第14話 アルセイスの司祭
懐かしい匂いに包まれて、マチュアは目を覚ました。
どうやら間に合わせの寝台に横たわっているらしい。薄暗い明かりの中、ここが大きな天幕の中だと気づく。
ゆっくり上体を起こすと、軽い頭痛がして思わず顔をしかめた。額に手を当てる。
「目が覚めたのね、マチュア。魔法を使いすぎたのでしょう。まだ無理しない方がいいわ」
優しい口調でその懐かしい匂いの人物が彼女に声をかけた。
質素な神官服に身を包んだ老齢の女性だ。薄い緑の肌をしている。アルセイスという亜人族の特徴であった。森人とも呼ばれている。
彼女はマチュアの寝台の傍らで椅子に腰かけ微笑んでいた。
「司祭様……」
マチュアにとって数年ぶりに見るその笑顔は、懐かしさよりも寂寥を感じさせた。彼女の知る育ての親はもっと若くて、活気に満ちていた。たった数年でこうも老いるのかと、マチュアは少し切なくなった。
「他にどこか痛む所は無い? 一通り診た感じ怪我はしていないようだけれど、もしあれば遠慮なく言って頂戴」
「いえ、大丈夫です。特にありません」
心配性な所は相変わらずのようだ。心の中でそう思って、マチュアは少しだけ嬉しくなった。
そんな彼女を見つめて司祭はしみじみと、
「しばらく見ないうちに随分美人になったわねえ」
「いえ、そんな……。司祭様こそお変わりなく……」
「あらあら、この子ったら、一人前にお世辞まで言うようになったのね」
穏やかに微笑む司祭を前に、マチュアは張り付けた笑顔を浮かべる。
「色々と苦労してきたのね……」
しんみりとそう呟く司祭に答えるように、マチュアのお腹が空腹を訴えて大きな音を立てた。
「まあ! 気がつかなくて御免なさい。すぐに食事を頂いてくるわね」
マチュアが顔を赤くして引き止めるよりも早く、司祭はさっと椅子から立ち上がると足早に天幕を出て行った。年齢を感じさせないその軽やかな身のこなしを見て、マチュアはさらに心が軽くなるのを感じた。
ランプの灯りで照らされた天幕の中を改めて見回す。
魔法の使いすぎで気を失い、目が覚めたということは経過時間的に恐らく真夜中だろう。天幕の外も静まり返っている。
彼女が使用する寝台以外に、不規則に並んだ三つの寝台があった。
天幕の片隅には丸くなって眠る番犬のレオと、それに寄り添うようにうずくまるこかげの姿。それを見てマチュアはちょっとした違和感を覚えた。
こかげが非常時以外にカイムの傍を離れていることにだ。
しばらくして司祭がトレーに乗せられた食事を持って帰ってきた。
「冷めたスープだけど、我慢して頂戴ね」
パンやスープの乗ったトレーをマチュアに手渡す。
「ありがとうございます。あ、あの……」
マチュアはそれを受け取りながら、何か言いたげに口ごもる。
「カイムさんとテッドさんなら見回りに行って下さってるわ。もうしばらくしたら帰ってくると思うわよ。あなたがちょっぴり強引に助けた人も勿論無事よ。全員私が治療しておいたから安心なさい」
司祭はマチュアの訊ねたい事に機敏に答えると彼女から離れた。そのまま地面で寝ているレオの元へ。
「念の為、もう一度怪我の様子を見させて貰うわね」
魔法ですでに怪我の治療を行ったレオの容態を再び確認する。見られながらでは食事しにくかろうというマチュアへの配慮も含まれていた。
空腹だったマチュアはその気遣いに感謝しながら、あっという間に食事を平らげた。それを見届け戻ってきた司祭はマチュアからトレーを受け取り、代わりに水差しからコップに水を注いで彼女に手渡した。
「魔術師学院で下働きをしながら、立派な魔術師になると孤児院を出ていったあなたが……」
「ぐっ……」
礼を言ってコップを受け取り、一気に飲み干していたマチュアは司祭の唐突な言葉に喉を詰まらせた。
「なぜここにいるのか、そろそろ教えて貰えるかしら?」
強張った顔で恐る恐る司祭の顔色を伺うマチュア。彼女は怒るでも笑うでもなく、ただただ真剣な表情でマチュアを見つめている。
「意地悪な聞き方してごめんなさいね。あなたが冒険者になったことはすでに知っているわ」
