第18話 幼き少女の依頼
「初めましてマチュアさん。あなたの事は司祭様から色々伺っております」
「あたしもあなたの事は聞いてるわ。教会でご厄介になってるそうね。よろしく」
フェイランとマチュアが和やかな雰囲気で挨拶を交わす間、カイムはその様子を黙って見守りながら、運ばれてくる料理に舌鼓を打っていた。
彼の足元では、こかげも同様に小さな器に盛られた鶏のささみに夢中になっている。軽く茹で上げてほぐしたものだ。
丸いテーブルを囲むカイムの左隣は二つとも空席だった。そこに座るべきテッドと見知らぬ少女は現在、奥のカウンターでギルドマスターの男と何やら話し込んでいる。
相変わらず賑やかで騒がしい店内。
マチュアとの歓談が一段落ついた所で、フェイランは隣に座るカイムに視線を移した。
「お久しぶりです、カイムさん。お元気そうで何よりです。あなたの事も伺っていますよ。マチュアさん共々、司祭様のお力になって下さったそうで、代わってお礼申し上げます」
「君の方こそ無事で良かった。魔獣の一件に関しては仕事の結果、偶然そうなっただけだからお礼を言われる程の事じゃないよ」
堅苦しい社交辞令を交わしながら、はにかんで微笑みあう二人。よそよそしいのに何故か親密という、出会った当初からの二人のよくわからない関係性を表していた。再会してしまえば特に抵抗もなく接する事が出来るカイムの心情も、謎といえば謎だ。
「へえ……」
マチュアはそんな二人の様子をにやにやしながら眺めていた。
突然、カイムの膝元へこかげが飛び乗った。彼の胸にべたりと張り付き、訴えかけるかのようにかすれた鳴き声を出す。喉を鳴らしてカイムの顔にふんふんと鼻先を近づけた。
「いきなりどうしたんだ? 食事の邪魔になるから、出来れば降りて欲しいんだけど……」
「猫さんもお久しぶりです。相変わらずカイムさんに懐いてらっしゃいますね~」
フェイランは笑顔を崩すことなくこかげを見つめた。
「こかげって名前つけたんだ、マチュアにつけてやれって言われてね」
「まあ、可愛らしいお名前ですね。改めてよろしくね、こかげさん」
言いながら、その背を撫でようと恐る恐る手を伸ばす。
彼女に振り向いたこかげの顔つきが一変した。
「シャーッ!」
耳を伏せ、瞳孔をカッと開いて唸りを上げる。
「この人はあたしのものよ! 横から手を出さないで頂戴!」
「マチュア、こかげに変な声当てるのやめ……」
「ち、違うんです、マチュアさん! 私はただ、こかげさんを撫でようとしただけで……。あなたとカイムさんがそういうご関係だったとは知らず。誤解させるような真似してしまってごめんなさい……」
フェイランは顔を真っ赤にし、マチュアに向かって慌てて弁解する。
その場の時が停止した。
「……あ、いや、勘違いしないでね。あたしは悪ノリでこかげの心中を代弁しただけだから……」
ひきつった顔でマチュアはアハハと乾いた笑い声をあげる。そんな彼女にカイムはこっそり耳打ちした。
「この人にそういう冗談通じないから……」
「肝に銘じておくわ……」
当のこかげは怒っていたこともあっさり忘れ、カイムの膝の上でフェイランの波打つ尻尾へ無心にじゃれついていた。一度痛い目に会っているのに懲りてないようだ。
そこへようやくテッドと少女が戻ってきた。
ためらう少女を椅子に座らせ、自分もその隣に腰かけながらテッドの表情は重苦しい。少女の方も今にも泣きそうな顔だ。
「テッドさん、よろしければ事情を説明して頂けますか?」
カイムに促され、彼はことのあらましを三人に語って聞かせる。
少女が『猛き白鳥亭』を訪れたのは、行方不明になった愛犬を捜索してもらう為だった。もちろん唯一の保護者である祖父には相談したが、彼はしばらく様子を見ようとなだめるばかり。祖父の職業柄冒険者ギルドの存在を知っていた彼女は、貯めていたお小遣いを手に祖父に黙ってここに来たというわけだ。
