです」


 テッドは周囲を警戒しながら早足で隣のカイムに語りかけた。マントとフードで身体を覆い、その下に革鎧、腰になた。人目を引き易い短槍と弓は置いてきた。


 自分たちがこうして自由に動き回れるのならば、こかげは無事であるという理論だ。精神魔法という手段がある以上、敵に捕まる=即自白。広く普及する魔法ではないが、あれだけのソーサラーを抱える組織なら、使える者がいてもおかしくない。口の固そうなこかげに敢えて魔法を使わず、非人道的な手で口を割らせる方法を取る程、連中も馬鹿ではないだろう。時間をかければ、こちらに潜伏場所を移す判断とその機会を提供することになる。


「だからといって、これ以上何もせずに待ってはいられませんよ。それがわかっていたのなら、なぜ俺について来たんですか?」


 カイムは少し苛立っていた。テッドと同じマントとフードの出で立ち。目立つ革兜や盾は持たず、革鎧と手斧と短剣のみの武装だ。


「あなた一人行かせたら、何をしでかすか分からないからに決まってるでしょう!」


 強い口調でそう言われ、カイムは何も反論出来なかった。


「とにかく、今回は遠くからシュトルベルク邸の様子を探るのみに留めておいて下さい。こかげさんを心配なさるお気持ちも分かりますが、もう少し彼女を信じてあげてもよろしいのでは?」


「あいつ、ああ見えて結構ドジなとこあるんですよ」


 人の姿ではなく、猫の時のことをカイムは言っていた。森での夜営の際、フェイランの尻尾にじゃれついて手痛いしっぺ返しを食らっていた。街に戻った時は早とちりしてマチュアに飛びかかっていった事もある。宿では麻袋に自ら頭を突っ込んで抜け出せなくなっていた事もあった。カイムはそれらを猫の性質としてというより、彼女の本質的な一面と捉えていた。


 二人の前方十字路左から馬車が曲がってきた。武装した兵を乗せた一頭の馬を従えている。馬車の来た角を曲がれば屋敷は目と鼻の先のはずだ。気にはなったが、道端を進んでいた二人は顔を伏せてそれをやり過ごした。まさかその馬車にこかげが乗っているなど思いもよらなかった。馬車の方も二人を気に止めず、通り過ぎる。


 こかげがカーテンの隙間から外の様子を窺っていれば、あるいは気づいたかもしれない。しかし、彼女は馬車の中で考え事に耽っていた。


 馬車が過ぎ去った直後、カイムは足を止めた。


「どうしました?」


 テッドも立ち止まってそれを尋ねる。馬車の後から角を曲がって現れ、こちらに向かってくる人物。自分たちと似たような格好をしている。カイムの視線はその怪しい者の挙動に注がれていた。テッドもそれに気づき注視する。


「あいつは……」


 カイムはそのフードを被った人物の腰に、曲刀の鞘がぶら下がっているのを目に止めた。向こうもこちらの存在に気づいたのか、馬車から視線を外し、こっちを凝視している。躊躇なく近寄ってきた。その者が獅子の顔をしている事がはっきり見て取れる。レオを連れて脱出する時、逃げ道を塞ごうとした貴族の私兵だ。


「逃げましょう、テッドさん!」


 カイムは小声で告げて回れ右をした。勝てる勝てないではなく、こんなところで騒ぎを起こしたらどうなるか分かりきっている。


「貴様、やはりあの時の!」


 皮肉な事にカイムのその行動が、エスペランザに確信を持たせた。彼女は曲がり角まで走って戻ると、懐から警笛を取り出し大きく息を吸い込んだ。獅子の口に合わせて息を吹き込める特殊な形状の笛を思い切り吹き鳴らした。


 甲高い警笛音が周囲一帯に響き渡る。カイムとテッドはすでに走り出していた。エスペランザは十字路から追ってこない。待て! などという無駄なことも口にしない。


 警笛音は馬車にも届いていた。何事かと、こかげは馬車の後部窓を開いた。こっちに向かって全力疾走してくる二人の男。もはやなりふり構わずフードははだけ、顔が露になっている。近づくにつれ、その二人が何者であるかわかってきた。