コップを握り締めたままうつむくマチュアに、司祭はさらに言葉を継いだ。
「あなたの所属するギルド支部のマスターさんから、手紙を受け取ったの。彼女、あなたが孤児院出身だったこと知っていたみたいよ。どこかで顔を合わせていたのでしょうね。それであなたの様子から恐らく、私に知らせていないと感づいてわざわざ教えて下さったの」
その口調はあくまでも淡々としていた。
一から出直すなら、地元からもっと離れた場所でするべきなのに、それをしなかったのはマチュアの心の甘さだろう。
「逃げたんです……」
マチュアが蚊の鳴くような小声でそう呟く。司祭はただ黙って彼女の次の言葉を待っていた。
「働いても……働いても……中々前に進めなくて……」
マチュアの告白は続く。
「授業料は高額だし、貴族の子なんかはそれをポンと支払って、あっという間にあたしよりたくさん魔法覚えて行くし……」
なので彼女は魔術師学院を辞め、冒険者になって一攫千金を夢見たのだ。莫大な金があれば授業料も容易に支払える。上手くいけば冒険のさなか、魔法のスクロールを手に入れ新たな魔法を習得できるチャンスもある。
この世界で魔法を習得するには才能は無論、何より金か運が必要だった。司祭やフェイランらが使うジュエル魔法は特にその傾向が強い。魔法の種類ごとに媒体となる特殊な宝石を必要とするからだ。そしてその宝石は一度所有者に定められると、他者が扱う事は出来なくなる。カイムのセイゲツはその常識から逸脱した特異な存在だった。なので優れたジュエル・ソーサラーといえど、金が無ければ後継者を育てることは出来ない。それに比べればシンボル魔法はまだ金銭的な面に於いては救いがあるといってよい。
ゆえにマチュアはジュエル・ソーサラーである司祭の元で育ちながら、シンボル・ソーサラーへの道を選んだのだ。否、選ばざるを得なかった。
「逃げ出したのは決して褒められる事ではないけれども……」
長い沈黙の後、司祭が口を開いた。
「あなたの生き方はあなたのものよ。私はこれ以上、口は出しません」
それに対して何も言わず、うつむいたままのマチュア。そんな彼女を司祭はそっと抱きしめた。
「それから、助けに来てくれてありがとう。結果的にあなたの選択は多くの人たちの命を救ったことになるわ。それは誇りに思うべきよ」
「司祭様……」
司祭の言葉にマチュアの方こそが救われた気がした。
「あなたの行く末にファルネア神の祝福あらんことを……」
松明を掲げた人影が三つ、真っ暗な道を歩いていた。カイム、テッド、そして依頼人のクロードの三人で真夜中の見回りである。
「クロードさんに分けて頂いた虫除けなんですが……」
「ああ、あれね。匂いはきついけど効果は抜群だろ?」
「ほんとにすごい匂いですよね。右手だけじゃなく、原液の中に入れておいた魔宝石にまで匂いが染みついてしばらく取れそうにないですよ」
カイムは半笑いで懐に移したセイゲツの魔宝石を取り出してみせた。
「?」
クロードはあれをカイムが純粋に虫除けの為だけに欲したと、まだ思い込んでいた。
「……て、そんな事はどうでもよくて、あれをこの辺りの住民全員に日常的に使用するよう広めて頂きたいんです」
「どういうことだい?」
「……なるほど」
話を聞いていたテッドが感心したように横から口を挟む。
「光る魔法と共にその虫除けの液をヘルハウンドの鼻に擦りつけたのは、嗅覚を殺す為だけではなかったのですね。匂いをトラウマにさせてこの辺りの住人に近寄らせないのが目的でしたか」
「そうなってくれれば有難いのですが……」
テッドにそう答え、神妙な面持ちでカイムは改めてクロードに向き直った。
「これは苦肉の策です。本当ならば退治出来れば良かったのですが、実力不足ゆえ追い払うだけで精一杯でした」
「それは僕もです。クロードさん、ご迷惑でなければしばらくここに留まり、警護を続けさせて貰えませんか? もちろん追加報酬は頂きません」
カイムに続いてデッドがそう申し出る。
「いやいや、お二人とも良くやってくれたよ!」
依頼人のクロードは慌てて頭を振った。
