第5章 THE SORCERER IS *IN*

第30話 追跡開始

 貴族たちからの依頼を受けた二日後。

 人々の寝静まった真夜中、ドガロナン商会の裏口を遠くから確認出来る路地裏にマチュアとテッドはいた。それぞれ身を潜めて裏口の様子を伺っている。マチュアはいつも通りのマント姿にフードを目深に被っている。テッドは革鎧にマント。今回は弓も槍も持たず、腰に鉈だけを差していた。


 メランヴィル家からの極秘依頼は浮気調査だった。その貴族の当主婦人代理を名乗る男から伝えられたものだ。当主ライナーが決まった深夜になると、こっそりどこかへ馬車で出かけて行くらしい。屋敷から直接ではなくわざわざ商会を経由していくのは、フェイクまで用意しているからだそうだ。


 まずは婦人の信頼おける従者に、こっそり後をつけさせたという。おかげで屋敷からこのドガロナン商会までの足取りは掴めた。ところがここで乗り換え出発した馬車はひたすら町の中を走り回るばかり。結局徒歩ではそれ以上尾行出来ず見失ってしまったらしい。ならばと次の機会は最初に出発した馬車をやり過ごした所、それきり馬車は出てこなかった。


 これ以上家に関わる者を使っての尾行は色々不都合を招きかねないと考え、こうして恥を偲んで外部に委託したという次第だ。その白羽の矢が立ったのが、ペット誘拐事件で名を上げたカイムたち冒険者であった。


 なんとなくきな臭さを感じないでもなかったが、提示された報酬額を前に五人は色めき立った。前払いの三割だけでも結構な額になる。結局、全員一致で引き受けてしまった。


 念のためこかげを中心にこの二日間、メランヴィル家やドガロナン商会に関して事前調査は抜かりなく行った。

 メランヴィル家は街のすぐ南に位置する鉱山の分割所有権を有していた。同じく所有権を持つシュトルブルク家ら数家とそれを共同管理運営している。この街の貴族たちの中でも格下で発言力も低い彼らにしては、それによってもたらされる利益により財力だけは並以上にあった。

 ドガロナン商会はこれら鉱山経営に関わる数家とは、ほとんど繋がりがない。ただ他の似たような立場の裕福な貴族とは密接な関係にあるらしかった。そしてもう一つ、見過ごせない事があった……。



 正面口をカイムやフェイランと共に見張っていたこかげが、マチュアたちのところに伝令にやってきた。メランヴィル家の家紋の記された馬車が商会に到着した旨を伝えに来たのだ。ここからライナー男爵は商会の馬車に乗り換え、囮を交えて出発するはず。

 それだけを言い残し、直ちに彼女は正面口へ戻っていった。裏口はこのままマチュアとテッドの暗視持ち二人が見張り、残り三人は引き続き正面口を監視する。今夜のところはひとまず追跡する馬車を二台に絞っての作戦だ。馬車の出口は二ヶ所あるが、静まり返った深夜の為、音で判断出来る。同じ出口から時間差もしくは同時に出発した場合、こかげが音を頼りに四人のサポートに回る手筈になっていた。


「向こうで二台出発してくれないかなあ」


 路地裏で建物の壁にもたれて座り、マチュアは面倒臭そうにぼやいた。

 そのケースの場合、こかげ一人とカイム&フェイラン組の二手に別れて尾行を行い、こちらは三台目の馬車が出て来さえしなければ、ここでボケっとしていられる。

 彼女はあまり走る事は好きではない。というか得意ではない。


「残念ですが、そうそう楽はさせてくれないようですよ」


 テッドの言葉と共に馬の嘶きと車輪の音。商会の裏口から二頭立ての四人乗り箱形馬車が姿を現した。馬車の両サイドに、カーテンを降ろした窓付きの扉を備えた高級仕様。間違いなく四輪に振動緩和のサスペンションがついている。誰が何人乗っているかは確認出来ない。御者台には商会の者らしき痩せこけた若い男。


