女神は笑顔で俺の相棒を引き裂いた
ーーーなさい。
ーーきなさい。
ーー起きなさい、
起きなさい、
その柔らかで天から響くような声に俺は目覚めた。慌てて身を起こし、辺りを見回す。
ただひたすらに白い世界。天も地もあやふやで、地平線は無く、此処に果ては無いのだと思わされる。
ーーこちらです。
水面に落ちた水滴の描く波紋の様に、涼やかな声が
「……」
ここは?と尋ねようとして、ひゅーひゅーと掠れた音が口から漏れた。そんな俺を無視して一方的に女は告げる。
ーー貴方には二つの道があります。軽々しく女を弄んだ罪と貴方自身の傲慢さによって地獄に堕ちるか、或いはこれまでの生き方を悔やみ苦しむ少女達を救う為にその身を捧げるかです。
余りに唐突で極端な物言いに呆気に取られる。
「……は?ちょっと待てよ。アンタいきなり何なんだ?」
「自分がこれまで何をしてきたか、さっきまで何をしていたか分からない程に畜生か、貴様は?」
刺々しい、というよりは殺意すら感じられる言葉が発せられた方を見れば、凛とした、正に天使という表現がぴったりとくる女が真っ白な翼で羽ばたき、巨大な女の顔の横で、こちらを睨んでいた。
その鋭さにたじたじになる。
「せ、せめて此処がどこか、貴女方が何者かを教えて下さいませんか?」
ーーまあ、当然の疑問ね。此処は天上セレスティンと堕悪イーヴィルの狭間、のちょっとだけ天上セレスティン寄りってところかしら。そして私は天上セレスティンの主である、女神セレス。彼女は私の配下の
女神とやらの顔には笑みが浮かんでいるにも関わらず、何故か薄ら寒いものを感じた。それを顔に出さない様にしつつ、精一杯へりくだる。
「はい。ですが何故私がこのような場所に居るのでしょう?てっきり死んだと思っていたのですが」
きっと今の俺の顔は今までの経験を活かした爽やかな笑みが浮かんでいる筈だ。だが女の巨大な瞳には、嫌らしく媚びへつらった笑みを浮かべる獣があった。
ーーええ、その通り。貴方は死んだわ。此処に呼んだのは私。堕悪イーヴィルに流れていた魂が此方セレスティンの方にふらふらしていたから、試しに呼んでみたら偶然にもなんと、此方に流れてきたって訳。
貴方、幸運よ?と微笑む女神は、成る程、女神に相応しい美貌の持ち主だった。思わず見惚れる俺をレナスが蒼い瞳で睨み付けて言う。
「それで、主の問いに答えてもらおうか。正直、私としてはこの場で切り捨てるべきだと思っているのだが」
是非もない。俺以外の誰かに尽くすなんて真っ平だが、訳の分からない言いがかりで地獄に堕ちるなんざもっとあり得ない。こいつらが女神だとか天使だとか盲目的に信じた訳じゃないが、理解が及ばない存在であるのは確かだし、逆らっても良いことは無いだろう。
「地獄には行きたくありません」
ーーそれはつまり、後者の道を選ぶということで良いかしら?
女神の目は言い逃れは許さないと、雄弁に語っていた。仕方なく頷く。
それを見て、
ーーではこれはもう要りませんね。
ニッコリと女神が微笑むと同時にジョキンという音が俺の下半身辺りから聞こえた。同時に俺の体からナニカが消え去った。
「……え?」
あまりの出来事に脳があらゆる情報を遮断する。
ーーこんなモノがあるから男は堕落し、不幸な女が生まれるのです。
ソレがなくなったら不幸どころかそもそも人類の半分は消え、最後には絶滅してしまいます!
そんなツッコミをする余裕もなく無様にのたうち回る。
「がおまっがが……」
ーー落ち着きなさい、貴方は既に肉体を失った存在。ならば貴方が感じるその痛みは幻想です。
ーー幻想だと?そんな筈がない!! おれが、二十年間余り共に過ごしてきた相棒が、肉体を失った程度で俺から離れる筈がないだろう。間違いなく、今、この瞬間に、俺は相棒を失ったのだ。快楽を共にしてきた大切な肉棒を。この痛みは幻想じゃない。 消して別れるはずのなかった、死さえ引裂けなかった俺たちのキズナをこの畜生はあっさりと断ち切りやがった!!!
