第35話 馬車の中にて

 カイムたち五人とレオを乗せた馬車は、まずはレオを飼い主のクロードの家に送り届ける為、そこを目指し走り続けていた。騒ぎを起こした貴族の屋敷からはだいぶ遠ざかっている。今のところ追っ手の気配は無さそうた。

 すでに明け方近い夜更けだがまだ日は昇っていない。郊外から郊外への移動ということもあって辺りにほとんど人気ひとけはない。


 引き続きテッドが御者を務め、その御者台の隣にはフェイランが腰かけ、彼にこれまでの経緯を語り聞かせている。


 四人乗りのその車内ではカイムとこかげが並んで座り、対面に座ったマチュアがカイムから事情を説明されていた。天井に吊るされたランタンの灯りで中は薄明るい。

 レオはこかげの目の前に座り、彼女に上半身を抱えられている。そうしているのはレオが馬車から振り落とされないようにするためだ。馬車の左側に扉はなく、右側に座っていてもレオの姿は外から丸見えの状態。深夜に人の少ない道を走っているので目撃されて訝しがられる心配は少ない。しかし、未整備の道を走っているので、サスペンションが備わっているとはいえ、馬車の揺れはそれなりだ。こかげがその身体を押さえていないと、足掛かりの無い床の上を滑ってしまう危険がある。念のため左側に座るカイムが足を伸ばしてストッパーの役を果たしていた。


 こかげは無言だった。レオとの再会を喜ぶでもなく、ただ淡々とレオの半身を抱えている。レオは舌を出して息をしながら、じっと彼女の顔を見つめていた。おもむろにその前足を彼女の頭に乗せる。


「お前……」


 こかげは驚愕して目を見開いた。


「私のことが分かるのか」


 それは猫の姿で初めてレオと出会った時、彼女がこかげにしたものだ。こかげはレオを抱き締める両手に力を込め、彼女の毛並みに頬擦りした。


「なるほどね。あんたたちが何でそんな無茶したのか理解したわ」


 こかげとレオの様子を見守っていたマチュアは深い溜め息を吐いた。カイムも愛おしそうにレオの頭を優しく撫でる。


「ホントは俺とこかげだけで何とかするつもりだったんだ。フェイランもお前たちも巻き込むつもりはなかった」


「ま、あの子の猪みたいな性格じゃ、首突っ込まずにはいられないでしょうね」


 付き合いは短くともマチュアはフェイランの気質を既に把握している。


「ところでお前とテッドさんは何で首突っ込んできたんだ?」


「いやあ、実は……」


「少し疲れた、私は一眠りさせて貰うぞ」


 マチュアの会話を遮ってこかげは目を閉じた。レオを両手で抱えたまま座席の背もたれに身体を預ける。


「いや、あたしの話聞かないの!?」


「興味ない」


「どこまでも可愛げのない……」


 ぐぬぬと唇を噛み締めるマチュアに、カイムが話の続きを促した。



 マチュアとテッドが別の馬車を尾行している最中、それは起こった。マチュアが二回目のウェイト・エリミネートを使って移動している時、突然馬車が止まったのだ。


 それを不審に思い、左の扉を開けて馬車の中からメランヴィル家の従者が半身を覗かせた。


「どうした?」


 御者の男に訳を尋ねる。


「いやあ、ちょっともよおしちゃいまして……」


 痩せ細った男が決まり悪そうに頭をかく。用を足したくて馬車を止めたのだ。当然従者は激怒した。


「馬鹿野郎! そんなもん出発する前に……」


 そこへマチュアが激突した。テッドに身振り手振りで教えられ、気づいた時にはすでに回避不能な状況だった。慌てて身体を伸ばし、従者へ両足からの高速ドロップキック。さらに悪いことに丁度そこで魔法の効果が切れ、彼女の全体重を乗せる形となった。彼は馬車の扉ごと吹き飛ばされ、見るも無惨な転がり方をして意識を失った。


「あわわわ……」


「あいたあ……」


「あちゃあ……」


 それを見て御者は蒼白、マチュアは尻餅、テッドは途方に暮れる。


 扉を失った側の馬車の中から、もう一人の乗員がのっそり姿を現した。ゴツい身体つきのレーヴェの男だった。頭に立派なたてがみを生やし、装束の上に鉄製の胸当て。右手にはショーテルと呼ばれる特殊な曲刀を携えている。細長く大きく湾曲したその刀身は、曲刀にしては珍しく両刃だ。


