第9話 麗しの小兎亭

 マチュアを連れてギルドへ向かう道すがら、彼女はカイムの周りを落ち着きなくチョロチョロと動き回っていた。


「ねえねえ、ところでその灯り、魔法でしょ? 飼い主さんも魔法使えるんだ。ジュエル魔法だよね?」


「飼い主さんじゃない。俺の名はカイムだ」


「その光浴びてると少しづつ傷の痛みが引いてくよ。すごいね。あたしジュエル魔法のことも多少は知識あるんだけど、そんな効果の魔法聞いたことないわ。なんていう魔法なの?」


「そんなことより家はどこにあるんだ? 今日のところはギルドまで案内するけど、冒険者になるならないに関わらず、明日は一度家に戻った方がいいと思うぞ。親も心配してるだろうし」


「ねえ、そんなことよりその猫、名前なんていうの?」


 マチュアはカイムの腕に抱かれた猫を覗き込む。まったく会話になっていない不毛なやり取りを続けた末、ついに屈したのはカイムだった。


「名前……?」


 言われてカイムは猫に名前が無かった事に、今さらになって気がつく。


「え、えーと……つい先日拾ったばかりだから……」


「えっ!?  それでそんな懐いてるの?」


 マチュアは仰天して猫をマジマジと凝視した。歩くカイムの腕の中で猫は幸せそうな顔で眠そうにしている。 


「じゃあせっかくだし、名前つけてあげなよ。ちなみにその子、女の子だからね」


 猫と大立ち回りを演じた時にマチュアはそれに気づいていた。


「そうなのか」


 それすらも把握していなかった。


「名前か……そうだな……」


 腕の中でカイムを見上げる猫の瞳が、心なしか期待に満ちているように見える。


「……灰色猫だから……いろは……」


「半端なアナグラム!? ていうか、いろはってどういう意味?」

 

「いや……待てよ」


 カイムは初めてこの猫と出会った時のことを思い出す。


「そうだ……木陰……木陰に居たんだよ、この子」


 そっと猫の頭を撫でながら彼は言った。


「この子の名前は『こかげ』にしよう……」


 猫はそれに対し嬉しそうな鳴き声を上げた。


「まあ、いいんじゃない? ちょっと安直だけど、割と可愛いと思うし」


 マチュアは猫に顔を近づけてにっこり笑う。


「よろしくね、こかげ!」


 あらぬ方向を向いたまま一瞥もしなかった。


「……可愛いのは名前だけね」

 


 石畳で舗装された通りに再び差し掛かる。このように舗装された道は上下水道が通っている証だ。その通りに面した一角に、一際大きな三階建ての建物。


『麗しの小兎亭』


 そう記された可愛らしく小さな看板を軒先にぶら下げている。石造りの大きな建物にはいささか不似合いだ。その大きな両扉の前で、カイムはこかげをマチュアに預けた。


「ここで少し待っててくれないか?」


 マチュアと猫の不満の声を同時に背に受けながら、カイムは扉を押し開けた。ランプの灯りで薄明るい酒場。ちらほら客がいるだけの閑散とした状態だ。その広い店内の正面カウンターに一人の女性がいた。


