第15話 避難所での夜 

 灯りの消えた真っ暗な天幕の中。


 マチュアは一人だけ眠れずにいた。他の三つの簡易寝台には司祭とカイムとテッドの三人がそれぞれに静かな寝息を立てている。


 魔法の使い過ぎで夕刻から夜中まで気を失っていたのも眠れない原因の一つだが、それ以上に今日一日で色々思うことが多かった。

 考え事をしながら何度か寝返りを打っていると、ふと彼女の目に留まったのは猫のこかげの姿だった。

 マチュアはドワーフの特性として夜目が利く。彼女の視線の先で、こかげは寄り添って寝ていた番犬レオの元を離れ、カイムの寝る寝台へそろそろと忍び寄る。

 しばらく躊躇したのだろうか。寝台の下に辿りついた後、こかげは上を見上げたまま動かなかった。

 やがて意を決してぴょんと飛び乗る。ごそごそと毛布に潜り込もうとする音が聞こえた。マチュアはそれを確認し、微笑ましく思いながら目を閉じようとした。


 しかし再び物音が聞こえ視線を戻す。そこには寝台からむくりと起き上がったカイムの姿。彼は無言でベッドを離れ、傍らに置いてあった手斧を手に取ると、さっさと天幕を出て行ってしまった。

 寝台の上には当然の如く取り残されたこかげが、うな垂れた様子で起き上がり、彼の出て行った天幕の入り口を悲しげに見つめていた。



 それから二日後。

 ヘルハウンドはあの日以来、全く姿を見せなくなった。住民たちは少しずつ避難所から自宅へと帰り始め、かつての生活を取り戻しつつあった。

 それでも万が一に備え、カイム、マチュア、テッドの三人は田園区一帯に留まり警護の任に就いていた。タダ働きではあるが、クロードの住民への働きかけにより食事、寝床、風呂、洗濯等の手配はしてくれていた。

 司祭も度々様子を見に来ると言い残し、一旦教会に戻っていった。


 帰る際、彼女はこかげにテンリンという魔法をかけてくれた。程度の軽い病原体を無条件で駆逐する高位魔法である。少し元気のなかった彼女を気遣ってくれたのだ。しかし、その原因はまったく別の所にあった。

 

 カイムのこかげへの態度が以前に比べ、明らかによそよそしくなったことである。マチュアはそれに誰よりも早く気づいていた。


 その日の夜も初日同様こかげが毛布に潜り込んだ途端、カイムは床を離れて天幕の外へと出て行ってしまったのだ。

 


 彼はかろうじてかがり火の届く広場の片隅で、一心不乱に手斧を振るっていた。

 予備武器として借りていたその片手用の手斧は、あの戦いの後持ち主から格安で譲り受けたものだ。今まで使用していた間に合わせの手製の石斧に比べ、小ぶりな分取り回しに優れている。やはり専門職が作った物は良く手に馴染むようだ。

 扱いなれたその感覚を懐かしく思いながら、元木こりのカイムは手斧を力強く縦に振り下ろした。滲んだ汗が飛び散り、刃先が空を切り裂く。

 鍛錬に励むカイムは、人が近づいてきたのに気づいても動きを止めようとはしなかった。


「テッドさんから話は聞いたわ」


 マチュアが猫のこかげを抱いて立っていた。

 彼女に上半身だけを抱きとめられたこかげは、ぶらんと下半身をぶら下げた状態。マチュアの背が低いので、こかげの長い尻尾は地面に届きそうだ。

 そんな体勢でも身動ぎ一つせずおとなしくしている。


「こかげがあんたの言いつけを守らず助けに来た事について、こっぴどく叱りつけたそうね」

 

