第34話 エスペランザ

 カイムはその場にしゃがみ込んだ。不安そうに自分の傍に寄り添うレオの背中をやんわり擦る。まだ本調子を取り戻せないようだ。その身体は少し震えている。無理もない。


「大丈夫だ、レオ。必ずここから連れ出してみせる」


 カイムは立ち上がり、行く手を阻むレーヴェの女に向き直った。


「何が思い知らせてやるだと? レオやカールを酷い目に会わせておいて、よくもぬけぬけと……」


「待て、熱くなるな!」


 こかげの忠告を無視し、カイムはエスペランザへ疾駆した。左手の盾を胸前に構え、伸ばした右手に手斧を握り締めている。


「そこをどけ!」


「面白い」


 エスペランザは右に手にした円月刀を左に持ち代え、迫り来るカイムの目の前で横に振りかぶった。両手利き。突然の右から左への斬撃。左に構えた盾ではその攻撃を防ぎきれない。即座に判断したカイムは突進しながら身体を時計回りに捻った。

 背を向けつつ右から迫る曲刀を盾で受け流そうと試みる。刄が当たると同時に盾を傾け、上に持ち上げた。なめし革を張り丸みを帯びた盾により、刀の軌道が上に逸らされる。

 そうしながら回転の勢いを殺さず、手斧を右に薙ぎ払い真横に叩きつける。彼女の腰を狙っての回転斬り。エスペランザの目前で身体をおよそ半回転させ、今は右半身を彼女に向けた状態だ。


「なかなかやるではないか、貴様」


 エスペランザはその一撃を、腰の鞘から半分抜いた幅広の短刀で防いでいた。

 

 カイムはすぐさま盾の背面を彼女の眼前に翳し、そこから飛びすさった。セイゲツの光による目眩まし。エスペランザの左右の武器がそれぞれ弧を描き、虚しく空を切り裂く。


「お覚悟!」


 今度はその隙にフェイランが飛びかかった。八相の構えから大太刀を下へ振り抜く。だがエスペランザはその必殺の一太刀を難なくかわした。逆に斜め下から彼女の喉元目掛け、円月刀を振り上げる。


 しかし、それは途中で止められた。こかげがY字型のスリングで放った石つぶて。顔面を狙い飛来するそれに対し、エスペランザが回避行動を取ったからだ。その間にフェイランは崩れた体勢を一旦立て直そうと、彼女から急いで距離を開けた。


 エスペランザは右手に短い曲刀、左手に長い円月刀を下げ、構えも取らず佇んでいる。尻尾にもしっかりフェイランと同じ刃の護身具まで装置していた。三人がかりでどうにか互角に渡り合える相手らしい。その背景からゴゴゴゴゴ……という効果音でも聞こえてきそうだ。


 見栄張って逃げ道塞いだはいいけど、意外と手強いな……。特に一番強そうなあの黒髪の女が厄介だ。どうしよう……。


 実は内心こんなことを思っていた。


「そこの猫頭!」


「ね、猫!?」


 その黒髪女に屈辱的な呼び方をされ、エスペランザは目を剥いた。


「こんなとこで遊んでいる余裕があるのか? あれを見てみろ」


 彼女の示す方向を見る。魔方陣の傍らでは赤毛の女たちが今も尚、巨獣に電光を浴びせ続け動きを封じ込めている。それによる苦痛のようなものは無いようで、ガルムはうずくまりそこに抑えつけられているだけだ。女たちの魔法が途絶えれば、即座に暴れ出す気配を見せている。

 そして既に二人の精神力も体力も限界に近づいていた。赤毛の女は荒く息を吐き、大量の汗にまみれている。結い上げた髪もほつれ、かつての威勢の良さはもはや見る影もない。


 あと一、二分もてばいい方だろう。魔法に心得のある者全員がそう判断した。手袋を奪われた男が焦って仲間を起こしに駆け出そうとする。


「動くな!」


 こかげが鋭く制止する。彼女はスリングを赤毛の女に向けていた。


「全員そこから少しでも前に出たら、これをあの女に撃ち込む!」


 レオが機敏に彼女のサポートに入り、壁際に立つ彼らに威嚇しつつ睨みを利かせている。すっかり大人しくなったキマイラもヘルハウンドも、そのレオの気迫にたじろぐ有り様だ。