寂しくなった股間を押さえて、蹲りながらも女神を精一杯睨み付ける。
「返せよ!!おれの◯◯◯を!(自主規制)」
「主よ、真にこのような下種を配下とするつもりですか?」
呆れたような顔をして天使が女神に尋ねる。対して女神は気楽そうに笑いながら答えた。
ーーまあ、取り敢えずはこの子でいいわ。今までのは大して使えなかったし、全く違うタイプを試してみるのも一興でしょう
「貴女は……。いえ、それよりもアレはもう持ちそうにありませんが?」
ーーあら、いけない。折角手にいれたのに、無くすなんて勿体ないわ
道端で拾った珍しいガラスか何かのように、魂を扱う女神に、天使は眉を潜めたが、天道の痛みで朦朧とした意識では彼らが何を言っているのかさえ理解出来ない。
ーー聞きなさい、
何も分からない、けれど「死ぬ」という言葉はやけにはっきりと聞こえた。死ぬ?俺が?なんで?痛み以外の理由で体が激しく震えた。
「し、しにたく、ない」
体を丸め、それでも答えた。ふふ、とはっきりと嘲りを含んだ嗤いが空から響く。
ーー醜いわ。今までどれだけ人を傷つけてきたか、分かっていないでは無いでしょうに。貴方に死ぬ理由はあれど、生きる理由は無いでしょう?今まで何の為にも、誰の為にも生きてこなかったし、貴方は、これからもきっと、そうだったのでしょうから
女神の声がやけに近い。此処が肉体の無い世界だというのなら、息遣いなど感じる筈がないのに、体に生暖かい風が当たる。
恐る恐る、丸めていた頭を横に向けた。
「ひっ………!!」
其処にあったのは、蒼く澄んだビー玉。俺の体くらいのビー玉。それは表面に醜く、弱った獣を映しているようでいて、その実、何も映してなどいなかった。
ビー玉の横が真っ赤に弓なりに裂けた。それはまるで奈落に続くクレバスの入り口のようだった。
ーーふふ、滑稽ね。……まあ、いいわ。貴方にチャンスをあげる。貴方を生まれ変わらせてあげるわ。死にたくはないのでしょう?
生まれ変わる?俺が?◯◯◯を失って?冗談じゃない。そんな俺は俺じゃない。別のナニカだ。それに、
「お、女になんか成りたくない」
脂汗を流しながら、歯を食いしばって言う。
ーー安心なさい。女にはならないわ。大体、男が欠けた存在が女だとでも言うつもりかしら?……まあ、結局のところ貴方に選択肢など無いのだけれど。さあ、私が唱える呪文を貴方も繰り返しなさい。
真っ赤な二つの弓の狭間から、声が発せられている。そこで初めて、俺の目の前にあるものが女神の顔だと気づいた。女神の頭がゆっくりと持ち上がり、彼女の金髪がさらさらと真っ白な床の上を滑る。それは見惚れるくらい美しい筈なのに、何故か獲物の前で悠然と鎌首をもたげる蛇を思わせた。真っ赤な唇が裂けて、唄が真っ白な世界に響いた。
ーー祈る、祈る、祈る。
「祈る、祈る、祈る。
慌てて彼女の言葉を繰り返す。言葉を発する毎に、体は軽くなり、痛みが薄れた。
ふと脳裏に、嘗て見た光景が過る。
ーー悠久の狭間にて有限の時を憂う。日が一度、月が三度余の周りを巡る頃、現れる者を嘆く。
「悠久の狭間にて有限の時を憂う。日が一度、月が三度余の周りを巡る頃、現れる者を嘆く。
薄暗い部屋の中で、ぷらぷらと左右に、置時計の振り子のように揺れる様は、どこか狂った笑いを誘わせた。
ーー捧げられし者に救いを。救われし者に安寧を。余を救う者に安寧が無いならば、余が
「捧げられし者に救いを。救われし者に安寧を。余を救う者に安寧が無いならば、余が
訳もわからぬまま、只死にたくないという一心で女神の言葉を繰り返した。其処に俺の意思などなく、ただ得体の知れない、呪いのような強迫観念が俺を突き動かしていた。
嘗てあった日だまりのような笑顔を思い出す。そうだ、俺は、子供らしい強欲さと剥き出しの野生で以て、その笑顔を己の物にしたいとーー。
ーー是の身を捨て、告げる。我が名は
「是の身を捨て、告げる。我が名はーー
ーーーああ、理由が無いのは当然だ。だってもう何処にも無いのだから。でも、気づいた時には全てが手遅れで、巻き戻すことは
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