第2章 なんだと、このやろーッ! オレをワンちゃんと呼びやがったな!

第8話 ドワーフの少女

 不意の出来事だった。


 カイムが驚いてリアクションを起こすよりも早く、彼の頭の上に居た猫は空中の人影に躍りかかっていた。人影と猫は空で激しく揉み合い回転し、背後の建物の壁へ叩きつけられた。そのまま回転しながら、ゆっくり宙をこちらへ流れてくる。徐々に高度を落としつつ迫るそれらから、反射的にカイムは身を避けた。いまだに何が起こっているのか理解出来ないでいる。


 猫の鋭い鳴き声の中、取っ組み合いを続けつつ両者は再び壁に接触。その際、人影が器用に壁を蹴っていた気もする。その反動で道の真ん中へ。そこでいきなり、どさりと垂直に地面に落下した。その直前、すでに両者の高さはカイムの腰の辺りにまで下がっていた。


 しんと静まり返った空気の中、カイムが恐る恐る灯りを掲げて覗き込む。ガバッと人影が立ち上がった。仰天して仰け反るカイム。


「あいたたた……もうっ! あんたのご主人に危害を加えるつもりはないっての!」


 猫と大立ち回りを演じた小柄な少女は、引っかき傷だらけの顔で憮然としながら猫を抱えていた。その腕の中で猫はまだ激しく抵抗を続けている。


「まあともかく、あんたが飛びかかってくれたおかげで助かったわ」


 その言葉の意味が理解出来ず、カイムは沈黙したまま棒立ちだ。


「ほら、ご主人様の元へお帰り」


 少女はその場に猫を降ろした。猫も彼女に劣らず満身創痍だった。すぐさまカイムの足元に駆け寄ってくる。そんな猫を優しく抱き上げると、持っていたセイゲツの灯りに照らして傷の治療を促進させた。


 よく分からないが、その言動と行動から察する限り謎の少女から悪意は感じられない。そう判断し、カイムは少女に声をかけた。


「どういうことか説明してくれないか?」


「これは不幸な事故なのよ。……主にあたしにとってのね。さっきも言ったけど、あんたたちに危害を加えるつもりはないわ」


 幼い少女に見えたが、どうやら彼女はドワーフと呼ばれる亜人族のようだ。小柄ながらもがっしりとした体格。幼い見た目の割りに大人びた口調。ドワーフは人間よりも若干長命で、詳しい年齢は不明だが、カイムとそれほど年に開きは無いように見受けられた。


「あんたの後をつけて冒険者ギルドの場所を知りたかったのよ」


 彼女はシンボル・ソーサラーという系列の魔法使いだった。


 カイムやフェイランは魔宝石を触媒として、その宝石に込められた魔法のみを扱えるジュエル・ソーサラー。

 対してシンボル・ソーサラーは特殊な黒手袋を発動体として、宙にシンボルを描き魔法を発動させる。魔法の種別ごとに宝石を必要とするジュエル魔法と異なり、習得さえしていれば複数の魔法を扱える。それゆえ習得自体がジュエル魔法より困難という欠点もあった。


 彼女の扱える数少ない魔法の一つがウェイト・エリミネート。これは読んで字の如く、触れた対象物の重さを極短時間のみ消し去るというものだ。対象の大きさは牛馬程度のものまでに限られる。


 少女はこれを自分にかけ、建物の屋根の上に飛び上がってカイムの後をこっそりつけようとした。ところが彼が引き返してきたものだから慌てて反転し、効果が切れると同時に足を滑らせ転落してしまったのだ。落下のダメージを和らげようと落ちた瞬間魔法をかけ直したのだが、これが裏目に出た。


 慣性の法則によって落下し続けたまま地面に激突し、気を失うと共にその反動で空に飛び上がった。その状態に陥ってしまえばもはや為す術はない。意識を失ったまま魔法の効果が切れるまで上昇し続け、その後は言うまでもないだろう。


 それを意図せず救ったのが猫だった。猫に飛びつかれたことで意識を取り戻した。そればかりでなく、横からの力が加わった事によりその軌道を変え、さらに猫の自重も加わって高度を下げ、惨事に至らずに済んだ。未知の存在からカイムを救おうとした猫の行動は、結果的に少女を救う形となったのだ。