「あら、カイム。生きてたのね。嬉しいわ」


 暇そうに自分の爪を磨いていた女性は、開口一番そう言った。三十路辺りの妖艶な女性だ。ウェーブのかかった長い茶髪で顔の半分が隠れている。


「せめてもう少し感情込めて言って下さいよ。死にかけたのは、ギルドの情報不足にも原因あると思いますけどね」


「そうね。悪かったわ。それより今日はこっちに泊っていくんでしょ?」


 お互い、あまり深刻に受け止めていない。


「その事なんですが、ここって猫同伴可でしたっけ?」


「猫? まあ、よほど汚くなければ構わないわよ。たまにソーサラーが使い魔を連れている場合もあるから」


 一般的な酒場や食堂ではいざ知らず、ギルドの管轄下ではほとんどペット同伴が認められている。


「そうですか、良かった」


 カイムに促されて、こかげを抱いたマチュアがおずおずと店内に入ってきた。


「こんばんわ~。お邪魔します。……ここって冒険者ギルドだったんだ……」


 やけにしおらしい態度だ。後半は呟くような小声だった。こかげは待ってましたとばかりに、マチュアからカイムの腕の中に飛び移る。


「あらあら、駆け出しの分際で、ペットと彼女持ち? いいご身分ね」


 女性の冷ややかな視線にカイムは慌てふためいた。


「違いますよ、アンジェさん! いや、ペットは否定出来ませんけど……。こっちの子は冒険者になりたいというので、来る途中連れてきただけです」


「あら、そう」

 

 アンジェと呼ばれた女性はじっとマチュアを見つめた。その突き刺すような視線にマチュアは居心地悪そうに目を反らす。


「あなた……ドワーフね? その顔、どこかで見覚えあるような……名前は?」


「あははー! 気のせいですよ! 名前はマチュアっていいます。一応、シンボル・ソーサラーです」


「ちょっと、アンジェさん!? さっきの彼女持ち発言、ドワーフと認識する前にしてましたよね? 俺の事どういう趣味だと思ってたんですか!?」


「ところで、あなた今日はどこに泊るつもり?」


 カイムの抗議を完全に無視して、アンジェの興味はマチュアにのみ向けられている。


「行くあてがないので、出来ればここに泊めて頂けたらなあと。お金はありませんけど、働いて後できっとお返しします!」


 それを聞いてアンジェは何故か目を輝かせた。


「その言葉に二言はないわね? ……これは良い拾い物かも」


 後半は小声でほくそ笑む。 


「ぜスト! ちょっと来て頂戴!」


 カウンターの奥からのっそりと大柄な男が現れた。


「呼んだか? アンジェ」


 熊のような大男だ。その強面に似合わない兎の可愛らしいエプロンに目が行ってしまう。


「こっちのドワーフの娘を風呂場に案内してあげて頂戴。それと、この子たちの食事をお願い。ああ、その猫ちゃんの分も忘れずにね」


「……わかった。娘、ついてこい」


 ぜストはカウンターから出て、カイムたちを一瞥すると店の奥へ。叩き出されるのかと冷や冷やしていたマチュアはホッと胸を撫で下ろした。


「何をしてる。早く来い」


「あ、はい。今行きます! やった! 久しぶりのお風呂だ!}


 嬉々としてゼストの後に消えるマチュアを見送り、アンジェはカイムに向き直った。


「悪いけどあなたと猫ちゃんのお風呂は彼女の後ね。その汚い格好のままここで食事をさせるわけにはいかないから、それも少し遅くなるけど我慢してね」


「ありがとう、アンジェさん」


 本当は空腹で倒れそうだが、カイムは素直に礼を言った。マチュアのことをすんなり取り計らってくれた件についてである。


「あの子には宿代も食事代もきっちり働いて返して貰うから礼は要らないわ」


「この店で働かせるってことですか? 彼女、冒険者志望なんですけど……」


「大丈夫、わかってるわ。でも冒険者になるにしても寝床や食事、それに当面の資金は必要でしょ? それともあなたが全部肩代わりしてくれるのかしら?」


「いや……それは……」


 口ごもる。今の彼に他者の生活費まで捻出出来るほどの余裕は無い。


「ちなみにあなたの保護下でなければ、彼女のギルド登録は認めないから。ちゃんと面倒見てあげるのよ?」


 アンジェの有無を言わさぬ言葉にカイムは頷くしかない。こうなることは想定内だったので、さして驚かなかった。 


「そうそう言い忘れてたけど、あなたの宿泊代は割り増し料金だからね。その猫ちゃんの分の」

 

