第33話 二匹の魔獣

 こかげと刀の男が相見あいまえようとしている後ろでは、フェイランが向かい来るブロードソードの男を迎え撃とうとしていた。彼女の背後では黒手袋を奪い取られた男が尻餅をついている。


 男は自分に背を向けたそれをチャンスと捉えた。明かりが届かず、おぼろげに目に映ったフェイランの尻尾をとっさに両手で掴む。


「きゃっ!?」


「ぎゃあああああ!」


 フェイランと男が同時に叫んだ。掴んだ尻尾が滑り、さらに強く握ろうとしたところで先端の円形の刃物に両手が当たる。このような事態を想定しての護身具だ。戦闘開始前に装着済みだった。

 男は血塗れの両手を胸前で抱えて地面を転げ回った。


 それによりフェイランの対応が一瞬遅れた。


「貰ったあ!」


 バックラーを眼前に構えブロードソードを振り上げ、男が彼女に斬りかかる。

勝利を確信した男へ、真横からヘルハウンドが飛びかかった。


「何で俺!?」


 男は不意のその強襲に対応出来ず、激しく地面に叩きつけられて意識を失った。ヘルハウンドはその男にのしかかったまま、さらに追い討ちをかけようとしている。


「馬鹿っ!? ザンガ、そっちじゃない!」


 中庭左奥の女が叫ぶ。ようやく鎖を外してフェイランにけしかけたものの、結果はこの様だ。調教はまだ不完全のようだった。ブロードソードの男もフェイランに向かうと判断出来なかった彼女のミスも大きい。


「お前の相手はそこの牛女うしおんなよ!」


 女に叱咤され、ヘルハウンドは一度彼女の方を振り返り、下敷きにした男からすごすごと身体をどかした。改めてフェイランに向き直り、牙を剥き出し唸り声を上げる。それを確認して安堵した女は、今度はキマイラに駆け寄り鎖を外し始めた。


「さぁ、バンガ。次はお前を自由にしてあげる。あの不届き者どもを皆殺しになさい」


「怪我をして意識のあり動ける者は私の元へ参れ!」


 貴族の護衛に専念せざるを得ない獅子頭の女エスペランザが、壁際で大声を張り上げた。


「私はコウフウが使える! 治療するぞ!」


 この場から離れられないなら、せめて人を集めて自分の代わりに貴族の護衛役になって貰おうという考えだった。その声に応じたのはフェイランの尻尾を掴んで大怪我を負った男一人だった。彼はヘルハウンドと対峙するフェイランから離れ、背後の屋敷の壁に密着してそろそろと移動し始めた。


 そしてキマイラの鎖が外された。


「いい? バンガ。お前はあの男を襲うのよ。あそこで犬を助けているあの男」


 女はキマイラのたてがみを優しく撫でながら、カイムを指さした。そのすぐ目の前には巨大なガルムがいる。ここから彼に近づくには、その間近を通る必要があった。それが恐ろしいのか、バンガは今一乗り気でない。

 それを悟った女は仕方なく、一度貴族たちのいる壁際へバンガと共に移動する。エスペランザの隣に並び、改めてキマイラに指示を飛ばした。


「お行きなさい! バンガ! お前は間違えるんじゃないわよ!」


 キマイラが咆哮を上げ、カイムとレオ目指し駆け出す。カイムはやっとの思いでレオのすべての拘束を解いたばかりだった。レオは身体を震わせながら祭壇の上で懸命に立ち上がろうとしている。