しかし、その額では到底依頼は受けられないとマスターに断られ、後日保護者同伴のもと改めて来店するよう諭された。
「また行方不明のペット……」
「また、というのは?」
マチュアの呟きにフェイランが首を傾げる。
「あたしたちもペット探しの依頼受けてる最中なのよ。こっちは猫だけどね。この店に来たのも同じような依頼受けてるあなたと情報共有したかったからなの」
「差し支えなければそちらの詳細な依頼内容と進捗状況を教えて欲しい。こちらも出来る限り情報を出すよ」
カイムの提案にフェイランは快く頷いた。
「わかりました。構いません」
フェイランの受けた依頼は依頼主及び対象の猫が違うだけで、内容はほぼ同じである。商会経由で大元の依頼主は貴族であること。屋敷及び敷地内が行動範囲であるにも関わらず行方が分からなくなったこと。
カイムたちの依頼と大きく異なる点は二つ。
依頼報酬とは別枠で報奨金または情報提供に対する礼金が用意されており、例えば依頼遂行者のフェイランが自力で猫を探し出した場合、依頼報酬と共に報奨金も手に入る。
そしてもう一つ。捜索する対象の猫が二匹居るという点だ。黒毛はつい先日、茶トラの方はおよそ一月程前に失踪している。
椅子に座ってうつむいたまま食事に手をつける様子もない幼い少女に、カイムは腫れ物に触る調子で声をかけた。
「ねえ、君。名前は何ていうの?」
「……リル」
「リル、君の飼ってた犬がいなくなった時のこと、俺たちに詳しく教えてくれないか? もしかしたら君の力になってあげられるかもしれない」
「ほんとに?」
リルは顔を上げ、目を輝かせてカイムの顔を見つめた。
「ウェンディのこと助けてくれる?」
「ああ、約束する。取り合えず順番に聞いていくよ。まずはウェンディが居なくなった日にちだ」
カイムは日、時、場所、どのような状況でいなくなったのか、少女に一つずつ質問形式で訊ねていった。
自宅庭の犬小屋に紐で繋がれていたはずなのに、今朝気づいたら忽然と姿を消していたらしい。昨夜遅く、ウェンディの激しい吼え声にリルは一度目を覚ましたものの、すぐに聞こえなくなった為それほど気にせず再び寝てしまったという。繋がれていた紐ごといなくなったこと。さらに庭の門が少し開いていた為、リルの祖父はウェンディが気まぐれで逃げ出したのだと思った。しばらくすればいずれ戻ってくるだろうと考えた。
しかし、彼女は納得しなかった。
「ウェンディがあたしを置いて自分から居なくなるなんてありえない。あの子はとても優しい子なの。大きな体で力も強いのに、一緒に散歩してる間、あたしを気遣って絶対に引っ張り回すようなことはしないの」
そう言ってリルは大声で泣き出してしまった。彼女の両隣に座るカイムもテッドもおろおろするばかりだ。
「テッドさん、同じくらいな年頃の娘さんいるんでしょ? お願いしますよ……」
「ええー? 待って下さいよ。よそ様の子の扱い方まではわかりませんよ。参ったなあ……」
他力本願なカイムと頼りにならないテッド。フェイランも男二人同様、どうしてよいか分からずあわあわしている。
見かねたマチュアが立ち上がり、リルの傍に立つとその頭をそっと抱きしめた。
「ほら、もう泣かないの。お姉さんたちに任せておきなさい」
泣きじゃくる彼女の髪を母親のように優しく撫でる。外見のせいで母というよりは面倒見の良い姉といったところか。孤児院出身というだけあって、小さな子の扱いには長けているようだ。
「正直なところ、自分の依頼をこなすだけで手一杯と思っていましたが」
泣き止んだリルを見てほっとしたフェイランが口を開いた。