「……それがどうした?」


 彼は鍛錬の手を休めず冷たく言い放った。


「俺は間違った事は言ってないはずだ」


 マチュアにとって今まで聞いたことのない突き放すようなカイムの口調に、彼女は一瞬たじろぐ。しかし、すぐ気を取り直し反論した。


「ならそれでもういいじゃない。なんでいつまでもこの子に冷たくするの?」


 カイムはようやく手を止め、ベルトに挟んでいた手ぬぐいで汗を拭きながら、


「こかげの為だ。これからはある程度距離を取ることにしたんだよ」


 すぐ傍の材木の上に腰掛ける。相変わらず淡々とした物言い。


「そうしなければこの先、また同じような事が繰り返されると思ったんだ」


「それが建前?」


 ずばりと言うマチュアを、カイムは似つかわしくない鋭い目つきで睨んだ。


「……何が言いたい?」


「あんた腹立たしいんでしょ? 猫に度々危機を救われる自分の不甲斐なさが。

だからこかげの事、疎ましく思い始めたんじゃないの?」


 マチュアのその言葉を聞いてもカイムはすぐに反論しなかった。

 しばらく黙った後、彼は小声でぼそりとこう言った。


「違う。ほんの少し煩わしくなっただけだ」


「同じことでしょ? 意味わかって使ってる?」


 マチュアのその切り替えしに、カイムは子供のように拗ねてそっぽを向いた。

それがヘルハウンドとの戦い前にこかげがしていた行為とそっくりなことに、彼自身気づいていない。


「そもそもこかげは何なんだ? 俺の保護者か? おふくろか? 俺は猫にいつも心配される程、か弱い存在だったのか」


「か弱い存在? その通りでしょ。もちろんあたしも人のこと言えないけど。もしかしてあなた自分が強いとでも思ってた? 悔しかったら強くなりなさいよ。猫に守られない程度にはね」


 まるで駄々っ子の如く本音を吐露したカイムを、マチュアはマチュアで母のように厳しく叱りつけた。カイムは唖然として言葉を失う。

 

「それとあんた思い違いしてるようだから、もう一言言っておくわ。この子はあんたが弱いから守りたいんじゃないの。あんたが好きだから守りたいのよ。あんたという存在を失うのが怖いから己の命を顧みず守ろうとしてるのよ」


 言い終わってからマチュアは抱いていたこかげをその場に降ろした。


「結果はどうあれ、これであんたへの借りは返したからね」


 こかげに向かってマチュアはそう言うと、


「それじゃあたし眠いからもう戻るわ。朝までにとっとと仲直りしときなさい」


 そうして踵を返すとスタスタとその場から歩き出す。

 初めてカイムと出会った時、こかげに意図せず危ないところを救われた事に恩を感じていたらしい。


「面倒見切れないわよホント」


 愚痴をこぼしつつ去って行くマチュアの姿が見えなくなり、しばらくしてカイムは材木に腰掛けたままうつむいて額に手を当てた。


「あいつ俺なんかよりよほどしっかりしてるじゃないか。何が力になりますだ……まったく俺は……」


 先日の司祭との会話を恥ずかしく思い返す。


 ふと顔を上げると、そこにはまだこかげがこちらを見つめたまま健気に座っていた。カイムはそんな猫に優しく手を差し伸べる。


「すまなかったな、こかげ。俺が悪かったよ。意固地になりすぎてた。……こっちにおいで」


 それを聞いた途端、こかげは躊躇なくカイムの足元に走り寄る。嬉しそうに自分の足に体を擦りつけてくる彼女を、カイムはそっと抱き上げた。


「お前に守られなくてもすむよう頑張って強くなるよ。けど、お前もこれからはあまり無茶するんじゃないぞ。失うのが怖いのはお互い様なんだからな」


 それに対し、こかげはいきなりカイムの手に噛みついた。軽く歯を立てがじがじと甘噛みしてくる。


「あいたた! いてて……だから悪かったって」


 少しやり過ぎたと思ったのか、彼女は歯を立てるのを止め、その手を優しくぺろぺろと舐め始めた。


「助けてくれたのに冷たくしてごめんな」


 こかげの背を撫でながら、カイムは二度と同じ過ちは繰り返すまいと心に誓った。



 その夜からまた何事もなく幾日か経ち、やがて砦奪還に失敗した王国軍主力がほうほうの体で街へと撤退してきた。経緯はこうである。


 まずは対岸に橋頭堡を築く為、ある程度の兵力で渡河を試みた。だが対岸の圧倒的戦力により瞬時に壊滅してしまう。半端な兵力や、或いはそれを逐次投入していては、いたずらに犠牲を増やすのみと悟った。


 そこで持てるすべての兵力を一斉に渡河させる為、多数の筏が森の木を大量に切り倒し作られた。元々あった船舶や筏の数と合わせてそれらが最大限出揃い、後は兵を乗せて渡河するのみ。

 という一歩手間のタイミングで本陣が奇襲を受けた。その混乱の最中、それら渡河手段はろくに使われることもなく、ほとんどが焼き討ちされて消失してしまったのだ。


 これにより当分の間、砦奪還は事実上不可能となった。もっとも敵側の主力もその大多数がクレイやストーン・ゴーレムといった川を渡れない兵種な為、大々的な兵力を渡河させられないという点に於いては互角だった。むしろ今まで川向こうの砦を維持出来ていた事自体奇跡とも言える。

 王国軍は大敗こそしたものの、結果的に消耗戦にならなかった事が幸いし、人的損害だけはそこそこで済むという皮肉な結末を迎えた。


 川のすぐ手前に新たな砦を築く計画が持ち上がる中、兵が帰還した事に伴い、ようやくヘルハウンドの討伐隊が王国軍により編成された。同時に郊外一帯にも多くの守備兵が派遣された為、カイムたちや司祭はヘルハウンド討伐の成否を知ることもなく、各々の居場所へと帰ることになった。

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