 こかげはその横で男との決着をつけ、苦無と飛び苦無を回収し終えたところだった。そこから少し離れた場所でフェイランはまだヘルハウンドと睨み合っている。


 カイムたちの前に立とうとするこかげを、カイムは手だけで遮った。迫り来るキマイラから視線を外さず叫ぶ。


「カール! カールハインツ!」


 同時にフェイランもヘルハウンドに叫んだ。


「ザンガ! お座り!」


 二匹の魔獣はそれぞれそれらの言葉に反応した。キマイラのバンガはカイムの目前でピクリと足を止め、ヘルハウンドのザンガはフェイランの言葉に従ってその場に腰を降ろす。


「バンガ! ザンガ! 何をしているの!? 早くそいつらを始末なさい!」


 調教師の女が地団駄を踏む。魔獣たちはどうしてよいか分からず、その場から動かずに女の顔とカイムやフェイランの顔を見比べている。


「やっぱりカールか、お前……」


 カイムは臆することなくキマイラに歩み寄り、その頭を静かに撫でた。


「お前のご主人様、クリスさんが心配してた……ぞ……」


 そう言いながら彼は熱いものが胸に込み上げてきて言葉を詰まらせた。


「何故この子がカールハインツだとわかった?」


 それを見守るこかげの問いに、カイムはキマイラの頭を撫で続けながら答えた。キマイラはじっとしたまま野太い音で喉を鳴らし始めている。


「一か八か呼んでみただけ」


「……そ、そうか」


 一方、フェイランは畳み掛けるようにヘルハウンドに号令した。


「バンガ! じゃなくて、ザンガ! 伏せ! ……あーもう、ややこしい名前を」


 そんな掛け声にもヘルハウンドは素直に従い、その場に身を伏せた。


「よしよし、いい子ね」


 フェイランは言いながら、傍らに落ちていたバックラーを拾い上げた。目の前で気絶している私兵の男が持っていたものだ。中心に取っ手が付いているだけの小型で円形の木製盾。カイムのものより大分小さい。


「いいこと? ザンガ。今からこれを投げるから、拾ってくるのですよ」


「がう!」


 目の前でバックラーをちらつかせるフェイランに、律儀に返事までする。彼女はそれを身体を捻って思い切り水平に放り投げた。バックラーは勢い良く回転しながら中庭の左奥へ飛んでいく。ウェンディと遊んだ時にリルから教わった遊び方だ。

 途中、円盤が赤毛の女の後頭部をギリギリ掠める。ガルムを抑えつける力が一瞬弱まり、その場の全員がひやりとした。


 それを目で追っていたヘルハウンドは伏せの体勢から急いで立ち上がり、物凄い勢いでそれを追いかけていった。調教師の女が喚いているが、円盤を追いかけるのに夢中で全く耳に届いていない。


「今だ。脱出しよう」


 こかげの合図にカイムは頷き、名残惜しそうにキマイラに語りかけた。


「じゃあ、カール、元気でな。お前のことは必ずクリスさんに伝えるから……」


 キマイラはカイムの手に人懐こく頬擦りしている。クリスが彼を失って激怒する気持ちが痛い程わかる。出来れば連れて行ってやりたかったが、やはりカイムよりは断然付き合いの長い調教師の言葉には抗えないらしい。襲わせるのを諦め自分を呼び寄せる彼女の言葉に従い、カイムの傍から歩き去っていった。


 フェイランと合流し、中庭左手前を目指す。カイムたちが来た丁度反対側、屋敷を挟んだ向こう側に壁に沿って戻れば正門に一番近い。門も強行突破にならざるを得ないが、犬のレオを連れている以上、元来たルートを引き返してロープを使っての脱出は無理だ。


 中庭からの脱出経路のすぐ近くには貴族たちがいる。


「お二人の護衛、任せたぞ」


 レーヴェの女エスペランザは男と調教師の女に声をかけ、壁際から進みでてそこを遮った。


「ああ、任せてくれ。男爵閣下たちは俺が守る!」


 彼女に両手の怪我の治療をして貰った男は自信満々に答えた。フェイランに発動体の黒手袋を奪われ、魔法は使えない。


「バンガもいます。大船に乗ったつもりでいて下さい!」


 女はそう答えた後、バックラーをくわえて自分の目の前を走り過ぎていくヘルハウンドのザンガを慌てて引き留めようとした。その甲斐もなくザンガはフェイランのもとへ嬉しそうに辿り着く。


「こらー! ザンガ、この裏切り者! 私の言うことが聞けないならご飯抜きよ!」


 そんな二人に対し、ライナー卿がプチ切れた。


「どの面下げて大言壮語抜かすか、この役立たずども! こんな頼りない護衛なんぞいない方が……」


 すぐ傍のキマイラに唸り声と共に睨まれ、彼は縮こまった。


「ひいい! す、すまん、冗談だ……」


 ヘルハウンドもさすがに飯抜きの言葉は堪えたのか、フェイランの元にバックラーを返してトボトボと女の所へ戻ってきた。帰り際にフェイランに頭を撫でられ、もはやキマイラ共々完全に牙を抜かれた状態だ。

 

 エスペランザがカイムたちの行く手に立ちはだかっている。彼女の後ろには左右の壁に沿って真っ暗な通り道。そこを進むのが一番近い逃げ道だ。

 色とりどりの色彩からなるサリーという独特な民族衣装を身に纏い、右手に構えた円月刀をカイムたち三人に向ける。


「このまま指をくわえて見逃すわけにはいかん。我らを甘く見るとどうなるか思い知らせてやる」

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