 こかげは走行中の馬車の扉を開けた。


「こかげさん? どうなされた!?」


 彼女の突然の奇行に、同乗していた女私兵が目を丸くする。


「仲間が追われている! 二人を馬車に同乗させて頂きたい!」


 拒否されれば飛び降りて彼らと合流するつもりだった。扉を開けたせいで馬蹄や車輪の音がうるさく、大声でなければ会話出来ない。


「了解しました! 馬車を止めさせますか!?」


「いや、このままでいい! 感謝する!」


 こかげは乗降口から上半身を出した。反対側では女私兵が御者と騎兵に状況を伝えている。


「カイム殿! テッド殿!」


 こかげに大声で呼びかけられるまでもなく、二人は前方の馬車から乗り出しているのがこかげだと気づいた。馬車に追いつき、並走しながら叫び返す。


「すまない、こかげ! ドジなのは俺の方だった!」


「こかげさん、その馬車は!?」


「話は後だ! 二人とも乗ってくれ!」


 こかげはまず一番近いカイムに手を差し伸べた。


 十字路中央で二人の姿を見送っていたエスペランザのもとに、屋敷の方から二頭の馬が疾走してきた。


「どうした姉者!?」


 一頭にはモハマドが、続くもう一頭には軽装私兵とローブの男が相乗りしている。


「あの馬車の足を止めろ! 連中を見つけた!」


 エスペランザはこかげが馬車から二人に手を伸ばす様も見ていた。だいぶ遠ざかってしまったが、馬なら十分追いつける距離だ。


「承知! 残りも後から来る! 誘導頼む!」


 言うや否や、モハマドは馬首を右に向けて馬を疾駆させた。エスペランザはもう一頭の馬に乗る二人にも声をかける。


「お前たちも行け! 私も後で行く」


「はっ!」


 二頭の馬は猛スピードで馬車に追いつき、それを追い越した。さらに距離を開けて立ち止まり、道の真ん中で身体を横に向け進路を塞ぐ。御者は馬車を急停止させざるを得なかった。手綱が思い切り引かれ、二頭の馬は嘶きながら、後ろ足で立ち上がり前半身を踊らせた。カイムが乗り込もうとしていたので、それほど速度を出していなかったのが幸いした。事故にはならなかった。


 しかし、カイムを車内に引っ張りこもうとしていたこかげは、彼もろとも馬車の外に放り出された。抱き合いながら石畳の上を転がる。カイムは彼女の身体を強く抱き締め、頭を胸に抱え、その右手で後頭部を庇っていた。


「カイムさん! こかげさん!」


 道に横たわって動かない二人にテッドが駆け寄る。


「何だ! お前たちは!?」


 味方の騎兵が、道を塞ぐ二頭の馬に乗る男たちを詰問する。馬車の右扉からよろよろと女私兵も降りてきた。


「我らシュトルベルク家の馬車と知っての狼藉か!?」


 本来すでにその名を語れる資格にないのだが、ややこしくなるので伏せた。フェルスベルクの名前を出すのと大差ないだろう。


「知っておるわ! 貴様らが我らと険悪な仲なのもな!」


 レーヴェのモハマドが馬上から応えた。それに対し、女私兵が応じる。


「メランヴィルの私兵か!? これは何の真似だ!」


「白々しい! 貴様らが何故なにゆえそやつらを庇いだてするのかは知らぬが、おとなしくこちらへ引き渡せ!」


 モハマドはショーテルを抜き放ち、カイムたち三人に向けた。反り返りの激しい特殊な形状の刀ゆえ鞘も特殊で、筒状になっているのは先端部のみ。その他の大部分には上に切れ込みが入っており、大きく引き抜かずに抜刀出来る構造になっている。


「戯けたことを……、何様のつもりか! 彼らは大事な客人ぞ。はい、そうですかと渡せるものか!」


「渡せぬとあらば、血を見ることになるぞ!!」


 猛獣がそのまま人の形を成したような男である。見た目も相まって、戦闘員ではない御者や周りの一般人たちは震え上がった。


「カイムさん、こかげさん、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」


「う……」


 膝をついて揺さぶるテッドに起こされ、カイムは意識を取り戻した。頭が少し痛い。仰向けになってこかげを抱き締めたままだ。こかげはカイムに覆い被さったままピクリとも動かない。彼女の頭を庇った右手の甲にも痛みが走る。彼はその手をこかげの頭から離し、彼女の肩を掴んでそっと揺り起こした。


