第11話 マチュアの初仕事
郊外の田園地帯に突如、ヘルハウンドという凶暴な魔獣が現れたらしい。
単体のみであるが、定期的に出没を繰り返し、多数の怪我人だけでなく、死者も出ているそうだ。
魔獣は本来、もっと遠く離れた地に生息しているばすだ。郊外に出現するなど、滅多にある事ではなかった。
近辺の住人たちはすぐさま役所に救援を求めたが、その返答は淡白なものであった。冒険者ギルドに依頼を出すといい。後ほど申請すれば補助金は出す。と……。砦奪還を目前に控え、正規兵を割く余力がなかったのだろう。仕方なく、こことは別の大手の冒険者ギルド支部に駆け込んで緊急依頼を要請したものの、名乗りを上げたのはわずか一名のみであった。
同時に一番近い教会にも救いを求め、治癒魔法の扱える高位司祭の助力も得たが、彼女は老齢で戦い慣れておらず、怪我人の治療のみで手一杯の状態らしい。
カイムにはその人物が、先刻訪れたファルネア教会の司祭であると、すぐに察しがついた。
その司祭の話題が出た途端、顔を強張らせたマチュアを尻目に、アンジェは依頼人の若い男に質問する。
「……で、戦力不足を補う為に、ここにも依頼要請に来たってわけね? 先に依頼に応じたその人物、腕は立ちそうなのかしら?」
「う~ん……」
男は腕組みをして考え込んでしまった。
「正直、あんま強そうには見えなかったかな。この人たちと、どっこいどっこいってとこか……」
きっちり最後まで言い終わってから、彼は慌てて口をつぐんだ。
一瞬凍りついたその空気を吹き飛ばしたのはマチュアだった。
「と、ともかく! 悠長に構えている暇は無いはずよ! 急いで現地に向かいましょう!」
「そうだね。俺たちの力でどこまでお役に立てるか分かりませんが、その依頼、引き受けさせて下さい」
カイムは腹を決めた。勝てるかどうかは何とも言えなかった。しかし、仕事をえり好み出来る立場に無いのも確かだ。先に依頼を受けたその冒険者や近隣住民の助力も当てに出来る。
「ありがたい! 恩に着るよ! すぐに裏手から馬車を回してくるから二人とも準備して待っててくれ」
男は喜び勇んで酒場を飛び出して行った。カイムとマチュアも急いで二階の自分たちの部屋に行き、出立の準備を整えて再び酒場に戻る。
各々の荷や装備を確認する二人に、アンジェが声をかけた。
「あなたたちにいくつか伝えておくことがあるわ。そのまま手を休めず聞いて頂戴」
真剣な彼女の口ぶりに二人は黙って頷いた。
「ヘルハウンドは魔獣の中では格下の部類よ。その殺傷能力は大型の肉食動物と、そう大差ないはず」
さらっと言うが、それだけで十二分な脅威である。ちょっと武装した程度の人間が少数でどうにかできる相手ではない。
「けど、あれが本当に恐ろしいのは、その耐久力の高さにあるの」
地獄の炎と呼ばれる蒼炎にうっすらと全身が包まれており、それが物理、魔法に対しての防護壁として働いているのだ。ジュエル魔法のタテナシが常時かかっているような状態であった。
「正直に言って、今のあなたたちや、それと同程度の実力者ではヘルハウンドは倒せないわね」
マチュアの魔法使いとしての実力は、本人からの申告によりアンジェもほぼ把握していた。その上での発言である。
「それがわかっていたなら、最初から依頼を断るべきでしょ。あたしたちが行って退治できるんですか?」
マチュアの抗議はもっともであった。
「私は退治ではなく撃退の依頼と言ったはず。要は倒す事にこだわるなってことよ。上手くいくかどうかは保障出来ないけど、私にちょっと考えがあるの」
馬車というより、馬に引かせているだけの荷車の上で、カイムは何やら作業に専念していた。今にも砕けそうなぼろぼろな自分の木盾。その裏側に何かを塗っている。
隣にはマチュアも座っていた。無論、今は兎のコスプレではなく普通の格好だ。思いつめた表情で押し黙っている。これから戦う相手の事でなく、何か別の事を考えているように思えた。
まだ日の高い空の下。依頼人の男の御する馬車は郊外へと向かっていた。