 マチュアと名乗ったドワーフの少女の経緯を聞きながら、カイムは溜め息を吐いた。自分を命がけで助けようとしてくれた猫を大事に抱え直す。


「なんでそんな回りくどい事したんだ。今みたいに普通に話しかけてくればよかったろ」


「だってほら、あたしって人見知りじゃない」


 マチュアは悪びれもせず小首を傾げてみせた。フードを取ったその頭は金髪で少し長めのボブカット。釣り目がちな大きな瞳はあどけない顔立ちの中に知性を感じさせる。薄汚れた短衣に短めのブーツを履き、マントで全身を覆っている。そして右手にのみシンボル・マジックの発動体である黒い手袋。


「人見知りね……」

 

「それにあたし、高いとこ好きだし」


「ああ、なるほど」


 その一言でカイムはすんなり納得して頷いた。自分と恐らく同年代のこのドワーフの少女に対し、その瞳に知性を感じさせるという第一印象は雲散霧消していた。


「ねえ、それよりあんた冒険者なんでしょ? ギルドまで案内してよ。あたし、ちょっと訳ありで路頭に迷ってるのよね。だから冒険者になりたいのよ」

 

「……別にいいけど、こう見えて冒険者は楽な仕事じゃないぞ」


「ついでにあたしのことギルドに斡旋してくれると助かるなあ」


「なんで素性も実力も知れない君のために、そこまでしなきゃいけないんだ」


 長旅で疲れ果て、挙句に空腹ときている。そんなところに足止めされ、彼がイライラするのも無理はなかった。


「仕方ないわね。そんなにあたしの実力が知りたいの?」


 やれやれと肩をすくめてみせるマチュアに、猫を抱いたまま慌てて後退る。


「いや、別にそういうこと言いたいわけじゃなくて……」


「なら教えてあげるわ。あたしの実力を」


 マチュアはカイムの言葉を聞いていないのか、不敵な笑顔を浮かべた。


「かつてはこの街の魔術師学院に在籍していたのよ。さっき説明したウェイト・エリミネートに加え、もう一つマジック・ミサイルという魔法も使えるわ」


 自分の前方斜め上の空間に黒い手袋をはめた右手を走らせ、光の奇跡を描いて行く。宙に複雑な文様の光り輝くシンボルが完成し……、

 そしてすぐに消えた。そのまま何も起こらない。


「……あ、射程内で対象物指定しないと発動しないんだった」


 夜空に浮かぶ月を対象にしたらしい。

 

「空撃ち出来ないって事か? なら何かそこらの物適当に指定すればいいだろ」


「え? だって危ないから、むやみやたらと人や物に向けて撃っちゃいけませんて学院の先生が……」


 マチュアはもじもじと言い訳する。


 生物、無機物問わずダメージを与える単体攻撃魔法マジック・ミサイル。

 これには一つだけ大きな弱点があった。生命体のみヒットするごとに威力を半減させる程の耐性が生じてしまうのである。当たれば当たる程それは増していくので、同対象へ一日に効果的に与えられる有効打はせいぜい二、三発が限度だ。一日程時間を置けばその耐性は消失する。

   

「とにかく! ウェイト・エリミネートだけなら一日に四回。マジック・ミサイルだけなら八回は使えるわ。もっとも八回は精神力ギリギリね。ウェイト・エリミネート三回とマジック・ミサイル三回でもギリギリだったかしら」


 身振り手振りで懸命に自分のを説明し始める。カイムはがくりとうな垂れた。このドワーフの魔法少女をこのまま捨て置けば、間違いなく悪い輩に騙される。そう確信した。


「わかった、わかった! 案内してやるからついてこい。斡旋はともかく口添えくらいはしてやるよ」


 言いつつ、とことん面倒見る羽目になるであろうことはすでに覚悟していた。今現在はみすぼらしい身なりながら魔術師学院に居たということは、どこぞの苦労知らずなお嬢様なのだろう。生意気な言動や軽率な行動もそれを物語っている。ちょっと厳しい仕事でもやらせてみれば、すぐに根を上げ実家に逃げ戻るだろう。カイムは軽くそう考えていた。今は一刻でも早く宿に戻りたい。 


「ホントに!? わーい、ありがとう!」


 意外に素直に喜び跳ねるマチュアを促し、彼は再び路地裏を歩き始めた。カイムの背嚢と比べ、こじんまりした麻袋を肩に担いで彼女も後ろについてくる。


「あんた、なかなか見所あるわね。器の小さい奴ならあたしの態度にぶちギレてるところよ」


「自覚あるなら改めろよ!!」


 カイムはぶちギレた。

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