第29話 こかげの呪い

 夕刻から今度はメランヴィル家の極秘依頼が同商会にて伝えられる事になっている。こちらは衛兵隊を通じてカイムたちの噂を聞きつけたらしい。

 現在は丁度昼時。それまでの間中途半端に時間が空いてしまったので、五人はひとまず共に昼食をとり、その後揃ってクラウズ邸を訪れた。


 幸いクラウズは在宅中だった。リルはウェンディと食後の散歩に出かけているそうだ。ほどなくして帰ってくるとのこと。

 こかげが一度猫に戻ってしまったことを伝えるとクラウズは顔を曇らせた。


「やはりか……。思っていた以上に厄介な呪いだったようだな」


 彼の行った解呪はカイムの前でも人の姿に戻れるよう緩和したのみに過ぎなかった。単に振り出しに戻っただけだ。


「このままではワシの名折れだ。少しでいい、今しばらく時間をくれ」


 クラウズは悔しそうにそう言って、こかげを連れ応接室から出ていった。あの部屋でまた儀式を行うのだろう。


 丁度そこへ、リルがウェンディとの散歩から戻ってきた。嬉しそうな彼女に乞われ、彼らは庭に出てウェンディと共に遊ぶことになった。カイムだけは一人応接室に残る。


 実際ウェンディと戯れているのはマチュアとフェイランだけで、テッドはリルにせがまれ故郷の話を辿々しく語って聞かせていた。両親を早くに亡くしたらしいリルは、テッドに父親の面影を見いだしたのか特に良く懐いている。


 窓から彼らの様子をほっこり眺めていたカイムは、背後の扉が開く音に振り返った。クラウズがこかげと共に入室する。意外に早く終わった。


「結論から言おう」


 クラウズの表情ははっきりと良くない結果を示している。


「ワシの今の力では彼女の呪いを完全に解くことは出来ん。大口を叩いておいてどの面下げて言うと思うだろうが許してくれ」


 何と返してよいか分からすカイムは無言で佇む。


 代わりにクラウズはこかげの呪いに対し、大きく二つの点で改善を行った。

 一つは形態変化をきっかり時限式になるよう細工を施したこと。今まで一定周期とはいえ、ばらつきのあったそれを完全に一日の枠の中に収めたのだ。

 一日の三分の二は人の姿。残り三分の一は猫の姿。そのように生活出来るようにした。


「今から十六時間後、お前さんは猫の姿に変わる」


 クラウズは懐から細い鎖のついた小さな懐中時計を取りだし、蓋を開いてこかげに見せた。その針は二時半を指している。今が昼過ぎなので翌朝六時半に猫になるということだ。


 そして二つ目は己の意思で猫の姿に変化出来るようにしたこと。ただし、その逆は不可能。一度猫になったら八時間経過するまで人には戻れない。その場合現在の周期はずれ、人に戻ってから十六時間はそのままでいられる。人に戻った直後にすぐまた猫にもなれる。そうした場合当然ながら、その後八時間は猫のまま過ごすことになる。つまり自分の意思で周期を調整出来るのだ。


「何なら今この場で試してみるか?」


 クラウズの提案にこかげは静かに首を振った。


「いえ、この後、依頼の大事な打ち合わせがありますので」


 自身の身体がこんなにややこしい事態に見舞われているにも関わらず、恐ろしい程に落ち着き払っている。

 自分が同じ立場なら絶対に取り乱していただろう。さらに変化に関して冷静に質問までしているこかげを見つめてカイムは舌を巻いた。


 猫から人に戻る際、例えば狭い場所に閉じ込められていた場合、そこから解放されるまでは時間を過ぎても戻れない。人の姿を取り戻すに足る十分なスペースが確保された瞬間、それは実行される。その他、衣服や装備を身に付けたまま、一方の姿は時間停止したまま変化するのは従来通り。


 不便なことには変わりないが、己の意思で管理出来る分、利便性は格段に向上したといえる。


「これはワシからの詫びの品だ。お前さんには役に立つだろう」


 クラウズは持っていた懐中時計をこかげの手に握らせた。中には振動で動力を貯める小さな魔宝石が内臓されており、半永久機関で稼働する。間違いなくとてつもなく高価なものだ。秒針はついていないので忍びの妨げになる音はしない。


 身に付けたまま猫になると時間が止まるので、現時刻を知る事は出来なくなる。その点は不便だが、いた仕方ない。面倒だが都度針を合わせるか(他の時計を見て合わせなくても、そこから八時間針を進めるだけでいい)、もしくは猫になる直前にカイムなどに預かって貰うしかないだろう。


