第17話 テッドの災難
『猛き白鳥亭』から少し離れた狭い路地裏でテッドは途方にくれていた。
小遣い稼ぎ程度の軽い仕事を終え、寝泊りする宿を兼ねた白鳥亭まで戻ってきたはいいものの、その入り口前には一人の幼い少女。店の前で落ち着きなく行ったり来たりしている。時折店の中を覗いては、すぐにその場から慌てて離れる。というようなことをひたすら繰り返していた。
年は十歳にも満たないだろう。着ている服はそれなりに上質で、そこそこ裕福な家の子供であろうことを伺わせる。故郷に残してきたテッドの一人娘と背格好が似ていた。かといって勿論知り合いでも何でもない。彼にとって初めて見る顔だ。
その少女が何をしたがっているのか、テッドにはわかっていた。彼女は明らかに店に何か用がある。だが、荒くれ者の集う店の中が恐ろしくて入るに入れないのだ。
気さくとは言い難い小心者の彼にとって、彼女に接することは実に難度の高い行動だった。良い年をした大人が見知らぬ幼い少女に声をかけるというその行為自体、不審者に思われかねない危険もある。
だからといっていつまでもここで隠れて様子を見ているのも、それはそれで怪しく思われそうだ。
彼は大きな溜息を一つ吐くと一大決心した。何気なく店の入り口に向かい、もし万が一彼女が自分に気づいて声をかけてきたら助けよう。
そう心に決め一歩踏み出す。ぎくしゃくした足取りで入り口へ向かう。気づかないふりをして少女の横を通り過ぎた。
「あ……」
少女がすがるような目でテッドを見上げた。しかし、それだけだった。
テッドはちらりと少女に視線を走らせ、そのまま店の中へ。
……入ろうとして結局彼は見過ごすことが出来なかった。
「どうしたんだい? 君、この店に何か用があるのかい?」
テッドは膝に手を置いて屈みこみ、幼い少女に視線を合わせる。努めて優しく微笑みながら内心ではハラハラしていた。
「依頼……したいの……」
はっきりそう言う少女に、テッドは重ねて質問する。
「お父さんかお母さんはついてきてくれなかったの?」
「お父さんもお母さんもいない。おじいちゃんは忙しいから……」
「良ければどんな依頼か聞かせてもらえるかな」
「ウェンディがいなくなっちゃったから、探して欲しいの」
「ウェンディというのは君の友達?」
「うん。大事な犬のお友達」
「よしわかった。おじさんがついていってあげるから、詳しい話は店の受付でしようか」
「ありがとう、おじさん!」
少女は顔を輝かせると、テッドのマントの端をぎゅっと掴んだ。幼いのに素直で礼儀正しい。彼の脳裏に自分の娘の顔がよぎった。
受け答えもちゃんと出来るので、傍について補足してあげれば依頼も受諾されるかもしれない。提示出来る報酬次第ではあるが。
二人が店内に入った途端、案の定心無い野次が飛ばされた。
「おいおい、今度はガキ連れかよ!」
「ここは託児所じゃねえんだぞ!」
「ひっ……」
それが自分に向けられたものだと敏感に察した少女は、テッドのマントから思わず手を離し、その罵声から身を引いた。
その先にはテーブルに立てかけてあった大剣。煌びやかな装飾の鞘に収まったその剣に少女は体をぶつけ、派手な音と共にそれを倒してしまった。
「何しやがる、このガキ!」
その剣の持ち主だろう。同じように派手な装飾の鎧に身を包んだモヒカン頭の男が勢い良く立ち上がり、その厳つい手を振り上げた。
「ごめんなさい!」
少女は身を屈め、頭を両手で庇う。
デッドはすぐさま少女の前に立ち塞がり、モヒカンの手を掴んだ。
「やめて下さい。こんな小さな子供に手を上げるとか正気ですか? 彼女の手を引いて歩かなかった僕の失態です。お詫びに一杯奢りますので、ここはどうか穏便に」
テッドのこの対応に、さすがに周りからも彼を擁護する声が上がる。しかし、これが余計に男の怒りに油を注ぐ結果となった。
「ん? お前居残り組みだな? 俺たちが命がけで戦に出てる間、街でのうのうとしてた腰抜けが偉そうな口聞いてんじゃねえ!」
