第32話 戦いの火蓋
ガルムが遠吠えを上げた瞬間、魔方陣の左サイドに立つ赤毛の女と、その反対側に立つ男が魔法を発動させた。
二人がそれぞれ宙に描いたシンボルから青白い稲妻が放たれ、ガルムの巨体に絡み付く。小山の如き巨獣はその場にうずくまり動きを止めた。
「今じゃ! パラライズを!」
赤毛の女の合図を受け、レオの祭壇の前に立つ男が真正面に向けて大きなシンボルを描き始める。魔方陣の中で一時的に動けなくなっているガルムを、さらに長時間拘束するには麻痺させるのが有効だ。抵抗される危険に備えてか、その男のすぐ隣にはもう一人シンボル・ソーサラーが控えている。
「うおおおおおぉぉー!!」
建物の陰から三人は一斉に飛び出した。カイムを先頭にレオの祭壇を目指す。
突然のことに中庭の誰一人として声も出せず、対応出来ずにいる。パラライズのシンボルを描いていた男がそれを止め、斜め後ろから走り来る三人に振り返る。カイムの雄叫びはこれが狙いだ。
「何をしておる!? 中断するでない!」
赤毛の女が叫ぶ。そんな彼女も魔法を持続させる力が弱くなっている。
「グルルルルル……」
動きを封じられ、伏せていたガルムが頭をもたげる。女は慌て、改めて精神集中に専念する。ガルムの動きを抑えておかねば大惨事は免れない。魔方陣の反対側の男も目を閉じ、一心不乱に魔法を継続させている。恐らく組織の中で一、二を争う実力のソーサラー二人を無力化出来ているこの状況。カイムたちにとってはまたとない好機だ。
祭壇前で振り返った男の横っ面に、カイムの盾が渾身の力で叩きつけられた。男は呻き声すら上げられず、身体を半回転させながらぶっ飛んでいった。
「お前たちは何匹のペットをこんな目に会わせてきた!?」
カイムが怒りを
その後ろでフェイランが大太刀を水平に構え、もう一人の男に素早く駆け寄る。チャキリという音と共に寸前で刃の向きを変え、その腹に振りかぶった峰打ちを叩き込んだ。くの字に身体を折り曲げた背中へ肘鉄を打ち降ろす。地に倒れ伏した男から念入りに黒手袋を奪い去る。
そのさらに後ろから、魔方陣の右側にいる三人の男女に向けてこかげが走る。一番手間で彼女に振り向いた男に、こかげは手にしていた何かを投げつけた。それは男の顔面に当たって砕け、粉を撒き散らした。男は両手で顔を覆い、その場に膝を着く。涙と鼻水と咳が止まらない。
唐辛子、生姜、石灰、硝酸カリウムなどを混ぜ合わせ、卵の殻に注入して作られた目潰し玉だ。簡単に割れてしまう為、特殊なケースに入れて持ち歩いている。
「貴様!」
その後ろにいた女がこかげに向け、黒手袋をはめた右手を突き出した。粉を吸い込まぬよう左手で口元を塞いでいる。宙にシンボルを描こうとしていたその掌に、こかげの放った飛び苦無が突き刺さる。呻いて右手を押さえる女にこかげが飛びかかった。瞬く間に延髄蹴りを食らわせ、女を地に打ち倒す。
「返して貰うぞ」
地面にうつ伏せ気絶している女の手から飛び苦無を回収し、太股に巻き付けた剣帯へ収納する。さらにこかげは目潰し玉を食らって地に突っ伏す男へも、容赦なく蹴りを食らわせて意識を刈り取った。
魔方陣の右手一番奥の男は、赤毛の女と共にガルムの動きを止めるだけで精一杯だ。こかげはその男にだけは手を下さず、そこからカイムたちの元へ移動した。
こかげがそうしている間、カイムは小さな祭壇の上でレオを拘束しているベルトに手斧を降り下ろしていた。短剣も駆使する。
「久しぶりだな、レオ。今助けてやるぞ」
その真正面には巨大な魔獣の頭。レオは怯えきった瞳だけを動かしカイムを見上げている。口には中途半端に
「酷いことしやがる……」
はらわたが煮えくり返る思いのカイムへ、背後のかがり火の中から炎の塊が飛び出し、その背中へ直撃した。歯を食いしばってその痛みに耐える。
ファイア・ボルトの魔法だ。マジックミサイルに比べ威力も劣る上に単純な物理ダメージ。タテナシの加護と革鎧のおかげで強烈な痛手にはならなかった。しかし半減の恐れなしに、火のある場所なら精神力の続く限り相手が倒れるまで撃ち続けられる。
「このっ!」
彼らの真後ろで魔法を発動させた男にフェイランが突っ込んだ。三脚のかがり火台を蹴り倒し、大太刀の切っ先を向けて走る。二発目のシンボルを描いていた男は彼女のその気迫に
「こ、こ、降参する!」
あっさり両手を上げる。
「ならばその手袋を渡しなさい」
フェイランは直前で踏みとどまると、男の喉元に刀を突きつけた。