 こかげは少しためらった後、素直にそれを受け取った。


「ありがとう。何から何まで世話になった。いつか必ずこの恩は返そう」


 こかげが軽く微笑むのを見てカイムは目を疑った。初めて見たその笑顔に引き込まれる。正直、クリスとの打ち合わせの時の彼女の発言は、カイムにとって印象をかなり悪くしていた。帳消しとまでは言わないまでも、それが和らいだのは事実だ。


「何、気にするな。お仲間とたまに顔を見せに来てくれればそれでいい。お前さんの呪いについてさらに色々調べておこう。それに……」


 クラウズは窓際に移動した。テッドにベッタリなリルや、マチュアたちと庭を駆け回るウェンディの様子に目を細める。


「あれらも喜ぶでな。……ただ、お前さん一人で来るのは駄目だ。あまり愛想良くないからな」


 それを聞いてこかげはまたブスッとした顔に戻った。


「ワハハ! 猫でなら一人で来てもいいぞ」



 クラウズ邸からオーランド商会へ戻る途中、まだ少し時間に余裕があったので、五人はこかげの希望でとある店に立ち寄った。

 そこは冒険者の為の装備や道具を扱う大きな専門店だった。大きな物はテントから小さな物は縫い針まで、武器や防具以外の必需品をほぼ全て取り揃えている。


「あー、これ欲しかったんですよ」


「でも持ち歩くには、かさ張りますねえ」


「うわ、高っ! これそんな値段すんの!?」


 皆が思い思いに商品を物色する中、こかげは目的の品があるらしく脇目も振らず、それを探し当てた。鈎爪付きの長いロープだった。

 それを見てカイムとフェイランは顔を見合わせた。ボーン・ゴーレムに襲われた時、彼女はそれを使って二人を助けてくれた。ほどくのに手間取りそうだったので結局その場にそのまま残してきた事を思い出す。


 何種類かの中から一巻きを選び出し、それを会計へ持っていこうとするこかげを、カイムとフェイランが揃って止める。代金は二人で支払うと説き伏せ、フェイランが会計へ赴いた。


 その背中を黙って見送るこかげへカイムが話しかける。


「なあ、こかげ。一つ聞いてもいいか?」


「なんだ?」


「お前、今幸せか?」


 こかげはカイムに背を向けたまま答えた。


「忍びに幸せなど不要だ」


 答えになっていない。彼女のドライな考えにカイムは少し悲しくなった。一言言いたくなるが本題が逸れてしまう。今はぐっと堪える。


「忍びとしての心構えが聞きたいんじゃない。俺の聞き方が悪かったな。人の姿の時と猫の姿の時、どっちが幸せだ?」


「それを聞いてどうする」


 こかげが振り返った。その顔には何の感情もたたえていない。


「今はどちらの姿もとれる。その問いは愚問だ」


 結局はぐらかされる。フェイランが戻ってきたので、カイムはそれ以上追及することが出来なかった。


「カイム! これこれ」


 そこへマチュアがパタパタと走り寄ってきた。手には可愛らしいデザインの小さな火口箱ほくちばこ。それを見てカイムは思い出した。彼女が無くしたそれをご褒美に買ってあげると約束したのだ。


「あの雑貨屋にあったのと同じやつ見つけちゃった」


 火口箱を抱えて嬉しそうに、にへへと笑う。カイムはそれを手に取り値札を確認した。


「あの店より少し高いな」


「自分が買ったわけでもないのに、値段覚えてるとか……」


 水を差されてマチュアは微妙な顔になった。


「当たり前だ。俺はまだお前の後見人なんだからな」


 どういう理屈か分からないが、そう言って胸を張る。


「まあいいや、約束だからな」


 そのまま会計へと向かった。


「やったー! カイム大好き!」


 子供のようにはしゃいで、その腕にすがりつく。


「こら! うっとおしいからまとわりつくな」


「え~、つれな~い」


 すげなくあしらうカイムの腕に抱きつきながら、マチュアはちらりとこかげの様子を伺う。会計を済ませたロープをフェイランから受け取って、こかげはこちらを恐い顔で睨んでいた。


「ぷ。おもしろ。分かりやすい癖に素直じゃないんだから」


 しばらく退屈せずにすみそうだと、マチュアはこっそりほくそ笑んだ。

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