「警護の件は有難くお言葉に甘えさせて頂くよ。皆もきっと喜んで色々協力してくれるさ。あと、カイムさんの言ってた虫除けを皆に広めるのは俺に任せてくれ」
「ありがとうございます、クロードさん。俺も微力ながら、テッドさん同様しばらく警護させて頂きます」
三人が見回りの引継ぎに避難所に戻ると、かがり火の下で待つ人影。
それは司祭だった。カイムに少し話があるというので、テッドとクロードに引継ぎを任せ、彼は司祭とその場に留まった。
「亡くなられた方々の弔いを済ませたら、私は一度教会へ戻ります。ギルドマスターさんからのお手紙をわざわざ届けて下さって有難うございました」
「いえ、単についでですから……」
「もしや、一度教会の方に出向かれたのでは?」
なかなかに察しが良い。カイムが正直にそれを話すと、司祭はくすりと笑って、
「やはりそうでしたか。あの子らしい気の回し方ですね」
教会の留守を守っていたシスター、カーシャが手紙を受け取らなかったのは、魔獣襲撃に際し、カイムが司祭の力になってくれると踏んだからだ。
司祭はカイムに軽く頭を下げた。
「私からもあなたに一つお願いがあります。マチュアの事、どうか改めてお頼み出来ないでしょうか? これからもあの子の力になってあげて欲しいのです」
カイムもすでにアンジェに知らされ、マチュアが司祭の管理する孤児院出身だと知っていた。
「失礼ですが、自分のような得体の知れない男に任せて本当に安心出来るのですか?」
「あなただからこそお願いするのです。カーシャがあなたを一目見て、信頼するに足るお人と見込んだのも頷けます」
司祭はさらに熱心に言葉を続ける。
「それと、ここの皆さんにお聞きしましたが、あなたは不思議な魔法で一度に多くの怪我人を治療して下さったとか……。これまでの行動を鑑み、あなたにならマチュアを任せても安心と判断したのです」
「……わかりました」
しばしの沈黙の後、カイムはきっぱりとそう言った。司祭に頼まれるまでも無く、マチュアに関しては元より可能な限り面倒見るつもりでいた。ただ、司祭の心根が知りたかっただけなのだ。
「あまり過剰な期待はして欲しくありませんが、出来るだけ力になるとお約束します。個人的にも彼女のことは気に入ってますしね」
それを聞いて司祭はちょっと驚いた顔をした。その顔を見てカイムは慌てて言葉を継ぎ足した。
「あ! 別に異性として気に入ってるってわけじゃないですよ? 友人……というか相棒としてですよ? 単に」
「ふふ……わかってますよ」
「ついでに言っておきますけど、今の発言、彼女には黙っといて下さい」
「もちろんです。聞かせたら色々まずいこと仰ってますよ、あなた。自覚してないみたいですけれど」
司祭は楽しそうに含み笑いをしている。そして、
「ありがとうございます。これで少し気が楽になりました」
胸を撫で下ろした。
「それから、これは聞き流して頂いて構わないのですが……」
彼女はそう前置きし、唐突にこう言った。
「この世界各地には、勇者の血を引く者が手にし初めてその真の力を発揮する武具や魔宝石が、幾つか点在すると聞いたことがあります」
カイムが勇者の血を引く者だと司祭が気づいたのは、セイゲツの魔法の事を住民たちに聞き及んだからである。伝承に詳しい者にとってそれは容易な事だ。
「……それを俺に伝えて何の意味があるというのです?」
勇者の末裔などといった肩書きは、もはやこの世界ではさしたる重みも無い。カイムも無駄に隠し通す愚を悟り、あえて否定はしなかった。
「あの子があなたに出会ったのは、神のお導きなのかと」
司祭は穏やかな顔でカイムをじっと見据えたまま、謎めいた事を口にする。
「……ただ、そう思いたいだけです。そろそろ天幕に戻って休みましょう」
彼女はかがり火の傍を離れ天幕に向かって歩き出した。
カイムはしばらく唖然とその後姿を見つめていたが、やがて気を取り直し彼女の後に続くのだった。
「何が言いたかったんだ、あの人は……」
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