「貴様ぁ! どこの手の者だ!?」


 腰をさすりながらその場から立ち上がろうとしているマチュアへ、咆哮の如き誰何の怒声を浴びせた。竦み上がって声も出せない彼女にずかずかと歩み寄る。


「どこの回し者だと聞いておる!!」


 手にしたショーテルを突きつける。マチュアは唖然としながら獅子頭を見上げるばかりだ。


「待って下さい!」


 馬車の陰に隠れて様子を伺っていたテッドが、これはまずいと飛び出した。


「いやはや申し訳ない! 連れの者がとんだご迷惑を。これは不幸な事故なんです」


「事故だと……?」


 あたふたと謝罪するテッドに向き直り、レーヴェがギラリと目を光らせる。


「嘘をつくな! どんな状況ならこんな事故が起こりうる!? 貴様らメランヴィル男爵を襲い、その秘密を探ろうとしているのであろう!?」


「い、いえいえ、決してそのような! 我々はただ男爵殿の浮気を探ろうとしていただけで!」


「嘘をつくな! 奥方の尻に敷かれたあのお方に、浮気なさるような度胸があるわけなかろう!? 貴様ら、どこまで計画を知っている!?」


「うーん、この互いに秘密を暴露していくスタイル、嫌いじゃないわ」


 真夜中の通りの真ん中で大声を出す男たち。マチュアはそんな二人の後ろで腕組みをしてうんうん頷いている。他人事のように眺めているが、その原因を作ったのは彼女だ。


「もうよい! 話せぬとあらばここで斬り捨てるまでよ!」


 レーヴェはその凶悪そうな曲刀を構えた。テッドもやむなく腰のなたに手をかける。マチュアはその後方で、シンボルを描いている。


「待って! 話すわ!」


 魔法の発動を済ませたマチュアが叫んだ。


「だからお願い! 斬らないで!」


 レーヴェの男に駆け寄り、その足にすがり付いて懇願する。


「旦那! 今その女の子、魔法を使ってましたぜ!」


「何だと!?」


 御者の警告は遅過ぎた。


 テッドが素早く鉈を抜き放ち、レーヴェの右手に峰を叩きつける。ショーテルを落とした彼の身体が持ち上がった。ディレイを使って演技を挟んだマチュアのウェイト・エリミネート。重さを失った彼の身体は、足を抱えたマチュアに人形のように振り回された。


「おらー!」


「おわあああ! やめっ! 離せ!!」


 本当はその場でぐるぐる回転させてから放り出すつもりだった。しかし馬車が邪魔だったので、半回転だけさせ馬車の進行方向に投げ飛ばした。


「うわあああ! 誰か止めてくれえ!」


「だ、旦那あぁ!?」


 夜道を水平にぶっ飛んでいくレーヴェの男と、それを見て絶叫する御者。マチュアは両手を軽く打ち合わせて埃を払いながら、


「下手に地面に手を着くと、もっと大変なことになるわよ!」


 消えていく獅子男に優しく注意を呼び掛けていた。御者が急いでそこから逃げ出そうと手綱を握る。御者台にテッドが飛び乗った。


「おっと、動かないで下さい」


 男の首筋に鉈の刃をあてがう。


「出来れば彼女のように手荒な真似はしたくありません。メランヴィル男爵の行き先まで案内するか、馬車を捨てて逃げるか二者択一です」


「も、漏れそうなんで、後者で……」


「降車だけに後者ですね?」


 テッドの寒いジョークに笑うこともなく、男はけつまろびつ逃げていった。


「マチュアさん! そこで決め顔で突っ立ってないで乗って下さい!」


 マチュアが扉の無くなった乗降口から乗り込むと、テッドは手綱を引いて馬車をUターンさせた。


「恐らくカイムさんたちが危険です! 今から彼らのもとへ急ぎましょう!」


 勢い良く元来た道を走り出す。マチュアは馬車の中から顔を出してテッドに応えた。


「それはいいけど、あの御者逃がしちゃって行き先分かるの?」


「どうせ脅して案内させたとしても、素直に目的地に向かうとも限りません。それにこかげさんが追尾する馬車には、進行方向に都度目印を残して行くと言っていたではありませんか」


「あ、そうだっけ? ごめん、聞いてなかったかも」


 一旦、ドガロナン商会の正面口まで戻る。テッドの言う通り、道には馬車の進路を示す矢印が残されていた。石畳の上には蛍光塗料で、土の上には苦無で刻まれている。塗料は矢立やたてによって描かれていた。筆と墨壺をセットにして携帯出来るよう組み合わせたものだ。こかげはこの日の為に、その中身を墨から蛍光塗料に替えていた。それらの目印をいち早く確認出来たのも、二人が暗視というアドバンテージを持っていたからに他ならない。


「もっとも、道が分岐する度に馬車を止めて確認してたんで、到着するのはだいぶ遅れちゃったんだけどね」


「いや、でもおかげで、これ以上ないくらい良いタイミングだったよ」


 話を聞き終えたカイムが微笑む。


「マチュアの失敗に感謝しないといけないな。もちろん機転を利かせてくれたテッドさんにも」


 揃って貴族に喧嘩を売る羽目になってしまった。当然、一番の被害者はテッドだろう。しかし、幸いテッド、カイム、こかげの三人ともこの街にはあまり縁のない根無し草だ。マチュアとフェイランもある意味同じ。二人はファルネア教会と深い繋がりを持つが、さすがの貴族もこの街で最大勢力を誇るファルネア教団を敵に回す愚は犯すまい。カイムは五人でこの街から立ち去る事を視野に入れつつ今後の行く末を考えていた。


 いつの間にかこかげが、自分の肩に寄りかかって寝息を立てていることにも気づいていない。マチュアはこかげのそれが、寝たふりであることを鋭く見抜いていた。


「下手くそな狸寝入りね」


 幸せそうにしている彼女に水を差すまいと、その言葉は誰にも届かない程小さく呟かれた。

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