第6章 ポーションオブパワー(敵を一人も倒さず鍵を開ける)

第36話 雨天決行

 雨が降っていた。当分止みそうもない勢いで降り続けている。


 カイムは椅子に腰かけ、窓から外の景色をぼんやり眺めていた。足下には時折、猫のこかげが勢い良く走り込んでくる。しばらくその周りをうろちょろしていたかと思うと、またそこから駆け出す。そしてまた戻ってくる。

 フェイランとマチュアの二人が退屈しのぎに彼女と遊んでいるのだ。こかげは二人にあやされながら、隙を見てはカイムの近くに居ようとする。そこが彼女のホームベースらしい。


 一般宿の二階の一部屋。真ん中奥に窓一つ、二段ベッドが両奥サイドに置かれている。それでも室内はそこそこのスペースを確保していた。あまりに安宿やすやどでは潜伏するにも危険が大きい為、それなりの宿を選んだ。ここともう一室、男性用の二人部屋も同時に借りている。


 五人はレオをクロードの元に送り届けた後、そこから遠く離れた適当な街中で馬車を放置した。クロードにレオを返す際、彼に今後厳重に注意するよう呼びかけもした。無論、それで安泰とは到底言い難いが、今のところそれしか手の打ちようがない。誘拐の再発を防ぐ為、早急に何らかの手段を講じる必要があった。


 その後、散り散りに別れてそれぞれの拠点に赴き、荷物の回収と世話になった人たちに一時的な別離の挨拶を済ませた。そうしてあらかじめ決めておいた場所に改めて集合し、今ここに至るというわけだ。


 今は夕刻に近かった。

 部屋の扉が静かにノックされ、テッドが自分の名前を名乗る。フェイランがそれに応えて鍵を開けると、ずぶ濡れの彼が大きな荷物を抱えて入ってきた。


「すみません、テッドさん。苦労を押しつけてしまって」


 開口一番カイムが労い椅子から立ち上がった。


「気になさらないで下さい。こかげさんが猫の間は、僕が一番目立たず行動出来ますから」


 にっこり笑いながら荷物を降ろし、被っていたフードを取る。マチュアの差し出した宿備え付けのバスタオルを礼を言って受け取った。


 彼は街中の様子を探ると共に、備品の買い出しに出向いていたのだ。早速身に着けているフード付きのマントもその一つ。今までの彼のマントはそれが付いていなかった。すでに持っていたマチュアを除く全員分と、こかげに頼まれていた鉤爪付きロープ等。


「お疲れ様でした。街の様子はどうでした?」


 床に置かれた荷物の中から、自分の分のマントを取り出しフェイランが尋ねる。テッドはタオルで身体を拭きながら、難しい顔をした。


「厳しい状況ですね。白鳥亭や小兎亭の周辺にはすでに複数人張り込んでいます。我々の身元が判明しているのは間違いないでしょう」


「あ、このマント防水性ですね」


 尋ねておいて真新しいマントに目を奪われている。ベッドに腰かけ、それを横目で見ながらマチュアは羨ましそうだ。


「いいなあ。やっぱ、あたしも頼めば良かったかなあ」


「早々に身を隠して正解でしたね」


 緊張感の無い二人に代わり、カイムがそう応えて再び椅子に腰かけた。それを見計らっていたかのように、こかげが膝の上に飛び乗る。

 場所を知らないのでテッドは確認していないが、恐らくマチュアやフェイランと関わるファルネア教会にも監視がついていると思われた。


「それと念のため、シュトルベルク家のお屋敷も見てきたのですが、そこにも数人の見張りがついていました」


 クリスから緊急の際は商会ではなく、直接自分の屋敷へ報告に赴くよう伝えられていた。


「奴ら、俺たちがクリスさんから依頼受けてることまで調べ上げたのか」


 椅子に座るカイムの膝元では、早速こかげが丸くなっている。

 その身体がいきなり光り、彼女の姿は唐突に人に戻った。そろそろ時間だということをカイムはうっかり忘れていた。割と見慣れてきた光景だったので、誰一人それほど驚かない。ただ、戻った場所が若干問題だった。


「あんた、そこで元の姿に戻るの好きよね。わざとやってんの?」


 マチュアに皮肉られ、こかげは慌ててカイムの膝の上から立ち上がった。


「なんならそのままそこにいたら?」


「ば、馬鹿を言うな!」


 彼女にしては珍しく動揺している。


「それはともかくだ。シュトルベルク家の依頼は恐らくオーランド商会を通じてメランヴィル家に伝わったのだろう」


 猫の姿の時から会話を耳に入れていたらしい。両家の依頼はどちらもオーランド商会を経由している。


「そのメランヴィル家なんですけど、浮気調査の依頼どうします? 男爵は浮気じゃなくて、陰でよこしまな計画に加わってました。なんて報告する訳にもいきませんし。それ以前に商会に報告に行ったら捕まりそうですけど……」