「そんなことをすれば、お前たちも無事ではすまんぞ!?」


 細身の男爵がこかげに脅しをかけた。ガルムが解き放たれれば、この場にいる全員が危険にさらされる。


「どうせ逃げられぬなら同じことだ。いや、むしろ奴に暴れて貰った方が混乱に乗じて逃げられるかもな」


 冷淡に言い放つ彼女に全員が戦慄した。


「わかった。行け」


 エスペランザは道を開け、壁際に下がった。


「貴様! 何を勝手なことを!」


「いや待たれよ、彼女の判断は正しい」


 エスペランザに詰め寄ろうとする細身の男爵を、ライナー男爵が遮った。


「ここで奴らと共に心中するおつもりか? さっさと逃がして、この場を何とかすべきだろう」


「二人はレオを連れて先に行ってくれ」


 もはや時間がない。四の五の言っている猶予はなかった。こかげの言葉にカイムとフェイランは頷き、レオを促して走り出した。


「すまない。あとは頼んだ」


 二人とレオが闇の向こうに消えるのを見届けながら、こかげもジリジリと移動していた。その間、油断なくスリングの狙いは赤毛の女に定めたままだ。ぎりぎりまで引き付け、駆け出そうとしたそこへ、


「逃がさん!」


 男爵がレイピアを突き出した。こかげは彼の顔面にスリングの石つぶてを飛ばす。


「ぎゃあ!」


 レイピアを手放し、ひっくり返った。同時にこかげは身を翻し、暗闇の中へ消えていった。

 エスペランザがあらかじめタテナシをかけていてくれたおかげで、至近距離から受けながら彼は鼻血を出すだけで済んでいた。鼻を押さえ、ヒステリックに喚く。


「おい! 早く奴らを追いかけろ! ええい! これだけの騒ぎになっておるのに屋敷の者共はなぜ誰も駆けつけてこんのだ?」


 中庭の周りに消音魔法の結界を張り巡らしていることも忘れる程に取り乱していた。無論、誰一人として彼の言葉に従おうとしない。


 エスペランザは喚き散らす男を無視して、急いで魔方陣へ駆けた。もはやソーサラーたちを起こして麻痺の魔法をかけている暇などない。伏せたガルムの首もとに立つと、円月刀を両手で構え大きく振りかぶった。


