第19話 作戦決行

「それじゃ、今日のところはそろそろ解散しようか」

 

 カイムの一言に全員が頷いた。酒場の外はすでに薄暗い。

 リルは気を張り続けて疲れたのだろう、椅子に座ったままうつらうつら眠りかけていた。

 

「そうですね。リルさんの親御さんも心配なさっているでしょう」

 

 フェイランは言いながら、少女をそっと揺り起こした。

 彼女の家の場所はすでに確認済みだ。カイムとマチュアの宿泊先である『麗しの小兎亭』からは少し離れているが、まったく別方向というわけでもない。というわけでリルはカイムたちが送り届けると決まっていた。

 眠そうに目を擦る少女の前に背を向けてしゃがみ込むカイム。


「おんぶしてあげるから、家に着くまでもう少し頑張ろうな」


「うん」


 彼女がカイムの肩に手をかけるより早く、こかげが素早くその背を伝って彼の頭の上に飛び乗った。


「お前もか……」


 やれやれとぼやく。とはいえ日頃から重い背嚢を背負って野山を行き来していた彼にとってはさしたる負担でもない。

 

「マチュア、すまないが俺の盾を頼むよ」


「わかったわ」


「それじゃあ、テッドさん、フェイラン。また……」


 リルをおぶさり立ち上がったカイムと、彼の盾を手にしたマチュアにテッドが声をかける。


「あの、カイムさん、マチュアさん」


 しばらく間を空けた後、


「その子を家に送り届けるまで、くれぐれも人気の無い場所は通らないようにして下さい」


 声を潜めてそう告げた。


「大丈夫、わかってます」


「任せといて」


 二人は口を揃えて短く答えた。フェイランが真剣な顔で別れを告げる。


「どうか、お気をつけて。あなた方に神の御加護を」


 テッドとフェイランに見送られ、カイムとマチュアはそのまま店のマスターの元へ挨拶と礼を言いに向かう。


 テッドはここで宿を取っている。フェイランの寝泊りする教会はカイムたちの向かう先とは別方向。


「それじゃ僕は部屋へ戻ります」


 店の外へ出ていくカイムたちを目で追いながら、テッドは努めて平静を装う。


「私はもう少しゆっくりしていきますね。おやすみなさい」


 フェイランはわざと大きな声で言って再び椅子に腰かけた。互いに手を振り、テッドは奥の階段へ消える。テーブルについたまま、しかし、じっと動かないフェイラン。

 その視界の端には、こちらの様子を伺いながら店を出て行く二人の男。

 男たちが店を出ると同時にフェイランは立ち上がり、長巻を手にして店の出口へ駆け寄った。


「まさか本当にかかるなんて……」


 一方、二階の自分の部屋へ急ぎ戻ったテッドは開け放した窓の外を見下ろしながら、弓の弦を張っていた。店の入口に面した大通りは薄闇に包まれている。

 間を置かず店の外に出てきた二人組の男を認め、その進行方向を確認する。立てかけてあった槍と矢筒を手に取ると、彼は部屋を飛び出した。階段を駆け下り、酒場を突っ切って店の外へ。そこでフェイランとテッドは合流し、男たちの後を尾行し始めた。


 カイムとこかげが監視されていることに真っ先に気づいたのはテッドだった。

 複数のペットたちが何者かによって誘拐されているかもしれないという疑惑。

 その推察に至った瞬間から、彼は注意深く、かつさりげなく周りの視線に気を配っていた。喧嘩騒ぎの際、派手にその存在をアピールしてしまったこかげも

その対象になり得ると踏んだからだ。さらに言うならば誘拐の実行犯は恐らく自分たちと同じ冒険者だろうと大まかな目星もつけていた。


 思惑通り、不自然にこちらの様子を伺う二人組を見つけ、それを他の三人にもこっそりと伝えた。まだ憶測の粋を出ない現状で話し合った結果、カイムとマチュアがこかげを連れた状態で囮になり、二人組の尻尾を掴むという作戦が提案された。当然、こかげを危険にさらすわけで、反対意見も出た。しかし、この先もずっと狙われ続けるかもしれないというリスクを考えると、ここで白黒つけた方が得策であると意見が一致したのだ。

 二人組がカイムの後を追うように店を出たら、それが作戦決行の合図であった。



 カイムとマチュアは何事もなく少女を家に送り届けた後、人通りのまったくない路地裏に入っていた。

 複数階層の石造りの建物が左右ほとんど隙間無く立ち並ぶ。舗装はされておらず、地面は土が剥き出しの状態だ。それでいて道幅は意外に広く、馬車二台が並んで通れるほどもある。家々の窓からちらほら漏れる灯と、空に浮かぶ満月の光だけがその路地を照らしていた。

