第6話 野営

 しばらくして再び戻ってきたカイムは、両手に追加の薪やら、半分に折れた、平たい石などを山のように抱えていた。

 その足元には例の灰色猫。あれ以来、ひと時も彼から離れようとしない。


「色々、お世話かけてしまってごめんなさい。ありがとう」


 しゃがんで焚き火に当たりながらフェイランは彼に礼を言う。着ていた着物は乾かしているので、下着姿を一枚の大きな布で前掛けのように隠しただけの格好だ。


「お礼を言わなくちゃいけないのは俺の方だよ。さっきの女の人もだけど、君が助けてくれなかったら、どうなっていたことか……」


 拾ってきた物をその場に置き、少し気まずそうにフェイランから視線を逸らした。そして手際よく調理の支度を始めた。焚き火の左右の地面に添え木を刺し、鍋を火にかける準備をする。

 

「薬草採取の為にこんなとこまで来て、あの様さ」


 背嚢から小さな鍋を取り出し、水袋から水を注ぐ。ほしいいを入れて火にかけた鍋に、細切れにした魚の干物を加える。


「それは私とて同じこと。それに命拾いしたのもお互い様ですよ」


 フェイランは微笑んだ。肩の傷はすっかり癒えている。患部に直接光を当てていたので治りが早かったようだ。


「それより先程の女性の方はやはり見つかりませんでしたか……」

 

「色々拾いながら河原の方も探してみたんだけどね……」


 セイゲツの効果が切れそうだったので断念せざるを得なかった。二人の間で明日また探してみることに話が決まる。


「もしかしたらその猫さんが私たちを助けて下さった女性なのでは?」


 猫は焚き火の熱や煙を避け、カイムの真後ろで寝そべっている。


「はは……なかなか面白い冗談だね」


 あまり面白くもなさそうにカイムは笑い飛ばした。フェイランも自分が突拍子もないことを言ったと思い直したらしい。


「ふふ……ですよね。変なこと言ってごめんなさい」 


「そういえば君も証のワッペンつけてたね。神官戦士の冒険者なのか」


「はい。武者修行の旅の最中ですが、旅費や生活費を稼ぐために……。今はリースの街外れにある小さな教会のご厄介になっています」


「リースの街か。俺も今はあそこを拠点にしてるんだ。それにしても、この辺りはまだ王国の勢力圏だと思っていたのに、どうなってるんだろう」


 鍋で煮込むかゆのアクを小まめに取りながら、カイムは首を傾げる。それを聞いてフェイランは沈痛な面持ちになった。

「川向こうを支えていた砦に何かあったのではないかと……」


 彼らの属するこのレイデル王国は、数多のゴーレムを従える北の国家ザーグとの戦争状態にあった。


「何だって!?  街を出る時にそんな話は聞いてない……」


「私もです。けど川を渡ろうとした時からおかしいとは思ってたんです。渡し舟の桟橋は無人だし、それどころか人も兵士の姿もどこにも見当たりませんし」


「俺はここよりずっと北の橋で川を渡ったから……」


「それで崖を登って薬草採取を終えた後に気づいたんです。砦のある辺りの空にやけにたくさんの鳥が飛んでいました……。その時はまだそこまでに考えが至らなかったのですが」


 その言葉の意味を理解してカイムは青ざめた。フェイランも悲痛な表情で神に祈りを捧げる。


「惨いことです……」


 砦陥落がすぐ街に伝わらなかったのは、つまりそういう事なのだろう。その後の度重なるゴーレムの追撃も、勢力内となった川向こう一帯へ侵入した二人を排除しようとするものであったと説明がつく。


 崖上でその後、フェイランは近くにあった大がかりな丸太の罠を興味本位で調べていた。無人のそれはすでに壊滅した砦の兵士たちが、対ゴーレム用にあらかじめ仕掛けておいたものだった。その最中、彼女はカイムが追われている姿を見つけ、仕組みを理解した罠を発動させたのだ。


「あの時は助かったよ、本当に……」


 カイムは十分アクを取り終えた鍋の中から椀に一杯だけ干物入りの粥をすくった。

 

「ほら、これはお前の分。まだ熱いからもうしばらく冷ますまで待っててくれ」


 猫は相変わらずカイムの真後ろに寄り添い丸くなっている。冷ますため椀を何度か移し変え、焚き火から少し離した場所に置き、虫や火の粉が入らないよう手頃な物で蓋をしておく。そうしておいて鍋の中に味噌と調味料を加え、軽くかき混ぜた。


 

 二人は食事をしながら別の話題に移っていた。

 