「やっぱ甘くないか」


 マチュアは肩を落として渋々その後を追い始めた。テッドも続く。

 尾行対象者であるライナー卿の人相書きは二人とも頭に叩き込んである。


 月明かりのみの暗い街中を馬車はゆっくり進んでいた。御者台から伸びた二本の竿の先に吊るされたランタン。その明かりを頼りに走っている。

 幸い徒歩より少し早い程度の速さだ。追跡を続けながらテッドは疑問を感じ始めていた。依頼説明に訪れた代理人は、尾行した従者が馬車を見失ったと言っていた。例え自分たちのように夜目が利かなくとも、この程度の速度で見失うものなのだろうか。


「ひー……はー……、も、もうダメ……」


 まだそれほど経ってもいないのにすでにマチュアが根を上げている。彼女はドタドタと走りながらぜえぜえと息を切らしていた。


 ……あー、こういう人に尾行を任せたのかな。


 テッドは考えを改めた。あまり持久力に自信のない自分でさえ、まだまだ余裕がある。


「マチュアさん、無理しなくてもいいですよ。僕一人でも尾行は出来ますから」


 普通に働いて身体を動かす分にはタフな彼女も、どうやら走るという行為に対しての身体の使い方は不慣れらしい。足の長いテッドに比べて歩幅が短いのもあるだろう。


「だ、大丈夫……ちょっと休憩するから……一瞬だけ」


「は?」


 そんなことをしたら、もう追いつけないはずだ。疑問に思うテッドの背後でマチュアはその真後ろに少し走る位置をずらした。追跡する馬車から彼の背中に隠れ死角に入るような位置取り。そこで彼女は一瞬立ち止まり、光輝くシンボルを描いた。それが完成するとまたすぐに走り出す。右手を自分の身体に触れながら、思い切りダッシュし、そして地面から足を離した。


「ひゃはー、楽ちん!」


 ほんのわずかに浮いた状態で滑るように道を移動する。テッドの走る速度よりも大分速い。ついでに馬車との距離も少し縮めてしまおうという魂胆だ。

 ぐんぐんテッドの背中に迫る。体力を使わず、ほぼ全力疾走に等しいスピード

で十五秒間の移動。顔に強く当たる風が汗に心地好い。

 これが後三回使えるのだ。マチュアは頭の中でウェイト・エリミネートの残り効果秒数をカウントしながら得意満面だった。


 あと少しでテッドに追い付こうというところで魔法の効果が切れかかる。前傾姿勢から徐々に仰け反り、地面と背中が水平に近くなっていた。スカートとマントをはためかせ、足から前へ飛んでいくはしたない姿。


「おっとっと……」


 効果が切れる寸前、マチュアは思いきって身体を後ろに一回転させ、バランスを取りながら地に足を着けた。よろめきつつ駆け続けて勢いを殺す。


 重さを消して水平移動している間、少しずつ失速し思ったより距離を稼げなかった。やはり出だしから地面に対して垂直に近い体勢では、空気による抵抗力が馬鹿にならない。


 マチュアはすぐにまたその場に立ち止まり、再度ウェイト・エリミネートを発動させようとした。


「マチュアさん!」


 テッドが小声で呼んでいる。その先に馬車の姿がない。馬車が角を曲がった事にも気づかなかった。


「危ない、危ない……」


 魔法を一回無駄にしてしまうどころか、一人だけあらぬ方向へすっ飛んでいき迷子になってしまう所だった。マチュアはテッドに礼を言いつつ角を曲がり、再び尾行を行う。


 道はしばらく直線のようだ。テッドの後ろに隠れて今度こそ魔法を発動させ、猛ダッシュしつつ水平に地を蹴る。すぐに両手で自分の膝を抱え身体を丸めた。これなら抵抗が少なく、速度もあまり落ちない。身体がゆっくり縦回転してしまうが仕方ない。


 テッドは自分の背後に急速に迫る彼女から慌てて身をかわした。


 彼を追い抜き、回転しながら地面と平行に宙を飛ぶ。

 マチュアは逆さまに目に映ったテッドが、身振り手振りで必死に自分に何かを伝えようとしていることに気がついた。

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