 フェイランが全員に問いかける。カイムが答えた。


「そもそもその依頼自体が最初から怪しかったんだよ。どこか別の貴族なり組織なりが、浮気を口実に俺たちにメランヴィル家を探らせたんじゃないかと思う」


「僕もそう思います。接触したレーヴェの私兵の言動からそう感じました」


「そうね。とりあえずそっちの依頼は前金だけ頂いてすっぽかすとして、クリスさんの依頼はどうする?」


「その二つの依頼に関して、実は気になることが……」


 テッドがマチュアのすぐ後に再び口を開いた。


「皆さん、メランヴィル家の依頼を伝えに来た人物の特徴、覚えてます?」


 全員一斉に頷いた。


「白髪で長身の初老の男だったわね。あいつがあたしたちを陥れたんだと、今思えば腹が立ってきたわ」


「でもとても洗練された物腰で、長年執事を勤めてきたという風格をお持ちの方でしたね」


「あまり感情を表に出さない徹底して事務的な口調の人だったな」


 三者三様に答える。報酬の額に釣られたのが一番の原因だが、実直で信頼できそうなその男を信用してしまったのも大きい。


「その男がどうかしたのか?」


 こかげが問う。


「シュトルベルクの屋敷の敷地内に、彼に良く似た人物を見かけたんです」


「つまりメランヴィル家をかたって浮気調査の依頼を出したのは、シュトルベルク家だと?」


 テッドの言を、そうまとめるこかげ。


「他人の空似という事もありますし、僕の見間違いかもしれませんけど」


「たまたまメランヴィル家から訪れていただけという可能性は?」


 マチュアが指摘する。


「それだけは無いと思います。客人のようには見えませんでしたから」


「あり得ない話ではないな……」


 こかげは腕を組んで考え込んだ。


「メランヴィル家の情報を集めている際、耳にしたのだが、この両家は共同所有する鉱山の採掘権を巡って度々対立していたらしい」


「ちょっと待って下さい! ということはクリスさんの依頼にも裏が……」


「いや、それは無関係だろう」


 カイムはフェイランの言わんとする言葉を遮った。


「彼女が俺たちをあざむこうとしているようには到底思えない。彼女の提供してくれた情報も、カールハインツの存在も全て真実だった。フェイランも見ただろう?」


「そうでしたね……。少し疑り深くなってました」


「ということは、彼女とは別にシュトルベルク家の誰かがあたしたちをだましたってこと? だいたい何故メランヴィル家の名をかたって浮気調査なんてまどろっこしい手段を取ろうとしたんだろう」


「ですよね。メランヴィル家の秘密を探らせるなら、堂々とシュトルベルク家の名の元に依頼を出しても良かった訳ですし……。あ、でもそんな物騒な依頼だとわかっていたら、尻込みしていましたね」


 テッドの発言を最後に皆、口を閉ざして頭を捻る。しばらくしてからカイムがこう切り出した。


「そっちの疑問はひとまず置いといて、問題はこれからどうするかだ」


 全員が彼に注目する。こかげが即座に意見を出した。


「まずはクリス夫人に報告すべきだろうな。多大な期待は出来ないだろうが、何かしら我々の力になってくれるかもしれん」


「けど、どうやってですか? 屋敷の周りは例の貴族やメランヴィル家の私兵たちが目を光らせてます。その上、当のシュトルベルク家も胡散臭いときてます」


 フェイランがその困難さを喚起する。


「私が行く。屋敷に忍び込んで直接彼女に会う」


 こかげ以外にそれを成し得る者はいない。


「クリス夫人には個人的に頼みたい事もあるしな」


「レオのことか」


 カイムにこかげは黙って頷いた。


「けどあんた、あの人からの心証最悪だけど大丈夫なの……?」


 マチュアにしては歯切れが悪い。ろくに手助けできそうもない自分を後ろめたく思うからだ。


「謝罪はするつもりだ。それで安易に許されるとは思わんが」


「危ないだけじゃなく、気まずい思いまでさせて悪いわね……」


「気にするな。それに関しては自業自得だ」


「せめて私たちが屋敷の周りで陽動に出ます」


「それはいい考えですね。私兵たちの目をこちらに引き付け……」


「気持ちは有難いが無用だ。そちらのリスクが大きい割に、こちらのメリットはさほどでもない」


 こかげに却下されてフェイランとテッドは気落ちした。


「すまない、こかげ。危険を承知で頼めるか? カールのことも伝えてあげて欲しい。他に俺たちで力になれることがあれば、遠慮なく言ってくれ」


「任せておけ」


 心苦しそうに言うカイムに、こかげは短く答えた。



 室内にて五人で早めの夕食を終えた後、こかげは早々に出かける事にした。雨空ということもあり、夕方でも外はすでに暗い。テッドが買ってきた防水性のマントを羽織り、フードをすっぽりと被る。


「気をつけてな」


 宿の出口まで一人心配して見送りに来たカイムを振り返った。


「力になれる事があれば何でも言ってくれ、と言っていたな?」


 いきなり彼女にそんな事を言われ、カイムは戸惑った。


「あ? ああ。何でもじゃなく、遠慮なくだけどな」


 いちいち発言を覚えている小物臭い彼に、こかげは気にする様子もなくこう続けた。


「ならば報告して無事戻ってきたらめてくれ」


「え? それが力になれる事なのか?」


 こかげは無言で頷く。


「そんなことでいいなら、いくらでもめてやる。だから絶対戻ってくるんだぞ?」


「わかった」


 そう言い残し、彼女は雨の降りしきる外へ走り去っていく。カイムは彼女が角を曲がるまで、その後ろ姿を見送っていた。


 二階の部屋では他の三人が窓から外を見下ろしていた。全員で見送っては人目につくと思い、せめてここから見届けるつもりだった。角を曲がってきて下を通り過ぎるこかげの姿を目で追う。


「こんな暗いどしゃ降りの中スキップしてるわね、あの子」


「彼女のあんなはしゃいでる姿初めて見ましたよ……。何か嬉しいことでもあったんでしょうか?」


「これから危険な仕事に出向くようには見えませんね。というか、こかげさん、ここから私たちに丸見えなの気づいてないのかしら?」

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