「こかげ。無事か?」


「うむ」


 すぐにしっかりした声で返事があった。なのに彼女はカイムの身体の上から退こうとしない。カイムの胸に頬を密着させたまま静止している。


「動けるならどいてくれないか? これじゃ起き上がれない」


「あと五分」


「寝起きを愚図る子供ですか!? 状況わかってます? こかげさん!」


 テッドが絶叫する。こかげはらしくもなく不貞腐れた顔でノロノロとカイムの身体の上から起き上がった。


「庇ってくれて感謝する、カイム殿。怪我はないか?」


「いやまあ、大したことないけど……。心配するの遅くない? こかげも意識飛んでたのか?」


「二人とも、呑気なやり取りしてる場合じゃないんですってば……」


 テッドは半分泣き顔になっていた。


 道行く人々は立ち止まり、左右の家々や商店からも人が出てくる。真っ昼間に往来のど真ん中でこのような騒ぎである。貴族の手先同士の抗争だろうという事は、言い合う話の内容と状況からすぐに人々に伝わった。半分近い者が触らぬ神に祟りなしと家に引っ込むか、足早にその場から立ち去ろうとする。


「モハマド殿、早急に方をつけねば衛兵を呼ばれますぞ」


 去って行く人々を見送りながら、ローブの男が同乗していた馬から降りた。


「街の者共! 衛兵を呼ぶなどという無粋な真似を致さば、タダでは済まさんぞ!!」


 馬上からモハマドが大音声で吠える。それを聞いてローブの男はしかめっ面をした。


「そんな無茶苦茶な……」


「冗談だ、馬を頼む。この武器は馬上ではちと扱いにくいのでな」


 モハマドは牙を剥き出して笑うと、ショーテル片手に馬を飛び降りた。ローブの男が馬の手綱を握る。


「この獅子男は我らで相手をします! こかげさんたちは残りの二人を頼みます!」


「承知した!」


 女私兵が馬車の向こう側から指示を出す。こかげが応じた。


 女私兵は腰の鞘から小剣を抜き放ち、ベルトにくくりつけていた取っ手だけの形状物を左手に持つ。それを前面にかざし、小声で何事か唱える。たちまちおぼろげな実体を持つタワーシールドが出現した。縦長の四角形でほぼ全身を隠す程大きい。それでいて重さがなく、ほとんどの物理攻撃に耐える強度を誇る。高価な魔法具で彼女の切り札だ。

 もう一人の私兵も馬上で長剣を抜いた。


 対してローブの男は馬の手綱を手にしたまま、宙に大きな円を描き始めた。すでにカイムには見慣れているそれは、パラライズの魔法だ。あの位置からの距離では自分たちまで効果が及ばない事もマチュアから教わっている。狙いは馬車の馬たちと御者だろう。逃げ足を完全に封じるつもりだ。しかし止めに行こうにも相手の騎兵が立ち塞がっている。


「こかげ!」


「任せろ!」


 こかげはすでにスリングを構えていた。カイムも短剣をそのソーサラーに投擲しようと狙いを定める。


「危ない!」


 テッドの呼びかけで二人は即座に投射準備を中断し、そこから飛び退いた。

その二人の足元に細い鎖に繋がれた拳大の鉄球がめり込む。


「こっちにも飛び道具はある」


 騎兵は鎖を思い切り引っ張り、その鉄球を回収して右手で受け止めた。

 流星槌と呼ばれる武器だ。元来、馬上で扱うにはそれこそショーテル以上に不向きなはずだ。それを苦もなく扱う様を見るに相当な手練れに違いない。


「あのシンボルを見ないで下さい!」


 カイムが御者に忠告するも遅く、その隙に魔法が完成してしまった。馬はその場でがくりと膝を折り、御者は台から滑り落ちる。カイムが急いでその麻痺した身体を支え、落下を防いで石畳の上に降ろした。その間、こかげとテッドが騎兵とソーサラーの気を引いていてくれた。馬車の反対側では、もうすでに二人の味方の私兵とモハマドが剣を交えている。


「待たせたな、モハマド」


 馬車の後ろにエスペランザが到着した。四人の徒歩の私兵たちを従えていた。

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