 カイムとマチュアが初めて出会った路地裏によく似ている。本来、通る必要の無いその道を選んだのは、言わずもがな誘拐犯を誘い出す為であった。


「なあ、こかげ頭の上に乗っけたままで大丈夫かな?」


 鳥のように空からさらっていく可能性に思い当たり、カイムは傍らを歩くマチュアに訊ねた。盾はマチュアから返して貰い、すでに左手に構えている。残った右手は灯り代わりにセイゲツを点した短剣を握っている。


「それもそうね。あたしが預かろっか? こかげが納得すればだけど」


 マチュアは最悪、手袋をはめた右手だけでも使えれば不測の事態に対応可能だ。

 

「それよりその、いつでもかかってこいと言わんばかりの不自然な出で立ち、どうにかならないの?」


 尾行されているかどうかは確認出来ていない。出来るだけ後ろを振り向かないようにと、テッドに念を押されていたからだ。二人とも尾行されることなど慣れていない。素人感まるだしで、極力ぼろを出さないよう振る舞うだけで精一杯だった。 


「やっぱまずいかな? 取り合えず、こかげを頼むよ」


 頭の上のこかげをマチュアに預かって貰う為、カイムがその場にしゃがもうとした時、


「待って! 前から人が来た」


 マチュアの制止の声がかかった。あともう少しで路地を抜けるというところだ。カイムは身を屈めるのを止め、不自然にならぬようそのまま歩を進める。

 曲がり角から路地に入ってきたその人影は、まっすぐこちらへ向かって歩いてくる。月明かりに照らされ、その姿が少しずつはっきりしてきた。

 全身黒尽くめ、同色のマントにフードを目深に被っている。如何にも怪しいその男は、間違いなく酒場でこちらを監視していた二人組みのうちの一人だ。さらに怪しさを強調させるかの如く、酒場ではつけていなかった黒い仮面で素顔まで隠している。

 

 ふいに男が立ち止まった。緊張がさらに高まり、二人も足を止める。

 彼我の距離は三メートル余り。 

 

 仮面の男は無言で右手を二人に向かって突き出した。その手にはマチュアと同じ黒い手袋。そして宙に大きな円を描き、そこへ複雑な文様を走らせる。

 

「あれは……!」


 その男が何の魔法を使おうとしているのか、マチュアは数瞬遅れて気づいた。


「カイム! 見ちゃダメ!」


 叫びながら目を逸らし、後ろに下がろうと振り返る。今より少しでも距離を取れば、正面を向いていてもあの魔法は効かないからだ。


 いつの間にか二人の背後にも男が一人立っていた。

 黒マントの男とほぼ同じ仮面。マントは羽織っておらず、全身濃い茶系統の装束。その左手に鎖鎌。柄の先端からは分銅付きの鎖が伸び、右手に握ってゆっくり回転させている。


 後ろの男を見つめるマチュアのすぐ傍に何かが落下した。反射的に両手で受け止めたそれは、四肢を突っ張り体を硬直させた猫のこかげだった。

  

「こかげ!」

    

 同時に隣に立つカイムの体が大きくよろめき、その場にがくりと膝をつくと、そのまま後ろに倒れた。両膝を曲げた体勢で仰向けになり、目を大きく開けたまま驚愕の表情で夜空を見つめている。


 男が使ったのはパラライズという魔法である。宙に描いたシンボルを真正面から見た者すべてを長時間麻痺させる。極近距離でしか効力を発揮しないものの、その効果は非常に強力だ。


「ちっ、そういえばこの娘も俺と同じシンボル・ソーサラーだったな。迂闊だった……。おいっ!」


 マチュアが知識により難を逃れた事に舌打ちし、黒マントの男は後ろの男に指図する。鎖鎌を持った茶装束の男がゆっくりマチュアににじり寄った。

 

「小娘。おとなしくその猫をよこせ。抵抗しなければ怪我をせずに済む」


「ペットをさらっていたのはあんたたちね。何が目的なの?」


 マチュアは麻痺したこかげをぎゅっと胸に抱きしめながら、迫る男を睨みつけた。後ろに下がろうにも挟まれている。


 茶装束男の足元にいきなり矢が突き刺さった。

 両足間の地面に刺さったそれを見て、彼は歩みを止める。鎖の回転も同時に止めた。


「今のは警告です! 動いたら次は当てますよ!」


 男の後ろで二射目の矢を弓につがえつつ、ゆっくり歩み寄るテッド。

 もちろん嘘であった。彼は最初から容赦なく男の足を狙って討っていた。


「動かないで下さい!」


 その反対側ではフェイランが、黒マントの背中に長巻の切っ先を突きつけている。

 