相当泥酔しているらしい。言うや否や男はいきなり勢い良くテッドを突き飛ばした。彼はよろめいて隣のテーブルに背中をぶつける。
「何してやがる!!」
雷のような怒号が店内に響き渡った。
「ひい! ごめんなさい!」
まったく無関係のマチュアが思わず竦み上がる程の大声だった。
「喧嘩は外でやれっつっただろーが!」
店のマスターの怒鳴り声で静まり返る店の中、派手な鎧のモヒカン男は
軽く舌打ちすると、
「わかったよ。外でやりゃいいんだろ」
「いたた……」
床に膝をついて顔をしかめるテッドを引き摺り、おぼつかない足取りで店の出口へ。まだ怒りは収まらないようだ。
それを見て、しまったという顔をするマスター。普通に喧嘩を止めるつもりが勢いで口を滑らせてしまったのだろう。
「面白そうだな。俺も手を貸すぜ、相棒」
モヒカン男と酒を飲んでいた角刈り頭の男が楽しそうにその後に続く。その男は自分の得物に加え、相棒の愛剣までわざわざ携えている。彼自身の武器は長柄の先端が棘付きの鉄球という凶悪な形状をしたモール。
「おいおい……。武器でやりあう気かよ……」
周りがざわつくが誰も止めようとする様子はない。
モヒカン男は店の外に出ると、首根っこを掴んでいたテッドの体を地面に放り投げた。歯を剥き出し、にやりと笑う。
「さあ、派手にやろうぜ」
相棒らしき男もその隣に並び、モヒカンに大剣を手渡した。柄と刀身が通常の片手剣より若干長いそれはバスタードソードと呼ばれる。片手でも両手でも扱える直刃の剣だ。
テッドは革鎧、腰に
「お願い! あのおじさんを助けて!」
幼い少女がマスターに取りすがり叫ぶ。しかし、彼は決まり悪そうな顔で押し黙ったままだ。外で喧嘩しろと啖呵を切った手前、引っ込みがつかないのだ。
店の入り口でひしめき合い、テッドらの様子を見守る冒険者たち。
そんな彼らを押しのけ、二人の荒くれとテッドの間に颯爽と飛び出したのはカイムだった。
「カイムさん!」
「なんだおめえは? そいつに加勢するつもりか?」
テッドとモヒカン男が同時に声をかける。
「あ、えーと……」
勢い良く飛び出したはいいものの、どうやら体が勝手に動いてしまっただけらしい。カイムは倒れているテッドの前に立ち、この状況を如何にすべきか今さら思案していた。こうなった以上、話し合いで事が収まるとは思えない。その上、どう見ても相手の二人の方が自分より力量は断然上だ。
玉砕覚悟であがいてみるか……。
そう心に決め、ゆっくり腰の手斧に手を添える。
巨体の角刈り男が一歩前に踏み出し、そんなカイムの胸を拳で軽く小突いた。
「こいつの相手は俺がする。さすがに二対一じゃ気も引けるしな」
自分から首を突っ込んでおいてのうのうと言い放つ。
カイムの足元にはいつの間にかこかげが寄り添い、全身の毛を逆立ててその男に鋭い威嚇の声を上げていた。男の足元に飛び掛ろうと身を屈めた瞬間、カイムの制止の声がかかる。
「やめろ、こかげ! 無茶するならせめて俺が死にそうになってからにしてくれ」
それを聞いて、こかげはぴたりと動きを止めた。
「すげえ! あの兄ちゃん、猫をまるで犬のように手懐けてやがる」
そんなどうでもいい感嘆の声をあげる人々を掻き分け、今度はマチュアが悠々と姿を現した。
「情けないこと言ってんじゃないわよ、カイム」
彼の隣に並び、荒くれ二人に向かってその小さな胸を張る。
「あたしも助太刀させて貰うわ。人数差逆転したけど文句無いわよね? あんたたち元々一対二の勝負しかけようとしてたんだから」
内心びくびくしながらも精一杯虚勢を張る。頭の中では
「ヘルハウンドよりマシ、ヘルハウンドよりマシ……」
と、うわ言のように繰り返していた。
「すまない、マチュア。正直助かる」
一見、自信満々なマチュアの様子に荒くれ二人はわずかに怯んだ。最初は子供かと侮っていたが、その胸には歴とした冒険者の証であるワッペン。さらにはその右手にはめた黒い手袋に気づく。