 その点については迂闊にも想定していなかったので、カイムは顔を強張らせた。 



 マチュアが風呂に入っている間、カイムとアンジェは仕事話に移っていた。


 カイムの持ち帰った薬草は通常の相場よりも高い値で引き取られた。その薬草の群生地が今や採取困難な場所にあることと、ギルド側の情報伝達に関する落ち度による迷惑料も含まれていた。とはいえ、この額でしばらく安泰に暮らすには遠く及ばない。早急に次の仕事を見つける必要に迫られていた。


 カウンターの椅子に腰掛け、カイムは依頼書の束と睨めっこしていた。頭に猫を乗せているが大真面目だ。


「今、一番手っ取り早く稼げるのはこれね」


 カウンター越しにアンジェが手渡したのは、国からの傭兵依頼だ。先日陥落した川向こうの砦を再奪取する為、大々的に募っている。戻る途中大規模な陣が敷かれていたが、まだまだ兵力不足のようだ。実際、敵国のゴーレムを目の当たりにしたカイムにはそれも納得出来る。あれでもまだ末端の兵なのだ。上位にはストーン・ゴーレムやアイアン・ゴーレムといった、さらに恐ろしい形態も存在するらしい。


「今の俺じゃあ、死にに行くようなもんですよ」


 そいつらの親玉を倒して来いという王の勅命は、今すぐ従えば死刑宣告に等しい。


 カイムが何気に手に取った別の依頼書は魔獣の捕獲という、これまた手の届きそうにない内容だった。グリフォン、キマイラ、ガルム等々、捕獲どころか出会った瞬間殺されそうな凶悪な魔獣の名が連なっている。


「魔獣なんて捕獲してどうするんですかね?」


 カイムの手にした依頼書へ、頭上のこかげがそーっと手を伸ばす。


「さあねえ? その依頼出してるの大手の商会だし、繋がりのあるお貴族様がペットでも欲しがってんじゃない?」


 ぺしぺしと依頼書の上端をはたき続けるこかげの姿に見惚れながら、アンジェは適当に答えた。無論、冗談である。


 魔獣は普通の獣と違い、例え赤子から育てたとしても、決して人には懐かないといわれている。食の為だけでなく殺戮本能に突き動かされて獲物を襲うことも多々あるそうだ。一般的な獣とは、その生態も成り立ちも精神性も全く異なる存在だった。


「こら、こかげ。悪戯はやめなさい」


 何が面白いのか、依頼書に猫パンチを繰り返すこかげをカイムがやんわりたしなめる。

 

「それにしても美人さんねえ、こかげちゃんは」


 猫の愛くるしい仕草に堪らなくなったのか、アンジェはカウンターから身を乗り出してこかげの頭を撫でた。


「ちょっと、アンジェさんも真面目に……」


 手にした依頼書から顔を上げたカイムは、そう言ったまま絶句した。女性特有の芳しい香りと共にその美しい顔がすぐ目の前にある。そればかりでなく、胸元の大きく開いた襟元から、豊かな谷間がバッチリ見えてしまっている。顔を反らそうにも頭上の猫を撫でられていて叶わない。


「ヴウウゥ~!」


 突如、こかげがアンジェに対しくぐもった唸り声をあげた。口を半開きにして目を細めている。


「あら? さっきまでおとなしく撫でられてたのに、機嫌を損ねちゃったかしら」


 アンジェは素直に手を引き、元の姿勢に戻った。


「こかげちゃんはヤキモチ焼き屋さんなのね」


 おかしくて堪らないといった様子。何故、突然怒りだしたのか理解しているようだ。カイムがどう反応して良いか困っていると、


「良いお風呂だった~! お腹すいた~」


 能天気な声で助け舟が入る。ほかほかの湯気を上げ、バスタオルで髪を拭きながら小ざっぱりしたマチュアが戻ってきた。まるで危機感のないその様子に、カイムとアンジェは何ともいえない表情で顔を見合わせる。


「ねえ、あの子、本当に冒険者になるつもりなの?」


「実力はともかく、打たれ強さだけは保障しますよ」


 宙で猫と取っ組み合った挙句、壁や地面に叩きつけられても、けろりとした顔で立ち上がってきた光景をカイムは思い出していた。

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