カイムたちが飛び出してから、ここまででわずか一分余り。すでに五人の人間が戦闘不能、または戦意喪失している。さらに二人がガルムの足止めにかかりきり。この状況に業を煮やした細身の貴族が私兵たちを一喝する。
「ええい! 貴様ら何をぼさっとしておる!? さっさとあやつらを何とかせんか!」
「お言葉ですが、我らの務めは閣下のお命をお守りすること。まだ何処から襲撃があるか分からぬゆえ、お側を離れるわけには……」
ブロードソードと小型の木製バックラーを油断なく構え、
「構わん! ワシの命に従えぬとあらばお前たちとて容赦せんぞ!」
相当頭に血が上っている様子。彼の私兵二人は渋々カイムたちに向かおうとした。
「お待ち下さい!」
すでに貴族二人にタテナシをかけ終え、自分にもそれを使っていたレーヴェの女が異を唱える。
「それよりもまず先に、ガルムの息の根を止める方が先決かと」
魔法で押さえ込む赤毛の女たちの精神力には今少し余裕がありそうだが、それもそう長くは持ちそうもない。パラライズの魔法が使える男たちを叩き起こすには、まず邪魔者を排除するという余計な手順を挟む必要かある。ガルムを始末した上で赤毛の女たちの力も合わせれば、あの三人を処理するのも容易いだろう。
しかし、そう説明する彼女の提案に貴族の男は激昂した。
「馬鹿を申すな! あれを捕らえるのにいくら金を使ったと思っておる!? いいからお前たちは早く行け!」
貴族に顎で指示され、私兵二人は改めてカイムたちのもとへ駆け出した。仕方なく彼女もその後に続こうとする。
「待たんか! エスペランザ!」
今度はライナー男爵があたふたとそれを引き止めた。
「お前はここに残れ! お前まで行ってしまったら誰が我らを守るのだ?」
「は、しかし……」
隣の貴族の顔色を伺う。
「お前の
「ふん、好きに致せ」
細身の男は不機嫌そうに顔を背けた。内心でライナー男爵に対し、この臆病者めがと悪態をつく。それを表に出すことは出来なかった。同格の立場ではあるが、関係を悪化させたくはない。自分の負担を軽減する貴重な出資者だ。
「仰せのままに」
エスペランザは円月刀を手にしたまま、恭しく元の位置へ下がった。
刀の男は若干先行して、レオを助けようとしているカイムのもとへ。ブロードソードの男は少し遅れてフェイランのもとへ駆け寄った。
刀を両手で右脇に構え、カイムの背後に迫る男。倒れたかがり火台を飛び越し、フェイランの後ろを少し離れ通り過ぎる。狙いはカイムではなく、その背中を守ろうとこちらへ向かってくるこかげだ。彼女から見ると男の持つ刀身が隠れている。
こかげは走りながらその男へ飛び苦無を投げた。男は自分の胸を狙って放たれたそれを立ち止まりつつ、刀を持ち上げ柄を横に向けて防いだ。刀の先端が右斜め上を向く。そこへこかげがさらに速度を上げ急接近した。男はそんな彼女に刀を降り降ろそうとする。激しい金属音と共にそれは阻止された。力を込める寸前で、真っ直ぐ伸ばしたこかげの左拳が刀身の根元に当てられていた。その拳には三本の短い鉄角のついた鉄拳をはめている。
こかげの視線が男の胸元を捉える。右手に持った苦無を引く。男は彼女の目を見て即座に後ろに飛び退く。退きつつ
「何!?」
自分の胸を狙って苦無を突き出すと読んでの行動。だったのだが、彼女はそれをせず、男の斬撃を紙一重で身体を回転させてかわしていた。視線とわずかな動作によるフェイントだった。
そのまま半時計回りに身体を捻りつつ、男の惻頭部にハイキックを叩き込む。さらにその回転を乗せたまま接近し、右手の苦無で男の肩を切りつけた。着物を切り裂き、その下に着込んだ
こかげはそれを見て右手の苦無を手離した。
男はふらつきながらも打ち下ろした刃の向きを変え、
「でえぇぇい!」
そこから斜め横上に刀を振り上げる。軽い
彼女の眼前で男は刀を左斜め上に振りきっている。その機を逃さず男に体ごとぶつかり、渾身のボディブローをぶち込んだ。三本の鉄角が鎖帷子越しに
「み、見事……」
男は泡を吹きながらこかげの背中越しに刀を取り落とした。彼女に抱きついたままずるずる崩れ落ち気を失う。
こかげは男の刀を真後ろへ放り投げると、落とした苦無と投げつけた飛び苦無をまたもや律儀に探し出して拾い上げた。彼女は貧乏性だった。
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