第7話 街への帰還
翌朝、カイムとフェイランは昨日謎の女性と出会った辺りを中心に再び捜索を行った。しかし何の痕跡も得られず、結局それは午前中一杯で打ち切られた。フェイランは別種の薬草を採取する仕事をまだ残しており、女性の捜索を継続しながら目的地へ向かうことをカイムに告げた。彼は心配して同行を申し出るも、フェイランはやんわりとそれを断った。
「それには及びません。群生地は川のこちら側ですし、大して危険はないでしょう。それよりもその猫さんを少しでも早く安全な街へ連れて行ってあげて下さい」
そう言われて引き下がらないわけにはいかなかった。
「いつか、またどこかでお会いしましょう」
「助けてくれて本当にありがとう。君の旅の無事を祈ってるよ」
「こちらこそ。あなたにも神の祝福を」
カイムとフェイランは互いに固く握手をして別れた。
羊皮紙に描かれた地図と方位磁石、さらに冒険者ギルド所属を示すワッペン。カイムはこの三つを頼りにリースの街を目指して歩いていた。
冒険者ギルドのワッペンは、拳大の大きさで平たく丸い形をしており、一つだけ特殊な力を持っていた。透明なカバーの中に方位磁石に似た太い針が備わっており、地面と平行に持つことで、その針が常時街の方向を示してくれる。正確には街ではなく、登録したギルド支部の位置を指し示す。どれだけ離れた場所にいてもその効果を発揮してくれる優れものだ。
各ギルド支部に設置された特別な魔宝石に反応するよう作られており、大元の魔宝石はともかくワッペン自体は比較的廉価で作成できる。これが冒険者たちに普及している事により、地図とコンパスさえあれば彼らは単独でも見知らぬ土地へ赴くことが出来るのだ。
行きとルートは違うものの、それらに加えフェイランに大まかな道のりも教わっていたので、森の中でも迷わずスムーズに街へと向かっていた。何度か休憩を挟みながら歩き続け、猫と共に一泊野宿をし、次の日の午前中には森を抜けることが出来た。
そこには大規模な戦陣が敷かれていた。いきなり戦場に迷いこんでしまったかのようだ。丘に広がる草原が人馬で埋め尽くされている。野営用のテントがそこかしこに乱立し、居並ぶ兵士たちの間を多くの騎兵が駆け抜けていた。
カイムがその景観に圧倒され立ち尽くしていると、
「貴様、何者だ! どこから来た!?」
誰何の声と共に数騎の騎兵が駆け寄ってきた。近くて見ればやはり甲冑に身を纏った王国軍の兵だった。カイムは簡潔かつ素直に自分が冒険者であることと、これまでの経緯を説明した。
草原の右手には大きな山城が見える。今やあの砦がリースの街を守る最終防衛ラインだ。
騎兵たちはカイムの説明には碌に耳も貸さず、無愛想に彼を一際大きな天幕へと連行した。詳しい話はそこでしろという事らしい。取りあえず問答無用で斬り殺されなかっただけマシだった。と、カイムは自分に言い聞かせる。
騎兵に取り囲まれながら天幕へと向かう間、多くの兵士たちの傍らを通り過ぎた。即出陣というわけではないようで、皆、思い思いに郭を囲んで食事を取っていたり、集団で槍の鍛錬を行っていたりと様々だ。それら兵士の三分の一近くが、統一性の無い武装で身を固めた傭兵や冒険者たちだった。
カイムは天幕内で素性やこれまでの経緯を詳しく取り調べられた。冒険者ギルド所属のワッペンがあるにも関わらず、それは長時間に渡った。無論、彼が国王の勅命を受けた身であることは話さなかった。というより誰にも話すつもりはなかった。幸い、王都から遠く離れたこの地では、彼の顔も名前も全く知られていない。
食事も与えられず、彼がようやく開放されたのは、昼過ぎになってからだった。行きに通った砦近くの関所では、ここまで入念な検査はされなかった。最前線が後退したのだから無理からぬことでもあるが。
カイムはよれよれになりながらも、ほうほうの体で陣地を離れ、草原の上で猫と共に軽い食事を摂った。
「これはこの先、こっち方面には来れないなあ」