「悪く思うな。心を奪われ、ここで死ぬまでこき使われるよりはマシだろう」


「待て待て! 何をする気だ!? やめろ!」


 それに気づいた男爵が慌てて手を伸ばす。同時に赤毛の女ともう一人のソーサラーが意識を失い、仰向けにぶっ倒れた。


「痛みも感じさせずあの世に送ってやる!」


 エスペランザの円月刀が降り下ろされた。



 屋敷の正門に一台の馬車が近づいていた。門衛たちは鉄柵の扉の前に立ち、その馬車に各々手にした槍を向ける。二人とも中庭で騒ぎが起きていることを知る由もない。


「こんな夜更けに何用だ?」


 すでに到着したメランヴィル男爵の馬車以外、屋敷を訪れる者がいるとは聞いていない。目前で止まった馬車の御者台の上から、銀髪の男がそれに答える。


「ドガロナン商会より至急の知らせです。メランヴィル男爵に急ぎお伝えしたいことがあると」


「ふむ……」


 その馬車は間違いなくドガロナン商会のものだ。つい先刻ここを通したばかり。見間違えようはずもない。しかし、


「ならば御者でなく、直接御使者の方が伝えるべきであろう。何故顔を出さぬ」


「あ、いや……急いでいるもので……」


「そもそも何故御者が口上を述べる。使者を遣わすなら馬だけでもよいではないか」


「あら、御免なさい。夜分遅いもので、ちょっと居眠りしていたの。オホホ」


 マントとフードを被った小柄な少女が、ひょっこり馬車から顔を出した。何故か馬車の左サイドに扉が無い。


「それよりも、ここらで怪しい者を見かけませんでした? 例えば誰か敷地内に侵入したとか」


「その問いはさすがに露骨過ぎます、マチュアさん!」


 馬車から降りてそう尋ねる彼女を、テッドが小声でたしなめた。門衛たちに聞こえないよう名前を呼ぶ。


「怪しい連中なら見かけたぞ」


「え?」


 テッドとマチュアが同時に門衛に振り向く。


「目の前にいる貴様らだ!」


 門衛二人がそこから踏み出そうとした瞬間、今度はマチュアが叫んだ。


「ちょっと待ったあ! そこから一歩でも動くと面倒な事になるわよ!」


 門衛二人は硬直した。その直後、背後の門扉が両側に思い切り開け放たれる。彼らはそれぞれ間抜けな叫び声と共に、鉄柵に吹き飛ばされ左右に転がった。馬車の二頭の馬が驚き、足を持ち上げ嘶きを上げる。テッドが懸命にそんな彼らを宥める。それをよそにマチュアはしれっと言葉を継いだ。


「目の前にいるあたしたちが」


 彼女はカイムとフェイランが門衛らの背後に忍び寄っていることに気づいていた。二人が門から飛び出し、その門衛たちに一撃を加え気絶させる。その後ろにはレオもいた。


「テッドさん、マチュア!? どうしてここに?」


「やはり厄介事に巻き込まれているようですね」


「説明してる暇はないわ!」


 カイムとテッドの会話を遮り、マチュアが走り出した。


「どうせ追われてるんでしょ? カイム、フェイラン! 二人とも手を貸して」


 二人を引き連れ、門から庭の中へずけずけと踏み入る。途中、呑気にレオに手を振る。


「久しぶりね、レオ。元気してた?」


「いや、大変な目に会ってた」


 カイムが生真面目にも代わりに答える。そこへ、こかげも到着した。


「良かった。無事だったか」


「戻らないようでしたらレオさんを逃がした後、二人で引き返そうと相談してたんですよ」


 カイムとフェイランがそれぞれホッと胸を撫で下ろす。こかげは憮然とした。


「要らぬ心配を」


 一方、マチュアは庭の中のとある物を目に止めた。


「あれがいいわ」



 細身の男爵が数人の私兵たちを引き連れ正門に到着した頃には、すでにカイムたちは馬車に乗って立ち去った後だった。誰かに治癒魔法を受けたのか、彼のその鼻はすっかり癒えている。


「門衛どもは何をしていた!? 馬を廻せ! すぐに後を追え!」


「閣下、門が閉まっています」


「そんなものは見ればわかる! 早く開けろ!」


 私兵の言葉に苛立ちながら応える。


「ですが……」


 閉じられた鉄柵のすぐ向こう側に人型の彫像が横たわっていた。人間大の大きさの石像は門を塞ぐ形でど真ん中に置かれている。


「奴ら、どうやってあんなものを……」


 庭に飾られていたそれは二、三人で簡単に運べる物ではない。高価なものだったので少し躊躇ためらったが、彼はやむなく指示を飛ばした。


「ぬうう、背に腹は代えられぬ。像ごと門をこじ開けよ!」


 それに従い、数人の私兵たちが鉄柵に飛びついた。途端、


「ギャッ!」


「いてえっ!」


 私兵たちは足を抱えてそこから飛び退いた。尻餅をついて後ずさる者もいる。こかげの置き土産、撒菱まきびしを踏んづけたのだ。水草の菱の実を乾燥させたもので、どのようにばら蒔いても角の一端が上を向く。靴底の厚い者たちは異物を踏みつけて驚く程度で済んでいた。しかし、その上で力仕事は行うには慎重に足場を選ぶ必要がある。


 正門を開けるにせよ、裏口から追っ手をかけるにせよ、どちらにしても相当なロスタイムになることはもはや避けられそうもなかった。


「おのれ……」


 男爵は激しく歯ぎしりした。犬を奪われたばかりか、大金を投じて入手したガルムまで失い、計画は大きく後退した。その上、面目も丸潰れである。あの三人の首を上げねば立つ瀬がない。


「貴族を敵に回してタダで済むと思うな」


 このまま泣き寝入りするつもりは毛頭なかった。

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