 カイムに背を向けて貰い、フェイランは焚き火に当てて乾かしておいた袴と小袖に着替え終わっていた。まだ生渇きだったが下着は新しく替えている分、当初よりかは幾分マシになっている。


「あなたの使って下さった不思議な魔法はなんという名でしょうか? まるでミナモヅキに治癒の効果を加えたような」


 フェイランにとってそれは未知の魔法だった。ちなみに彼女の言うミナモヅキとは、一定時間対象に灯りを点すだけの魔法だ。


「セイゲツっていうんだ。あまり知られてないかもしれないね。コウフウみたいな即効性のある治癒力は無いから、戦いじゃあまり役に立たないけど」


 戦う相手が治癒魔法の効く通常の生命体の場合、光の当て方をどうにか工夫しなければ、戦闘を続けている間、その敵の傷まで同時に治療し続けるという間抜けな欠陥もある。

 

「けど、単純に光源としても使えますし」


 さらにフェイランには気になっていた事があった。


「それと、あの光が輝いている間、その周りには虫が全く寄りつかなかったのですが、気のせいではないですよね?」


 虫の苦手な彼女だからこそ気づいた事であった。


「うん、そういう効果もあるよ。魔法の効果時間はおよそ一時間だから、気休め程度だね」


 さらにいえば不死の怪物に対し、継続的に傷を負わせる効果もあるらしい。未確認なので彼は敢えて口にしなかった。


「羨ましいです。私、まだ治癒系の魔法持ってないから……」


 フェイランはぽつりと呟いた。


「まあ、俺が使えるのはこの魔法だけだし」


 カイム自身、魔法にはそれほど詳しくなかったので、セイゲツがどの程度の価値のあるものなのか、いまいち把握していない。


「出会った時にも言いましたけど、私も一つだけですよ」


「タテナシだっけ? 君がかけてくれたおかげで怪我の程度が軽くで済んだよ。この脇腹も、もう完治する程度で収まった。俺もいつか欲しいな」


 二人がそれぞれ扱う魔法は共にジュエル魔法と呼ばれる系統だ。

 魔宝石を触媒に魔法を発動させるもので、各石ごとに使える魔法は一種と限定されている。誰にでも扱えるというわけではなく、それなりの素養と訓練が必要だ。その上、種類にもよるが魔宝石自体かなりの高額で、カイムやフェイランのような駆け出しが、おいそれと新たに購入出来るような代物ではない。一種類だけでも所持している分、二人はまだ恵まれた立場だろう。

 


 カイムは食事を終えて何やら真剣に作業に取り掛かっていた。拾ってきた半分の櫓の端に短剣で器用に穴を空けている。その後ろでは猫が、ようやく冷めた干物入りの粥を食べている最中だ。


「それは何を作ってるのですか?」


 フェイランは興味深げにカイムに近づき、その手元を覗き込んだ。無防備に身を寄せてきた彼女に、ほんの少しどぎまぎしつつ答える。


「武器が無くなってしまったからね。手製の石斧を作ってるんだ。この短剣だけじゃ心許ないし」


 時折、短剣を焚き火にかざして熱を持たせている。そうして柄となる櫓に穴を空け終わると、今度は河原で拾った大きく平たい石に別の硬い石を打ち付けて削り、刃の部分を整えていく。三角形に近い形をした平石の広い部分が刃のように鋭さを増す。

 