素性だけでなくセイゲツの魔法の事も伏せておいて良かったと、心から胸を撫で下ろす。遅効性であっても、やはり治癒魔法使いは貴重な存在だ。うっかり口を滑らせていれば、無理にでも従軍させられていたかもしれない。もっとも、暢気に猫を連れている冒険者など端からお呼びでない可能性も大きい。実際、最初は魔法使いの使い魔かと思われていたようだ。それを否定すると兵士たちからは小馬鹿にしたような視線を向けられた。
「フェイランも戻ってくるのに苦労しそうだな……」
食事を終えた猫は彼の傍らで丸くなっていた。やっと一息つけて安心したのだろう。出来ればこのまま寝かせてやりたかった。彼自身もへとへとだ。しかし、それでは今日中にリースの街に辿り着けなくなってしまう。水はともかく保存食は既に底をついた。気力を奮い起こして立ち上がる。すると猫もすぐさま目を覚まし、後ろ足で立ち上がると彼の足にすがりついてきた。
「にゃっ!」
短い鳴き声をあげる。置いて行かれるとでも思ったのだろうか。そんな猫がいじらしく思え、彼は苦笑いしながらひょいとその体を抱き上げた。
「心配されるとは心外だな。俺は絶対お前を置き去りにしないよ」
飼い主がこの猫を手放したのは何か事情があるに違いない。もう積極的にその者を探すつもりはないが、見つかるまでは自分が代わりを務める。彼はそう心に決めていた。
夕刻になって、ようやく彼らはリースの街に到着した。
ザーグと争うレイデル王国軍の最前線、巨大な城塞都市である。衛兵の守る城壁門で再び取り調べを受けた。さすがに今回はそれほど時間はかからなかった。戦時でなければもっと簡略化されていただろう。
すっかり日が落ちた街の中、カイムの根城である『麗しき小兎亭』を目指した。街外れにある、宿と酒場を兼ねた冒険者ギルドの一支部だ。
リースの街に限らず、このような冒険者ギルドは一都市に複数あった。扱う依頼はそれぞれの支部毎に異なり、例え所属支部が違ってもギルド員であれば、どこの支部へ行き、どの依頼を受けようが自由。極一部の例外を除いて、達成報告さえ同じ場所で行えば問題ない。
カイムは石畳みで舗装さた表通りから、人気の無い路地裏へと入った。頭に猫を乗せたまま剥き出しの土の上を歩く。道幅はそれ程狭くないが、左右に立ち並ぶ石造りの建物は高く妙な圧迫感を覚える。暗い夜道は表通りの喧騒と対照的にひっそりと静まり返っていた。
「腹減ったな。早く宿に戻って飯にしよう」
辺りの薄気味悪い雰囲気を払拭する為、努めて明るく猫に話しかける。
「にゃあ」
猫は律儀に返事を返した。いつの間にやら、カイムの頭の上がお気に入りのポジションになっているようだ。
石斧の柄先に灯したセイゲツの明かりを頼りに進んでいると、建物を背に膝を抱えて道端にうずくまる小さな人影が見えた。それを見て一瞬肝を冷やす。カイムは足を止めることなく、そそくさとその傍らを通り過ぎた。通り過ぎ様ちらりと横目で観察する。薄汚れたマントを羽織り、そのマントと一体化したフードを頭からすっぽり被っている。どうやら子供のようだ。
通り過ぎてしばらくしてからカイムはピタリと足を止めた。そのまま見過ごす事に罪悪感を覚えたのだ。くるりと回れ右して元来た道を引き返す。猫の時と同じような振る舞い。どう声をかけるべきか思案しつつ、彼は己の優柔不断ぶりを自嘲した。
しかし、引き返した先にその姿は無かった。自分の目を疑い辺りを見回す。左右の建物に扉はあるも、開け閉めした音は聞こえなかった。固く閉ざされたまま。建物同士の間に人が入れるほどの隙間もない。道の先を照らしてみても走り去る後ろ姿も見えない。ここへ戻る間、足音も聞こえなかった。その場から忽然と姿を消したとしか思えなかった。
カイムの顔から血の気が引いた。子供の座っていた場所を凝視し、生唾を飲み込む。
その背後に突如気配を感じた。とっさに振り返った彼の目の前に、どさりと何かが落下した。それは地面でバウンドし、カイムに覆い被さるようゆっくり空に舞い上がった。
「シャーッ!!」
目の前で大きく両手を広げるその小柄な人影に、頭の上の猫が威嚇の声と共に飛びかかった。
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