「こいつソーサラーか……」
ひそひそと耳打ちする。厄介な相手だ。酒に酔いながらも冷静に相手の戦力を分析しようとする辺り、腐っても戦いのプロであった。
「何の騒ぎです?」
追い討ちをかけるかの如く、そこへカイムたちの背後から声がかかった。
ついには入り口からあふれた野次馬冒険者たちが、長巻を手にしたその凛々しい勇姿を見て一斉にざわつく。
「双角の牙だ……」
「フェイラン!」
振り向いたカイムもその名を呼ぶ。
同時に、あれ? この人そんな凄腕だったっけ……。
人々の反応を見て内心首を傾げる。
最初に出会った時と異なり、左肩のみにショルダーガードを備えた革製の胸当てを身につけている。女性用に胸部が大きな二つのお椀型に膨らんでおり、そのせいで以前より一層胸の大きさを強調するスタイルになっているが、恐らく当人は無自覚だ。
「カイムさん! どうしたんですか? 店の前で」
「……ちょっと揉め事に首突っ込んじゃって」
「お、おい……双角の牙といえば……」
荒くれ二人も野次馬冒険者たちも皆、小声でささやき合う。
「薬草採取や雑用くらいしかこなした事ないのに、何を血迷ったか痛すぎる二つ名名乗った挙句、つい最近までそれが恥ずかしい事だと自覚すらしていなかったという噂の……」
「なんて恐ろしい女なんだ……」
それらを聞いてフェイランはたちまち涙目になった。
「おい! そこの二人!」
今度は店のマスターが野次馬の中からモヒカンたちに呼びかける。
「さすがのお前らも酒が入った状態で、四人を相手にするのは厳しかろう。ここはおとなしく引き下がるのが賢い選択だと思わんか?」
まだ状況の掴めていないフェイランをしれっとテッド側に加え、穏便に事を運ぼうとする。
「ふん、わかったよ。あんたに免じてここは引いといてやる」
さりげなく持ち上げられた事に気を良くしたのか、モヒカンは意外にあっさり剣の柄から手を離した。それにならい角刈り男の方も体の緊張を解く。
「命拾いしたな、小僧」
「興が削がれた。別の場所で飲み直そうぜ」
男たちはカイムらに悠然と背を向け、連れ立ってその場から歩き去っていた。
「なんだよ、これで終わりかよ」
「つまんねえ」
無責任な野次馬冒険者たちは、落胆しつつ皆ぞろぞろと店内へ引き上げていく。
「カイムさん、マチュアさん、双角の牙さん。ありがとうございました。おかげで助かりました」
軽く埃をはらいながら立ち上がり、テッドは三人に頭を下げた。
「いえ、私は何もしてませんから。あと、その名前で呼ぶのやめて頂けると有難いです」
直接会話を交えるのは初めてだが、同じギルド支部に所属する者同士、フェイランとテッドは一応顔見知りだった。
「酷い目に会ったわね、テッドさん。大丈夫? 怪我してない?」
「痛むところがあれば遠慮なくおっしゃって下さい。セイゲツ使いますよ」
マチュアとカイムは彼を気遣い、そろって声をかける。
「いえ、これくらいなら平気です。ご心配痛み入ります」
「おじさん!」
軽く微笑んで強がるテッドの元へ、店の中から少女が飛び出し駆け寄った。
「ごめんね! あたしのせいで!」
自分にすがりつき、瞳を潤ませて見上げる彼女の肩にそっと手を乗せる。
「気にしなくてもいいですよ。むしろ怖い思いをさせて逆にすまなかったね」
「お前ら、そんなとこで突っ立ってないで店に入れ。今回のことは俺にも不手際があった。詫びといっちゃあなんだが、飯ぐらいはおごってやるから悪く思わんでくれ」
まだ入り口にいたマスターが五人にそう言った。ぶっちゃけ、彼のその申し出は自分に助けを求め、それに応えられなかった少女への罪悪感に拠る所が大きい。彼女が居なければ、今回は運が悪かったなと笑い飛ばしていただけだろう。
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