「ペットがいなくなったのはすべて、何者かに誘拐されたと考えれば辻褄があいますね。その何者かを突き止めることさえ出来れば……」
他の三人もその意見に頷く。
「まだ断定は出来ないけどね。でも、今までの方向性で捜すより遥かに有意義だと思う」
「ペットをさらう目的がわかれば、手の打ちようもあるんだけど……」
前途多難な状況に、言いながらカイムもマチュアも渋い顔だ。
「身代金目当ての誘拐でないことだけははっきりしてますね」
フェイランはそう言った後、理由を述べた。
それ目的であれば、彼女の請け負う依頼主の元には、とうの昔に何らかの形で脅迫が行われているはずだからだ。
そして彼女はカイム、テッド、マチュアの三人の顔を見回した。
「それと提案なんですが今回の依頼、皆で協力して解決するのは勿論、その報酬もすべて合わせて四等分しませんか?」
最も報酬の高いであろう彼女からの申し出に、他の三人は目を見張った。
「良いのですか? それだと私が一番得をする形になってしまいますが……」
申し訳なさそうにテッドが尋ね返す。それに対しフェイランは躊躇ない笑顔で答えた。
「構いません。どのみち私一人の力では五里霧中でしたし、皆さんのお力をお借りできるなら安いものです」
カイムもマチュアも反対する理由はなかった。テッドの分を差し引いても現状の取り分より増えるのは確実だ。
「ありがとうございます、フェイランさん、皆さん。これで久しぶりに
ヘルハウンド撃退の報酬だけでは心許なく、心苦しく思っていた彼は瞳を潤ませた。そこまで感謝する彼にフェイランは困った顔で作り笑いを浮かべる。
「あ、あの水差すようで申し訳ないんですけど、まだ依頼解決したわけではありませんので……」
カイムたちの依頼の期限は今日を含めて残り四日。フェイランの依頼は残り三日しかない。先行き不透明なこの現状で楽観出来る有様ではなかった。
その後、四人は食事をしながら今後の方針についてあれこれ意見を出し合った。喉を通らず手をつけていなかった料理を、リルもようやく口にし始めた。
テッドと席を替わってもらったマチュアが、甲斐甲斐しく世話を焼いた結果である。
「ほら、これもおいしいよ。食べてみて」
「うん」
フォークに刺した輪切りの腸詰をリルの口元に運ぶ。あーんと口を開け、ぱくりと食いつく。それでも彼女はまだ浮かない顔をしている。その様にマチュアはそっと眉をひそめた。
食事を終えたリルは、落ち着き無く隣の席にちらちら視線を送っていた。カイムの膝の上、だらしない格好で眠るこかげが気になって仕方の無いようだ。安心しきった様子でカイムの腹を枕に両膝の間に挟まり、仰向けでスヤスヤと爆睡している。
「こんなうるさい場所で、よくそんな野生投げ捨てた格好で寝られるわね。その図太さだけは見習いたいわ」
前足を折り曲げ、後足を広げ、お腹をさらけ出して眠るその無防備な姿に、
マチュアは呆れ顔だ。
「その猫、触ってみたいの? リルちゃん」
カイムにも聞こえるよう敢えて大きな声で訊ねる。
「いいの?」
リルはマチュアとカイムの顔を交互に見比べる。彼女を元気づけようとするマチュアの思惑は、瞬時にカイムにも伝わった。
「ああ、構わないよ。けど起こさないよう優しくね」
リルはそおっとこかげの腹に手を伸ばし、そのふわふわした毛の上からゆっくりお腹をさする。
「柔らかい……。さらさら……。暖かい……」
その感触に愛犬を思い出したのか、彼女の顔が恍惚から次第に悲嘆へと歪み始めた。
(逆効果じゃないか!)
(いや、これは不可抗力!)
カイムとマチュアは慌てて互いに目配せし合う。
結局、二人がかりでなだめる羽目に陥ったのであった。
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