「そのまま振り向かず両手を上げて下さい」


 男は黙って素直にその指示に従った。背中に突きつけられた刃の切っ先が震えている。


「次は左手でゆっくり右手の手袋を取りなさい」


 彼は言われた通り、上げた左手を右手に近づけていく。が、同時に右手を上げたまま素早く宙にシンボルを描き始めていた。


「何をしてるのですか!?  今すぐ止めなさい!」


 フェイランはさらに強く刃の先端をその背中に押し付ける。それでも男の動きは止まらなかった。


「くっ!」


 彼女は仕方なくその背中から刃を離し、長巻の峰で右薙ぎに男の右手を払おうとする。鈍いとはいえ刃でそれを行えば右手を切り落とす恐れがある。そう思い刃の向きを変える為、手の中で長巻を持ちかえる。その甘さがさらなる隙に繋がった。


「フェイラン! 後ろ!」


 マチュアが気づいて警告を発したが遅かった。

 その瞬間、フェイランの背後から突然両腕が回された。彼女の体は両二の腕ごと、強い力で抱きしめられる。それに伴い、横向きに構えていた長巻を取り落としてしまった。


「双角の牙ちゃん、やわらけぇ!」


 モヒカン男が彼女の体を抱き止めたまま、いやらしい顔で舌を出す。そのすぐ後ろには角刈り男もいる。酒場でテッドに喧嘩を吹っかけてきた男たちだ。


 それとほぼ同時に黒マントの魔法が発動した。 

 上向きに描かれたシンボルから、太い光が上空へ斜めに向かって伸びて行く。その光は右手の二階屋根に到達し、光線に沿って男の体が空を飛んだ。あっという間に黒マントの男は家屋の屋根の上へ。


 術者の視界範囲内にある一定距離の地点へ瞬時に移動出来る魔法、テレポート。途中に術者の移動を妨げる障害物が存在すると大惨事になる。

 

「距離を取る必要はなかったか……。まあいい。そこのお前たち、どういうつもりだ?」


 石造りの屋根の上で立ち上がり、黒マントは下を見下ろした。

 

「今しがたこいつの姿を見つけたんで、こっそり後をつけてきたのさ。面白そうなことやってるな。俺たちも混ぜてくれよ」


 モヒカンは言いながら、フェイランの足元の長巻を前方に蹴り飛ばした。


「こいつらには因縁があるんでな。揉めてるんなら手を貸すぜ」


「……ふん、よかろう。ただし、猫を抱いているそこの小娘には手を出すな。それ以外は煮るも焼くも好きにするがいい」


「……ちっ。加勢してやろうってのに偉そうな奴め」


 角刈りが不満そうにモールを担ぎ上げる。


「まあそう言うなや。まずはこいつを足腰立たなくなるまで痛めつけようぜ。すべて片付けてから、どこかに連れ込んでその後は……」  

  

「離して下さい! 離して!」


 自分の腕から懸命に逃れようともがくフェイランの体を持ち上げ、少し左に体を回転させるモヒカン。


「そいつぁいいな。だが、あそこの腰抜けはほっといていいのか?」


 角刈りはモヒカンとフェイランの正面に立った。弓を構えたまま誰に狙いを定めるべきか逡巡し、硬直しているテッドを顎でしゃくる。


「ほっとけ。どうせ何もできやしない。後でいい。まずはこいつだ。暴れて大変なんだから早くしろって!」


「わかったよ。ったく、どいつもこいつも偉そうに……」


 モヒカンに言われ、角刈りは悪態をつきながら両手のモールを持ちかえた。刺つきの鉄球ではなく石突を前にする。


「この下種ども!」


 その会話を聞いていたマチュアは怒りで顔を真っ赤にし、男たちにマジックミサイルを撃つため右手を突き出した。シンボルを描き始める直前、背中に鈍い痛みが走る。


「あぐっ!」


 呻いてその場にへたり込む。


「妙な真似は止めろ」


 マチュアの背中に手加減して当てた文銅を鎖で手繰り寄せながら、茶装束の男が冷淡に言った。 


「あまり手荒な事はするな。小娘はどうでもいいが、猫が傷物になったらどうする」


 屋根の上から黒マントが、鎖鎌を構える茶装束に注意を促す。


 絶望に打ちひしがれるマチュアの視線の先では、角刈りの男が石突をフェイランに向け、その腹を狙い突きを食らわせようとしていた。  

  

 その男の左腕に矢が刺さった。

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