 フェイランはカイムの隣にしゃがみ込み、時間を忘れてその工程に魅入っていた。その尻尾があっちへぱたり、こっちへぱたりと地面を不規則に叩く。

 カイムの背後で食事を終え、前足で顔を洗っていた猫がそれを黙って見過ごすわけがない。一度姿勢を低くし腰を上げ、彼女の尻尾に飛びかかった。

 尻尾は一度猫の手を逃れたかと思うと、大きくしなってその顔面を容赦なく打ち据えた。


「ふぎゃっ!」


「わっ? ごめんなさい!」


 猫が悲鳴を上げると同時にフェイランは慌てて立ち上がる。その場から大急ぎで逃げていく猫へ彼女は必死に謝った。


「わざとじゃないんです! こういう時どうしても勝手に動いちゃうんです!」


「あはは。まあ、仕方ないさ。ほら、機嫌直してこっちおいで。代わりに遊んでやるから」


 カイムは作業を中断すると、座ったまま焚き火に背を向け猫に手招きした。

 恐る恐る寄ってきた猫を蒔枝であやす。そうしながら、すごすごと元の場所へ引き上げていくフェイランを振り返った。


「ところで、君のその刀、長巻ながまきっていうんだっけ? 刃の手入れをしなくても大丈夫なのかい?」


 彼女は自分の長巻を大事そうに手に取った。


「お恥ずかしい話ですが、この長巻は元から刃が鈍く作られているんです」


「鈍く作られている?」


「これ、実戦用じゃなくて稽古用なんですよ。けどその分、一般的な刀より、かなり丈夫に作られてます」


 下手をしたらそこらのなまくらより高価な特注品である。タテナシの魔宝石を所持していることも鑑みるに、彼女が裕福な良家の出であることが伺える。

 彼女自身、本当はもっと切れ味のある刀を使いたかったのだが、今現在の経済的理由に加え、普通の刀を使いこなす技量も自信もまだ無かった。


 ちなみに彼女の長巻の柄半分以上は実はさやである。取り外すことで柄の長さを短くし、状況に応じて大太刀としても扱える構造になっていた。その為、反り返った刃の部分と対照的に柄の部分は逆向きに反っており、全体的に『~』をもっと真っ直ぐに近づけた形状をしている。


 フェイランはそんな長巻の刃を丁寧に布で拭うと、その布をそのまま刃に巻きつけながら言った。


「さて、それではそろそろお先に寝ますね。しばらくしたら起こして下さい。見張り交代しますので。あ、ご飯、おいしかったです。ご馳走様でした」


 ためらいもなく、あっさり横になった。


「うん、おやすみ。これを仕上げたら遠慮なく交代して貰うよ」

 

 カイムは石の斧身に水をかけ、石台の上で根気強く研磨し続けた。

 フェイランはすでに安らかな寝息を立てていた。相当疲れていたのだろう。猫もやはりカイムのすぐ傍で眠りについている。


 ふと虫の羽音が聞こえた。カイムの右斜め後ろからだ。恐らくアブの類か。

 彼は手元にあった短剣を手に取ると、即座に刃の部分に持ち替え、振り向き様サイドスローで投擲した。


 短剣投げに没頭していた時期もある。ただし、素早くそしてある程度正確に目標に投げられるというだけで、刺さるかどうかは運次第といった程度の腕前だ。


 短剣は回転しながら木に当たり、コーン! と意外に大きな音を立てて弾き返された。無論、虫にはかすりもしない。


「あわわ……」


 カイムは慌てて彼の真後ろで眠る猫を庇った後、短剣を探しに立ち上がった。火のついた薪の灯りを頼りにそれを拾い上げ、恐る恐る眠っているフェイランや猫の様子を伺う。馬鹿な真似をして起こしてしまっただろうかと懸念したが、幸い彼女も猫も先程と変わらず、ぐっすり寝入っているようだ。

 ほっと安堵すると共に、焚き火の明かりに照らされるフェイランの寝姿にカイムは思わず釘づけになった。着替えの際、一瞬だけ垣間見えてしまった彼女の艶かしい下着姿を思い出す。


 ガウル族の男性は筋骨隆々、女性は豊満で魅惑的な体つきをしている者が多いといわれている。フェイランもまた例外ではなかった。 

 

 ごくりと生唾を飲み込むカイムの視界の片隅に、ついさっき仕留め損なったアブの姿が見えた。それは羽音と共に、あろうことか眠るフェイランのお尻にピタリと止まる。

 次の瞬間、バシッと鈍い音がして、アブは彼女の鞭のようにしなる尻尾に叩き落とされていた。カイムはその目にも留まらぬ早業にあっけにとられる。


「忘れてました……」


 フェイランが寝ぼけ眼でむくりと起き上がった。

 カイムは慌てて元の場所にすっ飛んで戻り、何気ない素振りで石斧を磨く作業を再開させた。こっそり様子を伺う彼の前で、フェイランは自分の荷物の中から何やらごそごそと取り出している。取り出したのは竹筒に細工した霧吹き器だ。それを使って自分の体に何かを念入りに吹きかけている。


「この虫除け良く効くんですよ。カイムさんもよろしければお使い下さい。それじゃ、今度こそおやすみなさい」


 自分の枕元にそれを置き、再びバタンと横になった。安心しきったその寝顔を見て、彼は一瞬でも気の迷いの生じた己が無性に恥ずかしくなった。


「俺みたいな悪い虫にも効きそう」


 つまらない独り言を呟き、自己嫌悪に陥りながら一心不乱に石を磨き続けた。同時に天然で警戒心の薄い彼女の事が他人事ながら心配になる。


 そうして森の夜は、その後何事も無く静かに過ぎていった。

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