カイムの傍らでは、こかげが丸くなって寝息を立てている。出立の際、アンジェに預かって貰おうとしたのだが、カイムの鎧に爪を立ててしがみつき、頑として離れようとしなかったのだ。
カイムはふと作業の手を休め、そんな強情なこかげの背中を撫でながら、アンジェが別れ際に語った言葉を思い返す。
「それと最後にもう一つだけ。何かの役に立つかもしれないから、頭に入れておいて」
そうもったいぶってアンジェはこう告げた。
「ヘルハウンドが人里近くに突然現れたのは、恐らく人為的な結果よ。昨夜見せた魔獣捕獲の依頼、覚えてるわよね? 実はつい先日までヘルハウンドも捕獲対象のリストに加わっていたのよ。どういう理由で対象から外されたのかはわからないけど、今回の騒動と何か関係あると見て間違いないわ」
「クロードさん。あたしたちの前に依頼に応じた冒険者って、どんな人なの?」
こかげを撫でながら考え事にふけっていたカイムは、唐突に依頼人の男に話しかけたマチュアの言葉で現実に引き戻された。
御者台で手綱を握る依頼人、クロードはちらりと彼女を振り返る。
「人当たりの良さそうな御仁だったよ。年は俺よりも少し上っぽいかな。
エルフ、いやハーフ(混血)とか言ってたからもっとずっと年食ってるかも。にしてはベテラン冒険者には見えなかったけどね」
「ハーフエルフかあ、珍しいね。その人、男? 女?」
マチュアのその質問に、クロードはにやけ顔と共に小声でこう答えた。
「大丈夫。安心しなよ、ドワーフの嬢ちゃん。男だから」
「は? なんで男だと安心なの?」
きょとんとするマチュア。クロードはちらちらとカイムに視線を送りながら、彼女に小声でささやきかけた。
「だってほら……。女だったら嬢ちゃんのライバルになるかもしれないだろ?」
「はああああああ!?」
意味を瞬時に理解したマチュアが憤怒の形相に変わる。後ろからクロードの襟に掴みかかり、がくがくと揺さぶった。
「カイムとは昨日知り合ったばかりでそんな感情なんて微塵もないわよ! そもそも、あたしは冒険者として頑張って偉大な魔術師になるのが夢なの! 色恋沙汰なんぞにうつつを抜かしてる余裕なんてないのよ!」
「ちょ! 苦しい! 悪かった! 俺が短絡的だった!」
彼は考えなしに発言してしまうタイプの人間らしい。
「何してんだマチュア!」
カイムに羽交い絞めにされ、引き剥がされる。
「あ、ごめんなさい。ついカッとなっちゃって……」
すぐさま素直に謝罪した後、彼女はくんくんと鼻を鳴らし、クロードの身体に不躾に再び顔を近づけた。
「今、ちょっと気になったんだけど、クロードさんて何か独特な匂いがするね。薬草っていうか香草の香り? あまり嗅いだことない匂い」
マチュアもクロードに負けじ劣らず脊髄で発言するタイプに近い。
「また失礼なことを……。どうでもいいだろそんなこと。相方が度々すみません、クロードさん」
カイムが申し訳なさそうに頭を下げるが、クロードは手綱を握ったままケロリとしている。
「いやいや気にしなくていいよ。これは虫除けの特効薬の匂いさ。確かに独特な匂いだけど抜群の効果があって、今、巷で少しずつ話題になってるんだ。俺の周りではまだあまり広まってないけどね」
「へー」
マチュアは早々に興味を失ったらしく、のんびり流れる街の景色を眺めながら適当な相槌を打った。
「その虫除けってどうやって使うんですか?」
逆にその話に食いついたのはカイムだった。真剣な眼差しでクロードに質問する。フェイランも使っていた虫除けの事を思い出していた。
「液状なんで、ある程度水で薄めて使うんだ。直接肌や服に塗ってもいいけど、そうすると余計匂いがきつくなるんで、俺は霧吹きを使って身体に散布してるよ」
「クロードさん! その虫除けの原液ってまだ余ってますか? 少し分けて頂きたいのですが!」
カイムの突然の大声に、クロードもマチュアも何事かと目を丸くする。
「あ、ああ……別に構わないよ。家に戻ればまだたっぷりあるから……」
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